十五、期待
啓之助を探すため、千歳は坂本の後ろに付いて操練所内を歩いた。二ヶ月前には多くの塾生で賑わっていた敷地も、今は人気がない。坂本の独り言とも判断の付かないつぶやきの他は、鴎の声と波の音ばかりが響く。
「どっこへ、行った、ぜよー。ほれほれ、どっこへ、行った、かのー。やっほれ」
蔵の裏を周りながら、坂本が妙な歌を歌う。
「おう、薄が枯れてきたのぅ。これくらいの方が、日の光にキラキラして、良えと思わんか?」
千歳は庭の松の木の奥に群れる薄を見遣ってうなずくが、坂本の視線は既に浜へ移っている。
「先月の中頃……十日過ぎじゃったのぅ。フランスの船が来よっての、そこん港に」
船の故障により上陸を求められたが、薪と水だけを提供し、横浜へ行くように告げたと言う。
「のう、お仙坊。おんし、いくつぜよ」
坂本の話題の変わりようは目まぐるしい。
「十四になりました」
「ほう……ほじゃ、坊ちゃんの三つ年下かいね。ふふん、ほいでああも言われるゆうがは、ふふふふ、辛いのぅ」
「す、すみません」
「良え、良え。悔しい思いは、人を強うさせるきに」
坂本は笑って、母屋の裏手へ入って行く。千歳はその後ろを歩きながら、先程の自分の言動を思い浮かべて、ため息が出た。感情的になると、必要以上に強い言葉で言い立ててしまうのは、悪い癖だとわかっていながら、何度も繰り返しているのだ。
「……いませんね、三浦くん」
「浜にでも出たんかのぅ」
「これが京都だったら、ほぼ間違いなく、嶋原なんですけどね」
「ははははは!」
坂本が大きな声で笑う。そのとき、遠くから、
「──いた! 坂本さん!」
と呼びかける声がした。続いて、話を聞けともがく啓之助と、それを引きずる二十歳過ぎの青年が、母屋の影から姿を見せた。
「こいつ、勝先生の部屋、のぞいとりました!
陸奥と呼ばれた青年は、後ろ首を捕まえられた啓之助による足払いを難なくかわしながら、坂本に啓之助を突き出した。坂本が、苦笑いで啓之助の肩に手を置く。
「離しちゃれ、陸奥。お客人じゃきに」
啓之助はこの上なく不機嫌な顔で陸奥を睨んだが、悪いことをした自覚はあるのか、文句は言わなかった。
坂本は、陸奥を伴って、千歳たちを寄宿舎の自室に通した。六畳一間をふたりで使っていたが、相部屋の相手は既に江戸に下ったという。雑然とした室内は、千歳に芹沢の部屋を思い出させた。
「まあ、座りや」
坂本の指示に、陸奥が畳の上の本を脇に退かし、ふたり分の座布団を敷いた。
「陸奥、ワシ……眼鏡、どこ置いたかのぅ」
「本箱の上は、ないですか?」
「……ない」
「ほんなら、文箱の上」
「お、あった!」
眼鏡をかけた坂本が、巻物や書状を抱えて、千歳たちの前に座った。ひとつずつ開いていく。
「見とうせ、見とうせ、坊ちゃん」
世界地図、長崎を中心に取った東アジアの航海図、外輪船の絵図、様々な証文。英文で書かれたものもあった。
「……なんの資料ですか?」
「ワシはのぅ、やろうと思うちょるんじゃ。──East India Company!」
「貿易所、建てるんですね!」
「なあに? イストイン……」
千歳が聞き返すと、陸奥が英国によって設立された貿易の Company──社中であることを説明した。坂本は、これを長崎に立てようと構想していると言う。
「武士とは、まっこと窮屈なモンぜよ。何かを生み出すわけでもない。勝先生ほどの人物も、上に疎まれたら、仕事を続けられん。そん点、商いは自由じゃ。主君もいらん、土地もいらん」
啓之助が手を打って歓声を上げた。先程までの不機嫌は忘れさったようだ。
「坂本さん、すごい。俸禄をもらう必要もない、年貢を取り立てる必要もない。貿易なら、船が利益を運んで来るから!」
「そうじゃ。さすが、坊ちゃんは理解が早いのぅ! ワシらが扱うは、大砲じゃ。利益はデカい。ほいで、そん利益で、ワシら自身の兵を養うがじゃ」
「つまり、資金調達を Company 内で調整できるから、安定した調練が行えるんですね。新撰組、せっかく導入した砲術、資金難で調練減りましたからね」
加えて、砲術師範の武田が東下しているため、この一月半は、一度も砲術調練が行われていない。
「火薬は高いからのぅ。ほうじゃろう? 何をやるにも、まず金ぜよ。金さえあれば、人と物を買える。人と物が集まるゆうがは、それはもう力になる」
坂本が晴れやかに言い切った。陸奥も、啓之助も、計画の実現に思いを馳せて、目を輝かせている。
しかし、千歳には、危ういものに聞こえた。坂本のやろうとしていることは、私兵の育成だ。農兵すら、その設立に多くの制限がかかるというのに、坂本は、一介の脱藩浪士でありながら、豊富な財源の元に西洋練兵を持とうと言っているのだ。
「あの、坂本さん。それは、聞く限り……御公儀に目を付けられやすい組織に思われるのですが」
「……そうじゃのぅ」
坂本は腕を組んで、天井を見上げた。そして、勝にはいつも迷惑をかけ通しだとつぶやく。
「坊ちゃん、勝先生には、ほんにすまん思うちょる。ほいでも、きっと、ワシはやり遂げる。先生に詫びを入れに行く時間があったら、働かせてくれ思いゆう」
坂本の視線を受けて、啓之助は深くうなずいた。坂本もうなずき返し、眼鏡の下で目を細めて笑った。
「ワシには、叶えたい世の形があるんじゃ。象山先生は『
坂本が掌に字を空書きしながら言った。千歳も指先で文字を追う。
「船は学んだ。人も育った。仕事が始めらりゅうとこまで来ちょるんぜよ。目を付けられようと、追手を出されようと、恭順はせん。ワシには、目指す形があって、それを応援してくれる人と、協力してくれる
坂本が陸奥の肩を抱いて笑う。陸奥も、呆れた顔を見せながら笑った。
感化されるとは、まさに今の状況のことを言うのだと千歳は思った。事の是非、善悪はさておき、坂本の熱意は本物で、それが陸奥と共有されていることは伝わってくる。
目的と、達成のための手段。千歳が言えずにいたことを、坂本は自身の言葉で示した。坂本の決意に動かされたようで、啓之助は、それからしばらくの会話を挟んでから、帰京を口にした。
坂本と陸奥が、ふたりを船着場まで見送る。道中、坂本が啓之助の肩を抱いて言い聞かせる。
「頑張りやぁ、坊ちゃん」
「……何をですか?」
「それに答えられるよになることを、じゃ」
坂本も、啓之助の中に迷いがあることをわかっているのだろう。
夕暮れの浜風は、冬の寒さに変わっていた。船はゆっくりと港を出て、東へ向かう。
千歳は風を避けるため、船縁にもたれて座った。啓之助も隣に座る。
「ごめんよ、お仙くん」
啓之助がそっぽを向いて言った。何に対してかは口にしないが、千歳には十分だった。
「僕も、さっきは言いすぎた。ごめん」
「ううん」
それから、ふたりはまた黙った。
前に神戸に来たときも、これからどうしていこうかと考えていたことを思い出す。千歳も啓之助も、隊にあれども、決して同士ではない。共に生活していても、仲間ではない。
京都に帰れば、すぐに、近藤が新入隊士を連れて来る。藤堂が千歳の友人にと言った中村五郎とも、千歳は本来ならば友人にはなり得ないのかもしれない。
(仲間、いたら……心細くないんだろうな)
同じ先行き不安定な身分であっても、坂本には、不安すら希望のように見えていた。陸奥を始めとした仲間がいるからだろう。
「……ねぇ、三浦くん」
「うん?」
「『海防八策』、象山先生の。教えて、どんな内容か」
後日、啓之助より見せられた紙切れには、象山の説く海防の策案、『海防八策』が力強い筆致で認められていた。
一、諸国海岸 要害の所、厳重に砲台を築き、平常大砲を備え置き、緩急の事に応じ
二、
三、西洋製に倣い、堅固の大船を造り、江戸
四、
五、洋製に倣い、船艦を造り、専ら水軍の
六、辺鄙の津々浦々に至り候 迄、学校を興し、教化を盛んに仕、愚夫・愚婦迄も忠孝 節義を弁え候様 仕度候事。
七、御賞罰
八、
なるほど、難しい。千歳は一読した段階で、海を越えてやって来る異国船から海岸を守る多難さを理解し、また、建策の内容が海防に留まらず、第三条にあるとおり、洋船の商業利用にまで及ぶことに感心した。以前、啓之助が黒船の商船利用を挙げて、これからは黒船の時代だと言ったのも、ここから来ているのだろう。
さらに、第六条に至っては、全国に学校を作るべしと書かれている。直接、海防には関わりなく思えるものを、なぜ、
それを聞こうと思っても、啓之助は総司の剣術稽古に引き連れられており、聞けない。千歳も、敬助に呼ばれて、新入隊士分の布団をそろえるため、貸し布団屋へ依頼を出しに行くことになった。
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