第6話 チョコレート

 レンタルした自転車を漕いでたどり着いたのは、お菓子の家をモチーフとして建てられたと思しき洋館。


 そこではお菓子を手作りすることの出来るブースがあったものの、あずさは流石にそこまでは難易度が高いと踏んだらしく、板チョコレートにトッピングを施すという初心者向けのメニューを体験することになった。


「そちらのお嬢さん、コスプレですか? 可愛らしいですねー!」


 遊園地の職員であるウェイトレス服姿の女性があずさを見るや否や、人好きのする笑顔でそう口にする。


「趣味なのですよ」


 彼女の言う通り、表の世界に出るに当たって、あずさはいつも通りの兎耳メイドスタイルだったのだ。


「その耳も本物みたいです!」


「コレですか? 電池で動くようになってまして」


 今更ではあるが、魔人蠢く裏の世界であればまだしも、表の世界にはケモミミ美少女など存在してはいないし、存在してはならなかった。


「心配なさらずともよろしいのです」


 職員とのやり取りに、どこかハラハラとした面持ちでいた月都。


「表の世界の住人のほとんどが魔神や魔人、使い魔といった存在を知ることはありません」


 それに気付いたあずさが、職員の目と耳が離れるタイミングを見計らい、すかさずフォローを入れる。


「彼ら彼女らは自らの認識の外にある事象を、無理矢理常識に置き換えようとしますから」


 そういうものなのか、と。表の世界の事情に疎い月都は頷くしかなかった。







「あずさは家事さえロクにこなせやしない粗忽者ですが、トッピングだけならば何とかなる気がするのですよー!」


 しっかりと手指の洗浄を済ませた後、はりきった様子であずさはメイド服を腕まくりしている。


 用意された板チョコレートにデコレーションなりトッピングなりをするだけであれば、特殊能力(?)はどうやら発動されないようで、危なっかしい手つきではあるものの、特に生命を創造することもなく作業は進められていった。


「ご主人様」


「どした?」


 月都は存外に器用なタイプではあるので、手早くトッピングを済ませ、ラッピングまでの行程へと既に突入していた。


「ご主人様はあずさなんかよりも、ソフィア・グラーティアの方を好いていますよね?」


「……いや、その」


「誤魔化さなくていいですよ。当たり前のことなのですから」


 すると先程まで天真爛漫に振る舞っていたあずさの愛らしい横顔に、いつの間にか暗い影が差し込んでいるのが見て取れた。


「むしろどうして彼女よりもあずさが愛されているだなんて、おめでたい錯覚が出来ようものか」


 吐き捨てるように、言い放つ。


「あの女は横暴で高慢、その癖素はお育ちのよろしい善良なお嬢様だなんて、腹が立つ限りですし、個人的には大っ嫌いですが」


 ソフィアが此度月都達に同行することが半ば強引に決定されてから溜め込み続けたと思しき鬱屈とした不満が、言の葉にありありとこめられていた。


「あの女は何よりもご主人様を愛しております」


 しかし、すぐ様あずさの表情は緩められる。


 あとに残るのは泣き笑いのような切なげな面持ちで。


「きっと彼女とその背後にあるグラーティア家も、ご主人様を穏便に保護してくださるはずです」


 持って回った言い方ではあるが、本質的にその問いかけは、たった一つの意味しか内包されてはいない。


「今からでも遅くはないのでは?」


 白兎あずさと組んで危険な戦いに身を投じるよりも、姉と呼び慕うソフィア・グラーティアの元で平和に暮らした方が、月都の心情的にも肉体的にも負担にならないのではないかと、そう問うていたのだ。


「……そうだな」


 学園にたどり着くまで、月都とあずさはいかにして乙葉家の追手から逃れるかばかりを考えており、余裕といったものはこれっぽっちもなかった。


 だからこそ、こうした意見のすり合わせすらロクに行われないままに、ここまで走り続けて来たのだ。


 ようやく二人は立ち止まって、振り返り、尚かつ見据えることが出来たのかもしれない。


 己が歩んで来た、茨の道を。


 己がこれから歩むであろう、果てしない闇を。


「だけど、さ。それじゃあ守られてるだけなんだよ。俺は俺の人生を自分の手で掴み取って、歩きたいから。怖くても、辛くても、弱くても、戦わないといけないんだ」


 もう二度と、男だからというどうしようもない理由で、理不尽に虐げられ、尊厳を奪い尽くされないように。


 月都を突き動かす仄暗い情念は、逆襲の炎は、未だ燃え盛る。


「つまり」


 努めて不敵な笑顔を取り繕って、あずさは指を一本立ててみせる。


「ご主人様の計画にとって、あずさという女はすこぶる都合が良かったというわけですね?」


 言葉を待つこともなく、軽やかにスカートをひるがえす。


「それは良かったです」


 ともすれば刺々しい物言い。されどそれを発するあずさの表情は、心から安堵した者が見せる安らぎの境地でしかなかったのだ。


「ソフィア・グラーティアに劣るとはいえ、こんな穢れた身にも、まだまだ価値はあるということでしょう」


 納得したあずさとは対照的に、月都の顔色は蒼白となる。何かを否定しなければならないのだと、必死に言葉を探す。


 けれども、遊園地の職員が二人が囲む作業台にまで戻って来たことで、裏の世界に関する会話は一旦打ち切るより他はなかった。








「出来ました!」


 差し出されたのは、不格好ながらも丁寧にラッピングされたことが伺える透明の袋。中に収まっているのは当然のごとく、今までトッピングやデコレーションに励んでいた板チョコレートだ。


「おぉ」


 あずさの勢いに圧倒されつつも、目の前に差し出されたソレを、月都はまじまじと真剣に見やる。


「可愛く出来てるな。センスがこう……何というか。やっぱり女の子って感じがする」


 世辞ではない。


 不慣れであることは、カラーペンでかたどられた文字の不揃いさからも明白ではあるが、そんな瑕疵すら気にならないまでの心のこもった可愛らしい装飾が、板チョコレートにはなされていたのだから。


「あずさが初めて作ったマトモなお料理です」


 だが、勢いに身を任せていたのも最初だけ。


「受け取って、いただけますか……?」


 暗殺、戦闘、諜報を除いた、己のなすこと全てに何一つ信用を置いていないあずさの内側で、不安はとめどなく湧き上がって来る。


「あっ!?」


 しかしあずさの反応を遮るかのごとく、月都は差し出されていた袋を奪い、心から幸せそうに中の板チョコレートを頬張った。


「そもそも板チョコレートって、基本的に何でも美味しいんだけどさ」


 ひとしきり咀嚼を終え、月都は前置きを一つ。


「あずさが頑張って、誠心誠意真心こめてトッピングしてくれたから、よりいっそうそう思うわけであってだな」


「あうあうあうあうあう」


 そうして告げられるのは、今一番月都が伝えたかった想い。


「あずさにはもったいないお言葉です……」


 恐縮しきった風にあずさは肩を縮こまらせる。


「おまえはそうやって、いつも自分を卑下する」


 トン、と。あずさの胸に月都自身が作ったチョコレートを、お返しとばかりに押し付けた。


「どうしても付き合いが深かったから。俺の一番は姉ちゃんなんだろう。そこは申し訳ないが否定出来ねぇ」


 おずおずとした態度で受け取って、あずさは顔をうつむかせる。


「それでも、あずさ。おまえは俺を助けてくれただろ?」


 だが、月都の真摯な眼差しを受け、反射的に顔を上げることとなった。


「俺は弱い。だから、あずさみたいな優しくて強いお姉さんがいると、心が本当に楽になるんだ」


 じわり、と。あずさの瞳に涙が滲む。


「とはいえ一方的に利用してるのはこっち側なんだから、むしろあずさには俺に対して要望を無制限に伝える権利があり、俺はそれを可能な限り叶える義務があるわけであって……」


「ご主人様!」


 目の端を擦りながら、被せるようにあずさは言い放つ。


「撫でてください! ナデナデなのです!」


 メイドとして隷属する主に望むのは、そんなささやか極まりない願いで。


「いつもしてるような気がするんだが」


 あまりにも素朴過ぎる欲求に、思わず首を傾げる月都。


「駄目ですか……?」


「いや、全然」


 だが、何ともあざとく身体をくねらせるあずさを前に、月都はまんざらでもない心持ちで、迅速に願いを叶えてみせるのであった。

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