第8話 スク水で入浴

 極東魔導女学園旧学生寮。生徒達が利用する新設されたものではなく、月都とあずさは人の目が届かない旧学生寮を、生徒会長の手助けを借りつつ使用している。


「うえっ……ひぐっ、ぐすん……」


「そんなに泣くなって。誰にでも得手不得手はあるんだから」


 長らく使われていなかったが、何とか生活に耐えるように近頃改装された寮の一室。二人が暮らす部屋のキッチンスペースで、あずさは涙を流し、人目もはばからずしゃくりあげていた。


「ご主人様の……お役に立てない、あずさは、いりません……っ」


 いつもはふわふわと浮かんでいる兎耳はペタンと折れてしまっている。彼女の自信の喪失を端的に表しているかのような有様。


「おまえはちゃんと自分の役割を果たしてくれている。いいや、俺にとっては側にいてくれるだけで心強いんだ」


「お掃除しか出来ないあずさを……役立たずではないと、不要なモノではないと、そうおっしゃって頂けるのでしょうか……?」


「当然だ」


 あずさがそもそも月都と出会ったキッカケは彼を監視する役割を負ってのこと。他ならぬ監視対象であったはずの彼に屈服し、首輪をつけられた今の彼女は、彼を護衛する任を主に負っている。


「たかだか料理が苦手なくらいで見捨てる程、薄情な主になった覚えはねぇよ」


 ようするにメイドとして彼に付き従ってはいるが、彼女の適性はもっぱら切った張ったの鉄火場であり、断じて家事にはあらず。


 とりわけ料理の腕は壊滅的。現に今もカレーを作ったはずが、鍋の中には形容し難い異界の物体のようなおぞましきナニカが鎮座してしまっていたのだから。


「そうだな……料理は俺に任せて、あずさは風呂掃除をしといてくれ」


 けれども月都があずさを責めることは決してない。自分だってレシピを見ることで不慣れさを補ってはいるが、家事の類を得手としているわけではないのだから。


「かしこまりました! ご主人様!」


 どんな形であれ、月都が己の存在を許容し、また命令を与えてくれたことが、あずさにはこの上なく嬉しかったらしい。


 先程までの涙はどこへやら。跳ねるような足取りで風呂場へ向かっていく。途中つんのめって床を転がっていったのはご愛嬌だ。


(……どう処理したものか)


 だが、ここに問題は一つだけ残される。


 あずさが端正をこめて仕上げたカレーもどき。どうやら生命が宿っているらしく、彼女がキッチンから立ち去った途端、うねうねと触手を伸ばしてうごめいているのだ。


「ひっ!?」


 やや遠巻きにカレーもどきを見眺めていると、彼の気の緩みに付け込む形で、触手の先端が月都を狙った。


 反射的な回避によって負傷は避けたものの、カレーもどきから宿る獰猛な気配は隠し切れていない。


「ご主人様!? どうかされましたか!?」


 バタバタ、と。慌ただしい足取りであずさが風呂場から舞い戻って来る。掃除をする過程で水を被ったらしく、ところどころが濡れ透けしており何だか艶めかしいが、今はそれどころではない月都である。


 あずさに対していつも通りの笑顔を向けつつ、ちらりとカレーもどきに視線を戻すも、そこにはもう異界の物体と思しきグロテスクな代物しか存在せず、断じて生命など宿ってはいなかったし、触手をぶん回してもいなかった。


「あー、鼠が出たと思ったんだが。見間違いだったみたいだ」


 このようにあずさの調理技能は壊滅的。彼女には悪いが、とても料理を任せようとは思えない腕前であったのだ。






 今から再びカレーを作り直すのは流石に恐ろしい。さりとて用意した食材は無限ではないのだ。必然、作り直すとすればなるべく同じ食材を使う料理に絞られる。


「ご主人様はすごいのです」


 小さな頬いっぱいにビーフシチューを詰め込んだあずさが、羨望の眼差しでテーブル越しの月都を見やった。


「本を読んだだけで、こんなにも素敵で素晴らしいものが作り上げられるなんて」


「レシピの通りだから、応用もクソもねぇわけだが」


 頭から生える兎耳と相まって、小動物めいた雰囲気を強く感じさせる、あずさ。そんな愛らしい彼女の食事風景を前に、至極穏やかな気分で月都はビーフシチューを口に運ぶのだ。


「それでも、あずさに喜んでもらえるなら、作った甲斐があるってもんだ」


「あうあうあうあうあう」


 正面からぶつけられた愛情に、思わず顔を真っ赤にうつむかせた。


「ご主人様のご飯は美味しいのです。ですがメイドとして、ただ甘えるだけの怠惰を良しとしてはなりません!」


 けれども湧き上がる羞恥を振り払って、力強く拳を握り締め、月都に詰め寄った。必然、結構な勢いであったがゆえに、テーブルも胸もどちらも大いに揺れた。


「ゆえにあずさは考えました。足りない頭で精一杯! ご主人様に尽くす方法を!」







「で」


 あずさの宣言から一時間後。食事は終わり、二人は風呂場に場所を移していた――が。


「なんでスクール水着?」


「殿方と共に入浴する際の作法だと、つい最近お聞きしたのです」


 月都はバスタオルを腰に巻いた、入浴するにあたって普通と思しき格好である。


 だからこそ銀髪兎耳ロリ巨乳メイドがスクール水着を着用していることに違和感を抱くのだ。


「誰に聞いたんだよ、そんなこと」


 自分には世間知らずな部分が多々あると自覚している。それでも書物から得た知識、また亡き母やソフィアなどから一般常識というものをおぼろげながらも、伝え聞いてはいる。


 かつて得た知識と今の状況を照らし合わせると、やはり入浴中のスクール水着は不自然ではないのかと、当初より一貫した疑問を覚えるのだ。


「一ノ宮さんです」


「……」


 知り合ったばかりの同級生がニコニコ笑顔で手を振りながら、こちらを見ている像を幻視し、慌ててそれを振り払う。


「あずさは頑張りますから! 何としてでも! ご主人様に癒やしを献上したいのです!」


 とにかく料理における失態を挽回したいあずさは、やる気だけがから回っている様子ではあるが、そこに疎ましさを抱くことはない。


 むしろ逆。そんな一生懸命さを月都は何よりも好いていた。


 さらに――、


「大きいな」


「え? 何かおっしゃいましたか?」


「いいや、独り言だ。気にしないでくれ」


 久し振りに再会し、身長こそ過去に別れた時よりもスラリと伸びたが、悲しいことに胸部の方は残念な姉と比べて、小学生と見間違うまでにあどけない外見であるにも関わらず、豊満な胸部を有するあずさ。


 そこへ肌にピッタリと張り付くスク水が加わればどうなるか――男としては目に毒であり、しかし見ようによっては蜜でもあった。







「ご主人様。初めての学校生活は如何でしたか?」


 せっせと月都の背中をスポンジと泡でこする。


「悪くないな。むしろ良い」


 その手を止めることなく、あずさは彼の背後からこのような質問を投げかけた。


「おまえと一緒に学園生活を送れる。姉ちゃんもいるし、仲良くなれそうな同級生にも会えた。現状は順風満帆といっても過言ではないだろうぜ」


「あのような輩が跋扈ばっこしていても、良かったとおっしゃられるのですね」


 振り返ることなく月都は語る。それでも、目的こそあれど、主人は学園生活そのものをプラスに捉えていることを察したらしい。


「強い、です」


「強くねぇよ。慣れだ慣れ」


 買い被られていると感じた月都。彼はあずさから向けられる、尊敬の情がこめられた呟きを即座に修正した。自分の精神が強靭であるわけではない。ただ単に回数の積み重ねによって悪意に対して敏感でありながら、また同時に鈍感になっているだけなのだ。


「あずさは今日一日ずっと、心配してくれてたんだな。俺が傷付いていないかどうか」


 ここに来て月都はシャワーで背中を流してもらっている傍ら、首だけを振り返らせた。


「当然のことです」


 そこには決意の光を瞳に宿したあずさが佇む。ただしスクール水着の違和感は未だ拭えないのだが。


「ご主人様を傷付けていた張本人のあずさが、言える義理はないのかもしれません。それでも! あずさは……ご主人様が虐げられる姿を、もう二度と見たくはありません」


「だーかーらー。何度も言ってるだろ? おまえが悪いわけじゃない。おまえを道具として扱ったあの女達がこそが真に悪い」


「違いますっ! あずさはあずさが全部悪くて――」


 勢い余って前に乗り出したのがマズかったのであろう。


 元よりあずさの重心はたわわな胸のせいで前方に位置している。床は石鹸を流していたことで非常に滑りやすくもなっていた。身体を縛る重りに引っ張られるがまま倒れ込み、振り返っていた月都の顔面に己の胸を押し付けることとなった。


「ふごぉっ!?」


「ごっ、ご主人様!? ごめんなさい! ごめんなさいなのです!」


 たゆんたゆんでふにゃんふにゃんなドデカイ物体の感触を、暫し月都は堪能する。

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