十五、父とは

「そいで、今晩はどういったご用で」

 八畳間の奥座敷に通された歳三の前に現れたのは、鋭い目付きをした和尚で、歳三による挨拶と京土産の受け渡しには目もくれず、本題を催促した。還暦を前にした和尚の眉は白毛が混じるが、手には剣ダコが見えた通り、武道に通じた精悍な老僧だった。

 歳三が、酒井志都の娘をと話し始めると、和尚は刀を帯びていたら、既に手を掛けているほどの気迫で尋ね返す。

「千歳がなんですって?」

 一年半前の秋に、義兄を通じて千歳の来訪を尋ねられたとき、知らぬと答えて以来、連絡すら寄越さなかった自分にこの態度となるのも無理はない。

「お知らせ遅くなり、相すみません。千歳ですが、当方で預かっておりまして、病気もなく元気にしております」

 歳三が手を着いて述べると、和尚は突然に張り詰めた緊張を解き、節くれだった手で丸めた頭を叩いた。

「ほ、ほんなことなら、早う言っとくれんとー! いやぁ、一昨日、あんたから話があるなん、突然、文が来るもんだから、もう胸が治らへんかったわ。千歳に経でも上げんとかんよになっとるかと思って!」

「それは、その、誤解を招きまして、申し訳ない」

 歳三は重ねて無沙汰を詫びたが、和尚は茶を勧め、改めて京土産の礼を言い、歳三の来訪を労った。

「聞いとるよ、京都での活躍。今回は新入隊士、募っておいでるだてね。忙しいのに、わざわざ挨拶に来てくれて。ほうか、元気か。千歳は」

 和尚は目頭を押さえ、三年前に千歳を預かった話を始めた。


 文久三年の一月二十八日。夜半、忙しく叩かれる正門を開けると、赤い振袖に小刀を抱えた裸足の娘がいた。その面差しから、兵馬より頼まれていた志都の娘だと、すぐに知れた。

 半月後、前庭の掃除を任せていた千歳の悲鳴に本堂から飛び出すと、初老の女がガラの悪い男三人に命じて千歳を取り押さえさせていた。和尚は男をなぎ払い千歳を助けたが、明練堂の女将という女は悪びれもせずに、自分の孫を連れ帰りに来たと言った。

 和尚は、兵馬の遺言書を突き付け、千歳が歳三の子であること、今後は浄土寺が身柄を預かることを証し立てると、女将たちを追い返した。しかし、女将はその後、二度に渡り千歳の誘拐を企てたので、千歳には少年の姿で小刀を帯びさせ、寺から出さないようにしていた。

 千歳は歳三のことを何度も尋ねた。和尚が教えずにいると、寺を抜け出して、佐藤家まで訪ねた。京都にいると知ってからは、会いに行くと言って聞かなかった。


「供に付けれる者もおらんでのぅ。ほうしとるうちに、ワシが泊まりの法要へ出た隙に、『世話になった』の書き置きだけで消えてまって。はぁ、ほいでも、生きとってくれて良かったわ」

 和尚が千歳の現在を尋ねたので、歳三は、町方に借りた家に住まわせていると答えた。

「よく働く良い子です。特に裁縫が上手で。本も好きですから、友人とよく読んだ本の話などをしています」

「ほうか、変わらんのぅ。あん子は、兵馬さんに漢籍を教え込まれとったからの。裁縫はお志都だのぅ。よう似とった、お志都がこの寺に来ておったのは、一二歳だったか。十三の秋には、明練堂にもらわれてったからのぅ……」

 志都は奥殿藩の下屋敷に生まれたが、その父、酒井余三郎は酒癖が悪く、ついには喧嘩の末に上役を川へ突き落としたために、家を出されることになった。余三郎は、彼の剣術師範に志都を預けて、三河の地へ戻った。その師範の構えていた北辰一刀流の道場が浄土寺の近くにあったため、志都は時折、寺へも手伝いに来ていた。

「……奥殿でしたか、その言葉は」

「うん。ワシも余三郎も、若い頃に三河から出て来ておる。お師匠さんは、飛び地の龍岡──信濃からだけどの」

「お会いすることはできるでしょうか?」

「お師匠さんは、随分前に亡くならった。余三郎の方は知らん。一度も頼りがあーへんだ」

 和尚が饅頭を出そうと言って席を外している間、歳三はここ一年半、ずっと抱きながら、触れずにいた疑問を思い浮かべていた。

 千歳から聞くに、志都は千歳の父を明かさなかったらしいが、兵馬は千歳の父を歳三と遺した。志都にとって、千歳の父が歳三であることは、伏しておきたい事実、もしくは、なかったことにしたい過去だったと考えられる。

 やはり、志都は心の内では兵馬を愛していたからだろうか。最後、触れることすら拒まれたのは、そういう意味だったのだろうか。

 饅頭を盛った皿を三方に乗せて、和尚が戻ってきた。歳三へ取るように勧めるが、歳三は手を床に着く。

「かようなことをお聞きして、大変恥ずかしいのでございますが……誠に、千歳は私の子なのでしょうか?」

 和尚はにこやかだった顔を曇らせて、大きくため息をつきながら首を振った。呆れではなく、わからないとの意味だとは伝わっている。

「文書の上では、あんたの子だ。しかし、ワシは……やはり、兵馬さんの子だと思っておる」

「……なぜですか?」

「兵馬さんが亡くなったら、千歳の主人は女将になってまう。千歳を女郎屋に売る計画は兵馬さんも勘付いとったげな、千歳をこの寺に預けると遺言状に記した。ほいでも、千歳が兵馬さんの子であれば、女将は養祖母となって、やはり、千歳を売ることができるでの」

「だから、私の子であるとして、千歳を守ろうとした……?」

「ほうだげなの。どっちにしろ、これを代官所に出せば、千歳の父はあんたと認められる」

 和尚は懐から、封書を一通取り出した。兵馬の遺言書だった。

 歳三は手に微かな痺れが走るのを感じながら、封書を開いた。文には、千歳が嘉永四年の春、日野石田村の歳三と、明練堂婢女の志都との間に生まれた娘であると確かに記されていた。

「生まれた日は、わからないのですね……」

「生まれた日?」

「正月か二月の頭でしたら、私の子だと言えていたと思います」

 もっとも、そのころの生まれであっても、歳三の子だと確定には至らない。微かな憎しみを勘付かれたのだろう。遺言書をどうするつもりかと尋ねられた。

「歳三さんはもう、名も通っておいでるで、出せば文句なく認められるわ。……あんた、出されるかん?」

 歳三は答えられずにいた。どうするか。千歳は歳三を父と受け入れるだろうか。娘として迎えたとして、その身は京都に留めるか、それとも、多摩に戻すか。新撰組副長の実の娘となれば、政略結婚として大変価値が高い。しかし、千歳の頑固さを考えれば、外へやるよりも──

 歳三が言葉を返さないのを見て、腕を組んだ和尚が先に口を開いた。

「歳三さん、しかし、千歳は帰しておくれんか?」

「それは……」

「兵馬さんに頼まれとるだ、あん子を守っとくれと。ここでは、兵馬さんもお志都も祀っとるし、京都より、ずっと伸びのび過ごせるもんで」

 歳三の目に、五郎たちと三人で笑い合う千歳の姿が浮かぶ。ポトグラフイを撮り、雪投げに興じ、英語を話し、信頼を置き合う。友人と共にいるよりも、伸びのびと過ごせる場所などないはずだ。

 歳三は兵馬の遺言書を傍へ置き、和尚へと手を着いて願う。

「和尚さま、どうか、千歳は私の許で育てさせていただきたい」

「歳三さん、千歳を愛しておるだか?」

「無論です」

「何として?」

「何と……?」

 再び言葉に詰まる歳三へ、和尚はこれまでの世話を感謝しながら、やはり、千歳を帰すように言った。

「あんたもお忙しい身だで、親子の届け出も、全てこちらでやっとくよ」

「和尚さま……!」

 兵馬の文を取ろうと伸ばされた和尚の手を、歳三は思わず右手で遮った。

「和尚さま、私は千歳を娘として愛しております。不自由させはいたしません。どうか──」

「率直に聞く。お前さん、千歳の父になる覚悟があるだか? お志都の形代に、あの子を使っとらせんか?」

 歳三の額に冷や汗が流れた。千歳の容貌は志都を思い起こさせる。しかし、決して、志都に抱いた思いを千歳へ向けてはいない。志都と千歳とが、いかに見た目が似ていようと、それを取り違えたりはしない。

 そう言おうとしても、胸には貫かれたような冷たさが満ちる。歳三は和尚の厳しい視線をただ受け続けることしかできなかった。しばらくの沈黙があったあと、和尚が構えていた気を解いた。

「歳三さん。千歳には、千歳の一生があるだに。帰しとくれんさい。あん子はお志都じゃあらせんだ」

 歳三は姿勢を崩さず、大きく一息を吸うと、座布団を降りた。手を着き、再び深く頭を下げる。

「機会を、賜りとうございます。千歳と、親子として歩む機会を」

「血のつながらんでもか? 兵馬さんはあんたの名を都合よく利用しただけかもしれんぞ?」

「それでも、兵馬さんが千歳を守ろうと私の名を出したのならば、私は……私が千歳を守りたいのです」

 和尚が迷いを含むため息をついても、天を仰いで腕を組む気配を見せても、歳三は頭を下げ続けた。

 和尚は無言で兵馬の遺言書を畳み、封にしまった。そして、歳三へ顔を上げるように言うと、封書を歳三の前へ差し出し、一年だけ待つと言った。

「一年後にはこちらへ戻るよう、千歳には文を書く。良えか?」

「ご温情、感謝いたします。しかし、もし一年後、千歳が京都へ残ることを望んだ場合は、引き続き、私の許へ置いてもよろしいでしょうか?」

「ああ。ほいだが、側に置くんなら、ほれは、あんたの娘としてのみだ。これだけは守っとくれんさい」


 歳三は本堂にて心経を唱えると、浄土寺を後にした。納めようと持参した志都の供養料は、千歳に使ってくれと返された。

 夕方には、宿所の日野宿本陣へ着いた。夕食後、姉夫婦の部屋を訪ね、話があると切り出す。二年前の上洛のさい、帰ったら祝言を上げると残してきた許嫁の琴についてだった。

「俺はしばらく……いや、たぶん、一生、京都にいることになると思う。だから、婿入りの話はお断りしてほしいんだ」

 昔から歳三のわがままに手を焼いてきたため、彦五郎の顔色は、自身の伝手で得た縁談を断りたいとの申し出程度では変わらなかった。

「まあ、そう急くな。あと二年くらい様子を見てだな。先方とは、お琴をお前の嫁に出して、親戚から養子を取ろうかとも話してるんだ」

「兄さん、知らねぇ土地で、なかなか帰って来ない旦那を待つ暮らしはさせられねぇよ。お琴さんには、今日明日の生命なんて心配のない落ち着いた人と結婚してほしいんだ」

 歳三の目には、譲らない意志が見えた。彦五郎が徳を見遣るも、徳は降参と静かに首を振っていた。

 歳三が寝室とする本棟の八畳間に戻ると、程なくして、徳が訪ねて来た。破談を願ったことへの説教かと身構えたが、徳は脚を崩して楽に座る。

「歳三、向こうで好い人でもできたの?」

「違うよ、そういうことじゃないさ、別に」

「好い人、いないの?」

「俺を好いと言ってくれるのはいるよ。花君大夫とか──」

「はいはい、モテ自慢は十分聞いたから」

 徳が耳に手を持っていく。苦いものでも食べたかのような徳の表情に歳三が吹き出すと、徳も声を立てて笑った。歳三は幼いころから、この四つ上の姉を好いていた。

 母が幼少期に亡くなっているため、徳は自分が歳三を育てたと言う。しかし、歳三は徳の心易さ故に、彼女を年上とは思っていなかった。

 徳は琴との婚約話に触れないが、それでも、早く結婚しろと歳三を急かす。

「三十過ぎて独り身なんて。旦那さま、あたしと結婚したの、十八のときよ?」

「十一で名主継いだ長男と、家もない三十一歳なんか、比べるもんじゃねぇよ」

「家族は良いものよ。あなただって、気が休まる場所、必要なんじゃないの?」

「……うん、そうだとは思うよ」

 歳三が妙に神妙な声で答えたので、徳も一旦は手打ちの姿勢を見せた。話は昔話に移り、亡き父の三十三回忌の予定に変わっていった。

「なぁ、父さま、どんな人だったか、覚えてる?」

「あんまり覚えてはないわね、私だって五つだったし」

「会いたいと思ったか?」

 寂し気にも見える目を向けられ、徳は眉を寄せながら、優しく微笑みかける。

「そうねぇ、会ってみたいとは思っているわ、今でもね。だけど、今ここに父さまが来たら……何話したら良いのかしらね」

 徳は歳三の隣りを指差して、歳三と同じ背丈の座像を宙になぞると、

「とりあえず、婿殿と孫の顔を見せてあげようかな。ふふふ!」

と言って、両手で頬を包んだ。歳三は、自分は何を話せば良いのかとこぼす。

「歳三は、そうね。まず存在を知らせたら? 女の子が生まれるもんだと思っていたそうよ、父さま」

「もしかして、俺、小さいころ女の子の格好させられてたのって、それ?」

「あれは厄除けよ。よく風邪ひいてたもの」

「女子は男の格好しないものかい?」

「しないわ。女の子の方が強いんだから」

 そう言うと、徳は隣室の仏間に向かって手を合わせた。

「父さま、聞こえる? 本当に、立派な男の子が、今や京都で侍になろうとしていますよ」

 悪戯っぽく笑いながら振り向いた徳に、歳三は苦笑いをして見せるが、内心、熱くなる思いが胸に沸いていた。徳はもう一度、手を合わせて父に話しかける。

「そして、誰に似たのか立派な女好きになり、父親候補の子どもが少なくともふたり」

「ふ、ふたり⁉︎」

 思わず上擦った声が出る。一瞬で記憶をさらってみたが、千歳以外に心当たりはない。うろたえる歳三を徳は冷ややかな目で見ながら、

「男の子と、女の子。どちらも、二年くらい前よ」

と両方の指を一本ずつ立てた。

 男装姿の千歳と、彦五郎の文にあった明練堂の女将が訪ねたときのことだろうと、歳三の中で合点が言った。徳は説明を促すように、仏頂面で立てた指を揺らしてくるが、歳三が正座に直ると、徳もまた向き合って座った。

「俺を訪ねて来た子のことは、いずれ話すつもりだ。もう少し待っていてほしい。あと一年。一年したら、聞かせるから」

 徳が動揺を隠すように息を吸ってから、黙ってうなずいた。


 あと一年。十六歳の初夏まで。

 千歳が京都に来て、一年半を経て、ようやく親子として向き合う覚悟を定めるとはあまりに遅いと、歳三にも自覚はあった。それでも、遅すぎることはないはずだ。

 歳三は兵馬の遺言書を懐に抱え持ち、故郷の多摩を後にした。

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