十二、国友村

 ところが、悪いことはできないもので、千歳は近藤が出仕するなり局長部屋へと呼び出された。書院棟奥座敷の最奥に位置する数寄屋意匠の八畳間には、床の間に啓之助の義母より贈られた象山筆の掛物がある。それを背にした近藤による説教となった。

「──それで昨日、君はやはり帰ってはいないね。友人と過ごすときが惜しいのは理解するが、言い付けは守らなくてはいけない」

 歳三は出立前、千歳が新宅へ行きたがらないことを見越して、新宅の留守居役を果たしているか監視するよう近藤に願っていたのだった。

「申し訳ありませんでした」

 頭を下げていても、内心が不服であることは近藤にも伝わっている。息をひとつ吐いて腕組みをすると、今日の夕方から、帰宅の護衛には啓之助に代わり千歳が付き従うように言った。

「その足で、ちゃんと帰りなさい」

「──ですが」

「ですが、ではない。君は君の役目を果たしたまえ」

 一喝され、千歳は思わず平伏した。普段、あの啓之助に対してさえ、よほど説教の姿勢など見せない近藤に叱られたのだ。もう夜咄の機会はなくなる。

 黙り込む千歳へと、近藤は緊張を解いた声で語りかける。

「二十五日に、尾形くんを近江の国友村に遣って、ゲベール銃の買い付けをしてきてもらうんだ。山本さまが一緒に来てくださる。君がちゃんと家に帰るのなら、三浦くんと合わせて国友行きにお供させよう」

 そうして、千歳は夕方には近藤を妾宅へと送り届け、菅大臣裏の新宅でひとり寝ることになった。

 春雨が降る二十五日の午後、千歳は尾形、啓之助と共に旅装束に身を包み、黒谷の門前へと向かった。出迎えた山本は、一年振りに会った千歳のことを覚えていた。元気にしていたかと両肩を叩かれたが、山本の両目には緑がかった灰色の混濁が生じ、千歳の顔を捉えられていないようだった。千歳の動揺を察した山本は、

「心配かけたな。ちいと、目は悪くしたけんじょ、その他は丈夫だ」

と言って、自身の腕を叩いて笑った。

 その言葉どおり、山科を抜け、大津に至る道を山本は颯爽と歩む。右手には杖を突きながら、左手を啓之助の肩に置き、ふたりで鉄砲談義に花を咲かせていた。

 夕方には大津に着き、船の上で夜を明かした。夜明け前には長浜へ降り、国友村へ至る。重厚な軒瓦が連なる町中は、既にあちこちから槌を打つ高い音が響いていた。町の細い道を数度曲がって、山本は和泉屋と掲げられた一軒に入った。

 座敷では、少しずつ型の違うゲベール銃が並べられ、人の良さそうな小柄な主人が説明し、山本が手に取っては試射の有無を判断していく。

「物っつうのは、目だけで見っもんじゃねぇ」

 山本はそう言って笑うと、銃の重さや作動を試した。そのあと、山本は五梃の銃を選び、町外れの角場に運ばせると、啓之助に撃たせていった。啓之助は山本の号令に合わせて、主人から途切れずに渡される銃を撃つ。千歳は店の手代が詰めた弾薬を槊杖カルカで突き込める役だった。

 初めの二巡、十発はそのうち二発しか的に当たらず、山本からは腕が鈍ったかと囃される。

「鈍ってますけど、差し引いたって、初めての銃で当てる方がすごいですったら」

 文句を言いつつ、眼鏡をかけて片肌を脱いだ。大きく息を吸って構え、山本による狙えとの号令に合わせて止める。放てとの合図で撃たれた弾は、的の角を弾いた。

「まだまだだな、坊ちゃん」

「調練始まったら、全力で鍛錬します」

 啓之助は悔しそうに返した。立ち放ち、膝を着いての中放ち、さらに匍匐での試射が行われた。茣蓙の上とはいえ、大刀を外して躊躇なく腹這いの姿勢をとる啓之助に、尾形は戸惑いながら山本に尋ねる。

「こいが撃ち方は普通に行われるとですか?」

「んだ。初めは嫌がっぞー、武士さ何だ思ってんだってな。だけんじょ、弾さ交うなか撃ち返すんだ、伏すべきだとは疑いようもねぇ」

「……納得すっとですかねぇ、ウチの連中」

「骨は折れそうだな」

 試射を終え、山本は啓之助の推挙もあって、赤樫のやや銃身が短い一梃を選ぶと、千歳を呼び寄せ、撃つように言った。驚いた千歳が辞退するが、山本は自身の妹ですら撃っているのだからと勧める。

「酒井くんはいくつだ? ──十五。じゃあ、一貫くらい、軽いもんだろう。まあ、持ってみっせ」

 山本が片手で軽く渡してきた銃は、木と鉄の棒で出来ている分の質量があった。

「こ、これを妹さんが……?」

「うちの鉄砲は、もっと重かったさ。君よりずっと小ちぇ十三の年には一丁前に撃ってたぞ」

 山本は嬉しそうに語ると、弾込めの済んだ銃の発射支度を説明した。

「撃鉄さ上げて。火門に被せるのが……坊ちゃん、渡してくれ」

「はい」

「雷管ですか?」

「おお、よく覚えてんな。じゃ、構え方は……」

 千歳は山本と啓之助のふたりがかりで腕を伸ばされたり、肘を曲げられたりしながら、立ち放ちの構えを作らされた。伸ばした左腕が重さに震える。

「筒先揺らすな、しかと支えっせい。撃鉄さ、もう一度起こす。おい、下がってっぞ」

 後ろから啓之助が千歳の左腕を上げさせた。半町先の白地に黒い円が描かれた的に狙いを定めて、息を止める。

「引き金……引け!」

 発射の反動から、銃床が右肩を打ち、千歳の足は一歩後ろへ崩れた。

「い、痛……」

「どこさ落ちた?」

「盛り土の上方を越えて行きましたね」

「衝撃が強ぇ。しっかり握れ」

「はい」

 それから三発撃ち、四発目には何とか盛り土の上辺に当てることができた。山本は千歳をまずまずと褒めて、銃を預かった。

「こんな具合さ、尾形くん。酒井くんくれぇ細い隊士でも、三日もあれば的に当てれるようになっだろう。あとは、訓練次第で強ぇ兵隊になる」


 商談を終えて、一行は主人たちに見送られ、長浜から船に乗った。強い東風を受けて、船は琵琶湖を南下する。水田の広がる東近江は、京都よりも少し寒いのか、まだまだ桜の盛りであった。船の縁に身をもたせかけた尾形が即興で風景を漢詩に表し、山本に伝える。千歳は日向ぼっこをしながら、啓之助と農兵制の是非について穏やかに話し合っていた。

 啓之助は北方警護を例に出して、農兵制に賛成した。蝦夷地に植民して、男は農兵とする。その土地を守る兵力を現地調達、調練によって維持できる体制は、警備隊を駐屯させるより効率よく生産と海防に当たれるのだ。

 対して千歳は、兵農分離の維持のため、農兵制には賛成しない。防人が人民の疲労や土地の荒廃を引き起こしたこと、この先、銃の普及が進み、容易に兵隊を組織できるようになるために反乱につながる恐れを述べた。

「武家に農家、それぞれ自身の職に専念することは、やはり重要だ。仮に蝦夷地に農兵を置くとしても、御公儀による厳重な審議を経た武家の次男以下に限るべきだと思う」

「だけど、西洋では広く導入されてるよ、conscriptionカンスクリプション

「con、scri……ああ、皆兵制か」

 そこで千歳はあくびをした。暖かさと、船の揺らぎに眠気が抑えられない。山本が笑った。

「難しい話さしてると思いきや、なんとも安穏だな、酒井くん」

「はは、ええ。春らしいものです」

 千歳は目尻の涙を拭うと、山本へも家と職との結びつきによって成り立つ社会は、守るべきか改めるべきかを問うた。

「まぁ、職の種類によっかなぁ。俺ん家も鉄砲さ家業にしてっけど、家業と言って独占してた鉄砲の技術さ世に広まれば、いずれ優秀な人さ出てきて、廃業すっことも、あっかもしんねぇしな」

 それは没落する家が出る不幸に見えるが、より優秀な人材が登用されて、国の助けとなれば、回って自身の幸福にもなると山本は答えた。

「もちろん、俺らもただ廃業さ待つわけにはいかねぇ。追い付かれねぇよう、研鑽さする。そしたら、多くの人さ技ぁ磨くから、こん国の鉄砲の技術は進歩するべ」

「なるほど、門戸を開くことは、そういう利点もありますね」

「んだなし。尾形くんは、どう思う?」

「僕は職の質ば守るためにも、ある程度、家は守るべきじゃ思いよります。ばってん、僕自身、武家の出じゃなかとですけん、大きな声じゃ言えんとですばい」

 尾形は困ったように笑って見せた。その父は富農の家から、漢学塾を開いていた祖父の娘婿となり、尾形自身も、文を買われて隊士となっている。武士の身なりをするが、生粋の文人だった。

「尾形くん、君、熊本といえば、小楠先生は家と職との切り離しさ画策する究極の方だろう」

「共和制ですたいね、ええ」

 熊本藩の洋学者、横井小楠は佐久間象山と並ぶ大学者だ。小楠は、理想の政治体制を大統領制とし、親の職を子に伝えず、「公挙」によって国の長を選出することだと説いた。

「キョウワとは、どのような字を書くんです?」

「共に和合する」

 尾形が宙に書くと同時に、千歳の指先も動く。

「共、和……。なるほど、それは公議政体ということですか?」

「うん。ばってん、国の長はすなわち大いなる頭領、大統領たい。任期が来るごとに、札入れで選ばれ直す。公方さまも帝もなか」

「え、それは……え? そんな国がホントに望ましいと、え? 帝のおわさぬ日本国なんて……」

「ははは。そぎゃん思うが普通たい」

 有史以来、一時的に帝位が空いた時代はあれども、帝の存在が否定された時代はないのだ。千歳は思わず小楠の生命を案じる。

「だって、尊皇とは全く反対をいく考えなわけですし……」

「まぁ、今のところはご健在じゃ。六十近い爺さまばってん」

「……先生の本、読めますか?」

 千歳の興味が勝った声に、山本が笑い出す。

「『国是三論こくぜさんろん』なんかが良いが、だけんじょ、隊には置いてねぇだろう?」

「ええ。小楠先生の本を持ち込みむ勇気は、僕にゃありませんたい」

「はははは。坊ちゃん、今度送ってやっから、酒井くんさ貸してやれ。こっそりな」

「はい、こっそり。鬼の居ぬ間に読ませます」

 啓之助は山本へと、千歳含めた三人で海防八策を読み、どの案を一番推すか語り合ったことを話す。

「俺が推したのは──」

「堅固の大船、だろう? 坊ちゃんは」

「ええ、ははは。そうです。で、この子は学校です」

「ほう、酒井くんは学校かぁ。なぜかい?」

「えっと……」

 千歳は思わず座り直して、山本へと向かい、国家に有用な人材を育て、見出だすための教育場を全国に作る必要性を述べた。

「ふむ、なるほど。しかし、それでは、男児のみを学校へ遣れば良いはずだが、象山先生は女児にも学問を与えろと言われる。その意は何と見る? それに対して、君はどう考える?」

「女児への学問は、いずれ母となったときに役立つからでしょう。僕、今は『女今川』とか、手習いと道徳中心ですけど、もっと実学を学ぶべきだと思います。学校から帰った子どもの勉強を見てやれるくらい。父母ともに学を修めた家の子は、きっと優秀に育ち、彼らもまた、優秀な子を育てる父母となります」

「なるほど、なるほど。いやはや、尾形くん! 隊じゃ良い教育さしてんだなぁ」

 千歳は顔を赤らませて首を振りつつも、さらに意見を述べることを求めた。

「その……報国のためではなくなってしまうのですけれど、三浦くんは、洋学を楽しいからと教えてくれました。ですが、──楽しいから学びたいなんて言ったら、遊びじゃないんだって言われるんだよね?」

「父さんからはホント、何度もねぇ」

「うん。でも、学問は人生を豊かにしますから。享楽に走ることなく堅実に楽しめる学問は、男児にも女児にも、与えるべきだと思います」

 山本が緑に濁った目を眩しそうに細めて、繰り返しうなずいた。

 船は進み、山本による鉄砲講座が開かれ、尾形の詩吟が披露され、啓之助は積荷の稲藁からいくらか拝借して馬の人形を作ってみせと、楽しく過ごす間に、半日は過ぎて大津へ着いた。

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