第17話 合流

「昔のこと、覚えてる?」


 ハンバーグ定食を食べながら、ふと月都はそんなことを口にする。


「つー君との思い出は全てがかけがえのないものだから、抜け漏れなく覚えているはずだけれど」


 こちらはドリアを月都以上に上品に食べながら、流れるように答えるのだ。


「俺がグラーティア家に遊びに行ってさ、家の中にある森を姉ちゃんと一緒に探検したことがあるだろ?」


「……」


「姉ちゃん?」


 だが、ソフィアの顔が一瞬かげったことに、気付かない月都ではなかった。


「――えぇ、勿論覚えているわよ」


 しかし一度の瞬きの内に、弟へと向けるに値する慈愛に満ちた笑みは繕われていた。先程の憂いは気のせいであったのかと、錯覚してしまうまでに。


「その時期にしか咲かないお花が見たいって、つー君がお願いしてくれたのよね。可愛かったわ」


「花は見れたけど、俺があっちやそっちや走り回るもんだから。帰り道が分からなくなって」


「そこで使い魔が現れてしまった」


「鉤爪の攻撃から姉ちゃんは俺を庇ってくれたんだよな」


 しみじみと呟くように、月都は幼少期の思い出を語っていく。


「俺はあの時、ショックで気絶してしまったけど。姉ちゃんが身を呈して守ってくれたことだけは、ちゃんと心に残ってる。その後、母さんが助けに来てくれたんだっけ?」


「そっか」


 懐かしい思い出を語るだけの月都とは対照的に、ソフィアの手は震えていた。


「つー君は忘れてるんだ」


 カタカタと手に持ったスプーンが小刻みに揺れている。


「ん? 何か言った?」


「いいえ、独り言よ」


 吹けば飛んでしまいそうなあまりにもか細い声。ゆえにソフィアの独白を月都は聞き取れなかったのだ。


「あら、追加の料理が来たようね」


 話を逸らすかのように、店員に軽く会釈をした後、料理を取り分けていくソフィア。


 結局、姉が何を言いかけたのか、この時点で月都が知る術はなかったのだ。








「良かったわね、つー君。充電完了よ」


 そう言って取り出したのは、充電が満タンになった老人向けスマートフォン。


「ほら、白兎しらうさぎ達に連絡をしてあげなさい」


「ありがとう」


 本来であればわざわざ満タンにせずとも、もう少し早く連絡自体は出来たのだが、月都と二人っきりの時間を伸ばしたかったので、敢えてソフィアはギリギリまでその事実を黙っていたのだ。


「もしもし、あずさ。俺だよ俺。悪かったな急にいなくなって。ただこっちにも色々と訳があって」


『ご主人様。ご無事で良かったです。何かのっぴきならない事情があったのでしょう? 気にしないでください』


 あらかじめ登録されている番号におそるおそる電話をかけるや否や、僅かな待ち時間さえ発生せずにあずさが応答した。


「それで、のっぴきならない事情は後で話すとして、今俺達がいるのは関西地方の――」


『――ちなみにですが、あずさ達』


 そこで、ソフィアは小さく悲鳴をもらす。


 姉の目線の先を追って、月都も同じくギョッとした表情を形作るのだ。


『今、ご主人様のいらっしゃられる店の前にいます』


 月都とソフィアが腰掛ける窓際の座席。窓に張り付くかのように彼らを外から見つめる人影の頭には、兎耳が生えていた。








「いったいどんな魔法を使ったの、アナタ。この時間じゃ新幹線はもう動いてないはずだけど」


「その程度の些事が、メイドたるあずさがご主人様の元に向かう障害になるとでも?」


 ソフィアの至極常識的な質問に、腰に手を当てて、不遜な態度をもって答える。


「海を走って、空を飛ぶ。魔人であればそれくらい出来て然るべきではありませんか」


「出来るかどうかと、実際にやるかどうかは話が違ってくるでしょう……」


 ちなみにこの場に小夜香はおらず、蛍子だけがあずさに付き添っていた形だ。


「表の世界の人間に見られでもしたら、一大事よ」


「勿論、細心の注意は払いましたとも。それに表の世界の人間は繊細なようでいて案外図太いですから。自らの常識の埒外らちがいたる現象を、無理矢理普遍的な物事に置き換えようとするに決まってます」


 なんとくではあるものの、遊園地に残された三人の間で何があったのかを予想して、ソフィアは白兎あずさと一ノ宮蛍子の上位の魔人らしい奔放さに頭を痛めるのであった。


「いや、そもそも」


 月都も姉とは異なる観点で疑問があったらしい。


「どうして俺と姉ちゃんの居場所が分かったんだ?」


 ジンジャーエールをストローですすりながら、首を傾げるのだ。


「それは蛍ちゃんのお陰です」


「正確にはわたくしの力ではなく、一ノ宮家当主の協力があってこそ、なのですが」


 長い前髪で左眼を覆い隠した大和撫子。今は眼鏡を装着している蛍子が、ニコニコと淑やかな微笑みを浮かべ、あずさの端的な説明に注釈を加えた。


「かつては長老達に実権を握られていたものの、現在の一ノ宮家はおおよそを紫子さん……わたくしの母が掌握しております。そして日本で最大の勢力として名を馳せる乙葉家が関東地方に拠点を置いてように、一ノ宮家は関西地方に拠点を置いているのです」


 乙葉家が日本を、ひいては魔人の輩出が多いこの国の裏側において重要なポジションを占めていることには、月都の実母が亡くなる前も後もほとんど変わらないが、そんな中で一ノ宮家は乙葉家に匹敵する家格を持ちながら、彼女らの対抗勢力として長きに渡り存在を続けていたのだ。


「月都様達のような強力な魔人が表の世界にいらっしゃられれば、特定はそう難しいことではありません」


 なればこそ、本拠地を関西地方の裏側に置いている蛍子の実家が、表の世界で放浪する月都達を観測出来ない道理はなかったのである。


「えーと、あと。先輩は――」


 最後の疑問点を洗い出そうとしたところで、月都の携帯にタイミング良く小夜香からの着信が入る。不慣れな手付きで通話ボタンをタップすると、画面にカメラ越しの小夜香の顔が表示された。


『もしもーし。聞こえてんかー?』


「周防先輩。こんばんはです」


『おまえの女はヤバいな。場所特定した途端、海の上を一目散に駆け抜けて行きやがった』


 小夜香の呆れ混じりの言葉には、月都とて苦笑いするより他はない。


「これからどうします?」


『一応、あたしはおまえさんらの付き添いだからな。追いかけるつもりではあるが、普通に新幹線と電車を乗り継いでいくぞ』


「えぇ、えぇ。構いませんとも。周防先輩は後からチンタラノロノロと来ればよろしいのです」


 この辛辣な発言は月都ではなく、当然あずさのものである。テレビ電話であるために、ここにいる全員が小夜香との通話が可能であったのだ。


『言葉に棘しか感じられねぇ……まぁ、いい。どこで落ち合う。どうせだしそっちはそっちで観光してくんだろう? 学園に申請した日数にもまだ余裕があるし』


 あずさの皮肉を大人の余裕で受け流し、今後の予定を尋ねる。


 二十四時間営業のファミレスにいる四人は、揃って顔を見合わせた。


「ルコはここら辺の出身なんだよな。おすすめはあるか?」


「鹿がおります」


「あぁ。奈良公園ですか」


「奈良……確か京都の隣にある古都だったかしら」


「愛らしくもあり凶暴でもある。貪るかのように鹿せんべいを喰らう彼らの様を眺め、愛でてはみませんか?」


「何それ、面白そうだな」


「つー君がいいのなら、私も構わないわよ」


「ご主人様がよろしければ、メイドとして従うのは当然です」


 話はまとまった。


『了解。奈良に向かえばいいんだな。今日はこっちに泊まるが、明日の昼過ぎには到着出来るようにしておくぜ』


 それを画面越しに見て取った小夜香。結論を出すと、彼女は速やかに皆と挨拶を済ませ、通話を切った。

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