二、衝迫
三日続けて秋雨の降るある日。千歳と啓之助は、前川邸の正門で近藤の支度を待っていた。啓之助は黒谷へ向かう近藤に随行し、千歳はふたりを見送るのだ。
傘を両手に持った啓之助は、午前中に受けた総司の稽古がどれほど大変だったかを不機嫌そうに語った。
「あの人、ホント何言ってるかわかんない。気組を腹に溜めてってなんなのさ」
説明がわかりにくいのは君もだろうと言いそうになる口を抑えて、千歳はただうなずいていた。ちょうど、原田が率いる巡察隊が帰って来た。
「おう、お仙坊、三浦坊。どうした、近藤先生待ちか?」
「そうでーす」
「お、なんだ。三浦坊はまた機嫌が悪いなぁ」
口を尖らせて答える啓之助を原田は笑い飛ばして、母屋へ入って行く。後ろの隊士たちも、笠を外し、大刀を手に提げてそれぞれ部屋へ向かうが、佐々木とあとふたりの隊士は門前に残って、啓之助に話しかけてきた。
「三浦くん、君は中々、洒落者だね」
「そうですか? どうも」
啓之助の装いは、薄い艶の浮かぶ松葉色の結城紬だった。先日、千歳が褒めたときは、嬉しそうに笑って返したが、今日の機嫌では一言返すのみだ。千歳の心配を他所に、会話は進む。
「昨日ね、葛山くんと佐々木くんとで、嶋原行ったとき、君を見たんだけど」
「ええ、行きました」
「輪違屋、行ってたよね?」
「はい」
啓之助は門の柱に背をもたせかけたまま、気のない返事をした。その反応に、三人は顔を見合わせて苦笑いをする。輪違屋は角屋に並ぶ嶋原の揚屋で、一晩遊べば、平隊士の月給は軽く飛んでいく。
「坊ちゃんさぁ、刀も随分良いやつだろう?」
葛山の言い方に刺を感じ、千歳は眉をひそめて様子を見守るが、啓之助は変化に気付いていない。
「まぁ、『日々使う物は良いものを』って持たされたんで」
「ふうん。君は、そんなにこだわりないのかい?」
「そうですねぇ。『日々使う物』でもないですしねぇ」
啓之助は、刀剣に興味はないし、小姓なので巡察にも出ない。そのため、あくまで、刀を武士階級の持ち物としか捉えていない。
ところが、池田屋にては原田や斎藤と並ぶ褒賞金を与えられるほどの活躍をした葛山には、啓之助の態度は腹に据えかねるものがある。
「ふん、そりゃだってお前さんの腕じゃ、宝の持ち腐れだろうが」
その一言に、啓之助は舌打ちをして一歩前に出た。千歳が腕に手を添わせ、啓之助に呼びかけるが、啓之助は手にした傘を離し、
「ちょっと、待てよ。お前」
と葛山を睨みつける。
「お前? 先輩への口の利き方、なってねぇんじゃねぇかい? 坊ちゃん」
「知らないよ。言うからには、そりゃ、腕に覚えがあるらしいなぁ」
「お前さんよりは、数段ね」
「覚えておくよ。葛山さん。きっと、普段……食事中でも、背後には気を配っているような、剣豪さんなんだろうから」
そう言って、啓之助は半眼で捉えた葛山を鼻先で笑い、刀の柄を軽く打った。千歳が青くなって間に入る。
「三浦くん、何言ってんだ。脅してるのか!」
「最初に突っかかって来たのは、こいつだろう?」
「三浦くん!」
「良いよ、酒井! 三浦なんて、何が怖いものか! いつでも、良いさ。かかってこいよ」
千歳は葛山によって、片手で押し退けられる。しかし、喧嘩は切腹なのだ。
「三浦くん! 君も隊規を知らないわけじゃ──」
「何を騒いでいるんだ?」
顔をしかめて、近藤が門の屋根の下まで入って来た。葛山は素早く啓之助から離れる。
啓之助は、近藤に状況を説明しようとする千歳を抑えて、
「紅葉見るなら、東山か嵐山か。どちらを推すか、話してました」
と平然とした、にこやかな顔で答えた。
「そんなことで争うもんじゃないよ、まったく」
「俺は絶対、嵐山ですけどねぇ。葛山さん、東山って譲らないんですもん」
そう言いながら、啓之助は傘を拾い上げて、近藤に渡す。近藤も笑って受け取った。
「では、諸君。行って参る」
「い、行ってらしゃいませ」
千歳たちは、ぎこちなく頭を下げて、ふたりを見送った。その背中が遠くなるころ、葛山は盛大にため息をついた。
「おい、酒井……あいつ、ちょっと、おかしいんじゃないのか?」
「すみません、葛山さん……だけど、三浦くん、根は優しい人です」
その夜半から明け方にかけて、台風が過ぎて行った。朝、顔を洗おうと汲んだ水には枯葉や小枝が混じり、使えそうにない。加えて、相変わらず啓之助の寝起きは悪かった。
朝食を食べ終えると、千歳は稽古着に着替えて井戸掃除に取り掛かった。朝の不機嫌から予想されたとおり、啓之助は来なかった。
母屋の北の縁側では、永倉と葛山が見守るなか、総司と歳三が囲碁を打っていた。千歳が熊手やらザルやらを抱えながら渡り廊下を越えて北庭に入ると、総司が気付いた。
「あれ、お仙くん、なんの大荷物?」
「井戸掃除です。釣瓶の代わりにザルを付けて、中の落ち葉を拾うんです」
「そっか、待ってて! すぐに土方さん負かして手伝うから」
「安心しろ、あと数手で総司の負けが確定するからな」
永倉がそう言って笑い、見物の葛山と合わせて、手伝おうと立ち上がる。
そのとき、「葛山武八郎!」との怒号が響いた。驚いて千歳の手放したザルが地面に落ちるより前に、母屋の廊下から飛び出した啓之助が葛山を斬りつけた。刃は葛山の左袖をかすめ、キレがひらめく。
「馬鹿野郎!」
皆が唖然となるなか、総司が真っ先に飛び出した。啓之助の手から刀を奪い、庭に突き落とす。啓之助は千歳の足元に転がった。
「こんな卑怯なことがあるか!」
総司が顔を真っ赤にして怒鳴り、啓之助の襟首を締め上げ、立たせる。長身の総司に引き上げられ、啓之助は爪先立ちになって叫び返す。
「葛山が知ってらぁ! 俺の剣の腕を馬鹿にして、いつでも襲って良いと言った! そうだろう?」
「馬鹿が!」
長屋門に住む隊士たちが何事かと障子を開き出て来る。敬助も出て来て、永倉と歳三と共に、葛山の左腕を検分し傷の有無を調べた。どうやら、怪我は負っていない。
総司は突き飛ばした啓之助の前へと仁王立ちになって笑う。
「剣の腕がないのは、ご覧のとおりだろうが! 情けない!」
「俺は──」
地に伏して、泥にまみれながらも反論の姿勢を崩さない啓之助に、総司の手が振りかぶる。
千歳はとっさに間へと入って、庭の砂利に手を着いた。
「申し訳ありませんでした! ──謝れよ、謝れ! いくらなんでも、これはダメだ。葛山さんだって、あんな約束、君が本気にするなんて──」
「やっぱり、こいつ頭おかしいんじゃねぇの⁉︎ なぁ、そう思うだろ!」
縁側を手で叩きながら怒り声を上げる葛山に、啓之助が庭石を握り込んで投げ付けようとする。
それより速く、千歳の平手が啓之助の頬を叩いた。一瞬、誰もが言葉を失う。啓之助の両肩を掴み、地に押さえ付けた千歳が叫ぶ。
「隊いる以上は、決まりを守れ!」
肩は荒い呼吸に大きく揺れ、頬には一筋の涙が流れた。ややあってから、歳三が口を開く。
「葛山くん、三浦くん。話を聞くので、副長部屋に来たまえ。沖田くんと酒井くんも」
千歳の背後で、総司が踵を返す音が響く。千歳は啓之助の身体に抵抗の力が入っていないことを確認してから、手を離した。啓之助は目を半眼に伏せたまま、千歳と目を合わせない。
千歳は手を差し出して、啓之助に立ち上がるよう促すが、啓之助はそれを払い、野次馬の人垣を割って、正門から出て行った。
「──なるほどねぇ。で、まさか、本当に実行するとは思わないからね」
着替えた千歳が北の広間へと入ると、聴取は既に進められていた。敬助が尋問して、歳三が記録を取り、ふたりに対面して葛山、その両脇に総司と永倉が座る。近藤は外出中のため不在だった。千歳は総司の後ろに座った。
葛山は昨日の門前での出来事を話す。
「三浦くん、実家が太いのを良いことに、持ち物とか行動とか、派手なんですよ。それをちょっと、たしなめたかったんです」
「稽古も、本当に出て来ませんしね。一時も前から見張っていなきゃ、絶対逃げ出します」
総司が一緒になって訴えた。永倉も稽古を逃げ出されてきたため、黙ってうなずき賛同を見せる。
歳三が半紙から顔を上げずに、
「酒井は昨日の言い争い、見てたんだろう? 何かないのか」
と尋ねた。一斉に振り返る三人の目線に、千歳は縮こまりながら答える。
「……葛山さんに剣の腕のこと言われて、すごく怒ってました。剣術、あんまり好きじゃないみたいなので、余計」
葛山に鼻で笑われ、千歳はそれ以上の口を開けなかった。敬助が宙を見ながら、処分をどうしようかと言った。
「あんな、頭おかしい奴と一緒にいられません。さっさと追放してください」
「切腹で良いですって。卑怯な振る舞いに、喧嘩。二条に違反しているんですよ?」
「こらこら、総司くん──」
「山南さん、まさかあいつが勝先生の甥っ子だからって、甘い処断しようなんて思うんですか?」
永倉の鋭い言い方に敬助がたじろぐ。永倉はさらに歳三にも尋ねた。歳三は筆を置いて、千歳を見ないままに「酒井」と呼んだ。先程から千歳は、歳三に「酒井」と呼ばれる不慣れな違和感を味わっている。
「は、はい……」
「三浦くんをどう見る?」
「えぇ? えっと……」
助けを求めるように敬助を見ると、敬助も眉を寄せた顔で小さくうなずく。千歳は、その仕草で両副長の意思を察した。
「あ……」
「なんだ?」
「三浦くん……興味ないことは、目に入りません。剣がそうです。業物かどうか、あの人には大して重要じゃないんです。それが、その……なんか、嫌味っぽく聞こえるかもしれないんですけど……」
そこで大きく一息を吸う。たしかに啓之助自身には問題が多く、もし他の隊士が啓之助と同じ行いをすれば、追放は免れないだろう。けれども、敬助たちは、それを望まないのだ。
「三浦くん、頭良いんです、すごく。いろんなこと知ってますし、暗算も速くて、昔見た物とかも上手に描きます。だから、たぶん……寝たら忘れるみたいなこともないんだと思います。言われた嫌味も、言ってしまったことも」
「嫌味ってなんだい?」
「……か、葛山さんが。『良い刀も、君の腕には宝の持ち腐れだ』って。僕……子ども相手に、い、嫌味……言わなくても、良いんじゃないかなって……たしなめる、と言うより、嫌味……だったので」
その主張は葛山の鋭い目つきに怯え、どんどん声が小さくなっていく。
「山南副長! 僕は──」
「まあまあ、葛山くん。だけど、たしかに、三浦くんは十七歳にしては幼いね。まだ子どもだ。この子の方がよっぽど、落ち着きと分別がある。そう思わないかい?」
「ええ、そうですけど──」
葛山の発言を歳三が遮る。
「なんだい? 山南さん。三浦くんはまだ子どもだから、処断も甘くするってかい?」
「うーん。一度、預かった以上は、仇討ちの結末に関わらず、それなりの武士にしてお返ししなくてはいけないからねぇ。育つまでは、だ」
「新撰組は学校じゃねぇんだよ?」
「育成は必要だよ。今は、すぐに使える人材ばかりを採っているけど、いずれは若い子たちを育て上げて、隊士にしていきたいんだから。まずは、その一号目として、三浦くんを据えてはいかがだろうか?」
正式な処分は、近藤を交えた三長で下すと告げられ、尋問会は解散となった。
千歳は置き去りになった掃除道具を回収するため、中庭へ降りる。そこに、永倉が渡り廊下の上から呼びかけた。
「君は中々賢いと見たね、酒井くん」
「え……な、なんでしょうか?」
「流れを見たろう?」
永倉の少し垂れた目が、千歳を射す。千歳は背中に冷たい水が流れる感じを覚えた。永倉は廊下の柱に手を着いて、千歳を見下ろすように言う。
「三浦くんには厳しく出られない。これ、副長たちには図星だけど、建前上、認められないよね。だから、土方さん、君に発言させた。三浦くんより年下の君から、あの子はまだ子どもだなんて言われたら、葛山くんも厳しいこと言えないだろ?」
「さ、さぁ? 僕にはよくわかりません」
「副長たちの手の上だっただけかい?」
千歳は困惑した顔で永倉を見上げた。永倉はそれを降参の合図と捉え、千歳の頭に手を当てて軽く撫でると、母屋の中に入って行った。
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