四、犠牲

 結局、五郎へは一言詫びを入れたのみで、千歳は副長部屋へと戻り、衣替えに勤しんだ。副長部屋を執務室と居室とに分ける襖は開かれており、執務室では、歳三と敬助がそれぞれ文机に向かって仕事をしている。歳三が何度か振り返ってはこちらを見ていることに気付きながらも、千歳は顔を上げない。

 ちょうど、伊東と三木が訪ねて来た。揃って背の高い伊東兄弟は、席を外す千歳にも一礼をしたが、その表情は穏やかなものではなかった。千歳は気にかかりながらも、土間へと出た。


「先程、妻より届いた文のことなのですが……」

 書類を入れた長持や、本箱が積み上がる執務室で、伊東は文を広げて、事情を説明した。

 妻の美津より届いた文には、常陸に残してきた兄弟の母が重病を患い、兄弟の名を繰り返し呼ぶというので、帰って来てほしいとのものだった。

 兄弟は手を着き、京都の政情不安定な現状に理解を示しつつも、母への孝を捨てることはできないと東下を願った。

「我ら兄弟、幼きころに領地を追放されたこともあり、母は多大な苦労をかけて我らを育ててくれました。どうか、愚息たちに最期の親孝行をさせていただきたい」

 共に母を亡くしている歳三と敬助は、伊東の真摯な姿に、それ以上の問答もなく東下を許した。東下は隊士徴募の先触れとの形で会津藩には報告しようと、敬助が提案した。

 嵯峨野に日が隠れるころ、歳三と旅装束を備えた伊東兄弟は、近藤から出立の許可を得るために、屯所を発って祇園へと向かった。兄弟はそのまま、大津まで行くつもりだという。


 近藤に事由を告げたらすぐに帰営すると言った歳三が、亥の刻になっても帰って来ない。行灯の側に寝転んで本を読む千歳に、書き物をする敬助は先に寝るように言った。千歳が本から目を離さずに聞く。

「副長の分、お布団、敷きます?」

「帰っては来るだろうからね。敷いておいてあげて」

「でも、こんな遅いんですよ?」

「挨拶だけでもと座敷に上げられて、そのままって感じかな」

「そうですかねぇ」

 納得のいかない声の千歳が、本を閉じて立ち上がる。敬助は苦笑いを浮かべた。千歳の歳三に対する露骨な反発は、一度、注意をしておく必要があるだろう。文机から振り返ったとき、玄関の引き戸が開けられる音と、近藤たちの話し声が聞こえた。

「お帰りだ」

 敬助が立ち上がり、居室を抜けて局長部屋へ向かった。

 千歳が布団を敷き終えても、歳三の着替えを揃えても、ふたりは副長部屋へ戻って来なかった。やっと、障子が開いたと思いきや、入って来たのは啓之助だった。

「どうかしたの?」

「ちょっと、お話し合い」

 啓之助が難しい顔をして、局長部屋の方を指した。伊東の東下について、何か問題があったのかと問えば、啓之助は首を振る。

「じゃあ……やっぱり会津さまに従って帰るの?」

「ううん」

 啓之助は少し迷う素振りを見せたが、

「……まあ、いっか。どうせ、明日には知れるから」

と言って、一力邸での会合で報された話題を口にした。


 昨年末、敦賀にて投降した天狗党員は約八百名。田沼、大目付の滝川による詮議は済み、二月四日、武田耕雲斎を始めとする幹部ら二十四名が処刑された。切腹による自裁ではなく、罪人としての斬首と晒し首だった。

 残りの浪士たちも、冬の北陸で裸に剥かれ、蔵に押し込められ、粗末な食事しか与えられないまま、詮議を待っているとのことだ。

「──それを、一橋公はなぜ諫めぬのですか⁉ 武田耕雲斎など、上洛に際して追従させたほどなのに!」

 行灯の灯ひとつしかない局長部屋の六畳間に、敬助の鋭い声が響いた。畳の上で拳を握る。天狗党の動きは、挙兵の段階から追っており、追討軍が出されたことにも危機を抱いていたが、まさか、幹部らが揃って罪人扱いされるとまでは思っていなかった。

 近藤も悲痛な面持ちで落ち着くように言う。

「しかしだね、天狗党も関東では町を焼き払い、街道の家々から食料を奪った」

「その罪に疑いはありません。ですが……! 近藤さん、追認してよろしいのですか? 憂国の志士たちを、むざむざ、斬首させてしまうのですか?」

「山南さん、俺たちだって、そりゃ、憤ってるさ。強硬が過ぎると」

 歳三が口を挟むが、敬助の灰がかった目は睨むほどの気迫を見せた。

「では、なぜ嘆願書を上げようと言わない。──近藤さん、新撰組全員の署名を添えて、ご老中方へ嘆願いたしましょう! 近藤さん……!」


 八百人が処刑されるかもしれないと聞かされ、千歳も助命の手段はないものかと啓之助に尋ねるが、啓之助は重ねて首を振る。

「今の新撰組は、老中方へ意見を上げられる立場にないから」

「どうして? 近藤局長、前にもご老中にご意見上げておられたのに」

「意見は上げられる。だけど、それは一時にひとつまでだ」

「どういうこと?」

「新撰組が在京し続けられるように願う嘆願が一番大事。今はこれだけ」

「それは決まったことじゃないの? 会津さまだって、お許しくださったって」

「老中方からのお許しはまだだろう? 新たなお雇い先、つまりは、お給金の払い元。これが決するまでは、あまりご老中方への非難と取れるようなことはできないんだよ」

「そんなために……?」

「そんな、じゃないよ。決まらなかったら、俺ら六十何人、一気に浪人だよ?」

「そうだけど……」

 自らの属する集団の利益のために働くことは当然であり、それが政治であることはわかる。しかし、そのために遠く北陸で何百人もの生命が終わりの時を待っているのかと思うと、仕方ないと素直に受け入れることもできない。

 千歳の心中を察した啓之助が、ため息をついて暗い天井を見上げて言う。

「……近藤先生の仕事じゃない、天狗党の助命は。かわいそうだけどね」

 雨戸が風に軋んだ。千歳は同意も反論もできずに黙り込む。啓之助が執務室の冷たい畳に寝転び、仕方ないと繰り返す。

「仕方ないんだよ。美しい道徳より、まず現実だ」

 近藤は明日から、会津藩の公用方とはもちろん、借用元である京坂商家の旦那衆と会合して周らなくてはいけないらしい。むしろ、残留を訴えていることを彼らに説明することこそが大切だった。このまま新撰組が東下すると見做された場合、取り付け騒ぎに発展しかねず、今の隊には、対応するだけの余裕がないのだ。

 新たな雇い主──給金の払い元を確定させないうちは、新撰組の社会的信頼は下がり続ける状況にあった。


 一方で、朝廷と老中方との対立は日々、深まっていた。

 朝廷は再度の将軍上洛を要請し続け、会津藩も江戸表へそれを訴えてきたのだが、老中本庄は上洛早々、将軍上洛不可を突き付けている。

 また、老中方は公家衆の懐柔に賄賂を図るも、朝廷は賄賂の受け取り拒否を公家衆に通達する。双方、共に歩み寄りを見せる気配はなかった。

 二月十三日。東下する会津侯容保へ、孝明帝より護符が下賜された。同日、幕府から守護職へ月々払われていた役職手当金と米の給付中止が報される。新撰組の元給与主は、既にその役職も財源も差し止められた。近藤の顔色は日々青くなった。

 噂は聞き耳を立てずとも、千歳の耳に入ってきた。誰かが必ず情勢への不安を口にして、洛中の動静を話し合うのだ。

 天狗党への対応も非難の対象となっていたが、意外なことに、五郎は武田らの死罪は順当と示していた。宇都宮藩も、天狗党処罰の渦中に巻き込まれているのだ。

 昨年四月、天狗党は、宇都宮藩が蒲生君平や山陵奉行を輩出するなど、勤王家風であることに目を付け、加勢を求めて軍勢を差し向けたという。藩論は大いに荒れた。

 結局、宇都宮は加勢せずに済んだのだが、今年になって、応戦してでも天狗党の進行を止めなかったと、幕府から責任を問われる事態になっていたのだ。

 処分は、藩主の隠居と家禄の減封。

「山陵修繕で、かなり財政難になってるところにね。さらに移封もあるそうなんだ」

「……大変なんだな」

「家中で責任の所在を巡って、対立も深まっているというし……」

 脱藩しての天狗党追従者を出した家は、家中からの槍玉に挙げられ、当主の隠居や、閉門を強いられている。減封に伴い、藩士への家禄も減るために、彼らの肩身の狭さは想像にたやすい。

「だから、言い方は悪いけど……死んでもらわないと収まりがつかないんだ。加盟したからには、覚悟も出来ていたはずだ」

 五郎は半分も食べ終えていない昼食の膳を前にして、ほとんど箸を動かさずに話す。宇都宮からの加盟者のなかには、幼馴染みもいた。それでも、家中に遺恨が残らない方が、よほど大事なのだ。

 千歳もその感情処理の構造自体は理解できる。

「でも……彼らだって、裸にされて、蔵に押し込められて、それで斬首される覚悟なんてしてなかったと思う……」

「気の毒とは思うよ」

「少し、厳しすぎないか? 党に対しても、宇都宮に対しても」

「……近頃のご老中方はそうだね。押さえ込もうとしてくる」

 では、どうしたらいいかとは、議論は及ばない。圧倒的な力を前にしては、その圧力を回避する方策に走る方が賢明だった。


 強硬姿勢を崩さない老中方と、朝廷方との軋轢は、ついに、御所警護を担う幕兵に対して、朝廷が御所内への立ち入りを禁ずるにまで至った。一会桑追放への否定を示したのだ。

 双方の対立が確定したことによって、元より、朝廷方と老中方の板挟みにあっていた会津侯容保や一橋慶喜の立場は、幕閣内で一層厳しいものとなっていた。新撰組の立場も宙に浮いたままだった。


 武田らの処刑を聞いて以来、敬助の体調は優れなかった。

 寒の戻りらしき、北風の吹く日の夕方。敦賀にて、さらに党員百数十名が斬首されたと歳三より報せを受けた敬助は、縁に駆け出て嘔吐した。

「山南さん──」

「すまない、平気だ」

 胃と口元を押さえる敬助の顔色は、とても平気とは見えなかった。歳三は白湯をもらいに厨へ降りると、夕食の手伝いをしていた千歳に胃薬を煎じるように言い付けて、六兵衛には粥を依頼した。

 敬助は火鉢の焚かれた暗い居室に横たわり、表情もなく天井を見る。昨年の正月、岩城枡屋で対峙した男の顔がぼんやりと浮かんでいた。

 夜、帰営した近藤が歳三と共に敬助を見舞った。敬助が布団の上で身体を起こすと、歳三が敬助の側に火鉢を寄せた。敬助は天狗党処刑の正確な人数を尋ねた。近藤が重々しく答える。

「十五日には、百三十五名とのことだ」

「十五日以外にも処断されたのですか? ……近藤さん、教えてください」

「昨日、さらに百二名……」

 敬助の目から、涙が落ちた。

「動くこと、できませんか……?」

「……すまない」

 敬助と同じくらい青い顔をした近藤は、拳を握り込み、歯を食いしばった。敬助は布団から下りて、震える声で深く頭を下げる。

「……それでは、私ひとりでも建白書を上げさせていただきとうございます」

 それで状況は変わらないとはわかっているが、動かずにいることはできなかった。

「山南さん……気持ちはわかるが──」

「わかるのなら、許してくれ!」

 歳三の諫めに、敬助が顔を伏せたまま返す。歳三の声も震えた。

「あんたは新撰組の副長だ。その名を背負う限り、新撰組の存続のために働いてくれ! 隊の存続が掛かってるんだ!」

「同士八百人の生命が掛かってるんだ! いや、もう……二百五十人……死んでいるから、五百五十人だけれど」

「それは、あんたの責任じゃない。あんたの責任は、隊士六十人の──」

「君は、知らないから言えるんだ!」

 敬助の拳が畳を叩いた。

「──何人死のうと、数字の上だ。哀れんだところで、結局は関係ないんだろう。誇りも何もあったもんじゃない。即席に掘られた穴へ、首を落とされていく。一列に並ばされて。そんな光景、想像したこともないだろう……」

 かすれた声は、ほとんど聞こえないほどの大きさだったが、歳三と近藤の心を突き、言葉を奪う。近藤が肩を震わせて、敬助に手を着いた。

「許してくれ……私の……力不足だ──!」

 近藤にも、敬助の正義心は痛いほどわかる。それでも、同士の正義心を抑え込もうとも、近藤は新撰組の長として、動くわけにはいかないのだ。

 七年間、共に過ごした中で、初めて見る近藤の弱い姿だった。

「……顔を上げてください、近藤さん。……私が無理を言いました」

「山南さん……?」

 突然に落ち着きを見せた敬助に、歳三が思わず声をかけるが、敬助は素早く立ち上がった。

「頭を冷やしてくるよ、今日は……外に出る」

 長着をまとい、着流に帯刀をすると、敬助は前川邸の裏口から出て行った。

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