十二、施条

 昨年末、三家老の首が差し出されて終わりを迎えたはずの長州征伐は、しかし、倒幕を唱える高杉晋作が奇兵隊ら諸隊と共に挙兵して、藩政を掌握したために、状況は一変。幕府は長州藩主親子の出頭を求めるが、長州は応じず、ついに先月の閏五月、将軍家茂が上京するに至った。

「長州藩主毛利は、昨年に征討軍へと反省と謝罪を申し出たにも関わらず、藩内の逆徒は再発し、加えて、幕府に隠れて藩士を国外に渡航させ大量の武器を購入した上に、密貿易まで行なっている。そのため、征討する」

 と、朝廷に言上し、大坂へ下ったのだが、あれから一月が経とうというのに、情勢には何の動きもない。老中方としては、家茂が大坂まで下ったとなれば、毛利親子は恐れをなして出頭してくると考えていたのだが、長州藩からの服罪使は一向に訪れないのだ。

 加えて、薩摩は征討に消極的な態度を貫き、さらには江戸京都からの藩兵の引き上げも計画しだした。薩摩に対する老中方の不審を受けて、会津も、老中方との関係をより重視せざるをえず、薩摩と密接な関係を保てなくなっていた。

 そんな六月二十三日、ようやく、老中方は朝廷の許しの下、岩国領主吉川経幹らに対する大坂への出頭要請を芸州藩主浅野茂長に命じることになった。


「ばってん、そいでんなお、毛利公親子の大坂に来らさんかったら、ばい」

 清原は黒色火薬を小さな竹筒に量り、早合の紙筒に流し込むと、千歳へと渡した。千歳は紙を捻って封をして、その先端に鉛玉を包みながら答える。

「実際、お出でになると思われますか? 動かないってだけで、御公儀の威信を下げられるんです。高杉晋作。僕だったら絶対、好機と捉えて高みの見物を決め込みますよ」

「じゃ。決め込まれよったら、戦争たい。こげなこつになる前に、早かとこ長州ば取り潰すべきだったばいね。そいか、択捉島にでん領地替えばして、北方警備ば当たらせるんもよかばってん」

「択捉……ですけど、周りが海なので、異国から武器がいくらでも買えてしまいませんか? だったら、出羽の山奥とか──」

 言いかけて、咳にせる。先日は不意のくしゃみで黒色火薬を吹き上げ、叱られているので、袖に鼻と口とを押し付けて、息を殺しながら耐えた。啓之助が作図の手を止めて、作業台の向こうから顔を上げて案じる。

「君、夜中も咳してたけど、本当に大丈夫?」

「うん。なんか、鼻風邪は治ったんだけど、喉の方が今ひとつで。あ、ごめん。てことは、起こしちゃったんだね」

 南部による毎朝の診療と医学講座は、一月を経て隊内の患者数が減ったこともあり、先日、ひとまずは最後の日を迎えていた。講座後、南部は、いまだ咳の引かない千歳へと薬包の詰まった小箱を渡し、飲み切っても回復しない場合は木屋町の診療所を訪れるように告げた。

 薬湯の効果か日中に咳き込むことはなく、お陰で歳三にも気付かれずに済んでいるわけだが、砲術蔵の埃っぽさや夜気に当たると、やはり咳き込んでしまうらしい。

「だけど、僕、ホント、八つのころから寒さと粗食に耐える生活してたし、熱に寝込んだこともないんだけどな」

「だけど、先月──先々月?」

「あれは、皮膚病だもん。熱は出してない」

「酒井くん、ばってん、油断は禁物ばい。風邪ひいたこつのなかモンは、ひき始めがこまんか兆しば気付かれん。養生はいつでん肝心たい」

 清原が笑って、火薬を詰め終えた早合を手渡す。千歳が受け取る返事に合わせて、啓之助が思い出したような声を挙げた。

「言いますよね、馬鹿は風邪ひかない。だけど、本当は馬鹿は風邪に気付いていないだけだって!」

「うるさい、君はそっちに集中しろ」

 千歳は顔も見ずに答えた。作業台を挟んで向こうでは、啓之助と阿部が会津藩より貸し出された新たな銃の寸法を計測し、絵に写し取っていた。

 英国製のエンフィールド銃は、銃身の内腔に施条しじょう、すなわちライフリングが施されており、滑腔の銃身を持つゲベール銃よりも格段に命中率が高まるという。啓之助は、施条の角度を魚拓に取ろうと、銃腔に筆を突っ込んで墨を塗り、紙を壁面に押し当てるように入れ込んだ。

「──よし、見て!」

 紙を引き出し、広げて見せる。緩やかな角度がついた直線が幾本か、白く浮き上がっていた。千歳は目を細めて数え上げる。

「一、二、三……五本、あるね」

「そう、五条さ。施条は真っ直ぐ、平行に引かなきゃいけない。かなり技術が要るから、改造は簡単じゃないんだよなぁ。玉は鋳型を変えればいいだけなんだけど」

「ふうん」

 千歳は木箱の中に転がる鉛玉を取り上げてみた。今まで見てきたゲベール銃用の玉は完全なる球形をしていたが、手の内の玉は円筒型をしており、先端は丸く、底部には小指の先が入るほどの窪みがあった。椎の実弾というらしい。

「えっと、この底の部分が発射の熱を受けると、鉛が溶けて膨らんで、銃身の中で施条の溝にぴったりはまる。それで、溝に沿って回転しながら玉が飛ぶ……んだよね?」

「そうそう。回転が弾道を真っ直ぐ安定させる。大筒はさ、ゲベールと同じく砲身が滑空だから、弾道は抛物線パラボラを描く。だけど、山形やまなりより直線の方が飛距離も少なくて、威力のあるうちに的に当たるでしょ?」

 啓之助は山形の弾道と直線の弾道の違いを指先で描いて見せるが、千歳にはそれ以前の理解が出来ていないのだ。

「そもね、僕、なんで回転すると真っ直ぐ進むかわかんないんだけど」

「力学だね。独楽こまはどうして一本足なのに立つ? 回っているからさ。回っているあいだ、力は足を軸にして、外側、つまり前後左右均等に散じるから、どこか一方に傾くことなく立つ。回転が弱まれば、ぐらついて、やがて止まれば倒れるでしょ?」

「うーん、だから、この玉も飛びながら回ってるから、右や左やに弾道がズレることなく、直進するってこと?」

「うん、そうそう」

 千歳は鉛玉を逆さ立てて指先につまむと、どんぐり独楽のように回してみた。しかし、節や木目の凹凸激しい作業台の上では上手く回せず、落ちて床に転がってしまった。机の下に潜って拾い上げると、阿部の冷静な声が降りかかる。

「作業場で遊ぶな」

「はい、すみません」

 厳しい物言いのとおり、阿部は真面目で神経質な気質を持つが、それは鉄砲の腕前に大いに貢献していた。エンフィールド銃の試射の結果は十発中九発。狙いも定めやすく、射撃時の反動に筒先が揺れることも少ないと評した。

 しかし、阿部の腕前はゲベール銃でも命中率九割以上なので、撃ち方は千歳へと回ってきた。いつも使う近江のゲベール銃よりもわずかに重たい銃身を受け取る。歳三に隠れて、砲術方の稽古を受けること数回、千歳の命中率は、三割にまで上がっていた。

 早合の先端を切り、筒先から火薬を流し込む。残った玉を取り出して、窪みのある底部から銃口にはめる。ゲベール銃の玉は銃の口径とほぼ等しく、早合の紙と一緒に突き込むため、力と時間を要するが、椎の実玉は口径よりも小さく、槊杖カルカで突き込む前に奥まで落ちていた。槊杖を銃身下部の収納に戻すと、十間先の的に向かい半身に開き、構えた。

「手際の良かこったい。ん、ばってん、まちぃと筒先は上げんね」

「はい。──撃ちます」

 十発撃って、命中は五発。さらに一発は的の角を弾いたので、施条の効果は実に二倍近くあると言っていいだろう。


 試射を終えると、鋳直して再利用するために玉拾いが行われる。盛り土に埋まる椎の実玉は、ゲベール玉よりもずっと深くにあった。掘り返しては、小籠へと入れた。啓之助が玉の土を払いながら、千歳へと差し出す。

「見て、この胴。線が付いてるでしょ。これ、施条痕っていうんだ。玉が施条にみちっと張り付いて発射された痕」

「あ、螺旋だ。へぇ、本当に筒内で回ってるんだぁ」

「これが身体にめり込んでくるだなんて、想像したくもないよね。南部先生に玉の摘出とかも教わっとくべきだったかな」

 気付けば池田屋事件から一年が過ぎて、もうすぐ七月がくる。大火から一年。

「また、戦争になるのか……」

 どこかの町が焼かれ、誰かの親兄弟が死ぬのだ。あってはならない。しかし、政治的状況を踏まえて考えれば、現在の長州の藩政は、高杉率いる逆徒に乗っ取られており、京都を焼いた反省を表することもしないのだから、これを見逃すわけにはいかない。

「戦争は……仕方ないよな。あるべきじゃないけど、仕方ない……」

 盛り土の奥深くから、まだ熱を持った玉を掘り出した。

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