二、成長

 三長は相談のうえで、しばらくは新入隊士の様子見のため、広間で食事をすることになった。昼の鐘と共に、いつもは部屋にいる三長が揃って現れたことで、広間は少し騒ついた。

 千歳が歳三と敬助に、啓之助が近藤に膳を出す。敬助が礼を述べてから、五郎とは話せたかと千歳に尋ねた。

「ええ、少しだけ」

「友人にはなれそう?」

「ふふふ」

 小首を傾げた照れ笑いを残して逃げられ、敬助は子ども扱いが過ぎたかと反省し、左手で箸を取った。人前で食べることは、なるべく避けていた。それでも、食事時は隊士の為人や、隊士同士の関係性を垣間見るのに良い機会となる。

 千歳が啓之助と広間の端で食べていると、五郎が膳を手にやって来て、向かいに座っても良いかと尋ねた。どうぞと千歳は最大限に襖へ寄った。

「ありがとう、失礼」

「ううん……」

 打ち解けきらない反応に、啓之助がニヤニヤと笑って千歳の左袖を引いた。

「な、何?」

「別にぃ。ご友人ができて、良かったねぇ」

「やめてよ」

 千歳は啓之助の手の甲を叩いて袖から手を離させると、汁椀に手を伸ばした。啓之助は気にもかけず、五郎に話しかけ、互いに挨拶をする。

「――で、ところで、中村くん、質問なんだけど」

「何かい?」

「本当はいくつなのさ、十八じゃないでしょう?」

 今度は千歳が啓之助の袖を引っ張ったが、五郎は声を立てて笑う。

「あははは、やっぱりわかる? そう。僕、今度十七になる」

「じゃあ、俺よりひとつ下だ」

「今、十七?」

「ああ。ふうん、お仙くんと同じくらいかと思った」

「三浦くん!」

 千歳とのときもそうだったが、この男は初対面の相手に意地悪を言わなくては気が済まないのだろうか。千歳の右手が軽く振りかぶった瞬間、五郎が膳を越えてそれを捉えた。千歳が驚いて固まるも、五郎は子どもに注意をするような微笑みを見せて言う。

「ダメだよ、仙之介くん。叩いたら」

「す、すまない……」

 顔をパッと赤くして、千歳は座に鎮まった。

「三浦くん、君が大人っぽいって言いたいんだよ、な?」

「うん? うん、そうそう」

 啓之助がまた、ニヤニヤと笑って千歳を見るので、千歳は五郎に聞こえないくらいの舌打ちをして睨み返した。この舌打ちを含め、千歳の挙動が荒くなっている原因は、ほとんど啓之助にあると思っている。

「中村くん、ご出身は?」

「下野の宇都宮だ」

「ふうん。奥州と日光、二街道の要所だな」

「うん。三浦くんは?」

「信州の松代。でも、江戸も長い」

 このようなときに、会話を展開していく器用さがない千歳は、ふたりの故郷話を聞くに徹した。


 午後。黒谷へ帰京の挨拶に出向く近藤に従って、啓之助も屯所を出て行った。新入隊士は、今日一日やることがない。千歳は勇気を出して、五郎を八木邸の二階の納戸に案内した。

「うわぁ、すごい! これ全部、君の?」

 壁際に詰まれる五つの本箱に収まらない合わせて百冊は超える本に、五郎は目を丸くしながら、表題を確認していく。

「『古事記伝』、全部あるし……あ、『日本書紀』──六国史も揃ってる!」

「うん。いつでも、持ってって良いよ」

「本当? ありがとう! すごいな、芸亭うんていのようだ」

 奈良時代に石上宅嗣いそのかみのやかつぐが私邸に設けた公開図書館のことだ。千歳はその例えに顔を輝かせた。

 それから、これまで読んできた本や、好きな分野、何歳ごろに何を読んだかなどを語り合っていると、気付けば、日は落ちかけていた。

「あー、今日は何も仕事してないなぁ。叱られるなぁ」

 階段を降りながら千歳がつぶやく。午後から洗濯をして、副長部屋と広間の掃除をするつもりだった。

「ありがとう、僕のために時間取ってくれて」

「ううん! 良いの、僕も話したかった」

 くすぐったくなるような会話をしていると、勇之助が北の間から出て来て、

「お仙はん、そん人、新しい人やんなぁ?」

と五郎を指して千歳に尋ねた。千歳がその頭に手を乗せて、勇之助を紹介すると、五郎も名乗った。

「中村はん、いくつなん?」

「十八だ」

 迷いのない言い切りに、千歳がクスッと笑った。勇之助が、自分は六歳だと言う。

「もう、寺子屋通ってんねん」

「そうか、偉いな」

「中村はんは学校通たはらへんの?」

「うん、今はね。江戸にいたころは、伊東道場ってところに行っていたよ」

「ふうん。学校通たはらへんのやったら、もう、大人やなぁ」

「ふふ、そうだね」

 外は薄闇で、北風は真冬の冷たさだった。振袖の開きから入ってくる冷気を防ぐため、千歳は袖を押さえて腕を組み、坊城通へ出た。

「ねぇ、五郎くんは自分のこと、もう大人だと思ってる?」

「僕自身はね。元服もしてるし、ひとりの志士として、上京しているんだから。だけれど、先輩からは、てんで子ども扱いさ」

「じゃあ、どうなったら、完全に大人と認めてもらえるようになるんだろう」

 元服とは、身なりを大人のものに改める儀式だ。振袖を着て、前髪を下ろした「仙之介」は少年の型を、振りのない袖の着物をまとい、総髪を髷に結い上げた五郎は成人の型を踏襲しているに過ぎない。

「今、僕が身なりを大人のものに変えたって、たぶん、僕は子どもとして扱われる」

「『この子は子どもだ』との見立てによる子ども扱いは、どうしたら終わらせられるだろうか、ということ?」

「うん、どう思う?」

「うーん、僕はそのたび──子ども扱いされるたびに、やめてくれと言っているけど」

 離れの玄関前で、また話し込む。佐野が戻って来て、三木が帰って来て、その他、数人の離れの住人が帰営しても、ふたりは話し続けていた。

 五郎は論証の仕方を心得ていた。

「養老律令の戸令では、男子は十五歳から結婚が許される。今でも、元服は十五だ。肉体の成熟は古くから十五歳を境と見做されていたと考えて良い」

「肉体の、と言うからには精神は?」

「僕はその境、二十歳と定められているように思う」

「二十歳か。なぜ?」

「完全な課税は、二十一歳からだ。若年者として税の軽減がなされる中男は、十七から二十歳。二十歳までは、成人であっても、未成熟な存在とされていたことがうかがえる」

「それは、古来変わらないと考えて良いの?」

「うん。中村のご本家に鎌倉殿へ出された相続の古文書が残ってるんだけど、後見が若君を離れるのって、大体二十歳なんだそうだよ。それまでは、若君ひとりで契約を結ばないらしい」

「では、十五歳ごろから身なりを大人のものとして、その後の五年をかけて大人見習いの時間を過ごすってこと?」

「ああ、それが成童だろう」

「セイドウ?」

「成人した童」

 五郎がほとんど真闇になった玄関の宙に指を走らせた。千歳が倣って宙書きしながら、

「なんとも、矛盾した言葉だな」

と首を傾げると、五郎が笑い返す。

「姿は大人。中身は未熟ってことだな。そもそも、『二十歳はたち』っていう特別な言葉があること自体が境の証だと思う」

 なるほどとうなずいたとき、背後から声が響く。

「まだしゃべってる……」

 振り返ると、佐野だった。玄関の框に腰掛け、自分の草履を探す。

「中に入れてやりたまえよ、中村。寒いだろう」

 平気だと千歳が答えると、佐野は笑い声を響かせて立ち上がり、

「若いって良いなぁ、ホント」

とふたりの間を割り、通り抜けざま、それぞれの肩を叩いた。そのまま、厨に向かって行く佐野の丈高な影を見ながら、五郎はため息混じりに、

「な? 子ども扱いだろう?」

とこぼす。言い逃げされては、訂正も願えない。

 夕食に先んじて、千歳は空咳を繰り返す敬助へ薬湯を煎じた。土瓶から、葛根湯の香りが立ち上がると、去年のこの時期にも、敬助が咳をしていたこと、そのために、藤堂と一緒に薬屋へ行ったことが思い出された。

 藤堂は本当に良い「友人となすに好ましい人」を見つけてきてくれた。中村五郎。同年代と話していて、これほど楽しいと思ったことはない。

 比べて悪いとは思うが、馬越のように意地悪なことは言わないし、啓之助のように話を聞かないことも、話が理解できないこともない。何より、五郎とは、学問への情熱と興味分野が共通しているのだ。

 素直な心持ちのまま、話が通じることは、この上なく心地良い。

 薬湯と水を入れた鉄瓶を盆に乗せて部屋に戻ると、敬助は火鉢を抱き込むようにして、当月分の掛け取り額を確認していた。

 薬を渡し、鉄瓶を火鉢にかける。湯気で呼吸が楽になるはずだ。

「ありがとう」

 礼を言われて、はにかみながら首を振る千歳の頭に、敬助が手を乗せた。

「なんですか?」

「良い子だなぁと思って。──うん?」

 千歳の顔を見ると、頬を膨らませている。

「もう、子どもじゃありません」

「おやおや、そうか。わかったよ」

 敬助はポンポンと千歳の前髪を撫でると、手を引いた。たしかに、もうすぐ十五になる娘だ。いつまでも、気安く頭を撫でてはいられないだろう。

 去年の秋を思い出す。あのころの痩せぎすで寂し気な子どもは、今は艶やかな頬をして、学問に目を輝かせるようになった。どうも、最近は若衆姿が板に着きすぎている気もするが、ともあれ、今の千歳は生来の純真な明るさを取り戻しつつあるように見える。

(なるほど、親離れか……)

 火箸を手に炭を掻く千歳の横顔を見つめると、少し寂しい気も湧いてきた。しかし、良い成長を遂げている証なのだ。喜んで応援してやらなくてはいけない。それは、わかっていたことだが──

「君、もう少し隊にいないかい?」

「え……?」

「十五になったら、隊を出るという約束。少し延ばすように、土方くんに話してみようと思っていたんだけど」

「でも……良いんですか?」

 千歳が濡れた目で敬助を見た。敬助は、またうっかり頭を撫でそうになった手を、自分の額に持っていき、生え際の髪を後ろへ撫で付けた。

「隊は好きだろう? 勉強と友人があるんだから。それに、君は本当に僕を助けてくれる」

「そんな……」

「話しても良いかい?」

 千歳はうつむいたまま、小さくうなずき、お願いしますと手を着いて願った。

 敬助は、ひとつ手を叩き、思い出したように、

「明日行う試合──新入隊士の腕試しね。順番とか、誰がどの師範と当たるかとか、番組を作ったから、清書を頼んで良いかい?」

と言って、千歳に文机を空けた。

 千歳は凛々しい顔で返事をすると、敬助の丸い硯で墨をりだした。

「ねぇ、先生。先生も、稽古に戻れると良いですね、いつか」

「うん……そうだね」

「先生に稽古付けてもらいたいなぁ」

 千歳は墨が磨りあがるまで、楽に座りながら、先程、五郎と話していた大人になるとはどういうことかとの考察を敬助に話した。何度もうなずいたり、時々、質問を挟んだりしながら聞いてくれるので、千歳は敬助に話すことが好きだった。

 そして、敬助も、この少女がもたらす明るさを手放す覚悟が、まだ定まっていなかった。

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