第2話 波乱の幕開け
そもそも、裏の世界において虐げられる男でありながら、魔人の資格を有する月都は、何かにつれて命を狙われる身の上だ。
生徒会長であるソフィアと彼女の実家――名門グラーティア家の目が届く学園の方が、命の危険は格段に少ない。あずさが掃除と称して刺客を間引いているとはいっても、彼の敵は害虫のごとく裏の世界のあらゆる場所からわいて来るのだから。
そんな折に、何故彼は夏季休暇中、表の世界で数日間、過ごそうとしているのか。
勿論理由の半分は純然たる好奇心でしかない。
月都は自身の計画を元に動いてはいるが、その計画自体が荒唐無稽かつ夢のようなものなのだ。今更遊び要素の一つや二つを入れた程度で、何かが覆るはずもない。
とはいえ、敢えて外に出る理由も当然存在はしていた。
それを語るためには、一週間程前にまで時を遡らなければならなかった。
学園は現在放課後である。
生徒達は各々自主練習に励む者も多い中、一年生でありながら学園の序列一位に君臨するローレライ・ウェルテクスが何をしているのかと言うと――、
「よいしょ、よいしょ」
学園の敷地の一角。いつも使用する車椅子はどこにもなく、松葉杖を危なっかしくも用いていた。
元より悪い顔色をさらに蒼白にさせて、それでも懸命に、前へ前へと進む。
だが、そう長くこの無理な歩行が続くはずもない。
グラリ、と。ローレライはバランスを崩し、無防備な肉体を地に打ち付けんとしていた。
「わっ――」
「大丈夫か?」
――が、そこでさも偶然通りかかった風に見せかけている月都が、ローレライの身体を抱き止めた。
松葉杖は派手な音をたてて崩れ落ちていくが、ひとまず彼女本人が無事であれば良かろうとの判断なのだ。
「ありがとうなんだよ」
「どういたしましてっと」
お姫様抱っこの体勢のまま、ローレライは月都の顔を覗き込む。
「うにゅ。どこかで見たことがあるんだよ」
そうして彼女はむむむと唸った。
見覚えがあるものの、思い出せないもどかしさに唇を尖らせる。
「あ! 蛍お姉ちゃんだ!」
「ちげぇよ」
「あれれ? 確かにお胸がないね」
実際のところ、月都と蛍子はどことなく纏う雰囲気が似ている。だがしかし大事な友人であるにしても、流石に女子と、さらには極めつけの変態と間違えられるのは不本意な月都であった。
「大変!! 蛍お姉ちゃんのお胸がなくなっちゃった!?」
「だーかーらー!! 俺はルコじゃないから!」
「えぇと。えぇと。お胸がないのは、女じゃなくて男。お兄ちゃん? お姉ちゃんとは違うんだよ」
ふざけているかのような物言い。
しかしローレライは人生において冗談を言ったことなどほとんどなかった。
彼女はいつだって真剣だ。単に無垢であり、無知であり、最強を課せられているだけのこと。
「月都お兄ちゃんだね!」
「そうそれ! ……って、何で俺のこと知ってるんだ?」
「どうしてだと思う?」
「おまえが知らないことを、俺が答えられるわけないだろ」
「まぁいいじゃない。よく覚えてないけど、私は月都お兄ちゃんのことを知っているみたいだからね」
ローレライが月都のことを既に知っている要因は、学園会議にて写真を目にして説明を受けていたからなのだが、二ヶ月以上も前の出来事を難なく記憶出来るのであれば、周囲はああも苦労などしないのだ。
「どさくさに紛れて身体触るのやめてくれないか?」
「気になる身体をしている方が悪いんだよ」
「……すっげぇ理屈」
それでも未知への興味。男という存在への好奇心は未だ維持しているようで、ローレライは月都と密着しているのを良いことに、彼の身体を好き勝手にまさぐるのだ。
「あぁ、そうだ」
不意にローレライは気まぐれのように思いつく。一応は初対面であるならば、名前を名乗らなければならないだろう――と。
「私の名前はローレライ。ローレライ・ウェルテクスなんだよ。よろしくね」
「知っているらしいが、一応名乗っとくぜ。俺は乙葉月都。よろしくな、ウェルテクス」
「それでだ、ウェルテクス。こんなところで何してたんだ?」
「私は足が上手に動かなくて、歩けないから」
一旦ローレライをベンチに座らせて、月都もその隣に並んで腰掛けた。
「歩けるようになる練習をしてたんだよ」
幼い口振りや態度に反して、肉体はそこまで未成熟ではないことに、ここで月都は気が付いた。
「だけど、もう疲れちゃった。私には車椅子がないと駄目みたい」
けれども、やはり唇を尖らせていじけるその姿は、無垢な子どもを連想させる。
「部屋まで送ろうか? 顔色悪いし」
「それはいつものことなんだよ」
そう言葉を返すローレライ。
しかし彼女はどこか驚いた面持ちで、月都を見つめてもいた。
「月都お兄ちゃんは、私のことが怖くないの? みんなは怖いって言って、私を嫌ったり、疎んだり、いじめたりするのに」
「怖くはないが……普通どころかそれ以上に美少女だし。むしろ可愛いとか、弱々しいとすら思えるぞ」
「変わった人だね」
そこでローレライはとびっきりの笑顔を浮かべた。
何が人魚姫の琴線に触れたのか、初対面なのだ。月都には分かるはずもない。
「お願い。お部屋まで、私を運んで欲しいんだよ」
「――いけませんよぉ。序列一位ともあろう御方が。みだりに男と触れ合うだなんてぇ」
提案を受け入れると同時、ローレライの声に覆いかぶさったのは甘ったるい敵意を含んだ声音。
「誰」
ご機嫌だったローレライの様相がここで一変する。感情を滲ませない冷ややかな瞳で、前方をキッと見据えた。
「聞いてくださるのですかぁ。それはそれは。身に余る光栄というものですよぉ」
極東魔導女学園の制服たる黒を基調としたブレザーではない。突如気配を悟らせずに出現した二十代前半と思しき女は、黒のスーツを着込んでいる。
「ワタシの名前は
二つの爆弾を引っ提げて赴任して来たらしき女教師。苦々しい気分で、されど心内を悟らせぬようポーカーフェイスを仮面に、月都はゆっくりとベンチから立ち上がった。
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