第4話 お姉ちゃんは弟が心配

 極東魔導女学園は学び舎の枠組みをとってはいるものの、その実態は魔神や使い魔との戦闘に耐える魔人を育成するための場だ。


 生徒間で意見が食い違った際は、武をもって白黒付けることが推奨されていた。


「姉ちゃん、怒ってる?」


「……怒りもするわよ。当然じゃない」


 対立した女子生徒三人のみならず、月都の従者であるあずさをも追い出して、執務室にて彼とソフィアは二人っきりになっていた。


「アイツらは私の可愛い可愛いをいじめるのよ。許してなんておけないわ」


 そう言ってソフィアは唇を尖らせる。先程までとは打って変わって子どもっぽい態度ではあるが、幼馴染にして非公式の元婚約者であった彼女の素の性格を、月都は既に知っているのだ。今更驚くことはない。


「姉ちゃんが俺のことを大事に思ってくれるのは、素直に嬉しい……だけど、魔人の世界では当たり前だろ? 男が虐げられるだなんて」


 女子生徒達の言い分は、月都にとって聞き慣れた類のものを通り越した領域にある。腹が立つというよりも前に、どうしようもない無力感がこみ上げるだけであった。


「魔導兵器や魔導兵装、固有魔法を扱う魔人には、例外であるつー君を除けば、私達女性にしかなれない。過去に一度だけ、男性が魔人になる資格を得て、魔神との戦闘の場に立ったこともあるけれど――」


「そいつは魔神に魅入られて、過去最悪の使い魔になった。しかもまだ退治されずに、世界のあちこちで人間を殺している」


 魔神は地球の魔力からひとりでに生み出された使い魔と呼ばれる存在を使役し、眠りを妨げる人間を襲わせてはいるが、彼女に魅入られた魔人が使い魔と化す事態は時たま発生するのだ。


「表の世界ではいざ知らず、裏の世界で徹底した女尊男卑の世界になるのも、仕方のないことさ」


 魔人の世界で絶対数の多い女性であれば、数の暴力によって一応は許容されるにしても、月都が誕生するまでは唯一であった魔人の資格を有する男の末路が、最強最悪の使い魔となったという史実と、そんな彼が現在も世界に対して猛威を振るっているという現実は、彼女らの思想をより強固なものへとなすトドメの後押しとなった。


「……私は、遅かったのかしら」


 暫く押し黙った後、ソフィアは悔恨に彩られた声音で、吐き出すかのように呟いた。


「遅くないよ。姉ちゃんは色々と準備をしてくれていたんだろう? 何もしなくたって、たぶん姉ちゃんは、俺をあの暗い場所から引っ張り出していてくれたに違いない」


 月都のフォローを受けても尚、ソフィアは表情を緩めることなく、あくまで首を横に振る。


「ある程度の手助けはしたけれど、つー君はつー君自身の力と意志で、監視役であったはずのあのメイドを抱き込んで、学園まで逃げて来た。いいの、いいのよ。私が未熟で、すぐにアナタを助け出せなかったことは罪ではある。だけど、つー君が学園まで来てくれれば、夕陽さんがいなくなった乙葉家にいるよりも、私の手が届く分、まだ守ってあげられるもの」


 うわ言のようであり、独り言のようでもあった。


「窮屈かもしれないけれど、それでも今の乙葉家よりは、表の世界とも繋がりの深いグラーティア家の方が、男性に対して比較的寛容ではある。いいえ、もしも魔人蠢く裏の世界そのものに耐え切れないのであれば、表の世界に居場所を作ることも出来るわ。難しいことではあるけれど、つー君のためなら、私達は全力でサポートしてみせましょうとも」


 けれどもソフィアの紡ぐ言の葉の一つ一つに、月都への温かな感情と思いやりが滲んでいた。


 だからこそ彼は申し訳なさで心がいっぱいになるのだ。ソフィアを好いていながら、その好意を己のエゴによって跳ね除けなければならないことを。


「だけど、つー君は、私の手をとってはくれないのよね?」


「ごめん」


 恐る恐るの問いかけ。だが、月都の返答は予測出来ていたらしい。ソフィアは一瞬顔を悲しみでくしゃくしゃに歪めるも、何とか平静を保つことには成功する。


「ただ勘違いはしないで欲しい。俺はずっと姉ちゃんのことが好きだ」


 姉同然の存在かつ元婚約者であるソフィアのことを嫌いになった瞬間など一度もない。


 母を亡くして以来、座敷牢に幽閉されていた月都の浮かべる第一の希望は、ソフィアそのものであった。


「姉ちゃんは何も変わっていない。ずっと優しくて、気高いまま。変わったのは、いいや、堕ちてしまったのは――俺の方」


 これまで飄々とした態度を崩さずにいた月都の面持ちに、影が差す。


「怖いんだよ、女が。俺を揃いも揃って虐げる、あいつらが恐ろしくてたまらない」


 憂いを通り越した虚ろさが、今の彼を根深く支配する。


「姉ちゃんだけだよ。アレを使わなくても、面と向き合ってこの距離で、怯えることなく接することが出来るのは」


 唇と唇が触れ合う程の距離にまで、月都はソフィアへと近寄る。ソフィアは罪悪感に満ちた眼差しで至近距離の彼を仰ぎ、月都は狂おしい程の歓びをたたえた瞳で、彼女を見下ろした。


「復讐も当然執行するつもりだけど、世界全体に対しては、直接の恨みはないのだから、逆襲ってところかな? やっぱりさ。虐げられるだけじゃない、逃げるだけでも、庇護されるだけでもない。乙葉月都の人生を俺は歩みたいから」


 監視役であったあずさを籠絡し、座敷牢から脱出。学園へ転入生という形で入学したことで、虐げられるだけであったはずの少年はついに得ることとなる。


「俺は魔人としての力全てを駆使することで学園を支配、あの序列一位さえも蹴落とし、頂点に立つ。そうして魔神への挑戦権を獲得するんだ。これが俺の人生を生きるための第一歩になる」


 自分が持つ最強の力をもってして、裏の世界でのし上がることの出来る最大のチャンスを。


「つー君が序列一位として、魔神と戦う……それは、それだけは……!?」


 一年以内には確実に魔神が起床すると観測されている今の学園、その序列一位として君臨することの意味を、分からないソフィアではない。必然、弟同然の月都を愛する彼女の顔から、血の気の全てが引いた。


「悪いけど姉ちゃんも倒すよ。だけどその後は、昔みたいにずっと一緒にいようぜ」


 月都とて理解しているはずなのだ。歴代の序列一位が他の序列上位の魔人達を引き連れて魔神と戦い、九割が死亡。残る一割が彼女に魅入られ、人類の敵対者たる使い魔と化した記録を。


 魔神と直接対峙して、人間の形をして生き延びた者など、一人もいなかった。


「あずさと姉ちゃんが仲良くしてるとこ、見たいな。あいつは出会いこそ最悪だったが、本当はすごく良い奴なんだ。心を殺す訓練を受けているけれど、殺し切れていない、姉ちゃんと同じくらい優しい人だよ」


 それらのリスクを把握していても尚、月都は夢を抱いた。自分の人生を自分だけのものにしたいのだと、当たり前のことを当たり前であるようにと願った。


「そんな優しいあずさでさえ、俺は首輪をつけないとやってけないんだよなぁ」


「――!!」


 ソフィアはもう、限界であった。あの純粋無垢な少年が、自分自身の人生という夢を追い求めるためであれば、我が身を削ることさえ厭わない、狂気に近い執念を抱くようになったのは、他ならぬ自分のせいであるのだと自責の念に駆られる。それでいて月都の望みは至極真っ当。ゆえに当初より心の内側にあったはずの罪悪感は、限界値さえ軽々と突破していくのだ。


「おっと、時間だ。あんまり長いこと話していても、不自然に思われる」


 茫然自失にも等しいソフィアを理性の海へ強引にも押し戻すのは、他ならぬ愛しい月都の言葉であった。


「行こうぜ、生徒会長。審判は頼む」


「――っ、」


 何事もなかったかのように話は終わる。後に残るのはひとまずの生徒会長と生徒としての関係性。


「……私を誰だと思っているのかしら。生徒会長にして序列二位であるソフィア・グラーティアが審判を受け持つ以上、如何なる不正をも見逃しはしない。その点においては安心することね」


 彼の夢を否定したくはない。むしろ叶えてあげたい、その手伝いをしたいというのがありのままの姉心であった。


 しかし月都の安全を第一に考えるからには、学園の頂点に立つことを望む彼とソフィアが対立することになるのは、おそらく避けられない。


 だが、月都を乙葉の家の干渉から守るためには、学園に在席してもらわなければならず、彼の入学に異を唱える有象無象は蹴散らさなければ話にすらならなかった。よって彼女はこの問題を一旦保留することにした。感情ではなく、理屈としての納得だ。

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