十四、追従
秋も深まり、壬生寺の境内に立つ銀杏の実が落ちるころ。
長州征伐がいよいよ始まるというのに、勝海舟が江戸に呼び出され、軍艦奉行を罷免されることになったと、山本覚馬が新撰組に報じた。
書状を見た敬助は、啓之助を呼んだ。相変わらず、千歳に引っ張られて副長部屋にやって来た啓之助は、概要を聞かされると、「馬鹿なんですか?」と憤った。
「この時期に先生を辞めさせるなんて、海軍をどうするつもりでしょう、ご老中方は!」
海戦の指揮を執るどころか、洋船を運航させることすら、できる者は少ない。長州へは瀬戸内の細い海を抜けて行くため、航路を見極める技術が必要になる。勝は八月、慶喜に命じられ、神戸から豊後国姫島まで航っているので、海軍の先導者として、これ以上の適任者はいないはずだった。
啓之助が渡された書状を食い入るように読む。千歳も肩越しにその内容を見た。そこに書かれていた名は──
「坂本龍馬……」
「勝先生の面倒になっている浪士が何人か目を付けられているようでね。ほら、池田屋の際にも、土佐浪人はだいぶ召し捕ったし」
千歳は、力は示すだけに留めるものだと語った坂本を思い出す。その言葉のとおりなら、坂本は倒幕派ではないと思えた。しかし、啓之助は舌打ちして、
「あの人、土佐勤王党に属していたな、そう言えば」
と言った。敬助も、この前、岡田以蔵が捕まったと話す。土佐勤王党で、人斬りの異名を持つ男だ。
「坂本にも、藩から帰国命令が出ているんだが、帰れば断罪、帰らなくても脱藩で断罪。それを勝先生が執り成しに動いたことが、原因じゃないかって書かれているけれど……」
千歳が眉をひそめて敬助を見る。罷免理由にしてはあまりに軽く思えた。敬助も息をついて、
「というか、元々、勝先生はその……ちょっと率直に物を言われる方だろう? 政についても、色々……な?」
とこぼした。その言葉に、啓之助が書状を叩き付けて立ち上がった。
「神戸、行ってきます」
「み、三浦くん⁉︎」
千歳も立ち上がり、落ち着くように肩に手を当てるが、啓之助はその手を振り払った。千歳は思わず尻餅をつく。
「痛っ!」
「三日後には帰ります!」
「三浦くん、待ちなさい!」
部屋を走り出る啓之助を追いかけ、敬助も走る。千歳も後を追うが、啓之助は財布だけを持って大刀を差し、敬助の制止も聞かずに、門へ走った。敬助が駆け行く背中に叫ぶ。
「三浦くん、鳥羽で舟に乗りなさい! 仙之介くんと一緒に!」
驚いて千歳が敬助を振り返ると、敬助は立ちくらみを起こしたのか、式台の柱に手を着いて、静かにしゃがみ込んでいた。
「先生! だ、大丈夫ですか⁉︎」
「平気だ……」
声を聞いた六兵衛が厨から走って来たので、敬助は手を借りて、部屋へ戻ると、千歳に自身の財布を差し出した。
「追いなさい、早く」
「でも……」
「大丈夫だから。連れて帰りなさい、必ず」
千歳は泣きそうになりながらも、屯所を駆け出て、千本通を南下した。啓之助は、火が点くと手に負えない。
三十石舟は千歳たちと幾人かの商人、浪人たちを乗せ、秋空の下、山崎を通り過ぎた。禁門の変の際、長州方の真木和泉が立てこもり、新撰組含む幕府軍が攻め立てた場所だ。
啓之助は舳先に腕を投げ出して、かったるそうに語る。
「だいたい、勝先生も人が良すぎるんだ。怪しい奴ら、おもしろがって預かるなんて。坂本龍馬、いかにも突飛なことして、面倒ごと持ち込みそうな臭いするのに」
お前が言うなとの言葉を千歳は飲み込んだ。
「坂本さんも、行く先なくて預かってもらってるんだから、大人しくしてろよ。迷惑かけて。分別がないよな、そこら辺」
「き、君は……」
まさに啓之助へ言いたい言葉そのもので、千歳の口が動いた。ここまでくると、いっそ清々しい棚上げだ。啓之助の口は止まらない。岡田以蔵に河上彦斎、さらには、真木和泉に同じく長州の久坂玄瑞を酷評していく。象山が蟄居する原因になった吉田松陰にまで悪口が及ぶと、さすがに千歳も周りを気にしてなだめにかかった。
「三浦くん、ホント、誰が聞いてるかわかんないんだから」
「誰も聞いちゃいないよ。西郷吉之助、知ってる? あいつも──」
「わかった、わかった! 宿で聞くから。頼むよ、僕はまだ斬られたくないんだから」
船頭の足元に座る浪人二人組が、先程からこちらを見ていた。
大坂に着くころには、啓之助の機嫌も幾分か戻っていた。街明かりを映して、川は点々ときらめく。いくつもの橋をくぐって、舟は八軒家船着場に着いた。
「あー、せっかくだったら、新地行きたーい」
船付き場の石段を昇りながら、啓之助は伸びをして言うと、千歳の方を見向きもせずに、京屋の暖簾をくぐった。
二階の八畳間に通された千歳は、今更ながら、男女が同室、ふたりきりで寝る事の重大さに気付いた。帰ったときの歳三による説教が今から恐ろしい。
啓之助はといえば、脱いだ羽織の上に財布を投げ出すと、
「お風呂行ってきまーす」
と端唄を歌いながら出て行った。千歳は呆れを通り越して、笑いが込み上げてきた。見習いたいほどの図太さだ。笑い声も鎮まり、ため息をつく。
(先生、大丈夫かなぁ……)
怪我を負ったときの敬助が寝かされていたのも、この宿のどこかだろう。
翌朝、着替えを済ませた千歳は、宿の布団だというのにぐっすりと眠る啓之助を叩き起こして、宿を出た。天保山で川舟を降り、千石船にて神戸へ至る。天保山にも神戸にも、幕府海軍の軍艦が着いていた。
海軍操練所を訪ね、坂本への面接を願うと、ふたりは前回と同じく塾に通された。ところが、壁一面にあった本は既になく、電信機が据えられていたはずの机には、大小様々な木箱が雑多に置かれ、埃が薄く積もっている。千歳は啓之助と目を見合わせた。この部屋には、使われている気配がしない。
「坊ちゃん、急にどうしたんじゃ?」
坂本が声を響かせて、土間に入って来た。框に腰かけ、半跏に組んだ足に肘を立てて啓之助を見上げる。
「まぁ、勝先生のことじゃろ。ほんで、坊ちゃん、何か書状は──ないがか。ははぁん、飛び出して来たがじゃの。ほいで、後ろの不服そうな顔した坊ちゃんは、お目付け役かねや」
「お、お久しぶりです。酒井──」
「仙蔵坊だったかの」
「あ……仙之介です……」
「ほうか、すまん」
坂本は、自身の隣を叩いて、座るように示す。埃が舞った。啓之助が立ったまま尋ねる。
「坂本さん、ここ……」
「閉鎖じゃ」
簡潔に言い切った坂本は、教室内を見た。
「ここには、日本の未来が詰まっちょると思うとったんじゃがのぅ……」
「坂本さんが、目を付けられたって聞いてますけど?」
「おい……」
千歳が後ろから諌めるが、啓之助は振り返らない。坂本は、少し宙を見つめてから、啓之助に向き合った。
「勝先生には申し訳ないと思うちょる。ワシが連れて来たモンものぅ。池田屋で塾生が死んじょるじゃろ。塾内に討幕派がおらんか、少し前から、ここの塾生が調べられちょったようじゃ」
「御公儀によってですか?」
「ほじゃ。……うん、それもじゃが、先生は公儀政体を唱えちょるきに、
敬助が言った「率直に物を言われる方」との評は間違っておらず、それを疎まれての罷免であることを啓之助は察した。勝はもう戻って来ないのかと坂本に尋ねる声は、寸前までの食ってかかるような物言いとは程遠い。
「しばらくは、戻られんじゃろうのぅ」
「江戸にいるんだ、先生も……」
啓之助が坂本の隣に座った。坂本がその肩を抱く。
「……俺も帰りたい、江戸」
啓之助は珍しくしおらしい声音で坂本に身を預けた。
「みんな、俺の仇討ちに、『大先生の遺児、三浦少年が本懐を遂ぐ』って結末ばっかり求めるんです。観客は気楽で良いですよ。でも、仇討ちが見たいんだったら、芝居小屋にでも行ってろって話です。こっちを勝手に役者に祭り上げて……」
「他人のことはみんな他人事じゃきに。勝先生も、仇討ちには反対されちょったしのぅ」
「先生、お許しくださるかしら……」
「くださるろぅ」
「じゃあ、帰る。帰りたい」
「うん」
坂本がうなずいて、啓之助の頭を撫でた。
啓之助が仇討ちを強いられ、不本意ながら新撰組にいることは千歳もわかっている。しかし、ここで離隊を決めるのは筋が通らないように感じる。あまりに勝手だ。
「──み、三浦くん!」
千歳の上ずった声に啓之助が顔を上げた。
「何?」
「き、君……帰るかえるって言うけど、脱退が認められていないこと、わかってるだろ……⁉︎」
「でも、勝先生に一筆書いてもらえば──」
「簡単に人を使うな!」
千歳が両の拳を握り締めて、声を上げた。応じて立ち上がりかけた啓之助を抑えて、
「どうしたがじゃ、仙の坊ちゃん」
と坂本が尋ねる。千歳は唾を飲み込んでから言う。啓之助に、ずっと感じていたことだ。
「君……自分の力で何もしないな」
帰りたい、嫌だ。啓之助はいつもこう繰り返し、逃げる。葛山への斬り付け事件も、帰藩の件も、周りが方々に頭を下げて執りなした。決して、啓之助は自らの状況を変えようと動いたりはしない。
「いいか? 一体、どれだけの人が、君のために動いているか! 山本先生も勝先生も、局長、山南先生、副長……みんな、君が新撰組にいれるよう、頭下げてくれてるんだ。──それなのに、帰りたいから、一筆くれ? どれだけ、周りの人を自分のために働かせるんだ!」
「俺、そんなこと頼んでない!」
啓之助が坂本の手を振り払い、千歳の面前に立つ。二寸ほど高い鋭い目に見下ろされても、千歳は怯まない。
「だから? だから、なんだよ? じゃあ、結構ですって言えば良いじゃないか! 振り回されるこっちの身にもなってみろ!」
屋根に取り残され、身代わりや巻き添えの説教を何度も受け、人を気にかけない言動にハラハラさせられ。今は、神戸にまで足を伸ばす羽目になった。
「隊を出たいんなら、自分で局長に願うんだな。自分でなんとかしろ。──だいたい、君は先に行動がありすぎる! 突飛なことして面倒ごと持ち込むのは、君だ!」
「うるさい!」
「うるさいは反論にならない!」
一瞬、息を飲み込んだ啓之助が、千歳の脇を抜けて、教室を走り出た。荒い息で、それを見送る。ハッとして、坂本を振り返ると、両腕を後ろに投げ出して手を着いた坂本が、
「……あんま、正論で殴りなや」
と笑いながら言った。千歳の目が、瞬時に涙で覆われる。
「ほんでも、うらやましいのぅ。ほないに叱ってくれゆう友人ができて」
坂本は思い出したように声を立てて笑うが、千歳は坂本に背を向け、耳まで赤くして涙を拭った。悲しいのではない、感情を出すことに慣れていないためか、勝手に流れてくるのだ。
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