四、軍備
勝の仲介により購入した大砲は、全長一間半尺の青銅製、フランス製のナポレオン砲。前装式滑空砲で、砲弾は鉛の実体弾を用いる──
このような説明を、啓之助が聞かせてくるのだが、千歳には何のことだか、よくわからない。ともあれ、啓之助はここ数日、非常に機嫌が良く、大砲が届いたときには、小躍りして喜んでいた。
しかし、調練が始まると、師範役の武田と意見が合わない。隊士たちは砲術を物珍しさでは見ても、戦場の主要な武器とは見做さない。啓之助の機嫌は、瞬く間にしぼんでいった。洗濯に励む千歳の隣で、手を動かすこともなく管を巻く。
「煙硝をケチっちゃいけないんだよ。なにさ、木炭が二割五分って。木炭は普通一割五分だって。見たでしょう? 調練のとき、煙幕すごかったの。でも、あんなの見掛け倒しなの。煙硝が足りないから、威力は弱くて、視界不良を起こす不良火薬なの。わかる?」
「そ、それを私に言われましても……」
火薬は、木炭と硫黄と硝石を調合して作るものだが、その割合に関して、武田と対立しているらしい。千歳には、どちらが正しいのか判断しかねるし、それは良いから手伝えと言いたいが、今の啓之助には何を言ってもやる気がないので無駄だ。
啓之助が、武田の火薬を嵩増しされた雑炊だと例える。
「塩も足さないから味は薄いし、米は減るのに、お値段そのまま。それは、ダメでしょう?」
「うん、それはダメ」
食べ物で例えられたら、千歳にもわかる。千歳の同意を得たことで、少し気が済んだのか、啓之助は千歳が絞った洗濯物を手に取り、物干し竿に掛けていった。
洗濯が終わると、米蔵にて、啓之助による大砲講義が行われた。
「──それで、小銃には引き金があるけど、大砲は
「ふうん、じゃあ、雷管はないんだね」
「うん、ない。でも、大体はゲベール銃とおんなじだと思って良い。前から弾を入れる」
「それが前装式」
「うん、そう」
「えっと、前装式じゃないのは?」
「元込め式。大砲も元込め式になったらなぁ」
啓之助は、元込め式ならここから装弾できるようになると、砲身の後部に触れ、説明をする。千歳も砲身に触れてみた。荒い地金は柔らかな冷たさで指先を迎えた。
ふたりが銃や大砲について話していたとき、
「三浦くん、勝手に入るんじゃありません!」
と武田の声が、逆光の蔵の入り口から響いた。千歳はすぐに立ち上がり、謝罪を口にするが、啓之助は、
「げぇ、見つかった……」
と武田に背を向けて、反省もしない。それどころか、ここで火薬調合の割合について武田に論議を迫った。
千歳は啓之助の巻き添えをくらい、武田による半刻近い説教を、立たされたまま受けることになった。
「三浦くん、苦情が来たよ。武田さんの調練に口を挟んだそうだね」
近藤に呼び出された啓之助は、千歳も巻き込んで、その説教を受けていた。こちらも、千歳にとってはとばっちりなのだが、幸い近藤は責めるような言い方はしない。武田から、調練がやりにくくて仕方ないとの話を受けたと、淡々と述べるのみだ。
啓之助は不貞腐れた顔のまま、ただ聞いていた。一日に二度も説教を受けて、うんざりしだした千歳が、啓之助を小突く。
「とりあえず、謝っとけったら……」
「俺は、自分の考えを言ったまでで、違うと思われるんなら、その場で正してくだされば良いのに」
「おい……!」
説教の場で言い訳を述べるのは、啓之助の悪癖だ。近藤も息をついて腕を組むが、叱りはしない。
「ここは塾ではないからね。同じく『先生』と呼ばれていても、指示を出す役、奉行だと思ってくれ。それなれば、どのような姿勢で講義を受けるべきか、君も検討つくだろう」
啓之助はうなずく様子を見せない。このままでは温厚な近藤も怒りだすのではないかと見かねた千歳が、つい口を出す。
「あの……三浦くんはお父さまから西洋砲術を習っているので、武田先生の長沼流とは勝手が違うことも多いはずです。三浦くんはその違いが気になってしまうだけで、口を挟もうとかそういう意図はないと思います。……そうだろ?」
袖を揺すられ、啓之助はやっとうなずいた。
啓之助と出会って一月。千歳は啓之助との付き合い方を心得てきていた。
啓之助は、興味対象への知識と拘りが並大抵のものではない。また、その知識や自分の主張が正しいかどうかに敏感で、他人の感情や思惑には疎い。
叱られると黙りがちな点は、千歳自身にも思い当たる節がある。千歳が黙り込んだとき、敬助がどうしてくれたかといえば、よく話を聞いて言い分を受け入れ、そのうえで、解決策を示してくれる。
「でも、やっぱり……局長も言われたとおり、武田先生にも立場がありますから、三浦くんは一度謝ったうえで、質問の形をとって先生にお尋ねすれば良いかと思います……」
千歳は胸の高鳴りを堪えながら、この案が受け入れられるかどうか、近藤を見つめた。
近藤は深くうなずいて、
「そうだな、酒井くん。私もそれが良いと思う、三浦くん」
と返した。千歳は背中に汗が流れゆくのを感じていた。
千歳は啓之助に謝罪台本を持たせると、渋る啓之助を引っ張って坊城通を渡った。
八木邸の離れに部屋替えとなっていた武田は庭に面した六畳間の縁で、砲術の本を読んでいた。千歳が庭から呼びかけると、本を閉じて、ふたりに向き合う。
ほら、と千歳に促されて、啓之助は頭を下げた。
「武田先生、先生への一連の態度は失礼いたしました。先生の調練に口を挟むつもりはなかったのですが、僕が学んできた内容と、長沼流とでは異なる点も多いため、その理由が気になってしまいました。すみませんでした」
全く感情のこもらない、棒読みも良い所な謝罪だが、こういうことは形が大切だ。現に、武田は何度もうなずきながら、啓之助の言葉を聞いている。
「いやいや、良いんですよ。流派ができるとはすなわち、それぞれに流儀の違いがあればこそです。故に、君は君の学に従って考えを成せばよろしい」
千歳はホッとして、啓之助と共に下げていた頭を上げた。武田は、しかし、と続ける。
「新撰組の砲術師範は私であります。それは、近藤局長がお認めになったことですから、つまり、調練の指示は局長の指示と思っていただかなくては困ります」
真っ当な説教だ。啓之助も、一応は返事をしている。けれども、ここからが説教の長い武田の本領発揮だった。
「──君は象山先生という大樹の下で育ったのでわからないかもしれませんが、世の中とは上から下へと流れるものです。要するに、君は隊にあって、下に属する平隊士である立場を忘れないでいただきたいものでありますね。局長付き小姓というカサを着ずに」
千歳の身体中を冷や汗が流れる。明らかに武田は嫌味を口にしている。先日の永倉による建白騒動に付随して、「局長派」などと呼ばれ、一種の太鼓持ちとの判を押されたことに、腹を立てているのではないか。
そして、長々と続く説教に、千歳はいつまた啓之助が葛山に対して突っかかったように、武田に対して問題を起こすのではないかと、気が気ではなかった。
やっとのことで武田から解放された千歳は、啓之助の腕を引いて、離れの陰に連れ出した。啓之助の両肩を掴む。
「よく耐えたな! よくあの嫌味ったらしいお説教に、よく耐えた! 偉いよ。君、いつ暴発するんじゃないかって、冷や冷やしてたんだ!」
千歳の安堵と感慨を他所に、啓之助は平然たるものだった。
「別に、あんな程度じゃ暴発はしないよ」
「え……腹立たなかったのか?」
「興味が失せた方。俺、もう砲術調練はいいや、行かなーい」
背を向けて坊城通へ向かう啓之助を追いかける。
「良いのか、あんなに楽しみにしていて、謝りにまで行ったのに」
「近藤先生に言い付ける」
「カサに着てんなぁ」
千歳が呆れて、腕を組んだ。啓之助は、
「もうすぐ、先生、隊士募集に東下するだろ? そのとき、必ず新しく砲術師範となる方を見つけていらしてくださいって」
「なるほど……悪くない手だ」
「父さんは江川先生に砲術を教わった。この方はすごいよ、韮山に大砲を作るための反射炉作ったりね。山本覚馬さんも同門だよ」
「ああ、山本先生」
「それに、薩摩の伊東祐亨、長州の桂小五郎。知ってる?」
伊東は知らなかったが、桂はわかる。長州の指導的立場にいて、新撰組が長らく追っている相手だ。千歳は、実はこれが新堀だとは気付いていない。
啓之助が珍しく深刻な顔をして言う。
「砲術は西洋式が主流になっているんだ。また戦争が起きれば、新撰組の砲術は、まるで役に立たない」
「新撰組は、征長の軍勢には組み込まれていないんでしょう? それでも、また戦争になるの?」
「戦争はきっと起きるよ。各藩が軍備を拡張している。いつでも、戦争ができる体制になっているんだから、なんの弾みで開戦になるか、わからないよ」
啓之助は伸びをしながら、道に出た。千歳の足元には、青い桔梗が秋風に揺れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます