第10話 同級生は料理上手

「お弁当を作って来てくださったのですか? ご主人様のために?」


「いいえ。乙葉君と白兎さんに食して欲しいから、ですよ」


 授業が終わり、現在は昼休み。主従は同級生の一ノ宮蛍子と合流していた。


「重箱弁当とは、随分とまた豪勢だな。俺達としては有り難い限りだが」


 風呂敷包みに入った重箱を軽やかに抱え、ニコニコと常と変わらない穏やかな微笑を、前髪で半分を隠している端正な顔立ちに蛍子は載せていた。


「以前、食事の用意に困っているとお聞きしましたので」


 その通りである。月都はレシピ通りに物を作れるとはいえ、家事に精通しているわけでもなし。一方のあずさに至っては、本人の知らぬ内に別なる生命を創造してしまえる程の壊滅的腕前であったのだから。


「わたくし元は女中として育てられていましたの。料理人であった父からも色々と習い、ほんの少しですが、料理には自信があるのです」


 いつもと同じ微笑みの中に、月都を案じる態度は確かに含まれている。


 どこか油断ならない部分こそあれど、彼女の向ける友好を月都は心底感謝していたのだ。


「折角だし、見晴らしのいいところを見繕って、そこで食おうぜ」


 だからこそ何の屈託もなく、彼は蛍子の申し出を受け入れた。


「賛成です!」


 あずさも兎耳をぴょこぴょこと小刻みに揺らしながら、全力で主に追随する。


「でしたら、おすすめの場所がありますのよ」


 重箱を携える蛍子は、迷いのない足取りで、こちらに来るようにと二人を手招きする。







 極東魔導女学園の校舎から離れたその場所は、当然のごとく人気は皆無。彼ら以外の生徒や教職員といった姿はどこにも見られない。


 だが未だ立場の弱い月都にとって、他に女がいない環境というものはむしろ心が安らぐものだ。


「おー、絶景絶景」


 吹き付けて来る春の風。決して冷たくはない、柔らかな温もりが心地良いのだ。


 日本のとある県、その山奥の結界の中に位置する極東魔導女学園。元より敷地の標高は全体的に高かった。


 蛍子の先導によってたどり着いたのは、打ち捨てられた展望台のような場所。一面の雄大な自然を見渡せる様は、月都の心に一種の感動を覚えさせた。


「綺麗な景色ですねぇ――わっ!?」


 思わず身を乗り出して景色を食い入るように眺めるあずさも、彼と同じ心境であったようだ。


 だが、彼女は持ち前のドジっ娘気質を発揮してしまい、壊れかけた柵の隙間から谷底にあわや真っ逆さまといった事態になりかける。


「ごっ、ご主人様! 申し訳ありません! またあずさは! ご迷惑を……!」


 魔人であるがゆえに死ぬことはないだろうが、それでも心配なものは心配なのだ。泡を食った表情で、僅かに顔を青ざめさせながら、月都は強引にあずさの華奢な腕を掴み、引き寄せていた。


「頼むから気をつけてくれよ。おまえはただでさえちっこくて、軽いんだから。簡単に吹き飛ばされちまう」


 はしゃぎ過ぎた自覚はあったらしく、へにょんと兎耳が垂れ下がる。


 そんな彼女を励ますように頭を撫でて、ふと後ろを振り返る。


「一ノ宮?」


 すると何やら神妙な面持ちで、蛍子は月都達主従の一連のやり取りを眺めていた。


「……あぁ、いえ」


 一定に保たれているはずの笑顔が、今この時この瞬間においては無となっている。


「お二人とも、この景色を気に入ってくださったのであれば何よりです」


 月都の視線に気付いたことで、すぐ様蛍子は微笑を取り戻す。


「一ノ宮は嫌いなのか? 高い場所が」


「え?」


「だって、足が震えてるぞ」


 けれど、やはり。何かに対する怯えがはっきりと、蛍子の内側から顔を覗かせていたのだ。


「わたくしとしたことが。これしきの恐怖は捨てたはずなのに」


 漏れ出る独り言。


 付き合いの短い月都には、彼女の発した言葉に横たわる現実を測りかねる。


「乙葉君のおっしゃる通りです。わたくしは高い場所が恐ろしく苦手なのですよ」


 胸に手を当てて、いつにも増してゆったりとした口調で蛍子は語った。


「とはいえ昔は好きだったのですがね。これくらい見晴らしの良い断崖絶壁で、よく肩車をおねだりしたりなんかして。あの頃のわたくしは、何も知らず、年相応にはしゃいでおりましたとも。忌々しいことに」









 あれ以上、今の段階で突っ込んだ質問をすることも憚られる。絶対に何かしらの闇があることは明白であるからだ。


 コレが月都とあずさの共通見解であった。整備されていない土をせっせと足でならして、その上に敷物をかける。食事を始める準備を整えることで、重くなった場の空気を一新させる魂胆なのだ。


「食事をするにあたって、一つの懸念がありましたね」


「何だ?」


「食堂で毒が盛られていたというのはお聞きしました。心中お察し致します」


「おう、そのことか。気にすんなって。よくあることだし」


 雑談のように流れていくものの、断じてそうであっていいような内容ではなかった。だが、悲しいくらいに月都は他者からの悪意に慣れきっている。


「乙葉君にとってわたくしがそうではない保証など、何一つありはしないでしょう。違いまして?」


 そこで蛍子の視線が月都の側に向き、じっと圧倒的な眼力をもってして見つめるのだ。


 視力が悪い彼女は、何かと相手をまじまじと見る癖があった。


「それは……」


「ですので!」


 言い淀む月都を、唐突極まりない晴れやかな笑顔で、蛍子は爽快にぶった切る。


「この中から無作為に乙葉君が選んだ料理をわたくしに直接あーんして頂くというのは如何でしょうか!」


「楽しそうだな!?」


「楽しそうですね!?」


 主従揃ってのツッコミを意にも介さず、ニコニコ笑顔で蛍子は月都に詰め寄る。


「さぁさぁ、乙葉君。わたくしの口にねじ込んでくださいな」


 頬は紅く染まり、瞳は潤む。


 甘い汗の香りが鼻腔をくすぐる。少しでも油断すれば、半ば強制的にいかがわしいことでもされてしまいそうな、そんな錯覚に陥ってしまうまでの色っぽさであった。


「乙葉君。どうかあーんをしてくださいませ。あーんですよ♡ 早く、早く。わたくしの口に、あなたのソレを強引かつ暴力的にねじ込んでくださいブヒブヒブヒ♡」


「やっぱ楽しんでるんだろそうなんだろう。俺には分かる」


 あまり近付かれると怖いので、一定以上の距離を踏み込ませる前に、月都が先んじて折れた。


 重箱を開けると、そこには色とりどりのおかずが。全体的には和の雰囲気に寄りながらも、洋の要素も和を侵食しない絶妙な配分で取り入れられている。


 同じクオリティのものを店で揃えればいったいいくらになるのか――そのような感想を抱きつつ、月都は箸でれんこんのハサミ揚げを掴み、蛍子の口に入れた。


「はむはむ、ごっくん」


 味わうように咀嚼しているも、いちいち品があるせいで、むしろ色気が増しているのはどういうことなのかと、本格的に苦悩を始めざるを得なかった。


「乙葉君が口にねじ込んでくれたものは何でも美味しいですね」


「言い方にどことなく卑猥なものを感じるんだが……」


「気のせいですよ。うふふふふ」


 だが、そんな彼の心中には構うことなく、蛍子は全力でこの状況を楽しんでいた。


 しかし責めることは出来ない。


 おそらく毒を入っていないことを証明するために、わざわざ自分から料理に口をつけたに違いないのだから。そこに彼女の趣味嗜好が加えられているとはいえ。


「それでは飲み物をどうぞ」


 保温効果のある水筒からは香り高い緑茶が。それは用意された紙コップに三つ、注がれる。


 やはり楽しんでいるようでいて、実際には気を遣ってもいるらしい。注いだ緑茶も先に月都とあずさに選ばせた後、残った一つを彼らよりも先に口にしていた。


 魔人である月都は毒を摂取した程度で死ぬことはないものの、毒を入れられていたという事実それ自体が、昔から頻繁にあったとはいえ、気分の良いものではないのだ。そんな彼の意思を汲んでくれているのであろう。


「わたくしはこちらですね」


 紙コップに注ぐことなく、緑茶とはまた異なる水筒から直接水分を補給する。変態性が見え隠れしているとはいえ、基本的には優美な立ち振る舞いの大和撫子である蛍子のとる行動にしては、いささか豪快過ぎるきらいもあった。


「何か違うのか? それ」


「オリジナルのお茶ですよ。原料は主にキノコですね。自分用に調整してあるのですが、乙葉君達に飲ませるようなものではありません」


 ひとまず納得の意を示すべく適当に相槌を打った後、月都はあずさと共に、蛍子お手製の弁当を改めてまじまじと眺めた。


「じゃあ、ご相伴に預かるとするか」


「作って頂いたことに感謝を! いただきますなのです!」


「お二人の舌に合えばよろしいのですが……」


 こんな風に弱気な蛍子ではあるが、味の感想は言うまでもない。美味いの一言に尽きる。敢えて付け加えるならば、最高が的確であるに違いない。


 また作って来て欲しいと懇願し、蛍子はこんなものでよければと、快く彼らの頼みを引き受けた。


「お二人はこの学園にいらっしゃられて、一週間程になられますが」


 高く結い上げられたポニーテールを揺らして、食後に蛍子はとある話題を切り出した。


「学園の構造は覚えられまして?」


「生憎ここは広過ぎる。まだまだ分からないとこだらけだよ」


 若干の嘘を含めて、月都は首を横に振った。


「でしたらどうでしょうか。わたくしがお二人を連れて、学園を案内するというのは」


 彼とあずさは互いに顔を見合わせ、目だけで語り合い、どちらからともなく今度は首を縦に頷かせたのだ。

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