第9話 笑顔
蛍子と別れ、姉と呼び慕う女性――ソフィア・グラーティアと月都が合流する頃には、辺りはすっかり日が暮れてしまっていた。
「つー君」
金色の波打つ髪をひるがえし、ソフィアが駆け寄って来る。
「姉ちゃん」
それに応じて、月都も小走りで彼女の元に向かった。
「……綺麗ね」
思わずソフィアがそう呟いてしまうくらいに、一斉に園内を彩ったイルミネーションは壮麗の一言に尽きた。
「姉ちゃんの方が綺麗だぜ」
「もう。そんな言葉で騙されたりなんかしないわよ」
からかう月都に、ソフィアは頬を赤らめる。だが決して皮肉ではなく親愛の情によるものであることは、彼女も当然理解しているのだ。
「歩きましょう」
そう言って二人は歩き出す。光の奔流に満ちた夜の遊園地を。
「もう一度、話し合いたいって思ってたの。しがらみのないここで、ね」
覚悟はしていた。
ソフィアが此度の外出についてくると宣言した時から、この展開を予期しまた恐れてもいたのだから。
「グラーティア家に来る気はない?」
「悪いけど、答えは変わらない」
努めて硬質さを取り繕った上で、
「ノーだよ、姉ちゃん」
月都は救いの手を跳ね除ける。軋む心は無視をして。
「夕陽さんがご存命なら、つー君はグラーティアに婿入りする予定だった」
ソフィアの言い分は最もだ。男が虐げられる世界において、何も月都が無茶をせずとも、牢獄から抜け出せたのであれば後は彼女達の庇護を素直に受ければいいだけの話。
「もしかして、失望してる? つー君を救い出せなかった私達を――」
にも関わらず、月都は頑なに助けを求めない。
「――それはない」
されど、この拒否は断じてソフィア達に対する不信ではないのだと、月都は強固に主張する。
「俺は姉ちゃんを含めたグラーティア家の人達を、嫌いになることなんて絶対にないから」
手を握った。一瞬、驚いた面持ちのソフィアではあったが、弟の手を振り払うような真似を姉は己に許さない。
「以前にも言ったけど、姉ちゃん達は俺を救うために独自に動いてくれてたし、きっと後一年もすれば俺は外に出れただろう。そもそも、自力で脱出出来たなんて偉そうなことを言える立場じゃないのさ。俺が今ここで限りなく自由を謳歌しているのは、あずさの助けと、姉ちゃん達が学園に逃げこませてくれたからだ」
監視役であったはずのあずさを籠絡。ソフィアの母が理事長を務める極東魔導女学園に逃げ込むことで、魔人の世界において未だ絶対的な権限を有する旧家、乙葉家からようやく逃げることに成功したというのが、今の月都の実情なのだ。
「つー君」
月都にすがりつくかのごとく、ソフィアは彼を仰ぎ見た。
「序列一位になって魔神と戦うなんて、そんな危ないことはやめましょう」
感情が溢れ過ぎたあまり、身体はひとりでに震えていた。
「私が頑張って、つー君のこと、守るから……。側にいて……お願いっ……!!」
これまでは理性で何とか抑えていた。
だが、それもここで限界であったらしい。ソフィアは心の奥から湧き上がる激情を、思わず弟にぶつけてしまった。
「なぁ、姉ちゃん。知ってる?」
痛い程に理解する。自分が姉に心配をかけていることも。本当はこれ以上ないくらいに恵まれていることも。
「実はさ、俺の方が姉ちゃんよりも強かったみたいなんだ」
「そんなの! 昔から! 知ってるわよ!!」
ヘラヘラとどこか他人事のように笑う月都に、嗚咽混じりのソフィア。
「つー君が私みたいな凡人とは及びもつかないくらい、魔人として遥か高みにあるってことなんてっ!」
平行線を辿り、対照的な二人ではあるが、繋がれていた手を起点にどんどんと肉体は密着していく。
「だけど、それが何? だからってつー君が怖い奴らと戦わなくちゃいけない理由なんて全くないでしょ!」
終いには両者の距離は
決して豊満ではなく慎ましやかな胸元ではあるが、それでいて女性特有の柔らかさは、月都の身体に余すことなく押し付けられていた。その密着に艶っぽさは皆無であり、ソフィアの側はあくまで切実でしかないのだが。
「姉ちゃんは戦うんだろ? 俺のために。家のために。表の世界の平和のために」
月都が発した言葉に、溢れ出していた感情が訓練された理性によって強引に押し込まれる。
「……私は仕方ないわ。これこそが魔人の誇り。名門グラーティアの長女として生まれた者の使命」
恋人もかくやといった密着を一旦やめて、ソフィアは凛とした佇まいを取り戻した。
しかし泣き腫らした目は、悲しいくらいに変わらぬまま。
「私達が表の世界の人間よりも特権を得ているのは、人類の危機に立ち向かう義務があるからよ」
「他の女はそうでもなさそうだけど」
「魔人全体の腐敗は激しい。だからって、私達までが同様に腐るわけにはいかないでしょ」
「姉ちゃんは本当に姉ちゃんだ」
心底嬉しそうに、月都は深々と頷いた。
「だからこそ、そっち側へは一緒に行けないよ」
姉であるはずなのに。別れた時の長さは重い。
「壊れた自覚はある」
見通せないのだ。
「どうせ異物として虐げられるくらいなら、いっそ誰の手にも届かない存在になりたいと願うことが、気が狂っているとしか言いようがないことも分かってる。だけど、」
最愛の弟が引き離されていた間に負った傷の深さ。誰よりも彼を愛していながら、しかし基本的には女、尚かつ魔人でしかないソフィアが本当の意味で理解する日は決して訪れない。持ち前の聡明さををもってしても。
「逆襲と復讐を止めることはない」
「……つー君は」
「ん?」
「よく笑うようになったわね」
ゆえにソフィアは半ば反射的に異なる角度からのアプローチを試みる。
「昔は全然表情が変わらなかったけど、その中でたくさんの色が見えるのが、つー君だった」
月都はここに来て重苦しいまでの無言だ。彼だけが不自然なまでの静寂を保つ。
「そんなに無理してまで笑って! 本当は、とってもとっても辛いんでしょう!?」
勢い任せのようでいて、しかし流石は姉といったところか。
彼女の言葉は月都の本質を射抜いていた。
「……とんだ悪夢だな」
疲れ切った声音が、月都の口から滑り落ちる。しかし顔に貼り付くのは、虚しい笑顔ただ一つのみ。
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