十二、娘とは

 千歳は一大決心をして、歳三にある交渉を持ちかけるべく、口上を練っていた。

 新撰組に戻って来て五日。その日々は屯所内で完結しており、市内に出向くことはない。そのため、洛中の様子や政治の動向が掴めないのだ。巡察帰りの藤堂や原田に町の様子を聞いてみるも、心配させないように気を遣われるのか、大丈夫だと聞かされるだけで、情報を得られない。

 そこで、毎朝制札を見に市中に出ることを日課とし、瓦版を買うためのお金、日々五文、すなわち月に百五十文の定給を認めてもらいたいのだ。これくらいなら、敬助にねだればもらえるだろうが、歳三に隠れてもらっていたことが判明したら、後が怖い。ここは正直に、切々と訴えるが吉だろう。

 夕方。歳三が出先から戻って来た。敬助は南部邸へ、明日行われる部屋替えの協力を願いに行っている。

 歳三は浴衣に着替え、千歳は羽織袴を衣桁に掛けた。歳三が文机に座ると、千歳は息を吸い込んで、副長、と呼びかけた。少し力が入りすぎたようで、歳三が驚いて振り返る。

「えっと、なんだ?」

「あ、すみません……えっと、お話……いいですか……?」

「あ、ああ」

 歳三は団扇を手に千歳と向き直る。千歳も正座して、袴を握り込み、一息に制札を見に行くことと瓦版のお代のことを願った。

「お店にいたとき、毎朝、三条大橋まで行って、書いていたんです。これ──」

 団扇片手に帳面を受け取った歳三は、険しい顔で黙ったまま、頁をめくるだけだった。

「あの……屯所にいると、なかなか町の様子もわからないですし……朝食までには戻るので、お願いします」

 手を着いて、頭を下げた。

 歳三は、「新堀報告書」に続き、千歳の情報収集と選別の能力は認めざるを得なかった。千歳の帳面には、この二ヶ月、変事に至るまでの政治的な流れがよくまとめられているのだ。

 しかし、歳三は帳面を閉じて、千歳の前へと差し返した。

「良いか。こういうことは、お前が知る必要のないことだ。政治は男の仕事だ。それを知ろうとすることも命懸けなんだ。興味から知りたいなんて言っていいものじゃない。この前の間諜も、もしバレていたら、敵も女子どもだって容赦はない。大人しくしていなさい」

 千歳は畳の上で拳を握り、顔を上げない。返事はと促されても、口を引き結んでいた。歳三は出そうになったため息を抑えて、団扇で顔を扇ぐ。

「なぁ、お前。今夜、外に行こう。ここじゃ、話し辛いからさ」

 畳の縁を見つめる千歳に、歳三の表情は見えない。しかし、声音には今までにない優しさが感じられた。


 歳三は出掛けに、敬助より無言の圧力を受けていた。しっかり話してこい、とは言われなくても伝わってくる。

 ふたりは黄昏の西高瀬川に沿って北上した。

 北野は戦火を免れ、整然とした町並みを残している。京都最古の花街である上七軒は、華やかな提灯を軒に連ね、座敷からは三味線の音と笑い声が聞こえる。勝手口から食器を洗う音が響く小道を抜けて、歳三は桔梗紋の染め抜かれた暖簾の門をくぐった。

 二階の四畳半座敷には、大きな蝋燭が灯された燭台が二本立つ。ふたりは対面して座り、料理が出されるのを待った。屯所を出てから、ここまで半刻のあいだ、ほとんど会話はない。

 千歳から口を開くとは思えないので、歳三は考えた末に宮本屋のことを話し始めた。通りかかったときに、大工が焼けた材木を運び出しているのを見たので、いずれ再建されるだろう。

「お前、もう戻らないにしても、挨拶に行かなくて良いのか?」

「……お文は書きます」

「こいさん、五歳なんだろう? 会いに行ってやれ」

 それには娘の格好をしなくてはいけないが、再び娘の格好をすれば、歳三はそのまま、「仙之介」には戻るなと言い付けるつもりなのだろうと千歳は考えて、首を振った。

 話題が途切れて、歳三はお茶を飲み、団扇を動かした。

「お前、どうしたい? これから……」

「しばらくは、隊にいさせてください」

「それからは?」

「……まだ、考えられていません」

「お前は何がしたいんだ?」

 歳三は、敬助から以前、千歳がしたいことは叶えてやりたいと言われたことを思い出す、先日の千歳が口にした、家事をする暇があるなら勉強したかったとの訴えも頭に残っていた。

「俺は別に、お前を無理に働かせようとは思わないよ。掃除も洗濯も、やってくれたらありがたいけど、しなくても良い。お前が、本読んで過ごしたいって言うんなら、俺は家を借りて、お前に住まわせることもできるんだ。そこでだったら、何をしてくれてもかまわない」

 新撰組副長土方歳三の娘なら、小店の嬢さまくらいの暮らしはさせられる。奉公に出ないのならば、手の内で育てようと歳三は思っていた。

「お前には幸せになってほしいんだ。不自由なく」

 中庭の青楓を見下ろしながら、歳三は言った。

「お前の娘姿、良かったと思うよ」

 偽りのない、本心からの言葉だった。千歳にも、それは伝わる。けれども、歳三が見ていたのは、千歳自身ではなく、志都の姿であろうこともわかるのだ。

 涙がこぼれた。歳三を前にすると、千歳は感情の揺らぎを抑えることができなくなる。

 きっと、自分の「したいこと」は全て間違っているのだ。女なのに、仙之介でいたい。世情を知りたい。国学を学びたい。剣術をしたい。そして、この人と暮らすことはしたくない。

(なぜ……? ──だって、この人は……)

 千歳を我が子とは認めていない。千歳自身と暮らしたいわけでもない。千歳を愛しているわけじゃない──

(違う……そんなことじゃないと思う……)

 何故に歳三を拒絶するのか。考えてみるものの、明確に指し示せるものはない。捉えられない感情が、否定の色に染まっているのだ。

 そもそも、どうして、この席に連れ出されたのだろうか。千歳は懐から帳面を取り出した。町の様子を見に行きたい、長州への処分がどうなるのかを知りたい、それを伝えたことからだ。

「……どうして、女は政治を知りたいと思ってはいけないんですか?」

 本当に聞きたいわけではないと、千歳もわかっている。しかし、歳三に対して一番盾付けそうな質問だと思ったのだ。

 歳三は言い聞かせるような優しい口調で、千歳に語りかけた。

「政治を行うのは武士だ。武士の下で庄屋や名主を担うのも男だ。女に政治は必要ないし、担えきれるものではない」

「担うつもりはありません、知りたいんです」

「知ってどうする。男は政治を学ぶ。女は裁縫を学ぶ。お前は裁縫が上手なんだから、政治まで知ろうとしなくて良いんだ。女に大切なのは、人に和らぎをもたらす気遣いとか、かわい気だ」

「……政治を知ることは、かわいくないんですか?」

「ないね」

「かわいくないと、どうしてダメなんですか」

「……お嫁に望まれるのは、一緒にいて安心する娘だ。側にいたいと思わせる娘だ。男はそういう娘を愛したいんだ」

「……じゃあ、を愛してくれる人なんか、いないでしょうね」

 敬助は愛してくれているが、それは弟子に対する慈しみに過ぎない。

 同時に、この一言がどれほどかわい気ない返答かも自覚している。歳三を見れば、かける言葉もないと眉を寄せて渋い顔をしていた。千歳は一度大きく息を吸って、心を落ち着かせた。

「……町が焼かれたんです。三日間、ほとんど食べれなくて。ひとりで町を彷徨って。少し前まで、こいさんたちと遊んでいた町を」

 天災ならば、仕方ないと諦めるしかないが、今回の戦乱は、人が意志を持って動いた結果なのだ。

「どうしてこうなったのか、これからどうなるのかを知りたいと思うこと……女には過分ですか……?」

 涙に覆われた琥珀色の目が、蝋燭の揺らぎと共に光って、歳三を見つめた。歳三はその目を受け続けることも、訴えを否定することもできなかった。


 料理はまだ届かないので、千歳は厠に立った。

 薄暗い廊下を何度も曲がり、階段を降りる。華やかな声が響き渡る桔梗屋の中で、あの四畳半の座敷ほど静かな部屋はないだろう。厠を見つけあぐねていると、店の者が裏庭だと言って縁側に案内してくれた。

 用を済ませて庭草履を脱いだとき、千歳は帰る道がわからないことに気付いた。

(馬鹿。初めての場所で、考えごとしながら歩くから……)

 二階なことは確かなので、近くの階段を昇るが、その先の廊下は途中で行き止まりになっていた。再び一階に戻り、廊下を進みながら、店の者を探す。曲がり角で、芸妓と三味線を抱えた舞妓の二人連れに会った。

「あの、すみません。部屋わからなくなってしまって」

 千歳が尋ねると、舞妓の方が芸妓に三味線を渡し、

「一緒に探しましょ、どないなお部屋です?」

と尋ねた。二階の中庭に面した四畳半だと伝えると、

「ほな、あそこかなぁ?」

と千歳に付いて来るよう促した。芸妓の方は、玄関で待っていると言って、ふたりを見送る。

 舞妓は引き摺りの裾や長い帯を物ともせず、階段を登って行く。丸顔にかかるビラかんざしが、歩くたびにシャラシャラと音を立てた。

「お名前、聞いてもよろしおすか?」

「酒井仙之介です」

「仙之介はんどすな? うち、君菊どす。また、機会ありましたら、よろしゅう」

 軽妙に話をしながら、君菊は廊下を進む。並ぶ部屋はどれも同じに見えて、ここかと聞かれても確信が持てない。

「少ぅし、隠れてもろてもよろしおすか?」

 そう言って、君菊は中に呼びかけて襖を開け、

「──あ、すんまへん! 間違えてしもて、堪忍え」

とすぐに閉める。千歳が申し訳ないと詫びを入れると、君菊は明るい笑い声を立てて、手を振った。

「かまいまへん、世の中、謝れば大抵のことは許されます」

 その陽気さに、千歳もつられて笑顔になった。君菊は次の角を曲がり、また同じように座敷の中に呼びかけ、襖を開く。そして、

「あれ、土方はん──!」

と驚きの声を上げた。君菊の後ろから中をのぞくと、歳三も君菊の名を呼び、何事か尋ねていた。

 君菊は、座敷にふたり分の膳があるも、歳三がひとりでいること、千歳が武家の若衆姿をしていることから、ここが探していた部屋だと理解したらしく、襖を全て開けた。

「そこで出会いましてん、仙之介はん」

「すみません、迷子になって」

「あ、うち、せっかく迷子て言わんといたのに……」

「あは、ありがとう。君菊、どうも」

 千歳はお待たせしましたと一礼して席に着いた。君菊は帰るかと思いきや、千歳の後ろに座り、歳三に話しかける。

「土方はん、お久しぶりですなぁ」

「うん、久しぶり。この前のお文、返せていなくてすまない」

「良えんどす。うちの方こそ、金平糖ありがとうございます。ほんに、おいしゅうて、もう、大切に大切に食べましたわ」

 歳三は千歳に食べ始めるように促したが、自分を挟まれ話が進む状況で箸を取るのはためらわれた。

「なぁ、土方はん、芸妓衆呼んではりまへんの? うちと姐さん、今から帰るとこですねんけど、呼びまへん?」

 君菊の問いかけに、歳三が千歳を見た。千歳は努めて平静な顔で、箸を取り、胡麻豆腐の小鉢に手を添えた。歳三はそれを見て、拒否の意と介する。

「君菊、ありがとう。だけど、また今度、ゆっくりお話聞かせてもらうよ」

「今度?」

「ああ、近々。会津の方々とのお話の席を願っているから、そのときにね」

 こんな優しい語り口調をする歳三など、千歳は知らない。君菊は歳三の断りに残念そうな声を出したが、スッと頭を下げて、

「ほな、そんときは、よろしゅうお頼申します」

と言い、上げた顔でにこりと笑って見せた。千歳にも、また来るように言って、君菊は部屋を出た。

 千歳は、歳三が言っていた「かわい気」なるものの実例を見た気がした。

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