第16話 メイドの罪悪感
夢を見た。
悪夢だった。あずさはそのように目の前で流れる光景を俯瞰する。
あどけなさの残る少年が泣いている。
ここから出して、と。お姉ちゃんに会わせて、と。座敷牢に閉じ込められた少年は叫ぶ。
否、閉じ込められた少年だなどと随分他人事めいた物言いであると、嫌悪感もあらわに、あずさは己自身を嘲笑う。
この少年を地下深くに閉じ込めているのは、雇い主の命令を受けた自分の固有魔法が最たる要因であるというのに、だ。
ずっと、彼は自分を見ている。泣き腫らした目で、じっと。
その事実がたまらなく恐ろしくて、いつの日か罪悪感の拠り所を求めるように、あずさは成長した少年に屈服していた。
「――さ、あずさ!!」
「ん……」
何者かに身体を揺すられている感覚。
だが、決して不快ではない。自分の身を案じてくれているのが伝わる優しさと温もりが、その手のひらからは伝播するのだ。
「ごっ、ご主人様!?」
重い瞼を無理矢理に押し上げると、そこには愛すべき主の心配げな面持ちが。
あずさは慌てて身体を起こすも、
「あがっ」
「んにゃっ」
目測を誤り、月都の顔に己の顔を激突させてしまう。
「ごっ、ごめんないです!」
「別にいいって」
慌てた様子で謝罪するあずさとは対照的に、エプロン姿の月都は落ち着き払った態度。
「それよりも、うなされてなかったか?」
おたまを片手に持っていることからも分かる通り、月都は朝食を作っていたようだ。
主人よりも後に起床してしまったことによる焦燥、家事一つロクにこなせやしない自分のザマに、不甲斐なさはとめどなく胸の内にて沸き起こる。
「いえ、そんなことはありませんよ? あずさは元気いっぱい百パーセントなのです」
せめて心配はかけまいと、努めて気丈に振る舞うも、
「嘘つけ。顔色悪いぞ」
「あうあうあうあうあうあうあうあう」
月都の側から顔を近付けられることで、結局彼女は最後まで嘘を貫き通せなくなってしまうのだ。
それでも元気がないという事実を否定するためだけに、健気に首を横に振っていたのだが、
「暴力的なまでのデカさ」
「ふぇっ?」
「口が滑っ……じゃなかった。何でもない」
その動きに釣られて、下着をつけていないあずさのただでさえ豊満な胸が、左右にばるんばるんと縦横無尽に揺れまくっていることには気付けないでいたのだ。
どうにもあずさは自分が月都の役に立てていないと卑下するきらいがある。
しかし月都からしてみれば、彼女は充分以上に役に立ってくれているのだ。単に家事が不得手であるだけのこと。
「今日はもう学校を休め」
先日、蛍子と学園を巡っていた間も、あずさは主の命令を受けて重要な役割を果たしてくれていた。
「ですが、ご主人様をお守りするという大切なお役目は――」
「一日くらい自分で何とかするし、昨日は色々と用事を頼んだから。疲れはそう簡単に抜けるもんじゃねぇだろ」
だからこそ、あからさまに心身の体調を崩しているメイドを、何としてでも休ませたいのだと、月都としてはその一心であったのだ。
「な?」
ポンポン、と。あずさの肩を叩く。
両者にとっては慣れっことなったスキンシップ。強張っていたはずのあずさの身体から、徐々に緊張が抜けていくのが見て取れた。
「ご主人様」
意を決した面持ちで、あずさは月都を見上げた。
「お気をつけください。ここは、いいえ。ご主人様にとっては裏の世界のどこもかしこも敵地なのです」
実際、あずさは理屈ならぬ直感で予感していたのだろう。彼女の接触を。
「久しぶりだな、月都」
大勢の取り巻きを引き連れた女子生徒が、教室の席に一人、腰掛けていた月都を睨めつける。
「随分とまた調子に乗っているようではないか」
「あー……、その節はどうも」
「忌々しいまでのニヤケ面だ」
両者から発せられる剣呑な雰囲気に反比例するかのように、月都もその女子生徒も互いの見た目は非常に似通っていた。
「無駄に良い見てくれで、私達の道具であった女中を誑かしたのだろう? 全く……反吐が出る」
流れるように、それでいて吐き捨てるように月都を侮辱した女子生徒の名は、乙葉麗奈。
血縁的には月都の実母の姉の娘――ようするにいとこにあたるものの、現在は戸籍上の姉でもある。
「諸君、聞くが良い」
最も麗奈は典型的な魔人的価値観を有しており、また麗奈の母は月都の実母共々彼を毛嫌いしているため、月都と麗奈の間に肉親の情といった類のものは皆無なのだが。
「確かにこの男は得体の知れない力を持っている。恐れるのも無理はない。現に世界の安寧を揺るがし得る禍々しき力を、コレは生まれながらに有しているのだから」
何故、この段階において今まで接触を避けていたはずの麗奈が、大勢の取り巻きを引き連れるのみならず、乙葉家にとって不利な状況を明かしてまで、衆人環境の元で相対することを決めたというのか。
「永遠に地下に閉じ込めておかなければならない災厄を、私達誇り高き乙葉の一族はこやつの卑劣な策謀に屈してしまった結果、野放しとすることとなった。そのことについては、まず諸君らに対して頭を下げ、許しを乞わなければならないだろう」
血の繋がりが無いにも関わらず、姉と呼び慕うソフィアとは異なり、月都には姉と呼びたくもない
(こいつの……いいや、こいつらの思考なんて理解したくなんかないけれど、なまじ近くにいたからこそ、分かっちまうんだよなぁ)
蔑まれて然るべきであるはずの男が、決闘での勝利や授業での活躍、さらには校内に侵入した人型の使い魔を、こちらは蛍子の手を借りたとはいえ、それでも撃破してのけたというのだ。
このまま放置しておけば、乙葉月都という忌むべき怪物を逃した乙葉の家名そのものに、傷をつけることになってしまう。
よって今一度、乙葉月都は立場が下であって当然であるべき者だという認識を、学園全体に対して刷り込みに来たに違いないと、月都はそこまでを的確に見抜いていた。
「この通りだ」
クラスメイトに向かって深々と頭を下げる麗奈の姿を、月都は冷めた眼差しで眺めるのだ。
「その上で今一度諸君に問う。これは私達魔人に与えられた試練なのさ」
大きな身振り手振りで訴えかける。
このままでいいのかと。魔人の世界で疎まれるべき男をのさばらせておいて、それで我ら魔人の誇りは保たれるのか否かを。
「一年以内には来るとされる魔神との決戦を前に! 私達は! 志を同じくして! 男という劣等種を! 一致団結の末に打ち倒す必要が! あるはずなのだ!」
麗奈の演説は概ねの賛同を得られてはいた。
所詮この学園は女尊男卑が蔓延る裏の世界の人間が通う学び舎だ。魔人としての普遍性を元にした演説は、月都を生贄に団結を強めようとする論調は、生徒達の心にすんなりと染み渡る。
「もしや、あなた」
けれども、物事には何かにつけて例外があるものだ。
「まさか、まさかではありますが」
そう、例えば。優雅かつ楚々とした足取りで、熱き弁舌を振るう麗奈の背後に忍び寄った女子生徒が、非常に分かりやすい良い例であろう。
「ご自身のことを人間であるのだと、そのような愚かしい勘違いをしておられまして?」
「何を馬鹿なことを。私は誇り高き魔人にして、極東魔導女学園の序列四位――」
投げかけられた声に反応して、思わず振り返った麗奈の顔を、ぞんざいに右手で鷲掴みにする。
「事実を俯瞰して見れもしない豚。わたくしごときに勝つことさえ出来ぬ雑魚は、お引き取りあそばせ」
頭ごと押し付けるかのごとく、圧倒的な膂力でもって、教室の床に麗奈を叩きつけた蛍子の端正な顔立ちに貼り付けられているのは、大和撫子然とした微笑みであった。
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