七、公儀

 建白騒動は、良くいえば穏便に、悪くいえば無かったこととして処理されていた。

 隊士募集のため東下する近藤に随行するのは、武田、尾形、藤堂の予定だったが、そこに永倉も組み込まれた。武力攘夷の放棄を示した近藤と、それに賛同した武田以下三人による隊士徴募では人選が偏るとの抗議を、永倉から受けてのことだった。

 近藤たちの出立を以って、残された原田以下五人の謹慎も解かれた。

 誰もが、この騒動は終着に至るかと思っていたとき、葛山が切腹を果たした。

 近藤たちが出立した日の翌朝。副長部屋へと急報が告げられた。歳三は敬助の着替えを手伝う千歳に、先に朝食を食べているように言い付け、敬助と共に葛山の居室であった前川邸の離れへ走った。

 葛山はひとり、庭先にて自刃を果たしていた。


 現場の検分と浄めの指揮を井上に任せ、歳三と敬助は、襖と障子を閉め立て、朝食もとらずに遺書を開いた。

 建白騒動の謹慎が明けてすぐに自刃したとなれば、葛山の一本気な性格も踏まえて、隊への相当な批判が書かれているかと予想した。しかし、内容は簡素なもので、攘夷の完遂を強く願ってとあり、自らの死で新撰組が発奮してほしいと綴られていた。言外に、建白騒動が茶番であったとの非難にも読めた。

 そも、永倉からして、建白の目的は、攘夷に弱腰となった近藤の目を覚まさせるためのものだった。近藤が歳三と敬助と共に黒谷まで飛んで来て、話を聞く姿勢を見せると、永倉はすぐに騒動を詫びた。結局、旧来の仲間である永倉に、近藤を本気で談判することはできなかった。原田も斎藤も島田も同じだ。

 近藤と永倉は手を取り合い、きっと攘夷を成し遂げようと誓おうと、どのようにしてとは両者共に口にしない。ただ、攘夷を行っていくとのみ。

 攘夷が容易くないことはわかっている。だからこそ、隊は団結、挙国一致、大戦の覚悟を持たなくてはいけない。

 迷ってはいけないのだ。


『邁進せよ』


 葛山は、そう書き残した。

 これをどこまで公開するかで、意見が割れた。敬助は、全文を公開することが、諌死した葛山への礼儀だとした。それに、歳三は反対した。

 近藤に武力攘夷を支持するつもりがないことは明らかだった。葛山が攘夷を訴えるために、命まで懸けねばならなかったのは、隊の方向性が武力攘夷の破棄に向かっていると感じ取ってのことだろう。

「近藤さん、言い出したら聞かないんだから。攘夷のこともそうだよ。きっと、戻らない」

 歳三も、武力攘夷の破棄には異論があったが、それ以上に、歳三の中で近藤の意向に従う気持ちが強い。

「近藤さんが戻ってきたとき、隊の中で、攘夷の破棄など認めない、なんて色になっていたら困るだろうが」

「だけどね、たしかに今の摂津と、弱腰の御公儀の様子を見れば、誰だって武力攘夷に不安は持つよ。僕たちは、それをお支えすることがお役目ではないのか」

 しばらく、議論が続いた。

「──そりゃ、山南さん、俺だって、葛山の赤心は認めるよ。だけど、黒谷には伝えられないさ」

 隊士が死去した場合、預りである会津にも一報を入れるのだが、今回は体面が悪かった。葛山の伝を頼り、会津侯容保に直接訴えられた建白は、容保の采配により和睦で終結しているのだから、それに対する抗議とも取られかねない。

「だけれども、土方くん。我々には、彼が何に命を捧げたのか、葛山くんの家族に正しく伝える責務がある」

「皇国の将来を憂いて、では不足かい?」

 井上との葬儀の相談を挟んで、巳の刻になっても議論は続いた。こうなると、折れるのは、いつも敬助の方だ。

「──わかったよ、公開はしない。葛山くんは……将来を憂いて、死んでいった。我らは、その死を弔い、攘夷の意志を継ぐ。それで、良い」

 敬助は議論を苦手としないし、議場ではよく発言する。反対に歳三は、会議ではあまり目立たないが、一対一になると強い。特に今回は、葛山の意志を尊重したい敬助と、それによる弊害と影響を説く歳三との間で、どちらが理にかなっているかを求められたら、敬助に勝ち目はない。

 そして、求めるべきは理ではないと反論することもできない。実際に黒谷への報告書を書き、それを携えて説明に赴くのは、歳三なのだから。


 昼食後、千歳と啓之助は通夜と葬儀に用いる様々な物品を購入してくる役を申し付けられて、残暑の洛中へ出かけた。大火から、一月半。片付けられていない焼け跡と、更地との間に再建された町屋が点在する洛中を抜けて、ふたりは産寧坂に至った。

 仏具屋に入り、絹の装束を求める。提示された価格は五両。千歳は即座に断って店を出た。

「ホント、嫌。また高くなってるよ」

「五両って高いかなぁ? 襦袢と表着合わせてだったら、安いくらいでしょう」

 啓之助が不思議そうな顔で言う。その着物は、深い藍色の羽二重に、これまた羽二重の羽織だ。千歳の全身の被服代を合わせても、古着屋にて五百文で購入した木綿の振袖を着ている限り、啓之助の羽織紐の値段にも及ばないだろう。

「……君とは、物価が合わないな」

 新撰組の台所事情は、間違いなく千歳寄りなので、啓之助には黙って付いて来てもらうことにした。産寧坂を行き交う参拝客の間を縫って、次の仏具屋を探す。

「俺、あんまり物価についてはわからないけれど、絹もやっぱり高くなっているんだね」

「うん、異国がどんどん買い上げていってしまうんだもの、糸。僕、そこにおいては、今すぐ鎖港してほしいと思うね」

「絹糸ねぇ」

「八木の女将さんが言ってた。百倍じゃ済まないって、値段の上がりよう」

「どうして、異国は生糸を買うかわかる?」

 啓之助の質問に千歳は足を止め、振り返って首を振る。

「どうして?」

「お蚕さんが死んでしまう病気が流行っているんだって、西洋で。だから、不足分を東洋から買い付けてる」

「東洋……じゃあ、清国で買ってくれたらいいのに。清国の絹糸が一番っていうじゃない」

「清国も今、賠償金やら内乱で忙しいから」

「ふうん……異国の諸事情の皺寄せが、日本に来ているってこと?」

「まあ、そうとも言える」

「理不尽なことだな」

 千歳は次の店の暖簾をくぐった。

 装束と供養料を包む袱紗や、供えの清酒などを買い付け、ふたりは帰路に付いた。啓之助は自分から荷物を持つ習慣がなかったが、持たされることに不平は言わない。提げた酒樽を振りながら、清水坂を下った。

「もし、国内の生糸不足を解消するとしたら、どうすれば良いと思う?」

 啓之助が尋ね、素早く、鎖港以外でと付け加えた。千歳は答えあぐねる。

「……ねぇ、そもそも、どうして商人たちは異国に生糸を売ってしまうの?」

「国内で売るより、西洋に売った方が高くなるから」

「うーん、じゃあ、異国商人が提示する額より高く買い取れば良いんだな? そしたら、流出しない」

「うん」

「だけど、結局、高くなることに変わらないからダメか」

 千歳は装束の束を抱え直す。啓之助が、五品江戸廻送令ごひんえどかいそうれいを知っているか尋ねた。万延元(一八六〇)年に出された、生糸を含む五品を直接、外国の商人と取引させず、江戸の問屋を通すようにとの法令だ。

 千歳は聞いたことがなかった。

「それが、どう作用するの?」

「国内の取り引きを優先して、その余剰を輸出するようになるんだ」

「なるほど、品薄になると値段が上がるから、国内の品薄を解消するわけか」

「そう」

「効き目、乏しい気がするけど」

「じゃあ、お仙くんはどんな対策をしたら良いと思う?」

「ぼ、僕?」

「そう。だって、鎖港してほしいくらい、値上がりに困っているんでしょ? だけど、鎖港はできない。じゃあ、どうしたら良いか。──それを考えるのが、政治だもん」

 政治には関心を持つなと言われた。その反抗のように、啓之助からはアルファベットを習い、最近は英文法も教わっている。歳三も、多少嫌な顔はするが、これを咎めない。政治に関心を持たない限り、洋学は遊びとして許されるのだ。

「政治は……僕には、関わりのないことだ」

 うつむいて答える声は小さい。啓之助が、また不思議そうな顔をする。

「政治が支配する世の中に生きているのに?」

 さも当然のように言い放たれた言葉は、千歳を黙らせてしまった。

 世の中を知りたいと思うことは、女には過分かと尋ねたのは、決して主張ではない。いわば、歳三を困らせるための屁理屈だ。

「……政治は、武士がすることだもん。僕は、武士にはならない」

「武士じゃなくても、考えられるよ」

「でも、何も知らない」

「知れば良い」

 千歳と啓之助とでは、あまりに価値観が一致しない。千歳は啓之助のことを、妙な人だと思うが、もしかしたら、啓之助も千歳を、妙な奴と思っているのかもしれない。そんなことを考えながら、ふたりは松原橋を渡った。

 「お仙どん」が逸れてしまった場所だ。

 いつか、新撰組を悪く言う里幾に対して、政治を知らないものは、黙って統治を受けていろと口走った。

 きっと啓之助なら、こんなことは言わなかっただろうし、今の千歳も言えない。しかし、歳三はそう言うだろう。

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