五、花火

 八月も末になり、千歳は洗濯を終えた蚊帳の修繕に勤しんだ。居室一面に広げた蚊帳をまとうように、小さな綻びを繕っていく。

 午後から敬助の講義があるため、午前中に作業は終わらせたい。講義後には、近藤の旅支度に取りかからなければ。啓之助はきっとやらないだろうから。それが済んだら、初夏に解いた袷の裏地を出してきて、縫い直すこと。歳三の着物は量が多いから、早目に手を付ける必要がある。

 そんなことを考えながら、作業を行う千歳の耳に、執務室の机に向かいながら、

「あぁ、困ったねぇ……」

と独り言をこぼす敬助の声が入ってきた。

「先生、聞こえてます」

「いけない、つい。どうにも、勘定方からの報告書がねぇ」

 敬助が振り向いて、千歳に決算書を示した。敬助の手習いの成果が上がり、千歳は代筆を頼まれることも減ったが、流れで決算書くらいの文書なら、目にすることを許されるようになっていた。

 千歳は針を休めて、敬助の隣に座る。見せられた先月分の会計報告は──

「あらあら、赤いこと」

「先月の変事分のお手当は火器調練に回してしまったからね。はぁ……これからは、火薬分が毎月入ってくるわけだ」

「火薬、高いですもんね」

「火薬も米も布も、みんなね」

 火薬の原料のうち、木炭と硫黄は入手に困らないが、硝石は希少だ。国産硝石だけでは需要を賄いきれないため、多くは輸入に頼っており、軍備拡張の世情に応じて、価格は釣り上がっている。

 攘夷の気運は、切実な経済事情からも生じていた。


 敬助による講義を終えて、千歳は洗濯物を取り込むために厨を抜けて東の庭へ出る。ふと、蔵を見ると、鍵が外れ、扉がわずかに開いていた。

 火薬の管理を厳重にするため、先日付けられた鍵だ。締め忘れかと思い中を伺うと、人の気配がある。しかし、作業中なら戸を開いて明かりを入れるはずだし、何より静かだった。

 千歳が思い切って戸を開くと、そこには火薬壺を開け、火薬を小瓶に移す啓之助の姿があった。千歳が小刀に手をかける。

「火薬泥棒……! 処断!」

「待て待てまてまて! ちょ、ちょっと静かに! ──良いかい? 君は花火、好きかい?」

「はあ?」

 啓之助は千歳の腕を掴み、蔵の中に引き入れて、花火にはなぜ色が付いていると思うかと問うた。

「だって、竃の火をごらんよ。赤いだろう? なのに、どうして、花火は青かったりするんでしょう?」

「……火薬泥棒となんの関係が?」

「まあ、とにかくここは一旦出ましょう。そして、お話を聞いていただきたい」

 千歳がすぐさま告げ口に走らないと見た啓之助は、火薬を取り分けた小瓶を懐に仕舞うと、厩舎で待っているように言った。

 しばらくすると、啓之助は大きな木箱を抱えて、カチャカチャと音を立てながら現れた。馬用の世話道具が入れられた棚の上に、小箱やガラス瓶、真鍮の薬匙などを並べていく。

 千歳はその中で、一尺弱の高さの、胴の中央にくびれがあるガラス製の置き物に見入った。くびれには金属の輪が締められており、輪より下の瓶には透明な液体が溜められ、その中に平組紐が差し込まれている。

「これは何?」

「勝先生から買った。洋燈」

 啓之助は英語の書かれた燐寸箱を取り出し、洋燈に灯を点けた。ガラスの中で柔らかな赤い灯が揺れる。

「うわぁー!」

「きれいでしょう」

「うん、きれい!」

 思わず満面の笑みを浮かべてしまい、千歳は慌てて居住まいを正す。

「そ、それで?」

「今から見せる。 炎色反応えんしょくはんのう

「艶色……? 書いて」

 千歳が帳面と矢立を取り出す。千歳はその字面を見て、

「ふうん、裏切るの?」

と尋ねた。 反応はんおうとは、内通を示す漢語だ。

「裏切るんじゃありません。 反応はんのうは変化って意味なんですねぇ。炎の色を変えるんですよ」

 啓之助がない顎髭を撫でながら答える。千歳は怪訝顔だ。

「それは、奇術?」

化学ケミー

「毛……?」

「まあ、見てて。驚いたら、火薬泥棒のことは黙っていてくれよ?」

「……わかった」

 そこまで言うのなら見てやろう。啓之助はよく千歳の理解に及ばないことを話す。それを理解するには、目で見ることが一番だ。


 それから、啓之助の指示の元、水を汲んで来たり、粉末を溶かした水を撹拌したり、しばらくの準備を挟んで、千歳は作業台となった棚に対面するよう椅子に座らされた。

「では、見ていたまえ。これは、先程作りましたナトリウムという塩の仲間を溶かした水です。これを匙にすくう。そして──」

 啓之助は一杯のナトリウム水を洋燈の炎にかざした。すると、赤く燃える洋燈の灯は、一瞬で赤みを残した黄色の炎に変わった。

「え、えー! すごい、すごーい!」

「で、炎から外すと……」

「戻ったぁ……」

「で、入れると」

「わぁ……」

 啓之助は薬匙を炎にかざしたり、外したりを繰り返す。千歳は目を丸くして、炎が変色する様を見ていた。

「ね、これが炎色反応」

「炎色反応……で、でも、まだ火薬との繋がりがわかりませんけど?」

 千歳の疑問に、啓之助が得意気に笑った。

 花火は玉の中に火薬を詰める。その火薬にナトリウムを入れておくと、打ち上がった際に、炎とナトリウムが反応して、黄色くなるのだと説明した。

 匙を洗ってから、もう一つの瓶の水をすくった。

「銅が錆びると何色になる?」

「青」

「うん。これは、銅の水。炎に入れると青くなる。緑青色だ」

 その言葉通り、炎は青みがかった緑色になった。火の色を、赤から黄としか知らなかった千歳にとって、緑青色の炎は魅惑の色に見えた。

 思わず椅子を立ち上がり、間近に寄って見入る。

「……きれい」

「これで、花火作るんだ。見せてあげるから、黙っててくれるかい?」

「わかった、黙ってる」

 上手いこと啓之助に丸め込まれたわけだが、千歳は青い炎の魅力に囚われてしまった。

 二日後に啓之助が夕飯の席で、食べ終わったら打ち上げに行くから温かくしておけと言った。それを、火薬の在庫が減っていると気付いた武田に聞き耳立てられていたなど、千歳には知る由もないことだった。


 千歳は啓之助に連れられて、洛中と洛外を分ける封境藪を抜け、松原通の南に位置する野原をかき分けて進んだ。二日の月は、とうに隠れており、微かな星明かりと遠くの民家の明かりの他は、真っ暗な闇だった。虫の音ばかりが高く響く。

 啓之助が木箱から洋燈を取り出した。灯を入れて、打ち上げの支度にかかる。千歳は隣にしゃがみ、それを見ていた。

 啓之助が見せた花火は、一尺半の細い竹の先に、二寸ほどの薬莢を取り付けた「ロケット花火」だった。

「花火って、玉じゃないの?」

「打ち上げ花火は玉だけど、これは狼煙用。連絡に使えるんだ。どうせなら、兵法に活かせるものを作りたいからね」

「ふうん」

「まあ、見てなさいよ。あと三歩下がって……」

 そう言って啓之助は、木箱から着物を取り出して、千歳の頭に被せ、深刻な顔で千歳を見つめた。

「もし、失敗したら……ごめん。今までありがとう。俺の分まで生きてくれ」

「ちょ、三浦くん──⁉︎」

「あはは、嘘うそ!」

 啓之助はカラカラと笑うと、紙燭を洋燈に差し込み、灯をもらう。もう一度、気を付けるように注意を促すと、地面に挿した花火の導火線へと火を着けた。

 千歳は固唾を飲んで、短くなっていく導火線を見つめた。一瞬、火が消えた後、薬莢からは赤みの強い自然な炎が噴き出し、遠く嵯峨野に向かって飛んでいった。

 長く赤い炎が尾を引く。

「うわぁー! きれい! 流れ星みたいだ」

 千歳が着物の下で歓声を上げ、手を叩いた。

「今のは何も入れていないやつ。色を覚えておいて。で、次は、……ナトリウムを入れたから──」

「黄色だ!」

「そうそう」

 先程の花火よりも、黄みの強い、明るい色をした炎が、弧を描いて飛んで行った。

 銅を混ぜた花火は、さらに美しかった。炎の中心部は白く、周辺に至るほど、青、緑と淡く色が変わっていく。幻想的な火の色は、虫の声と何とも融和していた。しかし、光は一瞬で遠くへ離れて行ってしまうのだ。

「……きれい」

 京都に来て一年。千歳が一番無心になった瞬間だった。不意に、悲しい気分が押し寄せる。千歳は、ため息をついて、黙ってしまった。

 啓之助が振り返り、着物の上から千歳の頭を軽く撫でたとき──

「三浦くん! やっぱり、君は──!」

 野原に武田の怒号が響いた。

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