第12話 兎

「乙葉君は特別ですから、最後にとっておきの癒しを紹介いたしますね」


 広大な校舎ではあるが、蛍子の説明は丁寧かつ効率的であり、二時間もあれば大体の設備を見て回ることは出来た。


「癒し? 何だそれ。めっちゃ気になるんだが」


「それはあちらに着いてからのお楽しみです」


 いつになく楽しげな足取りで、最後に蛍子の先導の元、二人がたどり着いた場所は、丁度先日あずさを含めた三人で昼食をとった展望台にほど近い野原であった。


 そこは柵で仕切られてはいるも、戦闘訓練に用いた森林地帯程には禍々しいものではない。木製の小屋が建てられていることで牧歌的な雰囲気がより後押しされていた。


 さらには空を飛ぶ兎が縦横無尽かつ和やかに、晴天の下を駆け回っている。


「小夜香先輩、お友達を連れて来ましたよ」


 見渡す限りのもふもふ。


 そのど真ん中に佇む小柄な影に対して、蛍子は慣れた様子で声をかける。


「おまえみたいな変態にちゃんとした友達とかいたんだな。びっくりしたわ」


 ふよふよと浮かぶ白の毛玉の群れをかいくぐり、月都達の元にやって来たのは、燃えるような赤い髪をゆるく一本に編み込んだ女子生徒。


「おー、そんな酔狂な輩はどこぞの誰かと思えば転校生か。アレだな。こいつだいぶ変な奴だろ? 迷惑かけてねぇか?」


 彼女は極めて低い位置から、月都の顔をぐいっと、見上げるように覗き込んだ。


「一ノ宮には世話になって……ますよ?」


 恐る恐る彼は不慣れな敬語を用いつつ、彼女の胸元についているのが三年であることを示す校章であることに意外感を覚えていた。


「……先輩、ですよね?」


「そうだ。あたしは三年。おまえらより弱っちくとも、一応先輩ではあるさ」


「すみません、こう……あずさよりも小さかったから、一瞬脳があなたが先輩であるという事実を認識しなかったというか何というか」


「失礼な奴だな。誰の胸が小さいって?」


「身長の話をしたんですよ!」


 凄む女子生徒に焦る月都。


 しかし睨みつけたのも一瞬のこと。すぐ様先輩と思しき女子生徒は快活な笑みを彼に投げかける。


「あっはっは! すまんすまん。まずは自己紹介をしなきゃならんかったな」


 湿っぽさや陰鬱さからはかけ離れたカラカラとした態度。月都にとってはあまり出会ったことのない類の人種と改めて相対し、驚きは増していくばかり。


「あたしの名前は周防小夜香すおうさやか。この動物広場の管理人を趣味でやってるモンだ」


 彼にとっての一般的な女性に対する予想をことごとく外していることにも気付かず、小夜香は気さくに右手を差し出していた。









 地球には魔力が人知れず満ちているせいで、表の世界には認識出来ない独自の生態系がひっそりと構築されている。


 極東魔導女学園の片隅に存在する動物広場にて、半野良状態で飼われている空飛ぶ兎達もまた、魔力の影響を受け、独自の進化を遂げた種の一つであった。


「あずさが一羽、あずさが二羽、あずさが三羽」


「白兎さんが四羽、白兎さんが五羽、白兎さんが六羽」


「いや、誰だよ。あずさって」


 思わず小夜香がツッコムも、月都や蛍子にとっては兎=あずさという強固なイメージが定着してしまっていた。


「乙葉君のメイドさんですね。兎耳が生えておられます。小夜香先輩と同じくらい小柄ではありますが、お胸はたいそう大きいです」


「そっかー。あたしみたいに身体が小さくて胸がデカイのかー」


 気を利かせた蛍子の説明。されど小夜香の表情は途端に曇っていく。


「世の中ってやっぱり不公平だよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」


「怖い怖い怖い怖い怖い怖い!?」


 何故だか巻き添えで再度凄まれる月都が怯え、それを見た蛍子がくすくすと笑う。


 月都も蛍子も外面の鷹揚さの裏に澱んだナニカを持つ者同士ではあるが、小夜香と共にいると、不思議なことにそういった類は忽然と消え失せていたのだ。


「周防先輩は何というか、俺のこと嫌わないんですね」


 それからまた暫くして、兎に人参を与えながら、身体中に毛玉をまとわりつかせる見た目幼女の先輩に、月都は声をかける。


 出会って三十分も経ってはいないはずなのだが、彼女には妙な親しみやすさがあった。


「どうして会ったばかりの奴を嫌わなきゃなんねぇんだよ。印象最悪ならともかく、割とあたしの中ではいい部類に入ってんぞ」


 一見すると口は悪いものの、それでも確固たる善性に裏打ちされたであろうあけすけな物言いは、月都に好感を抱かせた。


「蛍子の友達っつーだけで、同情枠に入るしな」


「あらあら、まぁまぁ。もしやわたくし、罵倒されております?」


 こちらも兎とたわむれながら、いつも通りのニコニコ笑顔で、ぬっと二人の間に割って入るのだ。


「よろしいです! よろしいでしょう! しかし! わたくしという豚を罵倒すると心に決めたのであれば! いっそ徹底的にシテ頂きませんと!」


 何やら頬を紅潮させて紡がれるのは変態めいた、否、変態そのものの戯言で。


「具体的には〇〇が✕✕で――」


「ふん!」


「ああっ!!」


 これ以上見た目大和撫子の変態に危なげな文言を口走らせてはなるまいと、先んじて小夜香の拳は蛍子の腹部を容赦なく穿っていた。


「もっと! もっと激しく殴ってくださいまし!」


 されど彼女はへこたれない。それどころか殴られた腹を愛おしげにさすり、ますます頬を赤らめ、興奮した面持ちでもう一度の殴打をおねだりする始末。これには付き合いの比較的長い小夜香も、比較的短い月都も、一緒くたに頭を抱えるしかなかった。


「……一ノ宮」


 怖いくらいに晴れやかな笑顔で、柵に仕切られても尚、だだっ広い原っぱに仰向けに倒れ込む蛍子を見下ろし、月都はおもむろに口を開く。


「前々から思ってたんだけどな」


「はい」


「おまえ、変態だろ」


「あらあら、乙葉君。分かりきったことをおっしゃられたところで、堪えるような身ではありませんよ♡ うふふふふ♡」


 どうやら真正の変態に変態と罵ったところで、こんなモノは罵倒の内にさえ入らないようだ。


 レベルが高過ぎる――と、思わず月都は呻くはめになった。

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