第14話 威力偵察

 人間の暮らす世界に隣合いながらも、薄皮一枚を隔てているそこに、古より魔神が封じられている揺り籠は確かに在り続けている。


 本来この地球という巨大な箱は、魔神である彼女を閉じ込めるためだけに生み出された異界なのだ。


 正式な居住権は幽閉されているとはいえ魔神の側にあり、同じく地球の魔力から半ば自動的に生み出される使い魔達も、地球を創生した存在にとっては想定内の住人であった。


 その点においてむしろおかしいのは、勝手に誕生し勝手に繁殖した人類と、彼ら彼女らを守護するべく、魔神や使い魔の抗体として世界の裏に潜む魔人達なのだ。


 人類は異物である。


 大多数を占める表の世界の人間はその事実を知りもせず、少数の裏の世界の人間はその事実を認めようとせず、今日も今日とて人類は魔神が乗っ取った使い魔を退治し、数十年に一度の魔神本人との決戦に備えていた。











「いつになく騒がしいようだ」


 女性と呼ぶには幼く、幼女と称するには大人びている。


「面白い子があの場所に来たみたいだね」


 淡いプラチナブロンドの髪を揺らす少女は、可憐かつ繊細な美貌からはかけ離れたボーイッシュな口調で、ベッドの端に足をブラブラとさせて腰掛けていた。


 彼女は両目を開けて、行動をしている。誰も彼もがこの状態を起床していると見做すかもしれないが、実際には彼女は未だ眠りの最中にあった。もしも本当に起床状態にあるならば、こんなにも魔力の脈動は緩やかではないはずなのだから。


「彼はボクに近い。かの人魚のお嬢さんと同様に。いや、ひょっとすると彼女よりも、かな?」


 寝室と思しき部屋に備え付けられた窓から臨む外の景色は、一言で表現してのけるのであれば、異様。


 中央では太陽と月が同時に浮かび、上には色鮮やかな魚の泳ぐ海が、下には星と雲の広がる空がどこまでも続いていた。


「キミにとっても彼は無視出来ないんじゃないかい? 何せ表沙汰になった中では唯一の後輩と呼ぶべき存在なのだし」


 異常極まりない風景を何てことのないように一瞥する少女。櫛を通してもいない長い髪と、ネグリジェ姿が目を引く彼女は、非常に砕けた物言いとリラックスした態度で、穏やかに笑んでいた。


「あははっ。無理に堅物ぶらなくてもいいのに。昔のような砕けたキミの方がボクは好きだよ。あぁ、勘違いしないでくれたまえ。今のキミが嫌いというわけではないし、いっそ心から愛しているといってもおかしくはないよ」


 反して少女の足元で平伏するローブを目深に被った人影は、主である少女への礼節を片時も崩そうとはしなかった。


「そうだね……人魚のお嬢さんだって相当に強力な魔人ではあるが、彼がボクの元にまでたどり着く可能性は、彼女の実力を加味したところで、限りなく高いだろう」


 ローブを纏う人影が客観的な意見を述べたことで、それを貴重なものであると踏まえた上で咀嚼するように頷きながら、思考を巡らせていく。


「じゃ、折角だし調整が終わったばかりの彼女を出そうか」


 これぞ妙案と言わんばかりに、座っていたはずの少女は床に二の足で立ってのけた。堂々たる表情は輝かんばかりである。はためくネグリジェの裾は、肉感的な太ももを隠し切れていない。


「つまりコレは威力偵察というヤツなのさ。威力偵察……いやはや、心湧き踊る良い響きじゃあないか! キミもそう思うだろう!?」


 少女に名はない。


 過去にあったはずのソレは、地球にまで遠路遥々追放されたことでとっくに失われていた。


 強いて名乗りを上げるのならば、彼女は不遜に口角をつり上げてこう答えるであろう。ボクは魔神だぜ――と。









 だからこそ、月都達の元にソレが訪れたのは必然であったに違いない。


「あらあら、まぁまぁ」


 動物広場で小夜香と別れ、二人揃って寮に戻る道すがら。


 バリバリ、ボリボリと。音をたてて。人型の使い魔は女子生徒の一人を捕食している。


「大変なことになってしまいましたね」


 彼女の友人と思しき女子生徒達は、現在捕食されている彼女を救助することも、はたまた逃げることも助けを呼びにいくことも何一つ出来ぬまま、ただ恐怖に打ち震えている。


 極東魔導女学園には使い魔に対抗し得る魔人が集う。また世間一般的に高校生の年代である彼女らは、魔神の操る魅了への抵抗が比較的強いとされていた。


 だが、皆が皆ずば抜けた強者足り得る組織などあるはずもなく、さらには校内に出現したのは使い魔の中でも一際珍しく、尚かつ危険度の高い人型の使い魔だ。


 元極東魔導女学園序列一位が、魔神に魅入られ使い魔と化した存在であると言えば、その脅威は最も明確に伝わるかもしれない。


 学園の教師陣は残念なことに一流ではなく精々二流だ。秀才止まりであり、序列上位に名を連ねる天才には至らない。


「どうされますか?」


 けれど、少なくともこの場に偶然居合わせた一ノ宮蛍子は、現学園の序列三位。本人は自己評価の低い性分ではあったが、天才の範疇には余裕で含まれていた。


「わたくしは全てを乙葉君の判断に委ねます」


 そんな彼女が豚ならぬ人間であると仰ぐ月都が降した判断とは――、


「喰われてるヤツは駄目だ。流石に今からは助けられない。無理なものは無理」


 冷静な面持ちで若干の距離がある惨劇の場を俯瞰していた。


「だが、残りの四人は生かして逃がそう。その上であの人型を撃破すれば、これ以上の被害は食い止められる」


「人型を撃破するのは当然でしょう。ですが、乙葉君の立場であれば、どうせ死ぬしかないのであろう彼女らは、見殺しにしてしまっても構わないのでは?」


「そうさ。俺は女が嫌いだ。俺を虐げる人種を俺は憎む。だけどあいつらは助けるよ」


 魔導兵器である弓矢のみならず、当たり前のように天才と呼ばれる領域にまで月都は至る。


 魔導兵装――纏うことで魔人としての攻撃力や防御力の底上げされる、魔力で編まれた鎧。しかしコレは各々の魔人の性格や特性、家系などに強く影響を受けるため、月都の兵装は旧陸軍を連想させる軍服の形をとっていた。


「誠に失礼ながら、理由をお伺いしてもよろしくて?」


「二つある。第一にいくら何でも目の前で酷たらしく死なれるのは、寝覚めが悪いからな」


 弓を引き絞る。膨大な魔力が矢に形を変え、照準を定める。


「第二に嫌いな女であるからこそ、頭数揃えて生きていてもらわないと、俺の逆襲劇の観客がいなくなってしまう」


 発射。弓は人型の四つ目の内の一つを射抜く。



 人型は突如瞳に走った激痛に悶絶し、周囲に毒液のような紫色のナニカを撒き散らす。


 常人よりは頑丈な魔人であれど、触れるだけで絶命するであろう腐食を帯びた死の液体は、腰を抜かしたままの女子生徒達を呑み込まんとして――、


「早く逃げろ!!」


 だが、月都の操る無色透明不可視の触手が、女子生徒を守護する障壁と化した。


 それのみならず、防御に回していない触手の全てを人型への攻撃に費やす。


「どうして、」


 何故、自分達を助けるような真似をするのか。男でありながら魔人となる資格を得た彼を蔑む心に変わりなどないというのに。


「どうして! 私達を! 助けるの!?」


「自己満足!!」


 叫ぶような女子生徒の問いかけに、同じだけの声量と彼女を超える迫力をもってして答えてみせた。


 当座の危機は去った。防御に回していた触手をも総動員して、彼は女子生徒達から遠く離れ周囲に人影も建造物も見当たらない僻地にまで、人型を強引に追いやった。


「後は知らないから好き勝手にどうぞやってくれってんだ!」


 その言葉を最後に月都は魔導兵装を持つ者の特権として、身体を空中へ飛翔させる。


 呆然とそれを見送る女子生徒達。彼女達は一人友人を失ってはしまったが、自分達に向けられていた牙は遠ざかったことに、遅ればせながら気が付いた。


「素晴らしい……本当に、本当に、本当に。素晴らしい限りですよ、乙葉君」


 そうして彼女らの視界には、歓喜に身悶える背の高いポニーテールの女子生徒が映り込む。


「そもそものところ必要などないはずなのですがね。それでも卑しい豚として、人間様のお手伝いをさせて頂きましょうとも」

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