九、決意

 昼前に始まった安藤の葬儀は、正午に出棺となった。千歳は深く頭を下げて、葬送を見送った。焼き上げには参列せず、啓之助と共に前川邸に戻る。門前には六兵衛が、浄めの塩と手水を用意して待っていた。

「安藤はん、ほんにみんなが帰って来はるまで、よう頑張らはったなぁ」

「ええ。最期まで、皆さんに気を遣わはる・・方ですね」

「あれ、酒井はん。町出て、京言葉覚えて帰って来はった」

 無意識に出た京言葉に千歳は不思議そうな顔をしてみせた。たった二ヶ月の間が、あまりに長いものに思えた。

 その後は、歳三から渡されていた指示書きに従って、角屋へ座敷を依頼するため、啓之助と共に嶋原へ出向いた。

「君、名前、仙之介だっけ?」

 道中で啓之助が尋ねた。笠の下で、目線は嵯峨野に向いている。千歳がそうだと答えると、

「ふうん。お仙ちゃん」

と言って、ニヤりと笑った。これは、また馬越のように意地悪な奴が来たかと思い、千歳は毅然とした顔で答える。

「ちゃん付けされるほど、子どもだとは思っていない」

「えー、じゃあ、お仙くんなら良い?」

「まあ、それなら」

「じゃあ、お仙くん。いくつ?」

「十四」

「十四!? なんだ、三つも歳下じゃない」

 そう言った啓之助は、十四はまだ子どもだと思うと小声でつぶやく。

「じゃあ、三浦くんは十七歳?」

「そう」

「……仇討ちって偉いね。みんな、お父さまのこと、尊敬していたよ。頑張って」

 啓之助は特に応えず先を歩き、小姓の仕事は大変なのかと聞いてきた。

「そんなに大変ではないよ」

「そうなの? 俺、人に着物着せたことなんかなくてさ。さっき、近藤先生に合わせ逆で着付けちゃって。私はまだ死なないよ、なんて言われたんだよね」

 たしかに、啓之助の福々しい頬を見る限り、大切に育てられた坊ちゃんとの印象を受ける。着付けられる側だった少年が、父親の死によって、着付ける側に回ることになったのだ。

「大丈夫だよ。すぐに覚えるから」

「下女とかは雇わないの?」

「うん。掃除も洗濯も、そんなに多くないから」

「えー、洗濯かぁ」

 かったるそうな啓之助の扱いに、千歳は戸惑いながら嶋原に至る。洛中の西端にある嶋原は、延焼を免れていた。

 ところが、角屋への宴の依頼は丁重に断りを入れられてしまった。出入りの酒屋や仕出し屋が、焼け出されたり、仕入れが滞って休業したりと、とても宴を行える状況にないという。

 仕方ないので、亀屋へも行ってみたが、ここでも同じ回答だった。千歳も、焼け尽された洛中を見ているだけに、強くは出られない。四十名の食事を用意できないほど、京都の物流は混乱していた。

「どうしよう……」

 千歳は亀屋の前で前髪をかき揚げた。今は八つ前。七つ半には宴が始まるので、二刻しか時間は残されていない。

 困惑する千歳を置いて、啓之助は歩き出した。

「え、ちょっと! どこ行くの?」

 千歳が追いかけると、啓之助は輪違屋へ入って行った。慣れた様子で框に腰掛け、手代に主人を呼ぶよう言い付ける。

「み、三浦くん?」

「どこでもいいんでしょ? 四十人が食べれたら」

「そうだけど……」

「──あ、どうも! ご無沙汰しております、旦那さん」

 啓之助は立ち上がり、出て来た主人に対して、番頭がするような流暢な挨拶をした。主人も深々と頭を下げ、象山へのお悔みを述べたので、馴染みなのだろう。あっと言う間に、ふたりは座敷に上げられて、抹茶と菓子が前に出された。

 啓之助は朗らかな笑顔を浮かべて、主人に宴を依頼する。主人も初めは、四十名分の用意は難しいと断りの姿勢を見せていたが、啓之助は引かない。

「いやぁ、大変ですよねぇ。私のいた家も、三条木屋町だから、燃えちゃったと思いますし。ご主人、お屋敷は無事でしたか?」

「お屋敷いうほどのモンでもありまへんが、へぇ、なんとか」

「ああ、それは良かった」

 そんな世間話を挟みながら、要求は取り下げないのだ。

「ですからね、酒さえ足りるならいいんですよ。食事は、各々の膳ではなく、大皿をドンと置いてもらって。それも、同じ物じゃなくていいです。こっちは煮物、こっちは焼き魚って」

 その巧みな交渉に、主人もだんだん絆されて、四半時に及ぶ折衝の結果、啓之助は座敷の予約を取り付けた。壬生に帰る啓之助の足取りは軽かった。

「いやぁ、良かった、良かった!」

 そう言って、千歳のことを気にせずにスタスタと歩いて行ってしまう。千歳は啓之助が坊ちゃんであり、押しが強く、あまり人の話を聞かないが、愛嬌はある人間だということを理解した。このような人間とやっていくのは、なかなか大変そうだとも。

 笠の下で気合を入れて、啓之助に置いていかれないよう、脚を速めた。


 宴は安藤への弔辞と献杯で始まった。年長組として安藤と仲が良かった井上は、葬送の際も目を赤くして泣きはらしていたが、献杯を飲み干してからも、また嗚咽を漏らしていた。

 近藤が座敷を見回して口上を述べる。千歳は下座から聞いていた。芹沢がいたころ六十名を数えた隊士は、今や四十名を割り、座敷は寂しく見えた。

「ともあれ、長きに渡る出陣と働き、実に労い申し上げる。私も、新撰組の隊長として、君たちの忠節が報われるように励んでいこう」

「わーい、近藤先生ー!」

 総司がちゃちゃを入れ、弔いの場が一気に明るくなった。近藤も呆れたような照れ笑いを浮かべ、杯を掲げる。

「では、乾杯!」

 その音頭に、千歳も水が入った杯で応じた。懐かしい新撰組の雰囲気を胸一杯に感じる。

 宮本屋での奉公は、戦乱によって突然終わりを告げた。あの屋敷地、白山の神社、鴨の河原。全て、何かの夢であったように感じる。

 しかし、千歳は新堀の言葉を思い出していた。


『どうして、こうなったか考え、どうしたら良かったのか考え、考えて考えて……現状を変えていくために、動かねばならん』


 千歳は、自分が何故、新撰組にいるのか、もう一度、よく考えてみる必要があると感じた。今は、歳三の許で庇護を受ける存在だが、いずれは、この状況を変えるために動かなければならない。

 そのために避けられないのは、歳三とのことなのだ。歳三を見ると、花君太夫を側に寄せ、緊張の解けた顔で何やら語り、笑っていた。

(……まあいっか。あの人のことは、明日でも)

 千歳はため息をついて、目の前に置かれた白身魚の煮付けを小皿に取った。

 自分を考えるとは、非常に厄介で、面倒くさく、触れたくないこともほじくり返さずにはいられないことなのだ。


 千歳はいつもどおり、歳三から駄賃を持たされていたので、戌の刻には座敷を下がった。そして、店の者に送らせることなく、ひとりで月のない夜道を帰った。あからさまな着服を働いているのだが、露見すまいとタカを括っている。大火で焼けた本を買い戻すため、お金が必要なのだ。

 副長部屋には灯が点っていて、敬助が文書を読んでいた。千歳が敬助の体調を心配すると、敬助は平気だと答える。

「君こそ、まだいたかったんじゃないかい?」

「うーん、でも、いいんです。お酒飲むと、みんなだんだん話が通じなくなってくるんで。三浦くんも……聞いてくださいよ、あの人、ホント、絡み酒!」

 千歳はうんざりした顔で、三浦の質問攻めにあったことを話す。

「聞くくせに、こっちが象山先生のこと聞こうとすると、知らなーいって逃げるんですよ? 知らんことがありますかって、息子のくせに」

 千歳がいなかった二ヶ月間、やはり部屋は静かだった。歳三とは、業務連絡が主で、寝る前などは話すことも少ない。敬助は、口を尖らせて報告する千歳を、微笑ましく見ていた。

「……えっと、何ですか?」

「元気だなぁとね」

「ま、毎日のように外遊びに連れ出されましたからね! すっかり、焼けました」

 千歳が耳を赤くして両手で頬を抑え、布団を敷きに立った。よりキビキビと動くようになったと感じる。

「やっぱり、奉公は厳しかったかい?」

「うーん、厳しくはないですけど、……先生がお文くださらないから、寂しかったです。先生からと思って開いた文が、副長からの長々しいお小言だった私の気持ち、わかります?」

 敬助は思わず吹き出したが、顔を引き締めて、あれから新堀には会っていなかったかと尋ねた。

「……ええ、会いに行ったりなんかはしていませんよ」

 嘘ではないが、偽りには違いない。

 三条大橋の下で交わした問答は、千歳に新堀を師と認めさせた。正義とか悪とか、世の中は芝居のように単純でないと知らされ、それでも考え続けよと教えられた。

 千歳は、新堀が長州でも上層部に近い人間だろうと確信しているが、長州は悪で、それに対する間諜は正義と疑わなかったころの自分と同じ行動をして良いものか、疑問が残るのだ。あの半日は、焼け出された逸れ者の新堀と千歳との間の出来事として、胸に込めおくことに決めた。

 浅黄色の蚊帳を広げ、吊るしていく。荒い布目から、行灯の灯りがチラチラと光って見えた。


 翌朝、局長部屋との襖を開けると、既に八畳間用の蚊帳を半分落として着替え始めている近藤と、まだ布団の中で眠る啓之助の姿があった。

「……いいんですか、これ?」

「まあ、疲れているんだろう。仕方ないさ」

 近藤は笑って袴を着けた。千歳は蚊帳に入り、布団を剥いで肩を揺らすが、啓之助は起きない。

「おーい、三浦くん。ねぇ、ちょっと……」

「うーん……」

 呻き声を上げて重そうに開けられたまぶたは、確かに千歳を捉えたはずだが、再び閉じられる。

「ええ? ちょっと、今起きたでしょうが!」

「うるさい……」

「うるさ……ええ?」

 肩を叩く手を払われて、千歳は困惑した。起きがけにグズる五歳児でも、もう少し寝起きは良い。このやり取りの間にも、近藤は身支度を終え、布団を畳んでいた。

 啓之助「坊ちゃん」は、あらゆる労働をしたことがないようだった。布団どころか、脱いだ着物さえ畳めなかった。茶碗にご飯を盛らせると、縁に米粒を着ける。

「ご飯粒が汚い。茶碗持ったときに、手に着くじゃない」

「ダメ?」

 ダメに決まっているとの千歳の声は届いているのか定かでない。しゃもじで縁のご飯をこそげ落とすと、啓之助は汁椀の右に茶碗を置いた。

「位置が違うよ。お汁が右、ご飯が左……」

「右とか左とか、あるの?」

「あるでしょ」

「あったっけ?」

 啓之助は、ぼうとしているのか、細かいことに興味がないのか、一言で言えば世間知らずだった。

 給仕を終えて広間で食事をとっていると、啓之助の周りに隊士たちが集まり、象山について語り合う。その中で、啓之助は我関せずと、のんびり箸を運んでいるのだ。

 そして、飽きっぽい。掃除は雑巾の絞り方から教え、部屋掃除の手順を説明していったが、途中からは聞いていなかったらしく、箒の後にハタキをかける。それでも、手を動かしている内はまだマシで、やがて座って、千歳の掃除する様を見上げていた。

 千歳は注意の仕方もわからなくなり、稽古をすると身支度をしていた総司に、啓之助を押し付けた。

「なんでだろう……綾女さんの子守の方が、よっぽど気楽に思える……」

 そんな独り言をこぼして、千歳は洗濯に取りかかった。


 洗濯物が乾くのを待つ間、千歳は八月から着る単の衣に虫喰いなどがないか、歳三の行李を開いて改めていた。既に袷に縫い直して良いものは手を付けておかなくては、この量は捌ききれない。

 そこに、総司との稽古を終えた啓之助がふらつきながら帰って来た。

 啓之助は、副長部屋に入るなり、

「ちょっと、何あれ、野蛮……死んだ……」

と畳に倒れ込んだ。総司による新人しごきが厳しいとは、千歳も聞き及んでいる。

「ふふ、大変だったね」

「え? 笑い事じゃないんだけど。ていうか、なんで君は稽古出ないの?」

「僕、隊士じゃないから」

「小姓なのに?」

「うん。土方副長のお雇いってこと」

 啓之助は仰向けのまま、弱々しい声を上げた。

「あーあ、俺だって、預かりみたいなもんなのに、どうして稽古免除されないんだぁ」

 啓之助が稽古嫌いらしいことは、その掌が柔らかそうなことからも見て取れる。あとから総司に聞くと、その腕前は巡察に出したら三日の内に死ぬとの評価だった。

 千歳は啓之助へといくつかの慰めと労いの言葉をかけてから、洗濯物を取り込むように言い、自身は歳三の行李を閉じて、本日二回目の洗濯に取りかかった。

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