第23話 対序列三位【狂戦士】戦 精神攻撃

「あずさの調査資料を元にした判断だから、憶測の域は出ない」


 蛍子の表情が固まった。それのみならず、攻撃の手までもが止まった。


「目の前で死んだ――確かに親父さんは精神を病んで自殺したんだろうけれど、おまえに見せるつもりはなかったんじゃないのか?」


 フラリ、と。魔導兵器を携えたまま、後退る。


「何か嫌な予感がして後を追いかけ、その瞬間を不運にも見ちまった。そんな状況じゃないかって、予想があるんだが」


「……流石は乙葉君。正解ですよ」


 しかし月都はその隙を隙とは見なさず、あくまで精神攻撃に集中する。彼女を追撃することはなく、それどころか彼は魔導兵器さえ虚空にしまい込んでいた。


 今の無防備な状態の蛍子を殺すことは容易い。だが、月都は彼女と友達になりたいのだ。殺してしまっては話にならず、ソフィアのかけた不殺の呪いを受け入れたまま、序列三位という強敵を打ち倒すしか道はないのだから。


 そのためにはどんな汚い手でも使ってみせる。


「父はわたくしを最後まで責めませんでした。わたくしのせいで、死んでしまったにも関わらず」


「俺はそう思わないし、親父さんもそう思ってはないだろ」


「ならば! 父が悪いというのですか!」


「誰もそんなこと言ってねぇよ。割りを食ったんだ。この世界のくそったれさに」


 珍しく激昂する蛍子に、努めて冷静に月都は言葉を重ねていく。


「男が虐げられる裏の世界の辛さは、誰よりも分かってるつもりさ」


 自嘲じみた笑いは、感情を沸騰させかけた蛍子の精神を一瞬で冷まさせた。


「ま、こんな場で不幸自慢をするのもなんだし、具体的にどうだったかは省かせてもらうが」


 それ程までに月都の目は澱んでいた。


 かつて蛍子が目の当たりにした最愛の父が病んでいく様。それよりも眼前の少年は、重い傷を背負っているように見受けられたのだ。


「親父さんの根源的な苦しみや、その中にあった一筋の救いの光は、女で魔人の一ノ宮よりかは分かる。勿論、おまえもかなりこっちに寄ってくれてはいるがな」


 月都の語りが全て真実である保証など実際にはどこにもない。


 あずさが調査した過去の情報を元に、立場こそ違えど、女に虐げられるという同じような境遇に身をやつした男の心境を、月都なりに解き明かしているだけなのだから。


「なぁ、一ノ宮」


 だがしかし、月都の問いかけに、蛍子は大きく肩を震わせる。


「親父さんは、おまえを心から愛してくれていたんだろ?」


「……っ!!」


 相手がただの豚であれば、聞く耳など持たずに、うるさいと無骨な戦斧で斬り捨てたに違いない。


「その確信があるがゆえに、おまえはおまえをより強く責め立てる。だけど、目の当たりにした絶望が大きかったからこそ、その確信を全身全霊で否定するんだ。優しいと言いたいところだが、不毛でもあるよな」


 けれど、今蛍子の目の前にいるのは人間なのだ。


 自分達豚とは異なる存在。檻の中で矮小に生きることをよしとせず、檻そのものの破壊を目論む月都を軽んじることが、己が卑しい豚であることを誰よりも自覚している彼女に出来るはずもなかった。


「わたくしを一緒に、死の先へまで連れて行ってくださらなかったのは」


 震える声音で、決死の問いかけを返す。


「恨んでいたからでは、ないというのですか?」


「何度も言うが絶対の確証はないから、あんまり真に受けるなよ」


 父の愛情を信じている娘は、それゆえに過大な自罰意識に囚われている。自分は父にとってのお荷物であり、恨まれて然るべきであり、彼を殺したのは他ならぬ自分自身であるのだ――と。


「だが、思い出せ。最後に何か言葉を残してはいなかったか? 娘を一人置いて死にに行く父親は、いったい何を語った?」


 起こってしまった悲劇は最早変えようがない。ならば、凝り固まった強迫観念を今ここで崩すことこそが、誰一人たりとも幸福にはならない自殺願望を取り払う鍵であるのだと、月都は目論む。


「……あ、」


 既に蛍子から鬼気迫る狂気は抜け落ちつつあった。


「忘れていましたよ。あまりにも悲し過ぎて」


 いつもよりも数段幼い面持ちで、過去に閉じた記憶を、彼女は必死に精査していく。


「自分のことは気にせず、おまえの好きなように、幸せになってくれって、父は、お父様はおっしゃってくれたのに」


「だったら、なおのこと」


 口角を吊り上げる、月都。


「死ぬ必要なんてないに決まってる」


 それでいて優しげに、蛍子の敵意の矛先を、蛍子自身から別のナニカへと逸らすための布石を打つ。


「本当に悪いのは誰だ?」


 彼の囁きは、耳に延々と木霊する。


 神の託宣のごとく、憧憬の眼差しで魔人の少年を仰いだ。


「例えば、一ノ宮家当主」


「……紫子さんは、悪くありません。確かにあの人は、父を守り切れはしませんでした。ですが、あの時点で家の実権は長老達にあり、彼女の権力は強くなかったのです。それに彼女は父も、そして立場上娘とは決して呼べないわたくしも、精一杯愛していてくれましたし、今だって気にかけてくださっています」


「例えば、おまえと比較して才能がなかった、一ノ宮家の直系」


「桜子お嬢様の後ろに付く大人達は、父を追い詰めた張本人。決して許すことはありませんとも。それでも父が死んだのは彼女がまだ五つの頃。何も知らされておりませんでしたし、知らされた後はわたくしに対して、罪悪感を抱いた目を向けるようになりました。彼女も悪であるとは、到底呼べません。戦闘に向いていない優しい性格の彼女を身勝手に担ぎあげ、腐った魔人の世界に違和感を覚えることもなく迎合する、あの者共が悪であるというのに――!!」


「そう、そこだ」


 矛先が変わった。


 蛍子の心を巧みに弄んだ月都の手腕。きっと彼女は自分が誘導された結果、この結論に至ったことに気付けないはずだ。


 何故なら彼女は、どれだけ歪であるとはいえ、女として月都に特別な想いを、すなわち好意を抱いているのだから。


 彼に殺されたいのだと、願ってしまった程に。


「憎むべき相手、恨むべき相手が明確にいるっていうのに、おまえはどうして自分を最も悪とする?」


「それは、」


「どうして、おまえが死ぬ必要があるんだよ。そんなのはただの理不尽じゃねぇか」


 トドメと言わんばかりに、月都は一歩前へと、勢い良く踏み出した。


「壊そうぜ、一緒に、この裏の世界を」


 度重なる精神攻撃により、放心状態に近い蛍子の腕を彼は引き寄せ、至近距離でもって甘美な誘惑を提示する。

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