八、哀悼

 暖かい日が続いた九月も、十日には急に寒くなった。同時に、しばらくは体調を保っていた敬助が咳をしだし、寝込んだ。傷を負って、もうすぐ一年になるというのに、敬助の身体は戻らなかった。

 副長部屋の居室として使う中の間は、南北にそれぞれ副長執務室、局長執務室があるため、昼間の明かりは、西向きの格子窓からしか採れない。千歳は食事や身体を拭う湯桶を運ぶたびに、薄暗い部屋に取り残される敬助が寂しく思われた。

 歳三は敬助の代わりに、千歳と啓之助をよく使った。葛山の初七日と芹沢の一周忌を兼ねた法要は、ふたりが采配を任されることになった。

「長州浪士の討ち入りに遭うなんて、災難だったね、芹沢局長」

 啓之助は、芹沢の公の死因しか知らされていない。

「どんな人だったの?」

「僕も会って数日で亡くなられているから、よくは知らない。でも……形見分けに、本をいただいた」

「ああ、あの本の山ね。水戸の学者だっていってたもんなぁ」

 啓之助が坊城通から八木邸の二階を振り返って言った。

 壬生寺の庫院に通されたふたりは、和尚と法要の段取りを話す。主な交渉は啓之助が担い、千歳は財布の紐が緩い啓之助の代わりに勘定方より示された予算の管理を行った。


 入隊から二ヶ月を経て、啓之助も事務仕事には慣れをみせた一方で、稽古嫌いや日中に姿を消すことはなくならなかった。

 そのため、千歳への巻き添えは減らない。稽古着の総司から、また啓之助が稽古を逃げたと説教を受けた夕方、歳三からも啓之助が配膳に姿を見せないことに対して、なぜ見張っておかないのかと叱られる。夜、原田たちからは、啓之助がまた嶋原に来ていたことを聞かされた。

 千歳がいつのまに啓之助の監視係に任じられたというのだ。身に起こる理不尽さを当人に打つけようと、何度となく、勝手に外出するな、無断外泊はやめろと言おうと、啓之助には暖簾に腕押し、柳に風だった。

 遅い台風が近付いて、早くに雨戸を閉め切った日の夕方、千歳は土間に腰掛けて、煎餅を伴にお茶をすすりながら、啓之助に尋ねた。

「三浦くんさぁ、隊にいるの、そんなに嫌?」

 千歳の口調は、世間話の延長のように、努めて穏やかなものだった。啓之助は、煎餅をかじり、ため息をついてから答える。

「そりゃ、嫌だよ。終わらない災難だよ、父さんが死んだばっかりに」

「君はお父さまのこと、どう思ってるの……?」

 啓之助はこれまで象山の為人について聞かれても、何も答えてはこなかった。もしや、不仲なのかと思い至ったのだ。ところが、啓之助はためらいを見せることもなく、象山との思い出を語りだした。

 海岸線の偵察に行くときに連れて行ってもらったこと、壊れた懐中時計を分解して見せてくれたこと。父の手により、松代で初めて種痘を受け、小さいころはその跡を自慢して見せて回っていたこと。

「七つのとき、父さんが蟄居のご処分を受けて、松代の片隅でずっと籠もってた。それでも、父さんは洋学を学び続けたし、俺にも教えた。今は待つときだって。やっと、今年の春に京都に来たってのに、半年も経たない内に──」

 啓之助が刺す仕草をしてみせた。

「……お父さまの四十九日、もう過ぎたよね? 君、行かなかったけど、良かったの?」

「だって、松代だもん。行けないよ。しょうがないじゃないの」

 啓之助のツンとした唇が、不機嫌に歪められる。

「ホント……父さんすら、憎く思えるよ。なんで、殺されたんだ。せめて、差し違えてくれていれば、俺、こんな苦労しなくて済んだのに」

 佐久間家が松代藩より取り潰しにあったのは、象山の「後ろ傷」が、武士の恥であるとされたためだ。ほとんど言いがかりに近いが、象山の他人におもねらない、率直で尊大な物言いは、藩内に敵を作っていた。

 千歳は啓之助の表情を伺いながら、芹沢からの言葉を口にした。

「……親というのは、勝手なものなんだって。勝手に僕たちを生み出して、勝手に死んでしまうから」

 啓之助は少し考えてから、

「勝手……そうだよね。そう考えたって、許されるよね」

と投げやりに答えた。仇討ちへの重圧が、啓之助の哀悼を阻んでいることは、間違っていないだろう。

「三浦くん、坂本さんの話──仇討ちなんか、やめろっての……山南先生に話してみない?」

「話す……?」

「先生、きっと力になってくれるから」

 啓之助は千歳と目を合わせずに、うつむいていた。その日は、さすがに嵐なので外には出ないかと思ったが、啓之助が夕飯の給仕に姿を表すことはなかった。今日ばかりは仕方ないと、千歳は思った。


 気付けば、千歳が京都に来て丸一年が経ち、芹沢たちの法要の日となった。壬生寺の本堂には、隊士たちが集まり、読経を聞く。千歳も手を合わせて、冥福を祈った。

 その後、敬助を壬生寺の裏手まで引っ張って、啓之助の話を聞かせた。敬助は、庭石に腰掛けて、腕を組みながらうなずいていた。

「──つまりは、仇討ちはお家再興のためとお義母かあさまに科されたもので、本当は君は望んでいない。できれば、江戸の母上の許へ行きたい、そういうわけだね?」

 敬助の総括に、松の幹に身をもたせる啓之助がうなずく。

「俺、あまり剣術は得意でないし、学問してる方が好きなんです。算術とか。お家再興も、したいですけど、でも、仇討ちでなくても、俺自身が学を身に付けたら、取り立ててもらうことも適うわけですし……」

「なるほどねぇ」

 啓之助を見る敬助の表情は、今ひとつ冴えない。敬助の灰がかった目に見つめられ、啓之助が短くため息をつき、情けないのはわかっていると吐き出した。

「──かの大先生の血を引く割には十人並みの頭ですしね。クソみたいな、ダメ息子なんてわかってますから!」

「僕は、そんなことは思わないよ」

「良いですよ。みんな、言ってますから」

 啓之助が背を向けた。こうなると、あと少しで走って行ってしまうだろうことがわかっている。千歳は啓之助の腕に手を添えて、敬助の方を見るように促した。

 敬助は微笑みを見せてうなずく。

「君がどんな風にして身を立てていくべきか、僕なりに考えていただけだ。親と子で、歩む道が全く違うということも、よくある話だしね」

「……先生、やっぱり優しいですね。こんなこと局長に言ったら、今度ばかりは直々に叩きのめされそう」

「ふふ。まあ、局長は一本気だから」

「山南先生は違いますよね。どうして、新撰組に入ったんです? 先生なら、自分一人で頭使って仕官できそうなものなのに」

「僕なんかじゃ無理さ。それに……仲間は良いものだよ」

「そうですかねぇ」

「そうさ。では、この話は一旦。きっと──」

「話してくださいますか⁉︎ 局長に!」

「ひとまずは、土方くんにね。君は山本さまから預かっているわけだし、そう簡単に隊から出せないけど、いずれは江戸に帰れるよう計らうよ」

「ありがとうございます! できれば、早く!」

「調子に乗って。頼む立場だろう?」

 打って変わって陽気な顔を見せる啓之助を、千歳が小突く。しかし、啓之助は気にしない。勢いよく最敬礼をすると、軽い足取りで境内を後にした。

 千歳は呆れながらも、啓之助に代わり、敬助に詫びを入れる。しかし、敬助はしみじみとした声で、啓之助を良い子だと評した。

「良い子⁉︎ あれがですか!」

 千歳が思わず声を裏返して聞き返す。啓之助のどこに、良い子の要素があるのか。敬助は立ち上がり、千歳の頭に手を置いて言う。

「良い子だよ。自分がどうしたいか、なぜそう思うのか、ちゃんと言える」

「まぁ、たしかに、そこは」

「うん。仙之介くんも、ありがとう」

 敬助の手の下で、千歳は首を傾げた。

「三浦くん、悩んでいたのを相談に連れて来てくれたこと。辛いときは、誰かに話せると良いから」

 敬助は、いつも千歳を優しく導く。自分の言葉を話せるようにと後押ししてくれ、今も、辛いときは誰かに話せと諭す。慈愛と威厳に満ちた敬助の言葉は、常に千歳の胸の奥にまで染み渡る。

 けれども、今の言葉には諦めのような色がにじんでいる気がした。敬助は誰に相談するのだろう。思い浮かばない。

「先生……先生は、誰にですか?」

 敬助の細い目が動揺を見せた。千歳は慌てて小声で謝る。敬助が千歳の肩を叩きながら、しかし、目は秋空を見上げて、大人はね、と話し始めた。

「大人は……あまり、自らのことを話さないものなんだよ」

 その横顔は、「山南先生」のものではないように見えた。

 たしかに、敬助は千歳に自らのことを話さない。千歳は、敬助のことをよく知らない。最も近しく接しているはずなのに。

 千歳は、近くにいながら、敬助を理解できていないことが、とても寂しいことに思えた。


 側にあるだけでは、理解し合えない。この寂しさが、千歳に勇気を与えた。

 京都に来て一年。十五には隊を出ろと言われ、一度は奉公に上がった。大火により戻って来たが、そう長くはいられない。ならば今、近くにいるうちに、歳三と話をしなくてはいけないだろう。

 奉公から戻って以来、仕事関係で歳三から指示を受けることが増え、以前よりも会話量は増えた。しかし、内容は、

「所司代さまに謁見するから、着物を一式揃えてくれ」

「わかりました」

「足袋も」

「新しいのですね」

「うん」

このようなもので、自らのことは、お互いに話さないのだ。

 千歳は副長部屋の隅に控え、歳三が書き物を終えたのを見計らって意を決した。

「──副長」

「なんだ」

 歳三は振り返らない。

「あの……」

 歳三の筋の通った鼻は、書き上げたばかりの書状に向けられている。長いまつ毛が、文字を追って上下を繰り返し、口許に添えられた指は苛立ちを抑えるように小刻みに動いた。

「だから、なんだ」

「お、お話……お話が」

「急ぎじゃないんなら、後にしてくれ」

 歳三が速口に言った。

 千歳の勇気は、一度分しかなかった。そのまま、千歳は歳三と業務以外で話すことなく、できれば、話しかけられたくない心持ちで、月末を迎えた。

 千歳の中にある、歳三は「仙之介」に興味がないとの疑念は、一歩深まった。


 九月二十八日の夜。就寝の挨拶をする千歳に、歳三は袱紗を差し出した。

「供養料だ。明日、一日暇をやるから、知恩院に納めて来なさい」

 志都の命日を覚えていたのかと、千歳は驚いた。

 千歳を我が子とは認めない歳三は、千歳のことを今、何と思っているのか。志都をどう捉えているのか。どういう思いで、供養料を持たせるのか。

 怖くて尋ねられない。歳三の表情に、慈愛や愛惜は認められず、義務感からのみ出されているとも解釈できると思い至ったところで、千歳は思考を止め、

「感謝致します」

と頭を下げて、袱紗を受け取った。

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