第13話 幼女先輩

「あずさが! あずさが俺のズボンを脱がそうとしてくる!」


「いかがわしいお話ですね! そうなのですね!」


「いい加減にしろ! 蛍子! 乙葉も乙葉で紛らわしい言い方をすんじゃねぇ!」


 珍しいくらいに一般の学生めいた賑わいを見せる月都。愛くるしい空飛ぶ兎に、最初の蛍子の宣言通り、どっぷりと彼は癒やされていた。


 兎達も月都に懐き、彼のズボンにまとわりついてくる始末。お陰でズボンは脱げかけ、蛍子は怪しげに目を輝かせる。


「あー、楽しかった」


 ぐっと、月都はここで一区切りと言わんばかりに伸びをする。気がつけば空は赤に染まり、西陽が差し込む時間帯となっていた。


「そろそろ帰りますね。あんまり長居しても悪いし」


「また遊びに来たけりゃあいつでも来ればいいさ」


「是非そうさせてもらいますよ」


 小柄な身体でありながら年長者の振る舞いを示す小夜香。彼女が月都や蛍子を見る目は、表の世界であればどこにでもありそうな、後輩を見守る先輩のソレだった。


「乙葉」


「どうしたんですか? 周防先輩」


「蛍子のことなんだが」


 だからこそ彼女はここで踏み込む話題を切り出したのかもしれない。


 序列一桁の魔人として裏の世界に浸かっていながらも、表の世界の普遍的な感性を他の魔人程には失っていないがゆえに、深い領域まで見据えることが叶う。魔人特有の視野狭窄に彼女は何故か囚われていないのだ。


「序列一桁の中でも特に上位の魔人は、まずヤバいのばっかだ。まぁ、あいつもド変態だし、相当に重いモン溜め込んではいるんだが」


 月都と小夜香が眺める先に、まだ兎達と飽きることなくたわむれている蛍子がそこにはいた。


「おまえと仲良くなりたいのは本心だろうし、なんつーか、相手を騙して利益を得ようとするようなタイプじゃねぇんだよ」


 敢えてぶっきらぼうに語る小夜香ではあるが、その態度の奥に潜む温かみに気付かない月都ではなかった。


「ただ感情任せに暴走する危険性は充分にあって……だけど、おまえのことをかなり好いていると思うから」


 一ノ宮が慕うのも納得だな――と、彼は声に出さず呟いた。


「癖の強い女だが、どうか嫌いにならないでやってくれ」


 意志の強い瞳だ。真っ当な人間の眼をしている。


 小夜香の眼差しに別の人物の面影を見出しつつ、月都はふっと表情筋を緩めるように微笑んだ。


「先輩は優しいんですね」


「優しかねぇよ。あいつの手がかかるだけだ」


 そうして大げさにため息をつく。確かに蛍子は楚々とした様相でありながら、中々の変人であるがゆえに、先輩として多々苦労をしているに違いない。


「人当たりの良さそうなツラしといて、実際あたし以外の奴と全然関わり合いを持とうとしねぇ。友達だって言って、わざわざここに連れて来たのは、乙葉。おまえさんが初めてさ。嬉しそうに話してたぜ。人間に初めて出会うことが叶ったってな」


 小夜香からもたらされる蛍子の情報。


「魔人という存在。いいや、この裏の世界に蔓延る澱んだ全てを、自分を含めて憎んでいるんだろう。これまで誰にも興味を示すことはなかったのが、いい証拠だ」


 ソレは月都の中の蛍子像をより強固なものとする後押しとなった。


「比較的親しくしているとはいえ、あいつ基準じゃあたしもただの豚だからな」


「――俺も同じなんですよ、たぶん。全部が全部同じわけではないけれど」


 単に他者の情報を言いふらしているわけではない。徹頭徹尾蛍子のためを想っての行動であり、なおかつ自分に対する牽制の意図が最も強いのであろうと、月都はおぼろげながらに察する。


「部分的には似てるような気がするから、親近感が湧きます。一ノ宮も俺に対してそういう気分になるのかもしれませんね」


 ゆえに、せめて彼なりの誠意をこめて、突きつけられた問いかけに答えることにした。


「なるほど。おまえもSだのMだのの変態だったのか。このムッツリスケベめ」


「お願いします。そこだけは一緒にしないでください」


 途中混ぜっ返されて、出鼻を挫かれてはしまったものの。


「俺、一ノ宮と友達になりたいんです。だから悪いようにはしませんよ」


 小夜香の視線に鋭さが増したものの、構わず月都は語りを続ける。


「人の道を違えることは決めました。誰も彼もを踏み台として扱うこと決めました。けれどもいたずらに踏みにじることは、最後のなけなしの砦として、したくありませんから」


 あまりにも抽象的。基本的には出会ったばかりの先輩後輩に過ぎない両者の間で共有出来るものは少ないはずだ。


「少なくとも、俺が絶対に殺したい女は、一人だけです。そして俺は一ノ宮と友達になりたい。殺したら友達になんてなれない。でしょう?」


 だが、蛍子が危ういながらも月都に何かしらの好意を抱いているのと同じく、月都も蛍子に友好と狂気が表裏一体と化した親愛を覚えていた。


 適当にあしらった女子生徒達とは明確に異なる。乙葉月都にとって一ノ宮蛍子は、断じてどうでもいい相手ではないのだ。


「……ならいいさ。でしゃばり過ぎるのもアレだ。後は蛍子の問題だし、おまえにはおまえの都合がある。あたしだって魔人。真っ当な倫理なんてドブに捨ててらぁ。人のことグチャグチャ言えるわきゃねぇんだよ。ははっ」


 どこまでを把握し、何を納得したのか。月都には小夜香の内心、その一から十の全てを推し量る術などない。


「悪いな、探るような真似をしちまって」


 それでも小夜香の牽制は鳴りを潜め、元の先輩としての頼りげのある面持ちを不足なく取り戻していた。


「どうにもおまえは不思議な奴みたいだ」


 緩く編まれた赤髪を揺らし、腕を後ろに組んで、されどほんの少し疲れを滲ませたまま、彼女は笑う。


「人間やめてる癖に、人間臭い」


「最高の褒め言葉ですよ」


 向けられた笑顔に対して、月都はとびっきりの純真な笑みでもって応えてみせた。一瞬、小夜香の肩が不自然に跳ねたような気もしたのだが、それは彼の見間違いであったはずなのだ。

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