第2話 裏の世界

 慌ただしい足取りで、月都の側に駆けてくる少女。


 非常に小さな体格。見た目は小学生のようではあるが、れっきとした十七歳、高校生だ。最も胸の大きさはち切れんばかりであるがゆえに、そこに関してはとても子どもであるようには見えなかったのだが。


「ご主人様ー! ご主人様――わっ!?」


「あずさ!?」


 月都の姿を仰ぎ、あどけない面持ちを笑顔で綻ばせたかと思いきや、彼女はバランスを崩し、あわや階段から転落しかける。


「また派手に転んだなぁ。大丈夫か?」


「あっ、ありがとうございます……。あずさは大丈夫なのです」


 けれども、月都が即座に手を差し伸べたことで事なきを得た。


「良かったです。ご主人様に追いつきました」


 主人に迷惑をかけたことを恥じてか、顔を真っ赤に染めながらも慌てて手を離して、メイド服を身に纏った少女は姿勢を過剰なまでに正す。


 銀色の長い髪の上に兎の耳を生やした彼女の名は、白兎しらうさぎあずさ。月都の従者として仕える女性だ。


「無理してついてこなくても良かったんだぞ。生徒会長のところには、本当だったら俺一人で行く予定なんだし」


「いえ、あずさも可能な限りついていきたいのです。ここはほとんど敵地のようなものですから」


 敵地――一部例外はあるにせよ、その言葉が冗談でも杞憂でも何でもないことを、他ならぬ月都自身が一番理解していた。


「勿論、ご主人様から承ったお掃除も、ちゃんと遂行して来ましたので! ご心配なさらずに!」


 従者であるあずさが、月都の命じた決して少なくはない量の掃除を急いで終わらせた上で、自分の身を案じるがゆえにここまで追いかけて来てくれたのだと、彼はすぐ様理解した。


「わふっ」


「そうだな。折角だし二人で行くとするか」


 せめてもの感謝として彼はあずさの頭を力強く、それでいて優しく撫で回すのであった。








 階段を上り切り、城塞めいた校舎に到着。月都とあずさは女子生徒達から絶えず向けられる、冷ややかかつ侮蔑に満ちた眼差しを受け流しながら、最上階へと到達した。


「入りなさい」


 扉をノックする。間髪入れずに中から返って来るのは、硬質な女性の声音。


「失礼させてもらう」


 しかし臆することもない様子であずさを引き連れ、彼は軽々と入室してみせるのだ。


「乙葉月都。よく来たわね、ひとまずは歓迎しましょう。隣の娘は――」


 中は執務室と思しき場所であった。本棚に囲まれており、机の上には無数の書類が、されど整然と整頓されて置かれている。


「あずさの名前は白兎あずさと申します」


「私が呼んだのは乙葉だけなのだけれど――まぁいいわ。従者とはいえアナタも転校生。ならば生徒会長として、この学園の何たるかを改めて説明する義務それ自体はあるもの」


 この部屋の主たる女子生徒は、月都とあずさを順繰りに一瞥した後、改めて椅子に腰掛けたまま腕を組み、彼らに対して向き直った。


「ようこそ、極東魔導女学園に。私は学園の生徒会長を務める三年のソフィア・グラーティアよ」


 ソフィアと名乗る波打つ金色の髪を持つ女性は、名前や外見からも分かる通り、月都達と同じ日本人ではなく、海外からやって来た生徒の内の一人であった。


 極東魔導女学園の七割は日本人で構成されているが、残りの三割は世界各国から魔人の資格を持つ少女達が、特別な教育を受けるためにこの学び舎に足を踏み入れるのだ。


「アナタ達が入学した学園、ここが設立された目的は、当然分かっているわよね?」


「世界から薄皮一枚隔てた向こう側にて眠る魔神と、眠りを妨げられることを嫌い、魔神たる彼女にとってうるさい人間――ようするに人類という種そのものを排除しようと操る使い魔の脅威から表の世界を守護するべく、裏の世界に潜む魔人の家系、その子女が通うのが極東魔導女学園だ」


「正解。そして私達魔人には、大きく分けて二つの使命が存在するわ」


 質問の形をソフィアはとっているものの、これらの事実は、魔人の家系の中でもとりわけ名門とされる乙葉家にて生を受けた月都としては既知に他ならない。


「第一に人間を駆逐しようと動き、地球を構成する魔力から無限に湧き出る使い魔を抹殺すること。第二に最も魔神の影響を受け難い、魔人になる資格を有する、高校生の年代にあたる少女達を学園に集めて教育、さらには生徒同士で競わせて、数十年に一度の魔神の起床に備える」


 転校生という名目で学園に潜り込んだイレギュラーであるとはいえ、それでもソフィアは生徒会長という立場から手順を踏んだ上で、彼らに説明を授けなければならなかったのだ。


「今語ったものが魔人の最たる存在理由。表の世界の平穏を守護するために裏側へと潜むことこそが、私達の誇りよ」


 厳かな宣言と共に、一旦話は区切られる。黒のタイツに包まれた長く細い脚を、ソフィアは艶かしく組み合わせた。


「さて、魔人とは魔神や使い魔に対抗する力を有した女性のことを、本来は指すのだけれど」


「俺は例外的に男でありながら魔人になる資格がある。こんな風に、な」


 月都が指を鳴らすと、彼の眼前に呼ばれたかのごとく、一つの弓が何の予兆もなく出現する。


「そもそも魔人の家系に男が産まれることそれ自体が滅多にないのだけれど、少ない確率の中のさらなるレアケースなのよね。アナタは」


 魔導兵器。世界に蔓延る魔に対して、人類が取り得る抵抗の手段の一つ。ただし魔導兵器は生まれながらの才能により発現するものであり、退魔の祝福を得るのは女のみ。本来であれば男には扱えないはずの代物を、月都は難なく手にしていた。


「私としては魔人である以上、男であろうともアナタの入学に反対はしないけれど、よく今の状態の乙葉家が許したものじゃない?」


「許してはいないだろう。あずさと一緒に逃げて来たようなものだし」


「……その話は追々聞くとして」


 これ以上はデモンストレーションとして展開させる意味もないので、月都は虚空に己の魔導兵器をしまい込む――が。


「――!?」


 それまではメイドとしての本分を弁え、黙して月都の傍らに侍っていたあずさが、途端に血相を変え、彼とソフィアの間に割って入った。主人を庇う形だ。


 理由は至極単純。彼と入れ代わりのように、これまでとはまた異なる種類の剣呑な表情をもって、ソフィアが銃剣型の魔導兵器を展開させたからに他ならない。


 けれども、月都は動じることなく、それどころかあずさをなだめるかのように、背後からポンポンと肩を叩く。


 思いもよらぬタイミングにおいての主からのスキンシップを受け、あずさが思わず気を取られている間に、ソフィアの手に握られた銃剣から放たれた光は、きっちり月都達を避ける形で背後の扉を貫いていた。


「そこ。聞き耳を立てるくらいなら、中に入ることね。それとも何? 私には言えないような後ろめたいことでもあるというのかしら」


 最初から月都は知っていたし、気付いてもいた。


 生徒会長ソフィア・グラーティアが少なくとも自分に対しては一切敵意を抱いていないこと、さらには聞き耳をたてる不届き者達に苛ついていたこと。これら二点についてを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る