第二部 ソフィア・グラーティア編
第1話 ただのブラコン
極東魔導女学園生徒会長にして序列二位【
この学園の頂点は名実共に序列一位ではあるものの、代々序列一位に座した魔人は、今代のローレライを見ていても分かる通り、真っ当に人間をしていない者が多い。
よって序列一位に次ぐ強力な力を有していながらも、裏の世界や表の世界について知悉した、ある意味での常識人が序列二位の座に付き、対魔神戦において主力となる学園を取りまとめる生徒会長の役目を兼任することが慣例となっていた。
夏休みを間近に控えたその日も、ソフィアは一日のカリキュラムを終え、自主練習も不足なくこなし、執務室にて夜遅くまで一切休憩らしい休憩もとることなく、仕事に励んでいた。
黙々と手を動かし続けていたソフィアが、されど突然ネジの切れた人形のようにピタリと止まった。
静止した彼女が瞳に映すのは、外出の許可を得るための申請書である。魔人達が住まう裏の世界ではなく、表の世界への外出だ。
極東魔導女学園に通う生徒達は、日夜戦闘訓練に明け暮れているが、元より力を蓄えているのは表の世界を脅かす使い魔や魔神を撃破するため。
よってある程度は社会勉強という名目で、隔離されている表の世界へと、個人的な所用であったとしても外出することを許可されていた。
その申請書の記入には不足も漏れもない。
二年の生徒が三人と、引率役の三年が一人。全員きっちりと署名がなされている。
「……」
何も問題はないはずのだ。
にも関わらず、ソフィアはハンコを押す手も、万年筆を走らせる手も何もかもを止めたまま、申請書をまじまじと凝視していた。
いったいどれ程、時間が経過しただろうか。
意を決した面持ちで、ソフィアは執務室を後にした。
そうして小走りで向かった先は、女子寮の五階だ。この階までは学園の序列上位五名が暮らしているために、ワンフロアを丸々居住区としたVIP仕様になっている。
その玄関のチャイムを、あろうことかソフィアは連打する。ピンポンピンポンとひっきりなしにベルの音が鳴らされて、
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 今何時だと思ってんだ!! あぁんっ!?」
中から幼女と見間違うまでに幼い外見をした三年の女子生徒が、度重なるチャイムの連打にブチ切れた様相で飛び出して来るのであった。
「で? 人様が風呂に入ってさぁ寝るかって時に、グラーティア。おまえさんは何をしに来たわけだ?」
しかし極東魔導女学園序列五位【
へそ出しのタンクトップにハーフパンツ。微かに頬は上気し、普段は編まこまれている赤髪も今はしっとりと濡れている。
「緊急事態なの」
どこからどう見てもお風呂上がり。時刻は深夜零時近く。
「これを見て頂戴」
だが、今のブラコンをこじらせたソフィアの脳裏からは、深夜に知人の家へと押しかけることに対する後ろめたさや罪悪感など消し炭と化していたのだ。
「あぁ、それか」
ソフィアが掲げる書類には、確かに小夜香本人の署名がなされていた。
「変態とはいえ可愛い後輩に頼まれちゃあ、断るわけにもいかねぇからな」
彼女は蛍子に頼まれ、表の世界へと外出する際に、一年生や二年生といった下級生が必要となる上級生の監督役を引き受けていた。
「どうして断ってくれないの!?」
「何でさ」
「姉である私を差し置いて……つー君とお出かけするなんて……あのぽっと出の女共……」
ギリギリと歯の食いしばる音が、テーブル越しに対面する小夜香にも、ありありと聞こえて来る。
「……いっ、いえ。違うわ。私は極東魔導女学園生徒会長として、現在学園において問題児とも有力株とも目されている乙葉月都を、やすやすと学園の外に出してはならないのよ。しっかりと監視しておかないと、ね」
しかし流石にマズいと、突きつけられる冷ややかな視線で察したのか、ソフィアは慌てて姿勢を正し、取り繕うかのような言葉を発した。
「何だ、ただのブラコンか」
「ブラコンじゃないわ!」
「ブラコンは皆そう言うんだっつーの。ロリコンしかり、シスコンしかり、な?」
呆れたかのように、否、実際に呆れているのだろう。小夜香はやれやれと言わんばかりに肩を竦めてみせる。
「今の学園はもうすぐ夏季休暇。魔人とはいえ開放的な気分にならざるを得ない」
一瞬ソフィアは小夜香の態度を受け、ムッとした顔になったのだが、それどころではないことにすぐ様思い至ったらしい。
「そんな中、あの盛った
「たくましい想像力だこと」
生徒会長としての冷徹なる威厳はどこへやら。
ただのブラコンが人の家で真夜中に狂乱の限りを尽くしているたけであった。
「とりあえず、食って落ち着こうぜ」
火にかけていたお湯が沸いたことに気が付いた小夜香。彼女はあらかじめ用意しておいたカップ麺を並べていく。
「……これ、美味しいわね」
「お嬢様の口に合ったのなら幸いだ」
「からかわないで頂戴」
三分も待たずに食べるのが小夜香流。彼女に提供された辛めの味わいのカップ麺を、ソフィアはフォークを使い、慣れない様子で食していく。
「つー君は私なんかよりも、彼女達の方がいいのかしら」
そもそもソフィアは今日も今日とて多忙であり、まだ夕食さえとってはいなかった。カップ麺を振る舞われ、いつの間にか忘れられていた空腹感が満たされていたことで、激情は幾らか鎮まったらしい。
「そうよ。そうに決まってる。弟を助けられなかったお姉ちゃんなんて、いらないのよね」
「助けようとしてただろ? 現に今だって、陰ながらおまえは乙葉のサポートをしている」
「だとしたところで、私は間に合わなかった。この結果だけは、どう足掻いても覆らない」
だが、冷静になったことによって、横たわる重く暗い現実をソフィアは直視せざるを得なくなるのだ。
「今のつー君は傷付いて、壊れてしまった。どんなつー君であろうとも、つー君が私の可愛い弟であるとこに変わりはない」
フォークを握りしめる手が小刻みに揺れる。
「それでも無力という罪は残される。姉として当然でしょうね」
確かにソフィアはブラコンをこじらせてはいるが、それにも増して弟同然の存在、かつ元婚約者である月都のことを深く愛してもいたのだ。
「しがらみのある学園内じゃない。外で、表の世界で。私はもう一度、ありのままの姉としてつー君に向き合わなければ」
だからこそ、自分自身の尊厳のためであれば、我が身を削ることさえ厭わなくなった弟の危うさを、恐怖した。
「おいおい……まさか」
「今更、何を驚くことがあるというのかしら」
話している内に、徐々にソフィアから年頃の乙女らしき脆さは排除されていく。
「私が学園でどう呼ばれ、どう恐れられるかを、アナタは知らなくて?」
不遜に微笑むその姿は、確かに暴君と呼ばれるに相応しい威厳と気品をたたえていた。
それでいて根っこはどうしたところでただのブラコンであるというところが、尚更タチが悪かろう。
結界の中で閉じられた裏の世界と、大多数の人間が住まう表の世界。
その二つを繋ぐ門の前で、無駄に笑顔を浮かべるソフィアが、制服ではなく私服姿で、堂々と仁王立ちをしていた。
「今日という時程、生徒会長を務めていて良かったと思えた日はない」
艷やかな金髪を手で払い、
「ご機嫌よう、白兎」
流れるかのように挑発代わりの挨拶をぶつけた。
「クソがっ! 死ねっ!!」
常の愛らしさをかなぐり捨て、あずさは中指を一本立てる動作と共に、ソフィアをこき下ろす。
「育ちの悪い言葉を吐かないでもらえる? 私の大切な弟の前で。あら、ごめんなさい。一介の端女風情にマナーを期待した私が愚かだったわ」
「そちらこそ、随分と偉そうな面してやがりますね。あずさはびっくりです。生徒会長の立場を悪用した職権乱用とか、ご主人様の姉として恥以外の何物でもないでしょうに。あぁ浅ましいっ!!」
「予想してたとはいえ、早速修羅場かよ。付き合わされるこっちはたまったもんじゃねぇぞ……」
「あらあら、まぁまぁ。あずさちゃんも生徒会長殿も共に月都様を慕う豚同士。仲良くされた方が賢明かと思われるのですが、そう簡単に友愛へと事は運べないのでしょうね」
「姉ちゃんもあずさも、とりあえず落ち着いてくれよぉ!? 頼むからさぁ!!」
出発前から既に疲れた面持ちの小夜香、おっとりとした所作で小首を傾げる蛍子、愛する姉と愛するメイドがいがみ合って半泣きの月都。
三者三様の反応を気に留めることもなく、姉とメイドの小競り合いは、今まさに開幕のベルが鳴らされたばかりなのだ。
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