第15話 チェックイン(ポロリもあるよ)

「んっ……」


 重い瞼を開けると見知らぬ天井が。


「どこよ……ここ」


 横たわっていた身体をソフィアはおもむろに起こした。


 霞む視界で周囲を見渡すも、ここが見慣れた学園の寮でも、はたまたイギリスに居を構えるグラーティア家に置かれた私室でもないことは、いくら寝ぼけていようとも明白で。


「ホテル、かしら」


 すると徐々に覚醒し始めた聴覚が、遠くから流れる水の音を捉えるのだ。おそらくはシャワー室。


 そちら側へと吸い寄せられるかのように、フラフラとした足取りで向かったソフィアは鉢合わせてしまう。


「姉ちゃん! 良かった、目が覚めたんだな!」


 腰にバスタオルを巻いただけの月都と。







 月都はかなりの世間知らずである。


 それでも、母や姉からかつて伝え聞いた表の世界の情報を何とか駆使して、夜分にソフィアを抱えて一人、ホテルにチェックインすることには成功した。


 スマートフォンが壊れてしまったことであずさ達との連絡手段は断たれ、おまけに姉は目覚めない。だが、これでようやく一息つけるのだと、月都は戦いの緊張を和らげるべく、シャワーに入っていたのだ。


 とはいえ、なるべく眠ったままの姉の側に付き添いたい気持ちは大きいために、鴉の行水もかくやといったスピードで最低限の入浴を終えた月都が部屋に戻ると、どこか呆然とした面持ちのソフィアが突っ立っているではないか。


「姉ちゃん! 良かった、目が覚めたんだな!」


 されどそんなソフィアの驚きを知る由もなく、姉の本当の意味での無事を確認した彼は、腰にバスタオルを巻いただけの姿で無邪気に駆け寄った。







「服を着て頂戴!」


 顔を真っ赤にさせてはいるが、怒っているわけではない。おそらくは羞恥心でいっぱいになっているだけ。


 ソフィアの行動の意味がおおよそは分かっているからこそ、駆け寄ろうとしたところで出鼻を挫かれた月都は首を傾げるのだ。


 はてさて姉はいったい何を恥ずかしがっているのだろうか――と。


「昔はよく一緒にお風呂に入っただろ?」


 月都にとってソフィアとは幼馴染であり、元婚約者であり、血の繋がりがないにも関わらず姉と呼び慕う親しき女性だ。


 今更裸の一つや二つ見せたところで、慌てるような理由はさりとて思い浮かばなかった。


「だっ、てぇ……」


 しかし、それはあくまで月都の理屈である。


 純粋培養箱入り娘のソフィアにとって、たとえ愛すべき弟であろうとも、幼少期と比較して格段に成長した異性の裸を間近で目にしてしまえば、どうしたところで狼狽えざるを得ない。


「分かった分かった。今から服着るよ。だから落ち着いてくれ」


 このまま眠るつもりはないらしく、ホテルに備え付けられてあるバスローブではなく、今まで着用していたシャツとズボンに袖を通し始める。


 その様子を前にホッと胸を撫でおろしたソフィアであった――が。


「……つー君」


「どうした?」


「えぇと、その」


 気付いてしまったのだ。自分が着ていたはずの服を今は着用していないことに。


 最もホテルの備品であるバスローブに身を通してはいるし、彼女の服もハンガーに整然とかけられていた。


 けれど、だというならば。自分が眠っている間に、いったい誰が服を着替えさせたというのか。


「あっ……あ、あぁっ……!!」


 そんなもの、目の前にいる弟以外にいるはずがないのだ。


「……見、た?」


「見たって何を?」


 ソフィアに対してはどこまでも警戒心が薄い月都に、うら若きお嬢様の危惧が伝わるわけもなく。


「む、胸とか……。色々」


 だからこそ、顔から火が吹き出る程の羞恥に身悶えながらも、敢えて言葉にするしか手段はなかった。


「そりゃあ、見たさ。魔神に何か変なことはされてないかって。傷とか色々」


 そう言って、着替え終わった月都は改めてソフィアに顔を近付ける。


「今のところは元気そうに見えるけど、本当に大丈夫?」


「げっ、元気よ! 当たり前じゃない!!」


 体調に問題はない。あるとすれば月都の裸に近い格好を見てしまったこと、自分の裸を見られたこと。この二点による精神の著しい狼狽だ。


 ゆえにある種の空元気で押し切ろうとしたソフィアに、さらなる苦難が押し寄せる。


「え、」


 ハラリ、と。バスローブが何の前触れもなくはだける。


 元より前の合わせは頼り無く、ソフィアが飛んだり跳ねたりしている内に徐々にそれは緩められていたのだ。


「あ、ごめん。一応縛ったつもりだったんだけど」


 一度目はまだ良いとしよう。たとえ恥ずかしくて恥ずかしくて死にそうであったとしても、あの時のソフィアはまだ眠っていたのだから。


 だがしかし、バスローブが隠してくれない慎ましやかな胸元から無防備な臍までを弟に眺められている現在、ソフィアと月都の目は正面からバッチリと合ってしまっていたのだ。


 相変わらず平常運転の月都と、目を白黒とさせるソフィア。


 こうなってしまえば、結末は誰でも簡単に予測がついて然るべきであろう。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 深夜零時。十八歳の乙女真っ盛り、ソフィア・グラーティアの耳をつんざく悲鳴が、ホテルの一室にて近所迷惑も甚だしく響き渡る。

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