第8話 実はファザコン

「本日はわたくしのような雌豚にお時間をいただきまして誠にありがとうございます」


 丈の長いスカートの裾を掴み、楚々としたお辞儀を一つ。


「この感謝、悦び。矮小なる身の上で偉大であられる人間様。月都様にどう表現すべきか、何ら分かりやしませんが」


 紫の長い髪をポニーテールに結い上げた美女は、大和撫子然とした微笑みを浮かべ、


「とりあえず、脱げばよろしいので?」


「頼む、脱ぐな」


 自らのシャツのボタンへとおもむろに手をかけ始めた。


「……ルコは何かここでやりたいことはないのか?」


 慌てて月都が止めたことで事なきを得たものの、このまま何もしなければ、衆人環境の真っ只中で全裸になることも厭わなかったであろうことを考えると、遅れて戦慄が身体を駆け巡る。


「わたくしの要望を聞いてくださるなんて……何と慈悲深い御方……!」


 おおよそ高校生離れした豊満な胸の前で手を組み合わせる、蛍子。月都を神同然に見なす彼女の願いとは。


「そうですね。わたくしはこの身体と心を、月都様の手で隅々まで蹂躙して頂きたく」


「よーし、次行くか」


「あぁ! わたくしという女に愛想を尽かされましたのね! 当然です! 当然の選択ですとも! であれば、これよりわたくしは月都様から授けられる無関心という名の放置プレーを堪能させて頂くとしましょう!」


 ソレはやはりロクなものではなかったのだが、冷たく切り捨てる態度さえ至上の悦びとする蛍子のレベルは、何がとは言わないが非常に高かった。


「おまえ、変態だよな」


「あらあら、まぁまぁ」


 それまでは無様に地に這いつくばっていたにも関わらず、途端に優美な所作で立ち上がったかと思いきや、手で口元を多い隠す。


「当たり前のことをおっしゃられたところで、堪えるようなヤワな女ではありませんことよ」


 そうして至っていつも通りに、蛍子は己の変態性を慎み深くもどこか不遜に認めた。









「お土産、買えて良かったな」


「はい」


 丁度、先程まで小夜香と土産物屋を冷やかしていたことで、蛍子と月都が落ち合った場所はショップの立ち並ぶエリアであったのだ。


「お二人には長い間、随分と心配をかけてしまいましたから」


 複数の紙袋を抱えている蛍子。彼女はその中に母や妹のために購入したお土産を多数詰めていたのだ。


 一応月都は、結構な量のお土産を前に荷物持ちを買って出たものの、頑なに固辞されたために手ぶら状態である。実際、彼よりも蛍子の方がフィジカルにおいては上なのだから、順当と言ってしまえばそれまでではあるのだが。


「家族ってのは、仲良く出来る内に仲良くしとかねぇと。すぐに壊れちまう」


 ガラにもなくしんみりとし過ぎてしまったかと、言ってしまった後に月都は猛省する。


「それにしても、意外だったな」


 空気が読めていないようでいて、実際には完璧に読んだ上でにこやかに踏み潰すタイプの蛍子だ。月都の態度の微細な変化にすら彼女はついてきてみせる。


「意外、でして?」


 だからこそ、彼が逸した先の話題に何ら抵抗することなく乗っかったのだ。


「ルコがぬいぐるみとか、そういう子どもっぽいのに興味があるなんて」


 月都の言う通り、大量の土産物は母や妹のみならず、自分用もきっちりと含まれていた。


 クリーム色のテディベア。赤いリボンをつけたぬいぐるみを紙袋と共に抱える蛍子は、そこで視線を斜め下へと傾ける。


「わたくし、十六ですのよ」


「えっ、あぁ。そっか」


「月都様よりも年下のわたくしは、まだまだ子どもなのです。甘えたい盛りでしてよ」


 少しすねたかのような物言いは、普段の大人びた様子からは想像がつかない程のギャップに満ち満ちていた。


「胸が、当たってるんだが……」


「だって、当てておりますもの」


 その上で、さらに蛍子は己の溢れんばかりの胸を、隣で歩く月都に押し付けるという凶行に打って出た。


「老けた顔には悲しくなるばかりですが。それでも無駄に大きくなった胸は、時たま男性を虜にすると話にお聞きします。月都様もお嫌いではないでしょう?」


「好きだ」


 無限の包容力に満ちた胸部を押し当てられながら、半ば無意識に月都はこのように答えてしまうのだ。


「ならば、このままで良いとわたくしは判断させて頂きます」


 言質はとったとばかりに、ニコニコ笑顔で微笑む。


「月都様」


 そんな折、突然蛍子が立ち止まった。


「わたくし、アレに乗りたいのです」


 腕を組んで密着する体勢になっていた月都も釣られて立ち止まり、見上げた先にあったモノとは。


「正気か?」


 思わずこのような物言いをせざるを得ないくらいに、蛍子の提案は自分で自分の首を絞めるといった類でしかなかったのだ。


「あら、あら、あら。お上手な冗談ですね。わたくしが正気であったことなど、あれ以来、ただの一度もありはしないというのに」







 一ノ宮蛍子は幼少期、目の前で父親が断崖絶壁にて身投げしたことにより、重度の高所恐怖症を抱えている。


「おまえさ、やっぱ変態だろ。そうなんだろ」


「えぇ、わたくしは変態であり豚でございます」


「その通りだ。高所恐怖症が大観覧車に乗るとかアホとしか言いようがないぞ!?」


「うふふふふ。ふふふふふふふふふ」


 だがしかし、今ここで不気味に笑う大和撫子は、あろうことか黄昏の空を背景に、海風吹き荒れる大観覧車に自らの意志で搭乗していたのだ。


「あーあー。顔とか真っ青だし」


 向かいの席に腰掛けつつ、月都は心配に胸を痛め、気苦労に頭を抱えていた。


「月都、様……」


 するとおもむろに声がかけられるのだ。いつもよりも、格段に覇気のない調子で。


「……わたくしが吐きそうだと申せば、月都様に嫌われてしまいますでしょうか?」


「そんなことで友達を嫌いになるつもりはないが、出来れば下まで我慢してくれるとめっちゃ嬉しい!」


 微笑みは絶やさず、それでいて真っ青を通り越して最早真っ白な顔色の蛍子が、常とは異なる意図をもって口を抑えている姿に、当然のごとく月都は泡を食う。









「収まりました」


 観覧車から駆け下りて、最寄りのベンチに。


「そりゃあ良かった……、いやはや本当に」


 そもそも蛍子の高所恐怖症は精神的なものであり、肉体的には魔人であるために頑丈極まりない。


 不調は僅かな休息だけで、嘘のように完治してしまっていた。


「何でまた、こんな無茶をしたんだよ」


 問いただす月都。


「今まで恥知らずにも月都様に対して隠し事をしていたのですが……」


 これまでが舞い上がっていて、今ようやく冷静になったとでもいうのか、やや恥ずかしげに蛍子は俯いた。


「実はわたくし、ファザコンなのです」


「知ってるわ!!」


 何を今更と愕然とする。


 つけ込んだ側に文句はあまり言えないが、それでも月都が学園に転校してからの蛍子の一連の暴走を客観的に見た上で、彼女がファザコンであると確信を得るのはそう難しいことではないはずなのだから。


「流石は月都様。あなた様の聡明さを前にすれば、このような卑しい豚の考えなど、全てお見通しということなのですね」


 だというのに、月都に対して盲目的な信仰心を有する蛍子は、異なった解釈で話を繋げていく。


「勿論、父も豚ではありましたが」


 そのように断りをいれて、


「わたくしは父と月都様を重ねているのですよ」


 寂しそうに、けれども以前のように過度な絶望には囚われることなく、言の葉はこぼれ出る。


「もう一度、見晴らしの良い高い場所で、二人楽しめれば良いと、願ってしまったのです。愚かなことに」


「んなことねぇよ」


 自嘲を月都は否定した。


「愚かであってたまるかってんだ」


 全力をもってして。


「優しい御方」


 静かなようでいて熱を孕む物言いに、ありったけの感謝を蛍子はこの言葉にこめた。


「今日は眼鏡をしてるのか」


 日はとっくに暮れかかっている。もうすぐこの遊園地にて最大の目玉とされるイルミネーションが一斉に点灯される頃合いであろう。


「えぇ」


 毒の副作用で失明し、前髪で覆い隠した左眼。彼女に残されたのは人と比べると乏しい視力しかない右眼のみ。


 それを少しでも底上げする眼鏡を、今の蛍子はかけていたのだ。


「月都様との思い出を、しかと目に映したかったので」


「それはまた……光栄だな」


 何とも気恥ずかしい心地で、月都はそっぽを向いた。


 されど蛍子は眼鏡の奥にある光の無い瞳で、じっと照れる少年を目で追う。何も見たくないと、死だけを求めていた少女は、今はもうどこにもいなかったのだ。

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