第7話 姉とメイドの修羅場

「ご主人様ー!!」


 因縁をつけて来た女子生徒三人を真っ向からねじ伏せた月都は、その足で観戦席へと向かう。


「すごいのです! 目にも止まらぬ早業! 奴らの唖然とした顔にはこのあずさもスカッとしましたのですよー!」


 そこには兎の耳と小柄な体躯に似つかわしくない豊満な胸部を共に揺らして飛び跳ねているあずさと、傍らでニコニコと微笑む蛍子の姿があった。


「おまえの見ている前で無様を晒せるわけないだろ、なぁ、先生?」


 無邪気に主人の勝利を喜ぶメイドの姿。予定調和に等しく、楽勝であったとはいえ、それでも戦闘を終えた月都の乾いた心を潤すに値する、とびっきりの愛らしさなのだ。


「ご主人様……!!」


 くしゃくしゃと、優しい手付きで月都はあずさの頭を撫でる。対してうっとりとした面持ちで、あずさは主を仰ぎ見た。何人たりとも迂闊に踏み込めない光景がそこには出来上がっていた。


「あら、あら」


 されど形成される空気感を一から十まで見切った上でズカズカと踏み込んでいく剛の者も世の中にはいるものだ。


「乙葉君の見事な腕前は、白兎さんが仕込まれたものだったのですか」


 それでいて他者に不快な思いを抱かせないのは、故意か天然かは測りかねるにしても、一種の才能ではあろうと月都は分析する。


「そういうこと。実際問題タイマンはそんなに得意じゃねぇし。あくまで護身術の域は出ないだろうさ」


「ご謙遜を」


 いつまでも触れ合っていたいのだと、名残惜しそうなあずさに対し、また後でゆっくりとな――と、小声で付け加え、月都は蛍子に向き直った。


「そういう一ノ宮だって、第二形態にまでなれるって噂では聞いてるぜ。だったら俺のヘボい近接戦なんて児戯にも等しいはずだ」


「腐っても序列三位を務めさせて頂いてはおりますからね。それなりには、です」


 和やかではある。月都が蛍子に向けるソレも、蛍子が月都に向けるソレにも、何ら敵意や悪意は含まれていないのだ。


「わたくしごときであろうとも、魔導兵装とそれに付随する固有魔法を操る第二形態までは何とか到達出来るのです。然らば、他ならぬ人間である乙葉君は当然、そうなれるのでは? いいえ、もしかすると第二形態を踏み越えた先へすら――」


 それでいて繰り広げられるのは互いの魔人としての実力の探り合い。けれども蛍子は核心に切り込む言の葉を、一旦は理性に従い呑み込んだ。


「遅くなってしまいましたが、おめでとうございます。これで無事、乙葉君は学園に留まれるようで。改めてよろしくお願い致しますね」


 パン、と。軽やかに手を打ち鳴らし、相変わらず光の無い瞳で、月都の顔をじっとのぞき込む。


「先程見せた固有魔法かどうかすら定かではない面妖なる技をも含め、あなたの本気に是非とも間近で触れてみたいものです」


「期待しといてくれや。その機会はひょっとすると遠くはないかもしれないぞ」


 言外のプレッシャーに怖じ気付くこともなく、月都は友人に対するかのように、確かな親愛をこめて受け答えをしてみせた。


「それはそれは。豚の身には余る光栄ですこと」


「――乙葉」


 蛍子が言葉を区切るのと、ソフィアが彼らの元に歩み寄り、声をかけたタイミングは完全な同一。


「話があるわ。こちらに来なさい」


 身内以外との第三者と接するのに用いる、作られた暴君としての態度で、彼女は月都を強引に引っ張っていく。


「あずさも……」


「邪魔をしないでもらえるかしら」


 心配げに眉を下げ、二人に追いすがろうとしたあずさを跳ね除けるように、煌めく金色の髪を振り返ると同時になびかせるソフィアは、拒絶の意志を明確に示した。


「先程は生徒会長として転校生に対する説明義務があったからこそ同席を許容したけれど、元よりアナタに微塵も興味なんてないもの。いえ、むしろ存在が疎ましく、邪魔であるとさえ常々考えているわ」


「――っ!!」


 濃密な殺気が混じり合う。火花のごとき鮮烈さ。本来は可視化されないはずの敵意が、されど今ここにおいて確固たる像を描いていた。


「まぁまぁまぁ! 落ち着けって、二人とも!」


「そうですよ。喧嘩は良くありません。友愛こそがわたくし達の美徳でしょう」


 これはマズイと言わんばかりに、慌てて月都は睨み合う二人の間に割って入り、蛍子も意外なことに彼の仲裁に追随する姿勢を示した。


「あずさ。一ノ宮と先に教室に行っててくれないか? 何、心配するな。すぐに戻るから」


 ひとまずは一触即発の両者を引き離すことが先決。月都は努めて穏やかかつにこやかに、あずさをこの場から遠ざけることを目論む。


「……かしこまりました。あずさは他ならぬご主人様の命令であれば、絶対に遵守します」


 含みを持たせてはいるが、首輪をつけられているあずさには、月都の意思に背く自由はない。それを抜きにしても、彼女は心から主への絶対的な忠誠を誓っていたのだから。いっそ盲目的なまでに。


「教室はあちらですよ、白兎さん。僭越ながらわたくしがご案内致しますね」


 ゆえに不満そうな色を覗かせながらも、あずさは大人しく蛍子の先導によって、二年生の教室へ一足先に向かっていった。


「姉ちゃん、あんまりあずさを嫌わないでやってくれ」


 人気の無い場所にまで移動し、そこで月都はため息混じりに姉をとがめた。


「つー君を閉じ込めてたのは、他ならぬアイツなのに?」


「そういう風に使われてたんだから。仕方ないんだって。俺を封じていたのは、あずさの意思じゃあない」


 泣きそうな顔になる姉を見て、罪悪感は募っていく。だが、月都にとってはソフィアもあずさもどちらも大切な人であった。そんな二人がいがみ合うのは、非常に心が痛むのだ。たとえ双方敵意を向け合っても仕方がない事情を踏まえていても、さらには彼女らが争う最大にして唯一の要因が自分自身であったとしても、だ。


「それと」


 人差し指を一本立てて、尚も弟を想う姉は、努めて毅然とした調子で詰問を続ける。


「どうして一ノ宮と仲良くなってるの? 初対面で下着を見せてくる相手には、簡単についていっちゃいけないって、前に言ったじゃない」


 これには場の緊迫感を結果的に無視してまで思わず苦笑してしまう月都。階段で蛍子と出会ったのはただの偶然であるとはいえ、初対面からの強烈なインパクトは、彼の脳裏にまざまざと刻みつけられてしまっていた。


「アイツは危険なの。関わるだけ損になる人種よ」


「序列上位の魔人ともなれば、大概は危ない輩だろうに」


「武力だけの恐ろしさじゃない! 周囲を巻き込んで盛大に自爆することさえ厭わない変態なのよ! それはもう、ドがつく程の変態といっても過言ではないでしょうね!」


「あー……」


 ただただ姉は自分の心と身体を慮っているだけなのだと分かるからこそ、月都としても曖昧に語尾を濁すしかない。


 元よりソフィアの懸念は至極真っ当であり、わざわざ危険人物にのこのこ近寄っている月都の方がおかしいと言ってしまえばそれまでであるのだから。


「まぁ、いいじゃん。人の趣味は人それぞれなんだし」


 優美さの裏側に覗かせる変態性、その他諸々――例えば狂気といった類――を察しつつも、蛍子との付き合いやめる理由は、さりとて月都の中には見当たらないのだが。


「それに俺は今のところ一ノ宮のことかなり好きだぞ? そりゃあ姉ちゃんが一番で、その次があずさっていう優先順位はあるし、あくまで友情とかそういった括りでだがな」


 出会ったばかりではある。関係性は同級生の域を出ず、友人にすら至ってはいない。しかし月都は蛍子に、理屈では説明出来ないまでの親近感を何故だか覚えてもいたのだ。


 それゆえに彼は突き進む。男が当たり前のように虐げられる世界に逆襲するための道筋が、蛍子との友好の先にあるのだと見て取ったがゆえに。

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