第26話 人魚姫

「……話を聞いていたのか?」


「聞いてたんだよ。だけど、分からないものは分からないんだよ」


 車椅子に腰掛けた顔色の悪い美少女。


 水色の髪をボブカットに切り揃え、おとぎ話のエルフのような長い耳を持つ一年の女子生徒――ローレライ・ウェルテクス。


「月都お姉ちゃん? 蛍お姉ちゃんを倒したその人が、序列三位になるんだよね。別に私は構わないと思う」


 彼女はあまりにも無垢な態度で、周囲を翻弄していく。


「構わないわけがないだろう!?」


「ひうっ」


「男が学園の序列三位になる。魔神の起床が近い現在に。これがどういう意味を持つのか分からないとは言わせないぞ。序列一位!」


「えと、えぇと。私と一緒に魔神と戦うってことなのかな?」


 麗奈の高圧的な態度に、序列一位――すなわち学園最強の魔人はすっかり怯えてしまっている。


「過去に一度だけ魔神の戦闘の場に立った男は、今や表の世界で多数の人間を殺している。許し難き罪人、人型の使い魔となった」


 バンっ!! と乱暴に机を叩き、


「この男はヤツと同じなのだぞ!」


 語気を強めてローレライに詰め寄った。


「男ってなぁに?」


 怯えはまだ残るものの、ローレライの瞳にはどこか好奇の色が混じりつつあったのだ。


「……うーん。お姉ちゃん達の言っていることは難し過ぎて、やっぱり良く分からないんだよ」


 しかし頭を悩ませ、興味を抱いたのも束の間のこと。


 軽く咳き込んだローレライは、蒼白に近い顔色で麗奈を仰ぎ見た。


「頭を使ったら疲れちゃったんだよ。私、おやつの時間だから、もう帰るね」


「待て! まだ話は終わって――」


 車椅子のレバーを動かし、会議は終わっていないにも関わらず、退出しかける自由奔放極まりないローレライを、麗奈は慌てて呼び止める。


「お姉ちゃん、どうして」


 肩に置かれた麗奈の手。振り返ったローレライは、心から悲しそうな面持ちで、唇を噛み締めていた。


「どうして私をいじめるんだよ」


 言葉が発せられた瞬間、広々とした会議室の床が海に変わった。


 いつの間にか、わんわんと声をあげてローレライが泣いていた。


「くそっ! 乙葉! 姫さんを泣かせたらロクなことにならんって分かってるはずだろう!?」


「私は!」


「アナタ、邪魔よ。吠えるのみならず、ウェルテクスの機嫌すら損ねて……まるで話が進まない」


 話している間にも見る見る内に室内の浸水は広がっていく。


「出て行け」


 尚も言い訳を発しようとした麗奈の口を、凍てつく声音をもって、ソフィアが遮った。


「誰に向かって口を聞いている! 私は誇り高き乙葉の一族、その一員だぞ!」


「誇り高かったのは夕陽さんまでよ。アナタもアナタの母親も、尊敬には断じて値しない」


 序列二位と序列四位。同じく魔神と戦う仲間という名目すら投げ捨てて、ソフィアは銃剣を虚空から取り出す。


「夕陽さんが残した栄光に縋るだけの屑。即刻私の目の前から消えろ」


 その上で、何の躊躇いもなく銃口を突きつけるのだ。


「さもないと、今すぐ心臓を撃ち抜く」


 あまりの剣幕を前に、猪武者の麗奈ですら返す言葉を失った。


「アナタ達もよ。ウェルテクスの癇癪に怯えることしか出来ないのならば、それは木偶と何も変わらないのではなくて?」


 銃剣の照準を麗奈の心臓に合わせたまま、ローレライがもたらした浸水に恐怖する理事会の面々にも、絶対零度の罵倒を投げかけた。


「いるだけ無駄。自らの無能さを噛み締めて、ベッドにでも潜り込んで泣いていればいいわ」









「流石は暴君。邪魔な奴は全排除ってか」


 ローレライが泣きわめき、ソフィアがキレ散らかした結果、会議室に残ったのは彼女ら以外には小夜香のみ。


「それじゃ、あたしはこれで失礼させてもらうぜ」


「待ちなさい」


 膝まで浸かった水をかき分けるように扉へと足を向けた彼女の腕を、ソフィアは有無を言わさず掴んでのける。爽やかな笑みが逆に胡散臭い。


「この会議の決定権はウェルテクスにある。つー君を序列三位の地位へと正式に押し上げるには、彼女との交渉が必要不可欠なの」


「そうだな」


「つー君を蔑む女達を同席させていては、交渉の妨害をされる恐れがある。その点において、あのカスは本人の知らぬ内にウェルテクスを刺激して、自然な流れで邪魔者を追い出す口実を作った。実に幸運だったわ」


「そうだな。だけどあたしには関係ねぇだろ。誰が好き好んで姫さんが泣いてるとこに居合わせたいかよ」


「私だって同じよ! だから一緒にここに残りなさいって言ってるんじゃない!」


「何しれっと巻き込んでんだ! あたしは部外者なんだぞ!?」


 やいのやいのと言い合う二人。


「ふぇぇぇぇぇん。ふぇぇぇぇぇん。いじめないでよぉ。怖いよぉ。助けて欲しいんだよぉ……」


 けれど、そうこうしている間にも浸水はどんどんひどくなっていく一方で。


「……」


「ねぇ、ウェルテクス」


 本格的にマズいと察した二人。先に動いたのはソフィアであった。


「お菓子、食べないかしら」








 

「美味しいんだよ」


 こういうこともあろうかと念のために用意しておいたクッキー。


 それを頬張るローレライの顔色は僅かではあるが回復しており、また一面の海となっていた会議室は、何の変哲もないただの部屋に戻っていたのだ。


「月都お姉ちゃんはお姉ちゃんじゃないの? こんなに美人さんなのに」


「世の中には女性だけじゃない。男性という個体も存在するのよ」


「例えば、どんなの?」


「えぇ?」


「男って、なぁに?」


 写真を見せながら月都について説明をしていると、体力と共に気力も回復したらしいローレライが、かねてからの疑問をソフィアにぶつける。


「……少し待っていてもらえる?」


「大丈夫なんだよ」


 そうして猶予を手にしたソフィアは、椅子に腰掛けあくびをする小夜香の耳元に口を寄せて囁く。


「ねぇ、周防」


「何だ、グラーティア」


「男と女の違いって、どう説明すればあのクソガキ(十六歳)に分かってもらえると思う?」


「そりゃあ、アレだろ。股間にナニがついてるかついてないかの差に決まってらぁ」


「そんなこと言えるわけないじゃない!」


 あけすけな物言いを受け、育ちの良いソフィアは途端に顔を真っ赤にさせる。


「でもおまえが交渉しなけりゃ、乙葉……弟の立場が弱いままになっちまうんだぞ」


「そうじゃなくて! いいえ、その説明をするのも淑女としてはかなり抵抗があるのだけれど!」


 小声でガヤガヤと相談を続ける二人。


 明らかに挙動不審なソフィアと小夜香を気にすることもなく、どこからか取り出したぬいぐるみ遊びにローレライは興じていたのだ。


「仮にそう説明したところで、他人に興味がない癖に、時たま妙な執着をみせるウェルテクスのことよ。じゃあ何が違うのかを直接見せてって言い出すに決まってるわ」


「なるほど。学園に男は乙葉しかいない。だったらあいつを連れて来て、脱がして、姫さんを納得させるしかない――と」


「姉が! 弟に! 序列三位になるためには序列一位の目の前で股間を見せなければならないだなんて! とてもじゃないけど伝えることなんて出来ないわ!」








 いつまでも話し合っているわけにはいかない。


「ウェルテクス。待たせたわね」


「私はお腹いっぱいで満足なんだよ」


「男と女の違い、なのだけれど。最たるものを教えましょうとも」


 とりあえずの結論を引っ提げて、最早怪獣の前に単身赴く心持ちで、ソフィアはローレライに声をかけた。


「胸があるのが女。胸がないのが男。ほら、見なさい。この写真の彼には胸がないわよね」


「本当だ。確かに蛍お姉ちゃんはもっとお胸がふくよかだったんだよ」


「だから彼は女ではなく男なの。お姉ちゃんではなくお兄ちゃん。とはいえ、裏の世界でずっと生きて来たアナタが分からないのも、無理はない――」


「えと、じゃあ」


 心底不思議そうに、悪意など一ミリもなく、


「ソフィアお姉ちゃんや、小夜お姉ちゃんも、男で、お兄ちゃんだったってこと?」


 ローレライは純粋そのものでそんな風に言ってのけたのだ。


「「……」」


 暫くフリーズするソフィア。後ろの小夜香も含め、動きから何まで全てが停止してしまっていた。


「……どうしてそうなるの?」


 かろうじて絞り出した声は、震えている。


「だって、ソフィアお姉ちゃんと小夜お姉ちゃんは、私よりもお胸がないんだもん」


 そこから、何故かソフィア達の記憶は曖昧であるのだが、最後に「月都お兄ちゃん? が、序列三位になるのは、私は賛成なんだよ。ばーいばーい」とだけ言い残して、車椅子を爆速で走らせ去って行ったローレライの晴れやかな微笑みだけは、やけに頭の中にこびりついているのであった。

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