第18話 甘くて苦い姉弟関係

「何をしてるのかしら」


「ねっ、姉ちゃん……!?」


「驚いた顔をしたいのは、本来こっちなのだけれど」


 月都は旧学生寮をあずさと共に使用しているも、今現在彼がうろついているのは、全寮制の極東魔導女学園、新学生寮の側であった。


「どうして私の可愛い弟が、女子寮に侵入しようとしているのでしょうね」


 どこからどう考えても、正規に月都が入り込むことが出来るわけもなく、案の定、ソフィアに発見された彼は、人気の乏しい非常口から秘密裏に侵入しようとしていたのだ。


 厳重なセキュリティが本来であれば働いているものの、あずさの事前の仕込みによって、それらは解除されていたがゆえの蛮行である。


「それは……」


「最も、私に会いに来てくれたという理由なら、全然ウェルカムであるにはしても、どうせ今のつー君は、あの変態に用があったのだろうし?」


 どう誤魔化したものかと、そういった思考が脳裏に過る、月都。


「事情は大体察してるわ」


 されどソフィアは以前月都から聞かされた話や、持ち前の聡明さから、彼がここに来て何をしようとしていたのかのおおよそを予測していたのだ。


「姉ちゃんは、やっぱり俺が魔神と戦うのは反対?」


「反対ね。私はつー君に、危ない橋をこれ以上渡らせたくない」


 腕を組み、真っ直ぐな眼差しで、血の繋がらない弟の身を案じる姉は、厳然と言い放った。


「だけど、ある程度の地位を学園にて築くことは、自衛のためにも必要だから。序列三位までは許容しましょうとも」


 だがしかし、ソフィアは月都の何もかもを否定し、自由な行動を制限したいわけではない。


 学園の序列上位の魔人達と戦い、また魔神との戦闘の場に立つことで、月都が危険に晒されるのを阻止したい一心でしかなかった。


「ただしこれ以上は私が止めてみせる」


 相反する姉弟の想い。


 双方共に一ミリたりとも相手に対して敵意も悪意も存在しない。むしろそこにあるのは愛情ただ一つのみ。だからこそ結果的にはすれ違う。


「ねぇ、つー君」


 いつの間にか、月都のブレザーの裾が掴まれていた。見やるとそこには、上目遣いに彼の顔を覗き込むソフィアの姿が。


「私としてはここを見逃してもいいのだけれど……」








「はい、ココアよ」


「ありがと」


 一ノ宮の部屋に向かう前に、お姉ちゃんと一緒にお茶くらいしてくれてもいいんじゃない? そう言われては、月都もその提案を突っぱねるわけにはいかなかったのだ。


「俺の好きなやつ、覚えててくれたんだ」


「当たり前じゃない」


 月都の前にココアの入ったマグカップを置いて、ソフィアも彼の隣に寄り添うように、ソファーへと深く腰掛けた。


「つー君と過ごした毎日を、忘れたことなんて一度もないわ」


 スプーンで自らのココアをかき混ぜながら呟くソフィアの声音には、重い寂寞の情が滲む。


「そういえば、私が外に出ている間に、あのカスに絡まれたって耳に届いたわよ。災難だったわね」


「カス?」


「乙葉麗奈」


「あー、ははっ」


 あまりにもあんまりな物言いではあったが、月都としても否定する気にはさらさらなれなかったのである。


「一ノ宮に助けてもらったから。大事にはならなかったさ」


「アレを助けたと呼べるのかは、甚だしく疑問よね」


 ため息を混じえ、ソフィアはそう断ずる。


 確かに蛍子が人目も憚ることなく激怒したのは、己の何かしらの事情を踏まえた上ではあったかもしれないが、結果的に月都の側に立ってくれたのには変わりはないのだから。


「一ノ宮は危険よ」


「裏があるようには思えないぞ」


「奸計を巡らせるタイプではないでしょう。だからと言って安全だとは限らない」


 甘くて苦い。ココアの味を堪能しながらも、ソフィアの横顔は張り詰めている。


「それでも序列一位よりはマシよね」


「今の一位って確か一年だったよな?」


「そうよ。【人魚姫レヴィアタン】ローレライ・ウェルテクス。おそらく今の魔人の中で、つー君を除いては最も魔神に近いとされる女。他人に対して滅多に興味を持つようなタイプではないにはしても、時たま妙な好奇心を発揮したりもするから……つー君も充分に注意しておくように」


 けれども、折角二人でお茶をしているのだから、これ以上暗い話題は避けるべきかと、ほんの少し表情を緩めたソフィアであったが、


「つー君?」


 肩の触れ合う弟を見やると、そこにはバツの悪そうな顔が。


「いやさー、でも俺、最終的にはこの学園の頂点にならなきゃなんないわけだし。ローレライっていう娘とも、関わり合いにならざるを得ないだろうなーって」


 半分程飲み干したマグカップを、おもむろにテーブルの上に置いて、


「……えい」


「のわっ」


 ソフィアは月都が丁度何も持っていないタイミングであることを見計らい、ソファの上へとゆるやかに押し倒した。


「どうしんだよ、急に」


 姉の唐突な抱擁に月都は純粋な疑問を覚える。


「別に、何でもないの」


 とはいえソフィアは彼が支配せずとも、唯一恐れることなく触れ合うことの出来る女性だ。彼女の腕から逃れようとはしないし、むしろ心地良さを覚える。


「ままならないなって、感じただけよ」


 互いの体温が混じり合う。相手の息の音が鮮明に聞こえるまでの密着だ。


「大きくなったわね」


「成長期だし。まだまだでっかくなる予定だぜ」


 どこか誇らしげに、押し倒されたままの月都を胸を張った。


「姉ちゃんも大きく……」


 そしてかつて別れた際よりもスラリと背の伸びた姉の姿を、改めてまじまじと見やり、


「大きく……」


 身長の成長に置き去りにされてしまった胸部が視界に映り込むのだ。


「姉ちゃんも成長期だからな!」


「……つー君の馬鹿」


 慌ててフォローをするも効果はなく、ソフィアは涙目になって、弱々しい罵倒を口にするのであった。

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