八、写真機

 攘夷の思想が当然にある世において、洋学とは歓迎されず、実学として許容されているものにすぎない。そのため、啓之助の洋物趣味は隊内でも白眼視されがちだった。

 洋燈ランプや遠眼鏡。製図に用いる真鍮のコンパスや分度器。小型の拡大鏡ルーぺなどは、西洋製の革袋に入れて腰から提げるので目立つ。また、最近は洛中の商家に頼んで、眼鏡を買ったらしい。よくある鼈甲などの枠の端に紐を通して耳にかけるものではなく、折りたたみのツルがついた真鍮の英国製というので、使っていると、こちらも非常に目立つ。

「三浦くんは、西洋の物をよく使うけど、皇国の風を保とうとは、あまり考えないのかい?」

 敬助が尋ねたとき、啓之助は不思議そうな顔で返すばかりだった。

「便利な物を使っているだけですよ?」

 西洋船を学ぶのは、和船より性能が良いからで、眼鏡をかけるのは、その方がよく見えるし、ツルがある方がかけやすいというだけだ。

 しかし、洋品は本流にはなりえず、所詮、趣味としか見做されない。千歳が五郎に英語を勧めても、初めは渋られた。漢文のように教養として確立しているわけでもないのに、わざわざ異国の言葉を学ぶ意味は何かと問われる。

「……学ぶ意味?」

「それを学ぶことで、何に役立たせるのかってこと」

 千歳が答えあぐねて目線を下げてしまうも、啓之助は千歳の肩を叩いて加勢した。

「楽しいからだよ。楽しければ、それで十分だ! ──Hi, Sennosuke! How are you, today? It’s a sunny day!」

 (やあ、お仙くん。元気かい? 良いお天気だね!)

「え、えっと……Fine thank you, Mister Miura. It is really nice day, today」

 (ありがとう、三浦くん。今日は本当にいい日だ)

「Would you like to go to have some tea?」

 (一服しに行かない?)

「Sure」

 (良いね)

 ふたりの口から突然飛び出した英語に五郎が目を丸くして、すぐに自分にも教えてくれと頼んだ。アルファベットを教わった五郎は、書き付けた半紙を懐に仕舞い、急いで巡察の支度をしに戻って行った。

 啓之助が満足そうに笑って、

「やってみせるのが一番なんだよ、おもしろいことってさ」

と言うので、千歳は何度もうなずいた。


 啓之助は五郎に実学以上の洋学を受け入れてもらおうと、一計を講じた。長州征討に備えて、武器庫として使う米蔵へ点検に入ったさいに見つけた「おもしろいこと」を披露するため、頼まれてもいない用事をでっち上げ、勘定方から蔵の鍵を借り受ける。

 呼び出された千歳と五郎は、二階へと上らされる。開けられた南の小窓の下には、何も書かれていない半紙が張られた小さな板と、窓と同じくらいの大きさの杉の一枚板とが置かれていた。

「何だろう?」

「さぁ?」

 五郎に尋ねられても、千歳は答えられない。外を見ると、曇天の下、飼い葉桶から干し草を食む磐城丸が見えた。

 啓之助が入り口の扉を閉めて、上がって来た。さらに、開かれた小窓の枠へと一枚板を押し当てたので、蔵の中は真っ暗になる。板の小さな穴から射す一筋の光の他は何も見えない。

「これが、なあに? 真っ暗じゃない」

 勝手に蔵に入っている不安から、千歳が苛立ちのにじむ声で尋ねるが、啓之助は気にも留めない。

「これ、カメラオブスキュラさ」

「カネラオ、グ……?」

「ホトグラフイの仕組み」

 相変わらず、何を言っているのかわからない。暗さに慣れ始めた目を五郎に向けると、五郎も千歳を見返して首を傾げていた。

 啓之助が咳払いをひとつして、

「諸君、ホトグラフイなるものをご存知かね?」

ともったいぶった声で尋ねた。千歳は首を振るが、五郎は、姿をそのまま写し取る機械かと尋ねた。啓之助が大きくうなずく。

「さよう、さよう。それが、まさにこの造りなのである。真っ暗な箱、小さく開けた穴。さらには、こちら、光を受ける板」

 啓之助が一筋の光線を遮るように、半紙を張った板をかざした。すると、そこには厩舎とその向こうにある新徳寺の本堂の大きな屋根とが、天地反転して映し出された。

「え、ええ!? すごい、何これ!」

 千歳が身を乗り出して、半紙の上の風景を見る。先程まで見ていた景色が、確かに半紙の上に、浮世絵よりも鮮やかな天然の色彩で現れているのだ。

 五郎も驚いて、窓枠にはめた板を外しても良いかと尋ねる。啓之助が板を外すと、ふたりの目は一瞬くらんだ後に、半紙の上にあった風景と同じ世界を捉えた。

「どういう仕組みなんだ……?」

 驚愕と恐れの混じった声で尋ねる五郎に、啓之助は針穴写真機ピンホールカメラの原理を説明する。光とは、普段は様々な方向から射しているが、一本の光線だけを拾うと、その光の色をそのまま紙に映し出すことができるのだという。

「光を受ける板を、紙じゃなくて薬品を塗ったガラス板にしたのがホトグラフイさ。というわけで、本日はホトグラフイを撮ります」

「だ、だけど、三浦くん……」

 五郎が言い辛そうに口を開く。

「ホトグラフイ、撮ると魂を抜かれるとか言うじゃないか……」

 千歳が息を飲んで身を硬くするが、啓之助は笑い飛ばす。

「んなわけないだろ? ほらこれ、父さんのホトグラフイ」

 懐から帳面を取り出し、小さな紙切れを見せる。啓之助とよく似た大きな目の総髪の武士が、長い顎鬚を左手に握り込んだ姿で映っていた。

「二年前くらいか、父さんが自作した機械で撮ったの。あー、まぁ父さんは死んじゃってるけど……でも、一緒に撮られた俺、まだ生きてるし、大丈夫、大丈夫。君たちの寿命もまだまだ長ーいって出てる、俺にはわかる」

 啓之助は慌ただしくも、ふたりを蔵から追い出した。鍵を返し、東庭に戻って来た啓之助の腕には、大きな木箱が抱えられていた。

 父から習ったという写真術を難しい言葉で解説しながら、蔵の陰へとカメラを設置していく。一尺四方の箱を台に乗せ、暗幕を掛けると、一間半ほど離れた場所を指して、五郎を立たせた。

「あと、半歩右に行って……そう、そこで止まって。静止、一切動いちゃダメ。お仙くんは、中村くんの周りを動き回ってて。君は俺が良いって言うまで、止まっちゃダメだよ。──よし、走れ!」

 少しの間、直立する五郎の周りを千歳が走り回るという、何かの儀式のような光景が続いた。折悪く、蔵の鍵を携えて厨から出て来た井上が、子どもの悪戯を発見してしまった気不味さと、状況が測れない困惑とをない混ぜた微笑みを残して、足速に蔵へと入って行った。

 恥ずかしさと、走り回っているために頬を赤くした千歳が、弾んだ息でまだかと尋ねると、啓之助は指を折り数えながら、もう少しと答えた。千歳の弱音が響く。

「これ、絶対、逆のが良かったって! 五郎くんのが体力あるでしょうが!」

「ごめん、それは間違えたと思ってる。中村くん、笑うな、動くな!」

「無理だよ、これ、笑えるよ」

 啓之助の許しがやっと出たとき、千歳も五郎も地面へ座り込んだ。

「ホトグラフイ、魂抜けるってホントだった……」

 千歳が肩で息をしてへばる姿を、五郎は苦しそうに大笑いした。千歳の顔がますます赤くなり、カメラの暗幕の下から出てきた啓之助への文句へと変わった。

 夕食の席で、啓之助が見せたガラス板は、全体が暗かった。行灯の灯にかざすと、白黒反転した絵には、母屋の屋根らしい白い三角の背景と、黒い塀との前に立つ、五郎と思しき少年の姿があった。

「本当に、本当に写ってる……」

 千歳は、ガラス板の中の五郎と隣で恐々とネガを見る五郎とを交互に見た。五郎も千歳とネガとを見比べながら、小さな声で千歳が写っていないとつぶやく。

 ふたりが目を見合わせて、顔から血の気を引かせたが、啓之助だけは目を輝かせて、

「そうなんだよ、カメラオブスキュラは動くものは写せないんだ。蓋を開けていた時間、変わらずに映っていた光の濃淡を記録するものだから」

と力説した。千歳はあれほど頑張って走ったのに写してもらえなかったのかと不満を漏らすが、その実、写っていなかったことにわずかな安堵もあった。


 翌日の昼時、三人は再び写真を撮った。啓之助は象山の写真と同じく、顎に手を当てた格好を取り、その両隣で、五郎は鍔に手をかけ、千歳は袴の脇開きに手を差し込んで立った。

 ふたりとも、既に「ホトグラフイ」への恐怖はない。半刻ほどかけて、二枚の写真を撮った。

 一枚目は三人の立ち姿。二枚目はカメラに近付き、顔がよく写るように。

 数日後、啓之助が掌に乗る程度の紙に写した写真を渡した。ネガではなく、白黒の正しい写真だった。

「うわぁ……ホントに僕がいる。五郎くんも、三浦くんも……」

 千歳は食い入るように写真を見つめる。五郎も自身が持つものが、千歳の手の中にあるものと寸分違わぬ構図であることに感心した。

「本当にすごいよ! でも、どうやって刷っているんだ? ガラスの板は、白黒が逆なのに」

 啓之助はバツが悪そうに笑う。

「えへへ、そこはお願いしたんだ、本職さんに。大坂屋与兵衛おおさかやよへえさんって言うんだけど、父さんにも現像の仕方、教えてくれてたのさ。自分たちでカメラオブスキュラ作って写しましたって言ったら、喜んで仕上げてくれた」

 啓之助が千歳から矢立を借り受けて、裏面に日付と場所、名前を書き付けた。

「百年、二百年残るんだそうだから。『元治元年十一月十五日 京都壬生前川邸にて──三浦啓之助』と。ん、隣、署名して」

 矢立の筆を五郎に回して、啓之助はモノを残すことについて語り始めた。音は時を超えて保存できない。味も感覚も気持ちも、時とともに消え去ってしまう。

「──だけど、物は残せる。文字とか絵図にすれば、出来事も残せる。これからは、その時々の景色まで詳細に残せるようになるよ」

「いずれ、音や味も残せるようになるのかなぁ」

「お湯を注げば常に母上の味噌汁が飲めるお椀」

「あ、それ、欲しい!」

 五郎のつぶやきに、千歳が賛同した。

「気持ちは保存できる?」

「言葉にして書いておけば良い」

「そうか。じゃあ、音声もそうだなぁ」

「人の声はね。鳥の声は無理だ」

「ああ、たしかに──」

 千歳が常に懐へ入れている帳面は、既に三冊目になっていた。昔の冊子は硯箱の下、紙入れに仕舞ってある。千歳はその二冊の間に写真を入れておくことにした。

 写真の中の千歳は、前髪が風に吹き上げられて、額が見えている。面差しは、やはり母とよく似ていた。

 写真を撮って以降、五郎の洋学に対する排外的な感情は薄まったようだった。千歳と一緒に英語を勉強したり、啓之助に星座盤を見せられ、あまりよくない目で星を見たりした。

 五郎と洋学の話をするたびに、啓之助は、

「楽しいって、すごい力だよなぁ」

と千歳へ悪戯っぽく笑いかけるのだった。

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