六、昔語り

 隊の方針と、自らの思想とが一致するかを見極めてから入隊を決めたいと言ったとおり、伊東は多くの隊士たちへ声をかけ、攘夷についてどう考えるか、日本国のあるべき姿とはどのようなものかと聞いて周っていた。

 武力攘夷支持、横浜・箱館の漸次鎖港、これ以上の開港は拒否……様々な意見はあるが、開国をして技術力を着け、外交的な不利を排していく開国進取論は概ね受け入れられていないようだった。近藤、啓之助と千歳の小姓組、武田や尾形など学者肌の隊士が支持するばかりで、あとは井上や総司など、政治的思想よりも近藤個人に追従する者がいる程度だ。

 歳三へも聞いてみれば、近藤を支持する気持ちはあるが、漢意を排し真心を尊ぶように、西洋諸国の接近を退けて皇国古来のあり方を保つことが攘夷だというのに、攘夷のために、西洋の技術を取り入れるとは、本末転倒なのではと感じているとの答えを得た。本末転倒とは、開国進取論への反論として、多くの隊士が口にする言葉だった。

 敬助の講義も聴講してみる。敬助は儒学を含め漢籍と国学を教えており、その日は、長崎を例に、鎖国の意義を説いていた。

 伝え聞く長崎の町並みは、オランダや清国の風俗が入り交じっている。しかし、完全にオランダの風でも清の風でもないのは、出島が異国の風俗を日本に適したものに変える緩衝地帯になっているからだと言う。だからこそ、蘭学や漢訳洋書など、純粋な学問上の部分のみを取り出して、日本国内へ流通させることができるのだ。無闇な開港とは、この濾過機能を失わせるものだと語る。

 敬助の論は、隊士たちからの支持を得ていた。

 開国進取論を広めるには、教授方である敬助に、開国の利点を認めてもらう必要がある。十二日の夕べ、伊東は講義を聴講する隊士たちを連れて嶋原へ出向くのに合わせて、敬助を誘った。

 千歳は敬助のために、一番綿を厚く入れた羽織を出して見送った。千歳の出席は歳三が許さなかった。


 一行は角屋へと上がった。敬助と伊東は、それぞれ芸妓の明里と花香に杯を受けながら、改めて、再会を懐かしむ。

「まさか京都で山南くんと再び飲み合うことになるとは思っていなかったよ。二十歳くらいだったかな。君が玄武館へ来たのは」

「そうだね、もう一回りも前だ」

「うん。君のことは、よく覚えているよ」

 敬助が恥ずかしそうに笑う。

「僕、全く目立たなかったのに、何を覚えられているのだろう」

「君は、目立たなかったかな? たしかに、交友が広い方ではなかったけれど、目に留まる人だったよ。道場の端で黙々と木刀を振っていたし、討論になれば、いつも強かったじゃないか。打ち込みの声だって、大きい方じゃないのに、すぐわかるんだ」

「そうだったのかなぁ?」

「君の声には、方向が見える。真っ直ぐに飛ぶから。君は心と声の向きが揃っているんだ、発声に無駄がない」

「……なるほど」

 敬助は理解に至らぬまでも、うなずいて受け入れた。伊東の補足を聞くに、本当に思ったことを口にするから、言葉に重みがあるという意味らしい。

 その評はともかく、伊東は人をよく見ているし、それをよく覚えていると感心する。

 玄武館にいたころの敬助は、伊東の言うとおり、あまり付き合いを持たず、道場ではひとりで型を繰り返し、それ以外では、お玉ケ池の師匠宅へ入り浸っていた。

 実は、人付き合いは得意な方ではない。他愛のないおしゃべりを求められると、何を話したら良いのかわからなくなるため、ただの友人はこれまで幾人といただろうかと思いを巡らせる。

 何かにつけて飲みに誘い出されたふたつ年下の同門に思い至る。自分と国の将来を憂いては、一方的に語るばかりなので、当時は若干鬱陶しく思っていたが、彼は数少ない友人と呼べる人物だろう。それも、今は水戸に帰り、天狗党に加盟しているらしい。

 話題は故郷話になった。

 伊東の出身である志筑は、筑波山麓の旗本領であり、敬助の故郷である龍ヶ崎からは五里ほどの近くにある。両地ともに、場所柄、水戸への遊学者も多く、伊東も十六歳で水戸へ出て、剣術と水戸学を修めている。自ずと天狗党の話になった。

「御公儀はあまりに強硬だ。鎮圧を果たせなかった松平大炊頭おおいのかみさまが、若年寄の田沼さまから切腹を申し付けられたと聞いたときは、心中、穏やかではなかった」

 そう切り出したのは、敬助だった。今春、横浜鎖港を訴えて挙兵した天狗党への始末は、混迷を極めている。十月の初めに自刃した松平頼徳を始め、鎮圧側へも不手際からの制裁が続いていた。

「国を憂い、攘夷を願う者たちだ。御公儀は十分にその声を聞いているのか。はなはだ、疑念があるよ」

「やはり、山南くんもそう思うか。僕も何度も水戸へ走ろうと思ったけれど、結局は京都へ来た。自らの声を届ける手段は、挙兵以外にもあるはずだと」

「それは、一体何かと思うね……?」

 敬助の問いに、伊東は手にした杯を下に置き、涼やかな目元を伏せ、少し考える様子を見せてから、

「近藤局長は、やはり大した人物だと思う」

と腕を組んで言った。

「あの方は、お雇い主の会津さまに留まらず、お奉行の永井さまへもお話を通せる。──言論こそが政治で、政治とは訴えを上げることだ」

 伊東は政治で声を届けたいと語った。

 敬助の杯に明里が酒を注いだ。敬助は黙って一口を飲むと、花香による酒を受ける伊東を見つめた。伊東とは、玄武館にいたころ、桜が咲き初めた神田川の堤防でたまたま行き合い、共に飲んだことがある。伊東とふたりきりで話したのは、この一度きりだった。そのときも、今と同じく、伊東がよく話し、敬助はそれを聞いていた。

 敬助の視線を受けて、伊東は困り笑いをこぼした。

「すまない、また僕ばかりがしゃべってしまった。あの花の席と同じだ。十の春秋を経ようとも、人はそう変わらないのだなぁ」

 伊東も同じ日のことを思い出していたらしい。敬助は軽い笑い声を挙げて、伊東を昔から話が上手く、会話を途切れさせないと褒めた。

「僕なんかは、本当、昔から口が下手だから」

 隣で明里がクスッと笑ったので、敬助はその膝を軽くつねった。伊東も笑うが、語りすぎないことが敬助の美徳だと返す。

「伝えたい思いの総量が、一言ごとに分載されるのならば、言葉を尽くすほど、一言あたりの重みは目減りしてしまうよ。僕、先代には言われ続けたさ、お前は言葉が勝ちすぎるって。だけれど、今だって話してしまうんだ」

 伊東はわざとらしく口を手で覆ってみせた。

「山南くんが話そうとすることは、本当に話したいことなんだと……うん、信頼がある。君の話に、僕は信頼を置いているよ」

 お前に信頼を置いていると、面と向かって言えることが、伊東の魅力なのだろうと、敬助は改めて思った。伊東はよく話すが、その言葉は、おだてでも、その場しのぎでもない。「真心」より発している。


 屯所の閉門時間が近付いてきたので、その辺りで会は解散となった。伊東が隊士たちをそれぞれ帰路に急かす。端の欠けた月は南中に近い。敬助は伊東と、北風が提灯を揺らすなか、千本通を上がった。

「山南くん、僕、入隊に際して近藤先生から、文学師範を依頼されている」

「聞いてるよ、楽しみだね」

 敬助は少し騒ついた胸を鎮めるように、いつもより明るい声で答えた。

「何を教えてくれるのかい?」

「国学と海防だね。君にもぜひ聞きにきて、ご教示願いたい」

「とんでもない。こちらこそ、勉強させてもらうよ」

 前川邸の裏門を抜け、伊東はまた飲みに行こうと言って手を挙げると、離れに入って行った。敬助は厨へ入ると、真闇の土間の上がりに腰を下ろし、草履を履いたまま考えていた。

 政治とは訴えを上げること。近藤は上への繋がりを多く持っている。それこそが、近藤の政治力の源であり、新撰組を大きくしてきたものだ。

 自分もかつては近藤と共に外へ出て、政治を語っていた。今はもっぱら学問の上での攘夷を語るのみとなった。それでも、自分にしかできない仕事と思っていた教授方は、じきに伊東にも任せられる。

 近藤も歳三も、怪我を負って無理の利かなくなった敬助を、至極丁重な扱いで副長に残した。副長と呼ばれるだけの仕事は果たせていないからと、その役を降りようとしたときにも、歳三が仕事を内務と渉外に分けて、体調不良で会合に穴を空けることなどがないようにしてくれた。近藤からは、例え怪我を負っても露頭に迷いはしないと隊士たちへ示すために、変わらずに副長でいてくれと引き留められた。

 それらに甘え、ひどく守られた立場で一年を過ごしてしまった。

 この身体では、以前と同じく外へ出られずとも仕方ないことと諦めていた。屯所の中のみで片付く仕事を与えられることに、負い目すら感じていた。

 お玉ケ池の師匠宅の縁側で、脚を投げ出して本を読みながら、自分は何の役に立つ人間なのかと師匠へこぼしていたときと同じく、敬助は何かの役に立っている実感が欲しかったのだ。

 今の自分は、役に立っているのだろうか。隊に、そして国に。

 とうの昔に別れたと思っていた青い焦燥は、この一年、再燃しだし、今このときが最も高まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る