十三、手紙

 隊士宛ての文は、個人に直接届けられる場合を除いて、副長部屋にて一括で預かり、そこから分配される。屯所内での飛脚係が、千歳たち小姓の役割だった。

 

 歳三はモテる。そのため、三日と開けずに京都中の花街から艶文がやって来ていた。

 政談の際に座敷を使うので、芸妓たちの機嫌を損ねれば、新撰組を悪く思う奴らに肩入れされかねないから、返事も丁寧にしなくてはいけない……と歳三が以前、敬助に話した。しかし、完全に楽しんでいることを、敬助は知っている。マメさは素直に褒められると思う。

 ところが、最近、それを受け取るだけでなく、開封して返信の要不要を改める役まで言い付けられた千歳にとっては、堪ったものではない。なぜ甘ったるい匂いの漂う他人の恋文を仕事で読まなくてはいけないのか。しかも、歳三も忙しい時期には片手間に返信を認めているので、時々、文のうちで語られている話題がわからなくなる。そんなとき、どの芸妓と何を話したか大体把握している千歳が索引代わりに使われるのだ。

 遊女には名を明かしていないのか、それらしい妓からの文はない。元より、そこについて考えると寒気が走るので、千歳は極めて事務的に処理することにしている。

 そして、花街の置屋まで届けるのも千歳の仕事だが、千歳が行くのを渋ったところ、通常の駄賃が四文銭二枚のところを四枚、十六文渡された。それからというもの、千歳は芸妓への文遣いは十六文もらわなくては行かなくなった。

 敬助は常のお遣いで二十文くれる。甘味屋へ行った帰りに、駄菓子も買えるくらいの価格だ。敬助からお小遣いをもらうのは申し訳なさがあったが、歳三からせしめる分には一切の罪悪感がないことを、千歳は誰にも話していない。


 啓之助は、江戸の生母や義理の兄からの文をよく受け取っている。月に一度は大きな包みで仕送りが届けられていた。

 今日は珍しく勝から届いていた。啓之助は文を広げるなり、深くため息をついて、庭を見遣った。北の広間に面する坪庭には、寒椿の蕾が赤い花弁を見せ初めている。

「母さま、さっそく勝先生に告げ口してるぅ」

「なあに?」

「仇討ちのこと」

 それでも、どうやら、勝も仇討ちには反対らしく、勝の方からも順の説得を行うとのことだった。また、先月中旬に歳三が出した文により、花火の一件が知られており、それに対する叱責もあった。

「副長も黙っててよ、そういうことは。……うわ、山本先生も勝先生にご報告してる。最悪だぁ」

 啓之助は文句を言いながら説教部分を流し読みしているが、千歳は少しうらやましい。千歳に文をくれる人はいないし、どこかで千歳を案じてくれている人もいないのだから。

 啓之助は全て読み終えると、文を丸めて、掌を叩きだした。

「先生、ホントさぁ、今忙しいんでしょ? 俺なんかに説教してる暇ないじゃないかぁ」

「……君はその説教、素直に受け止めろよ」

「もうとっくに反省したこと、蒸し返されてるんだよ?」

「それでもだ。そういうお言葉は、ありがたく聞くもんなんだから」

 千歳の語気が強くなるが、啓之助にとってこの程度は日常茶飯事の注意口調なので、そこに含まれる苛立ちには気付かない。

「お仙くんは良い子だから、そりゃ、お叱りすらもありがたいことかもしれないけど──」

「君も叱られないようにすれば良いだろ⁉︎」

 千歳の手による畳を叩く音が北の広間に響き、沈黙が流れた。啓之助は驚いて口をつぐみ、千歳はまばたきを繰り返して、うつむく。啓之助が千歳を呼びかけたところで、千歳は跳ねるように立ち上がり、部屋を走って出た。

 昼食後の洗い物をする厨を抜け、離れの前の板塀に身をもたせかける。両手で顔を覆って、大きなため息をついた。

 今のは完全に自分が悪い。説教を真面目に受け取らない啓之助に対して注意をしたかったなど、手頃な言い訳、隠れ蓑だ。あれは、啓之助がうらやましくて、八つ当たりしたに過ぎない。

 千歳は顔を上げる。この場所で、馬越と長山が接吻しているのを見て、それから、馬越に泣かされて、歳三に説教を受けそうになった。半年ほどしか経っていないのに、随分と昔に感じられる。あのとき、逃げ出したことが今になって申し訳なく思えてきた。

「あ、馬越くん……」

 ふと、ある考えが浮かぶ。馬越があれほどにも千歳に意地悪を言ってきたのは、今の千歳と同じ気持ちだったからではないか。確かに馬越は千歳のことをうらやましいと言っていた。

(なんだっけ……素直で、純真で姑息なことしない……)

 全く検討外れな評だ。千歳はため息をついて、裏門をくぐった。


『……自分が嫌になるとき、どうしたら良い?』

『君も、嫌になるの?』

『なってる……。わがままで嫌になる。だけど、素直に直せない』


 千歳はあのころから変わっていない。馬越は隊を出て変わっただろうか。

 馬越からは一度、礼の文があったきり、連絡がないし、その文にも住んでいる場所は書いていなかった。行商人なので、定住していないのかもしれない。せっかく思い当たった文の送り相手は、あえなく消えた。

 千歳は八木邸に入ると、手習いの復習に勤しむ勇之助の隣で、先日、佐久間邸より譲り受けた『英米対話捷径』を読んだ。


 敬助の許へも、たまに艶文が届く。元々、遊ぶ方でもなく、正月以降、渉外業務から退いた敬助が未だに文をやり取りしているのは、明里だけだった。

 敬助が明里を訪ねるのは、決して頻繁ではない。三日して来たかと思えば、一月ほど連絡を入れなかったりもする。

 明里は三味線の名手なので、敬助はいつも長唄を願った。明里の年の割に甘い声で唄われる恋歌が好きだった。

 敬助は口が上手い方ではない。時間のほとんどを明里に唄わせて、それを眺めているばかりだった。たまに目が合うと、明里が照れてうつむく。細い指が弦を器用に押さえていく様も、また良かった。

 ある夏の日、長唄を披露し終えた明里に、敬助は次の曲を見せるように言った。しかし、明里が喉が渇いたと言うので、敬助は盆に置かれた煎茶を飲ませた。明里が敬助の隣で小さく喉を鳴らして、湯呑みを空ける。そして、左手の指をゆっくりと撫でて、

『痛おす』

とつぶやいた。敬助は何も言わない。

『痛おす』

 もう一度言って、明里は敬助の方に手を差し出した。優しげな目許が、敬助の灰がかった目を見ていた。明里は静かに、自身の手を敬助の左手の上に乗せた。敬助が右手でその手を包んだ。


 明里はよくしゃべった。好きなお菓子、身の上、行ったことのある場所、見たことのある芝居。敬助は明里の声を聞きたくて、たくさんしゃべらせた。

 それでも、敬助は亥の刻を前に帰っていく。

「明けの烏が憎いなん、一度で良えし、言うてみたいわ」

 明里が文句を言いながら、敬助の着付けをしていく。

「仕方がないよ、僕は屯所にいることが仕事なんだから」

「そうやねんけど……」

 明里が甘えた声で袴の紐を結んでいく。一文字ではなく、結び切りにして、余りの紐を背に回し入れた。中々、手を出さずに、抱き付く姿勢でいる。

「明里……ダメだよ」

「ちょっとだけやもん」

「もう」

 以前、明里は敬助の着付けをしながら、奥方さま気分を味わえるから好きだと言った。敬助も、自ら手放して未練もないと思っていた妻の存在を味わっていた。

「またすぐに来るから」

「ほんに? そない言うて、十日は後やんなぁ、いっつもそうや。ああ、年取ると時間経つの早なる言いますよってになぁ、先生にとっては一瞬なんでっしゃろなぁ」

 明里が羽織を広げ、敬助に腕を通させる。敬助は明里をよく子ども扱いするが、実年齢は十歳しか離れていない。

「明里、君は最近、お口が悪いよ」

「おしゃべりなお口が止まらへんのや、先生。止め方知ったはる?」

「知らない」

「嘘や。もう一遍、聞いたりますえ。ほんまは知ったはんねやろ? うちの口のふさぎ方」

 羽織の紐を両手に持った明里が、敬助を見上げる。敬助はお歯黒がのぞく明里の口許を見つめたまま答えない。

「な?」

 明里がもう一度、小首を傾げて尋ねた。敬助が口付けを落とした。

「また来るときまで、静かにしていなさい」

「あんま、長いこと持たへん気ぃします」

「もう……」

 幸せそうに両頬を押さえる明里を見ると、敬助も「先生」の顔が緩む。


 藤堂から新入隊士の名簿が添えられた報告書が届いた。

 歳三と敬助が改めていく。その筆頭に、敬助に懐かしい名前があった。

「ああ、大蔵くんだ! そうか、平助くん、声かけてみるって言ってたから」

「平助がウチにくる前の道場主の先生だったっけ?」

「うん。彼はすごい、もう本当によく出来た人物なんだ」

「ふうん」

 伊東大蔵、改名して甲子太郎かしたろう。常陸国志筑の出身で、年は敬助よりひとつ下。玄武館では一番に名の知れた才子で、剣も学問もよくできた。三年程前に婿養子に入って継いだ深川の伊東道場は、文武両道を謳った大道場となっていると敬助は語った。

「あー、博識な偉丈夫ってわけか」

 歳三の呆れの交じった感想に、敬助が笑う。

「歳三くんは、そんなのは嫌いかい?」

「馬鹿言えよ、そんなこと言ったら、近藤さん好みの奴を嫌いってことになっちまうよ」

 つまり、敬助のことも嫌いになると付け足され、敬助は、この年になり、誰かの好意を気にすることなどほとんどなくなっただけに、思わず照れた。

「そんな……お、大蔵くんは僕なんかより、遥かに人物さ」

「ああ、それは恐ろしいな」

 歳三がフッと鼻で笑って、書面に顔を戻した。

 敬助は、初めて歳三に会った日のことを思い出す。試衛館に来てすぐの正月の宴席だった。近藤の後ろで、あからさまな不信感を持ってこちらを伺う男が歳三だった。敬助も笑顔の下で当惑したことを覚えている。

 受け入れられていないのか、嫌われているのかと思っていたが、次第に、歳三が新参者になら誰にでもそんな態度を取ることを知った。当時、懐の深い近藤の許には様々な人が寄って来て、門弟は増減を繰り返していた。歳三にしてみれば、顔を出すたびに小汚い男が増え、それもすぐにいなくなったりするので、「お前は誰だ、本当に居着くつもりあるのか」と疑いの目で見たくなるのも無理はない。

「大蔵くん、本当に気持ちの良い人だから。悪く言う人なんか、ほとんどいない。……安心したまえ」

 三十路を過ぎた大人に、まさか「仲良くしてくれ」とは言えず、敬助はうっかり出そうになった先生口調を誤魔化した。それから、ふたりは新たな部屋割りを考え始めた。


 敬助より部屋割りの指示書を渡された千歳は、張り出せるように清書していく。前川邸の離れは一棟、伊東とその門弟たちに割り当てられ、残りの者も、前川邸の長屋門や八木邸の母屋に収容されることになる。

 敬助が伊東一行のなかのひとりを指して言う。

「平助くんが、この子は君にって。友人となすに好ましい人、頼んだそうだね」

 千歳がはにかんで返した。そんなことを願って、しかも、聞き入れてもらったことを知られたことが、なんとも恥ずかしい気がした。

「中村五郎くん……ですか」

 敬助によって読み上げられる藤堂の報告書によると、中村五郎は十八歳。伊東の寄り弟子で、勤王の志高い才子らしい。人柄は落ち着きがあり堅実。

 そこまで読むと、敬助がふふっと笑った。何かと尋ねれば、

「ううん。『見目麗しは、向後の成長に期待すべし』だって。二枚目な子を望んだの?」

と問われるので、千歳は赤くなって、口の中で色々と弁明した。

 なお、啓之助が依頼していた西洋砲術師範は、今回の徴募に間に合わなかったため、藤堂は追加徴募も兼ねてひとりで江戸に残ることになったという。

 今月末には、新入隊士二十数名を引き連れ、近藤たちが戻って来る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る