十一、慰め

 女である自分は嫌いだ。しかし、女という存在は、千歳を惹きつけて止まない。千歳は既に恋心を知っている。

 君菊からの文は、三通ほど溜まっていた。二階の衣装箪笥に投げ入れたまま、開いてもいない。歳三が実のところ、何のつもりで君菊を身請けしようとしているかはわからないが、いずれにしても、仙之介としての恋愛はもう続かない。

 しかし、これは恋愛と言ってよいものだろうか。物事の名称が、世間に認識される存在に対して与えられるのだとしたら、この恋愛には、名前がつかないと思われる。

 男が男を愛する恋愛のあり方は、男色と言われる。男色と対になる言葉は女色。ところが、その意味は、男が女を愛する一般の恋愛であり、女が女を愛する恋愛のあり方ではない。男は男女を相手に恋愛するが、女は男に愛されるのみだ。

 千歳はそれをつまらないと評しながら、女へと恋心を向ける。ならば、自分は本当に仙之介なのか? 違う。自分はやはり、おかしい奴なのだ。

 けれども、美しいものに惹かれることは人間のさがだと考えれば、美しい男子よりも美しい女子の方が多いのだから、当然なのではないかとも思い当たる。

 試しに集会堂の廊下に座り、隊士たちを眺めてみた。汗によれた襟を掴んで風を送りながら歩いたり、褌一本で大の字に寝ていたりと、近付かずとも、その臭いを感じ取れる有り様で、見ていたくもない。これを恋せよだなど、無理難題だ。

「……仙之介くん、どうかしたの?」

 困惑の声に顔を上げると、稽古着を諸肌脱ぎにして、首に手拭いを掛けた五郎だった。稽古終わりに頭から水を浴びたのか、上半身は汗とも水とも分からずに濡れている。友人としては申し分ない男だが、美しさは認められない。

「女は、かわいらしくて良い匂いがするってのに、男って奴ぁ……」

「い、今だけだぞ、そんなこと言ってられるのは! あと二年もすれば、君もこっち側に来るんだからな!」

 耳を赤くした五郎は、頬の汗を拭いながら堂内へ入って行った。そちら側へ行けたなら、どれほど良いか。千歳は気怠く立ち上がって、書院棟へと戻った。


 夜、千歳が副長居室と北隣の納戸の間に、それぞれ布団を敷き、蚊帳を吊るころ、伊東と啓之助が北野での会合から帰って来た。行灯を敷居に寄せて、啓之助を出迎える。夜は襖を開け放ち、夜咄の末に眠るようになっていた。

「神保さま、お元気だった?」

「うん。だけど、さすがにご多忙みたい。ご無事のご上洛叶うといいけどね、大樹公」

「……今度の戦争は、どうなるのかな」

「さあね。仕方ないよ、長州が大人しくしないんだから」

 啓之助は面倒だと言わんばかりに、脱いだ着物を衣桁へと掛けていった。

 昨年末、長州は禁門の変への謝罪として三家老の首を差し出した。長州征伐は回避されたはずだったが、高杉晋作率いる討幕派が蜂起して藩政を掌握。幕府は将軍家茂を大将として、再びの長州征伐を決断した。

 家茂は大坂城にて指揮を執るため、道中である京都へは一泊して参内するのみだったが、上方一円では、淀川の荷船が一切の通航を止められたり、京坂の行き来が制限されたりと物々しかった。

 浴衣に着替えた啓之助は、角の柱にもたれて座ると、君菊が千歳から返信がないことを心配していたと話した。

「副長が身請けしたいって言ったから?」

「君菊から聞いたの?」

「うん。まあ、まだ決まった話じゃないみたいだけど」

「そう。本人に心当たりあるんなら、もういいでしょ。仙之介との関係はもう終わり、だから文は出さない」

 千歳は顔を隠すように蚊帳の中へと入り、枕の上に組んだ両腕を乗せた。敵意を隠しもしない物言いにも、啓之助は怯まない。

「ねぇ、お仙くん。あの子のこと、本気で恋してた?」

「……少なくとも、僕はそう思ってた。ふん、ありえないでしょう? 女が女を愛するなんて」

「え、『お仙ちゃん』として好きなの? 仙之介としてじゃなくて?」

「どっちだっていいんだよ、そんなこと。どっちだって、僕がおかしいんだから」

 あふれる涙に気付かれないように、枕へと顔を伏せた。自分はおかしな奴で、そうと自覚しながら、改めようともしない。

「本当に自分が嫌い。どうして真っ当なフリだけでも出来ないんだろう。わがままで不機嫌で……屁理屈ばっかり……」

「誰だってそんなもんでしょう? 十代なんて」

「五郎くん見てみろよ。あの人、いつでも素直で穏やかじゃないか」

「いやぁ、でも、俺見てみなよ」

「真っ当じゃない奴代表は黙っててよ。下を見たって、しょうもない!」

「うわぁ、悪口ぃ。副長に言い付けてやる」

 歳三を出された千歳は、うめき声と共に脚をばたつかせた。啓之助が呆れた声で尋ねる。

「副長、何がそんなに嫌? 君のこと、思ってくれてるじゃ──」

「そんなこと、わかってるよ!」

 愛そうとしてくれているとはわかっている。千歳が、その愛し方を気に入らないと拒絶しているだけなのだ。男女の別も、親への忠孝も、およそ世の中の理に背く自分が悪い。

 喉が痛いほど熱くなり、涙は止まらなかった。袖で口を塞ぐ。納戸の間の隣には伊東がいるので、聞かれないように声を押し殺さなくてはいけない。

「僕が悪いんだ。自分から会いに来たのに……面倒見てもらってるのに、あの人のことを愛そうとしない……」

 蚊帳の中ですすり上げる千歳に、啓之助はそれ以上の質問を重ねなかった。太鼓楼が亥の刻を告げる。襖を隔てて、伊東が布団を敷く音が聞こえた。

 千歳の息遣いが落ち着きを見せたころ、啓之助が迷うような声で尋ねる。

「ねぇ俺、慰めた方が良い?」

「なにそれ、慰めれるもんならさっさと慰めてよ、馬鹿。許可なんか取る? 普通」

 八つ当たりしながらも顔を上げれば、蚊帳越しには、ごく真面目な、同時に耐え忍ぶような顔が見返してきていた。

「お仙くんのそういう根性曲がりなとこ、嫌いじゃないよ。俺、ホント、こういうの苦手だから、あんまり期待しないで欲しいんだけど、まぁ、頑張りますね」

「どうも、お願いしますよ」

 そのまま、啓之助は腕を組みながらうなり、不機嫌にも見える半眼で千歳を斜に捉えた。

「えっと、お仙くんはさ、そもそも、親を愛せないことは悪いことって思ってる?」

「何言ってるの……? 不孝の極みに決まってるじゃない」

「えー、でも俺、父さんのせいで、すっげぇ迷惑被ってるし、だから好きじゃないって気持ち、おかしい?」

「それは……ううん」

「でしょう? お仙くんの苦労だって、しなくてよかったことじゃないか、父さん母さんがもうちょっと、ちゃんとしてたら」

 千歳が腕の下にある枕をひっ掴んで投げ付けた。啓之助はとっさに両腕を頭にかざすが、枕は蚊帳を揺らしただけで、畳に跳ねて、布団の上へと戻った。

「び、びっくりしたぁ! なんだよ、急に!」

「──あの人はどうでも、母さまは違う! 私のこと、愛してくれた、ちゃんと!」

 千歳がいきり立つと、啓之助も壁を叩いて応じる。

「だぁから! 愛してくれた事実と、君の生い立ちが最善だったかの評価は別だろうが!」

「でも、母さまは……母さま、あぁ……!」

 声を抑えることはできなかった。膝を着き、突っ伏して泣く。

 志都と歳三が別れなかったら。志都が、千歳の存在を歳三へと伝えていたら、千歳の父は歳三だと教えてくれていたら。もう少しだけでも、千歳の面差しが歳三と似ていたら──

 兵馬が志都を人の女と言ったとおり、兵馬は志都を愛していたはずだ。だからこそ、明練堂の女将は、志都の死後、志都と同じ顔をした千歳が娘の格好をすることを許さなかった。「仙之介」とは、初めから千歳を否定するために与えられた役名で、今なお作用しては、千歳を惑わす。

「どうすれば良かったって言うの? 僕、無理なんだよ、今更……!」

 啓之助は、千歳の立て籠る浅黄の蚊帳の内には入らない。副長居室と納戸の間の鴨居の下で、脚を投げ出して座っている。

 千歳にとって歳三とは、血のつながりはあれども、義父に近い存在なのだろう。ちょうど千歳と同じ十五の年に、義母との確執が高潮に達していた啓之助には、千歳の心労はよくわかる。未だに、机に縛り付けてきた義母のことを許していないし、その怒りは正当なものだと思っているために、自らを責めたりもしない。

「俺も、お仙くんが副長に対して怒るの、当然だとは思うよ。だって、この前まで後見って言ってた人が、急に自分こそが実父だって言うんでしょ? 馬鹿言うなって、誰だって思うさ」

 けれども、後見といっていたころの歳三も千歳を案じていたと、啓之助は知っているのだ。昨年末の暗い土間で交わした言葉を思い出す。静かに生きてほしいと願い、されど、洋学を取り上げるつもりはないと言った。

「君菊のことだけど、副長、たぶん、君の話し相手に引き取りたいんじゃないかなぁ」

 千歳が両手で頬を擦りながら、顔を上げた。

「どういうこと……?」

「女の子の友人を与えようとしたんじゃないかってこと。君の仲良しさんを、妻妾として囲うなんて配慮ないまね、絶対しないでしょ、あの人」

「──いつも勝手だ、そうやって! 僕が喜ぶとでも思ってるのか?」

 再び枕が引き掴まれて、啓之助は身構えるが、千歳はそれを布団に叩き付けただけだった。

「ホント、腹立つ! 雛の餌やりじゃないんだぞ、馬鹿にしてるのか! ホント、嫌い! 大っ嫌い、だ!」

 何度も腕を振り下ろし、息を切らした千歳は、布団の上に身を投げ出した。呼吸を整えるうちに、少しだけ落ち着きを取り戻す。

「……このように怒ることは、悪いことではないのでしょうか?」

「ないと思いまぁす」

「そうですか」

 大きな一息と共に上体を起こした。首の汗を拭う千歳に、啓之助は蚊帳の端から団扇を差し入れる。

「親ってさぁ、なんか勝手に気負うよねぇ。あなたのためなのよってさ。鬱陶しいこと、このうえないよ。わかる、わかる」

「うん……鬱陶しいんだ。口うるさくてさ。余計なことばっかり聞いてくるくせに、大事なこと言わないし」

「押し付けてくるしねぇ、あれが大事、これはダメって」

「本当に嫌、なんなんだろうね、あれ」

 子の刻の鐘が遠くで鳴るまで、啓之助は千歳による不平不満をひたすら聞いてくれた。啓之助も父や義母、乳母からの理不尽な扱いを話した。お互いに、親とは厄介なものだと慰め合ったことで、千歳の心は少しだけ軽くなった気がした。

 翌朝、歳三は伊東から、昨晩の千歳がまた何やら猛っていたとの報告を受けた。

「三浦くんが宥めてくれてたみたいですが」

「そうでしたか。すみません、夜半に騒々しくして」

「いえ。なんと言いますか、その、大変ですね」

 部屋の近い伊東には、図らずもおおよその事情が知られているらしい。労いの言葉に、歳三は苦笑いで返すしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る