第28話 メイドのお仕事
乙葉月都は本来であれば、地下深くに閉じ込められているはずの存在であった。
だが、彼は監視役であったはずのメイドを籠絡し、逃亡。極東魔導女学園にまで逃げ込んだ。
本来であれば虐げられるはずの男が魔人の資格を有していることは、一般的な価値観を有する魔人達には耐え難いことである。
さらに、これは乙葉家に近い者達にしか詳しくは知りようのない事実ではあるが、彼の所有する固有魔法は表の世界すら揺るがすことの出来る強力なものであった。
歪な女尊男卑が蔓延る裏の世界であろうとも、彼女らは基本的には表の世界の守護を使命として掲げている。彼を守っていた実母亡き今、あらゆる意味で月都は身柄を狙われる身の上であった。
そんな彼を守護し、彼を抹殺しようと目論む勢力を先に調べ上げ、直接手を出される前に清掃してしまうのが、メイドたるあずさの第一の仕事だ。
「はぁ……、はぁっ……」
月は雲に隠されている。光源も何もない暗闇の中。乙葉家の子飼いである諜報機関に所属する魔人の女が、血相を変えて廃ビルの廊下を駆けていた。
彼女は同僚と共に、現乙葉家の当主から乙葉月都を抹殺するよう命令を受けており、今日も今日とてその対策に明け暮れるはずであったのだ。
しかし彼女が拠点に足を踏みいれば、そこには生者は誰一人たりとも存在せず、死骸が複数横たわっているのみ。
(兎が! 兎が来たに違いないわ!)
兎。本名ではなくコードネーム。
かつて最強の暗殺者として、名だたる魔人を屠って来た少女は、雇い主を裏切り乙葉月都の支配下に置かれている。
おそらく同僚を凄惨に殺害してのけたのは、彼女であるに違いないのだと、女は迫り来る魔の手から逃れるべく、安全地帯に向かうため足を前に前にと走らせていた。
――が。
「見つけましたよ」
淡々とした、感情を滲ませない声音。
「ゴミはゴミらしく、大人しく殺されてしまえば良いものの……元より逃亡したところで、意味などないのですから」
頭から生えた兎耳とあどけない顔立ちが特徴のメイド。
けれども今のあずさに、月都に対して見せる愛らしさなど微塵もありはしないのだが。
「っ……!!」
女の背筋に怖気が走る。
本能が訴えかけていたのだ。アレに歯向かってはならない――と。
瞬間、悠然とした足取りで女を追っていたはずのあずさの像が、ブレた。
「捕まえました」
無感動に吐き出される言葉。
その通りの現実が女に襲いかかった。
廃ビルの廊下。女とあずさの距離はビルの端から端まで、たっぷりと取られていたはずなのだ。
にも関わらず、一瞬にしてあずさは女との距離を詰めてみせた。
「待って!」
「何を、待てと?」
組伏せられた女は決死の思いで声を振り絞った。
このまま頚椎をへし折ってしまおうと試みていたあずさの手が、一度ではあるものの止まった。
「情報が欲しくない!?」
「情報?」
「私が知っている情報! あなたの主人である乙葉月都を狙う組織について知っている限りを全て話すから!」
女は曲がりなりにも暗殺などを請け負う諜報員である。他の魔人よりも死への恐れは強くない。むしろ低いとさえ言えよう。
だがしかし、この兎だけには。悪名高い暗殺者の手にだけはかかりたくないのだと、恐怖したがゆえの命乞いなのだ。
「そうですか。ならば洗いざらい語ってくださいな」
殺気が薄れる。
未だ組伏せられたままの体勢ではあったが、女は自らの開示出来得る情報を、何一つ嘘を交えることなく吐いた。
「分かりました。もういいでしょう」
突然、女は解放された。
慌てて起き上がっても、あずさは指一本たりとも動かさず、棒立ちで女を眺めるのみ。
「もういいとあずさは言いました。さっさと立ち去ればいいじゃないですか」
心底疎ましそうに、相変わらずのゴミを見るかのような眼差しで、あずさは女を睨みつける。
しかしこれ以上手を出す気がないというのは本当のようだ。
女は震える身体に鞭を打って、少しでも早くこの場から遠ざかるべく再度廊下を駆け出した。
(良かった……命を落とすことは仕方ないけれど、兎に殺されるのだけは、嫌だったか、)
思考は唐突に中断される。違和感が女を支配した。
何故、何故だというのか。
自分は今、白兎あずさに対して背を向けて走っているはずだというのに、その視界はいつの間にやらおかしなことに、白兎あずさを真正面から見据えているのだ。
「あぁ、そうそう」
女の頭部は、あずさの右手に髪ごと掴まれていた。それはもう、乱雑な手つきで。
「忘れ物ですよ? 貴様の命という名の忘れ物だ」
頭部より下は、既にこの世界から消失している。
白兎あずさは暗殺者であると同時に、第二形態にまで到れる魔人でもある。
現在身に纏っているメイド服が彼女の魔導兵装。普段着用しているメイド服よりもスカート丈が短く、胸元もむき出しに、全体的に露出が多いのが特徴だ。
「ご主人様の命を狙うゴミを許すはずがありません」
嘆息と共にあずさの両腕に絡み付いた鎖――魔導兵器がジャラリと音をたてる。
すると髪ごと乱雑に掴んでいたはずの女の頭部が、一瞬にして消え去った。
固有魔法【縛めの鎖】。あらゆる物事を封印することが出来る効果を有していた。
例えば、並外れた自身の身体能力――一瞬にして女との距離を詰め、彼女の首を跳ね飛ばしたソレを、日常生活に支障を及ぼさないように封じることも。
例えば、女の死体をあずさでさえ知り得ないどこかへと、無限に封じることも。
例えば、固有魔法を三つ宿した少年の力を封じ込めることだって、過去に出来てしまえた。
「どう足掻いたって二番目の女」
悲しげな呟きが、あずさの口から漏れ出る。
「出会いからして最悪。あずさはご主人様を地下深くに閉じ込める鎖でしかなかったのです」
雲が晴れる。
月明かりがあずさの横顔を照らす。憂いを帯び、どこか大人びた面持ちだ。
「ご主人様が一番に愛しているのは、ソフィア・グラーティア。姉と呼び慕うあの女ですからね」
涙は流さない。
元よりそんな資格などないのだと、最も許されないのは自分自身であるのだと、あずさは己を戒める。
自分は月都を苦しめていた罪人であり、彼を愛するようになったキッカケは、元より同情と罪悪感でしかなかったのだから。
「それでも……それでも。二番目でいいのです。あなたに群がるゴミを、精一杯お掃除してみせますので……っ!」
拳を握り締め、爪は肌に食い込んだ。
ポタポタと血が滴り落ちる。鋭い爪が彼女の柔肌を裂いたのであろう。
「これからも、ご主人様のお側にいることを、許して頂けますか……?」
答えを返す主は、今ここにはいない。
ゆえにあずさは残りの死体を処理すべく、引きつった面持ちではあれど、機械的な歩調で
第一部(完)
第二部に続く
※第二部は八月からの再開予定です
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