第16話 憎悪の根源
「壊れてないわよ」
「え?」
ホテルの一室では、月都とソフィアが物言わぬ老人向けスマートフォン、通称やすやすフォンを前に顔を突き合せていた。
「魔神の影響で充電が一気になくなってしまったのでしょうね」
そう言って、ハンドバッグから充電器を取り出す。
「ほら、暫く差しておけば直るわ」
「おー」
充電器を差し込まれたスマートフォンは、暫くの間沈黙を続けていたものの、最終的には充電中のマークが浮かび上がって来るのだ。どうやら壊れたというのは、月都の勘違いでしかなかったらしい。
「充電が出来たら、あずさ達に連絡すればいいってことだよな」
本当はもっと早く連絡をして、心配しているであろうあずさ達を安心させたいのだが、月都のスマートフォンのみならず、ソフィアの携帯も同様に充電が尽きてしまっていたために、早急な連絡は不可能であったのだ。
「あのね、つー君」
今はバスローブ姿ではなく、ソフィアが本来着ていたワンピースに戻っている。
「何の役にも立てなくて、ごめんなさい」
「えぇ?」
「私、すぐに魔神にやられてしまったじゃない……」
その裾を彼女は爪をたてんばかりに握り締めながら、俯いてしまう。
「人間だったらそんなもんだよ。気にする方がおかしい」
ひらひらと手を振って、姉の謝罪は本来必要などないものだとの見解を示す。
「生きていてくれて良かった。本当にな、すっげぇ心配したんだぜ?」
姉が魔神と戦えたかどうかなど、月都にとっては些事でしかない。
「姉ちゃんがいないと、俺は生きていけないから」
無事でいてくれた。ただそれだけで、月都の心は救われるのであった。
「……ありがとう」
弟の想いを汲み取ったのであろう。
不用意に言葉を重ねることなく、極めてシンプルな感謝を口にするだけに留めた。
充電が完了するまでにはまだ時間がある。
「回る寿司が食べたい! 回る寿司! 店の中で電車が走ってるって聞いたことがあるんだ!」
「残念だけれど、この時間だと回転寿司屋はもうどこも閉まっているわ」
二人して夜の繁華街に出た二人は、二十四時間営業のファミレスに入店した。
月都もソフィアも表の世界の基準に照らし合わせれば未成年ではあるのだが、西洋人で日本人よりは大人びて見えるソフィアと共にいるお陰か、店員の目からは月都も二十歳そこそこに見えていたのである。
「ちょっとお花掴みにいってくるから。つー君はここで待っててくれる?」
断わりを入れて席を立とうとするソフィアに、
「おう、トイレだな」
あまりにも明け透けな物言いで月都は応えてしまう。
「そういうことは言わないの。もう」
めっ、と。姉として弟の不用意な発言をたしなめつつ、ソフィアは月都を席に残して立ち去っていった。
それから五分も経っていなかったくらいのことだろう。
ソフィアがお手洗いから窓際の席に戻ると、何やら月都に言い寄る三人組の女性客の姿がそこにあった。
「お兄さん、お一人ですか?」
「あたしらと遊びません?」
「すっごくかっこいいですねー。モデルさんみたい」
別段、その様子を俯瞰して眺めたところで、彼女達に悪意は感じられない。
やたら派手派手しい身なりではあるが、ソフィアは気づく。彼女らは裏の世界ではなく表の世界の一般人であり、月都をいわゆる逆ナンしているだけであるのだろうと。
だがしかし、たとえ彼女らに悪意がなかったとしても、このままではあらゆる意味で危機が訪れるに違いない。怯えた表情で黙り込む弟を目にした途端、ソフィアはそんな確信を胸に秘めながら、小走りに窓際の席にまで駆け寄っていた。
「皆様、失礼致します」
努めて淑女として振る舞う。
ソフィアが暴君として君臨するのは同族の魔人に対してのみであり、表の世界の人間に対しては穏やかな物腰で接するべしと心得ていたのだ。
「彼は私の連れなの。それにあまり人にも慣れていない子で。誠に申し訳ないのだけれど、お引き取り頂いてもよろしいかしら?」
にこやかに、尚かつ丁重そのもので告げるソフィア。アイドルも裸足で逃げ出すレベルの美人に、喧嘩腰からは程遠い態度で言われてしまえば、女性客も引き下がるしかなかった。
何とか穏便に事が済ませられたことに、まずは安堵の息を一つ。
「つー君! つー君!」
女性客が会計を済ませた頃合いを見計らい、放心状態にある月都の肩をやや乱暴に揺する。
「――」
ギロリ、と。怯えた面持ちのまま、それでいて恐ろしいくらいに無機質な眼差しが、ソフィアに向けられた。
「……あはは、姉ちゃんにはまた助けられたなぁ」
されどソフィアの眼前で張り詰めさせていたのは一瞬。すぐ様月都の顔に元の笑顔が戻って来るのだ。
しかし元の笑顔という単語のおかしさを、ソフィアはこの世界の何者よりも理解している。
本来の乙葉月都は感情豊かでありながら、引っ込み思案。あまり言葉や表情を表に出す少年ではなかったのだから――。
「駄目よ、つー君」
そもそも魔人として、ソフィアが気付かないわけがないのだ。
「私達魔人は所詮、同じ業を背負う怪物同士。殺し合いすら至極当然の営みっていう、ある種狂った存在よ」
月都は殺意を覚えていた。
「それでも、そんな血濡れた私達が世界に存在を許される理由は、表の世界の人間を守護するところにある。コレが根底にあることだけは、どうか忘れないでいて頂戴」
彼をナンパしようとしていた少女達に対して、だ。
「……知ってるさ」
貼り付けられた笑みの奥から、疲れ果てた自嘲が徐々に顔を覗かせる。
「あの人達があいつらと異なる人間であって、危害を加えることが絶対に許されないことくらいは。止めてくれて、助かった」
ならば、何故月都は極東魔導女学園の生徒達にすら滅多に抱かない殺意を、先刻の女性客に向けていたというのか。
「だけど、劣情を抱いてたんだ。彼女達は」
さりとて解答は単純。理由はこの一点に収束されるしかなかった。
「どんな侮蔑よりも、どんな敵意よりも、一番、それが、
侮蔑や敵意。許し難いことに変わりはないがまだよかろう。いつか見返してやれば済む話だと、何とか月都の中で折り合いはついている。
だがしかし、劣情だけは。
自分の顔と肉体を性的に、生々しく眺められた時にこそ、月都の女に対する憎悪は表も裏も関係なく格段に跳ね上がる。
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