第11話 学校案内

 極東魔導女学園新学生寮。月都達が住まう旧学生寮と比較してより校舎に近い立地である。


 学園の女子生徒達が、余程の例外でもない限り通常は用いる建造物の一室。ワンフロアを丸々使った豪奢な部屋の主は、不機嫌そうな面持ちでベッドから身を起こしていた。


 服は一切纏っておらず、全裸のまま。着痩せする体質なのか、あずさに負けず劣らずの豊満な肉体がさらけ出されているも、普段はポニーテールに高く結い上げられている紫の髪が、かろうじて少女の危うい箇所を秘していた。


 全く見えないわけではない。それでも人よりは格段に見えていない視界は、姿見の中に映る己の姿をおぼろげながらも捉える。


「今日も今日とてこりることなく、まだ生きておられたのですか、わたくしは」


 憎悪に満ちた眼差しで、一ノ宮蛍子は鏡を挟んだ自分を睨みつける。


 月都達に見せる笑顔はどこにもありはしなかった。


「……だとしたところで、長々とにらめっこをしているわけにはいかないのでしょうね」


 されどこのような自己嫌悪による気休めなど断じて無駄であると、即座に思い直したらしい。否、覚醒が進むことによって思い出したという方が正しいのかもしれないが。


 ため息を一つ吐いたのを合図に意識を切り替えて、シャツ一枚だけをボタンをとめることもなく無造作に羽織り、寝室から至極苦々しげな表情で出ていった。


 いつもの日課。一日三回欠かすことなく飲むことを己に定めたルーティン。特製のお茶を摂取するために。









「よーう」


 月都は手を上げて、背の高い女子生徒を呼び寄せる。


「あらあら、まぁまぁ。お待たせしてしまいましたでしょうか?」


 二人が授業のない休日に待ち合わせ場所として選んだのは旧学生寮前。淑やかな足取りで、決して小走りになどなることはなく、蛍子は月都の傍らにまでたどり着いた。


「いや、今出て来たところ」


 現在は待ち合わせ時間の十分前。双方共に常識的には問題のない選択であるはずだ。


「そういえば、白兎さんがいらっしゃられないようですね」


 首を傾げ、蛍子は脳裏に浮かんだ疑問を投げかける。


 彼女の語った通り、いつも月都に付き従っているあの愛らしいメイドの姿がそこにはなかったのだ。


「あずさには用事を頼んであってな。今日は二人きりということになる」


 そこで月都は一歩足を前に踏み出した。


 一歩とはいえ平均以上の背丈はある男の歩幅だ。それなり以上に大きく、蛍子の至近距離にまで接近はなされていた。


「俺と二人きりは、嫌か?」


「とんでもない」


 唐突な距離の縮まり方にさりとて恐怖を覚えた様子もなく、おっとりとした態度で彼を見上げてこう答えた。


「白兎さんがいらっしゃられた方が賑やかで素敵ではありますが……一度、腰を据えて乙葉君とお話したいとも考えておりましたの」


 たおやかな笑みには如何なる綻びもない。


 起床時に垣間見せた憎々しげな表情や原因不明の不機嫌さが錯覚であったのだと思えるまでに、蛍子の優美さは鎧のごとく完成されている。






 勿論、約束通りに校舎を案内するとなれば、休日とはいえ全寮制の学園だ。他の生徒達と鉢合わせるのは最早必然であろう。


 表の世界であればともかく、月都達魔人が生きる裏の世界は男が虐げられることが当たり前。よっていつも通りの冷遇は彼を待ち受けているものの、


「少しではありますが、視線が変わりましたね」


 月都が鋭敏に感じ取った己への敵意の質の変化を、第三者であるはずの蛍子もまた的確に察知していた。


 学園にとっての異物であること自体に変わりはないのだが、彼女らの視線からは侮りといった類の感情は徐々に消え失せつつあった。


「ことあるごとに乙葉君は実力を示していますから。やはり頑なな彼女らであっても、あなたの力を認めないわけにはいかないのかと」


 侮りが消えた代わりに生まれるのは――畏怖。さらにはそんな感情を男に向けなければならないことによる、プライドを傷つけられたがゆえの醜い逆恨みなのだ。


 乙葉月都は他ならぬ男。本来は女にしか魔人にはなれないはずが、彼は他者を大きく上回る才覚で、あらゆるトラブルを切り抜けていた。


 どれだけ矜持を汚されたところで、飄々とした態度の中に時折見せる底知れなさを、畏れぬわけにはいかないのだろう。


「乙葉君はどうして、この学園にいらっしゃられたので?」


 歩くスピードは一定に。蛍子は月都の顔を濁った瞳で覗き込む。


「折角魔人としての才能があるんだから。活かさない手はないだろう」


 何をどう活かすのかまでは、流石に明かせやしない。


 元より月都は一ノ宮蛍子という序列三位の魔人を踏み台にする計画を、自らの逆襲を後押しすべく秘めているのだから。


 しかし何もかもを勘付かれていないということはないのだろう。月都は冷静に分析する。


 奇妙な親近感を覚えるこの同級生は狂気的な側面を見え隠れさせながら、それでいて聡明さをも兼ね備えているように見受けられた。決して油断して良い手合ではない。存分に警戒しておいて損はないだろう。


 けれど離れるわけにもいかないのが難しいところである。月都はあくまで蛍子と友好関係を築きたい一心ではあるのだ。


「わたくしであれば、逃げようとします。この腐った世界から。そうして、挫けます。事実挫けましたもの」


 ニコニコと笑顔を保ち、だが光の入らない瞳の奥には真剣な色があることを、月都は見逃さなかった。


「だから、ですか」


 彼の警戒に果たして気づいているのか、いないのか。もしくはそれよりも大事なナニカに囚われているとでもいうのか。一人納得したように、蛍子はうんうんと大きく頷いている。


「乙葉君はわたくし達豚とは異なる人間なのですね。見立てに間違いがなかったようで何よりです。曇った眼にしてはよくやったと、たまには褒めてあげてもいいかもしれません」


 そう、コレだ。


 あずさから聞かされていた情報。何故か蛍子は己を含めた周囲の人間を豚に、月都そのものを人間と例える。どのような基準をもってして振り分けられているのか、情報を探るべく、耳に届く淑やかな声音を聞き取ることに注力をする。


「わたくし達と違う。ゆえに自らの意志で檻の中に飛び込み、自らの力で檻を破るのですか……心から惚れ惚れとしてしまいますね」


「もしかして、だけどさ」


「えぇ」


 敢えて月都は軽い調子で尋ねる。ここで気負っても仕方がない、むしろ逆効果であることは明白であったからだ。


「あー、うん。思春期特有の自意識過剰だったら申し訳ないんだが」


 頬をかきつつ、そんな前置きを一つ告げて。


「一ノ宮はひょっとして、俺のことが好きだったりする?」


 何やら場違いな問いかけをぶつけるも、


「……そうですね」


 相槌を打ったきり、足を止めずとも長い黙考に没頭する蛍子の様子から、彼の指摘が決して的外れではなかったことは容易に伺い知れた。


「わたくしの抱いたこの想いが世間一般の恋や愛と呼ぶかは定かではありませんが」


 未だ手を唇に当てる形をとりながら、しかし口調は堂々と、それでいて清々しく言い切った。


「乙葉君に対してわたくしは特別な感情を抱いている。それは間違いないはずです」


 月都には少しずつ一ノ宮蛍子という女の内面が見えて来た。


 だが、まだ完全ではない。機は熟していないのだと、逸る心をひとりでに鎮める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る