八、再び

 総司は語った。


 十九日か、火が上がったのは。堀川を越えられたら、壬生も覚悟を決めなくてはいけないねって、山南先生と尾形さんが話してた。

 それで、二十日──昨日の昼前にね、火が堀川まで迫ったから、先生と尾形さんが奉行所まで、洛西の寺に屯所を避難させるお断りを出しに行くことになった。僕と葛山くんは、書類とか帳簿とか、持ち出すものをまとめていたんだ。

 先生たち、戻って来るの遅いなぁって思っていたら、八つ時過ぎにね、先生が真っ青な顔して、尾形さんに抱えられて戻って来たの。

 尾形さんが、葛山くんに布団を敷くように言って、僕も先生をお部屋まで連れて行って、寝かせたんだ。土間に戻ってね、尾形さんが言うには、退避のお許しは貰えたけど、風も弱まったし、鎮火もされそうだから、しばらくは様子見するって。

 先生はどうしたのかって聞いたら、奉行所に行く途中に、六角獄舎に寄ったんだって。古高──あ、池田屋のときに捕らえた、そうそう、枡屋喜右衛門。あいつも、あそこにいるから。

 火事になると、囚人は一旦保釈されるでしょう? だけど、長州が敗走するあの状況で、長州派の浪士を町に放すなんて、あんまりに危険じゃない。だから、どの程度の罪の囚人までが釈放されるのか、確かめておこうと思ったんだって。

 そしたら、獄舎から辞世の歌を詠じる声が聞こえたって。走って行ったら、庭に並べられて、囚人たちが首をはねられるのを待ってるところで、さっき、辞世を述べていたの……誰だっけ、あの、生野で──あ、その人! 平野国臣。あの人が、首を落とされた。次の男も、牢の中に残った仲間に別れを告げて……。その列に、古高もいたんだ。

 山南先生、真っ青になって指示してるっぽい人の元に駆けてったんだって。滝川さまって、お奉行さま。

 追い出されそうになったんだけど、先生、古高の尋問はまだ終わっていないんだからって、抗議したら、滝川さまにこう言われたんだって。

 取り調べは先程済んだ、死罪だ。今より執行いたす。


「そんな……そんなこと、許されて良いんですか?」

 千歳は思わず喉許を押さえて声を上げた。あまりに、胸の悪くなる話だ。

「滝川さまは、責任は自分が取るの一点張りだったんだって」

「責任、取れば良いって話じゃない……!」

「酷い話だ。首を落とす穴すらない土の上で、雑に首を斬られていったんだって。古高も静かに順番を待っていたって。たしかに、あいつらは罪人だけど、武士に対する処遇じゃないよ」

 結局、火の手は堀川を渡ることなく、六角獄舎も焼けずに済んだ。焼けてしまえば、証拠隠滅ができていただろう。避難誘導が間に合わず、焼死させてしまったと。滝川はそれを狙って、責任は取ると言ったのではないかと思うと、千歳はますます気分が悪くなった。


 敬助は蚊帳が吊られた副長部屋で布団を被っていた。一日経っても、胃のムカつくような不快感が消えない。惨状の衝撃も大きかったが、何より、その光景に怯んで、何もすることができなかった自分の弱さを厭うた。

 武士とは何だ。

 儒学者の家に生まれ、武芸を修めたが、武人にはなれれども、武士にはなれない。その鬱屈の中に拾ってくれた近藤は、幕臣取り立ての話を受けるほどの働きと強さを見せた。

 しかし、憧れた先の武士とは、洛中を焼き尽くし、多くの民を路頭に迷わせ、理も情けもなく志士の首をはねるような者たちだった。

(……そもそも、私は新撰組の何に役立てるというのだろう。正月以来、何も武士らしい働きなど、できていない──!)

 もし、あの場で滝川にもう少しでも火の様子を見るように進言できていたら、変わっていたかもしれない。それが、できなかったのは──

(弱い。私は弱くて……何も、わからない。善き統治者とはなんなのだ! なんのために、新撰組は働いている)

 憧れの行く先は、誇れるようなものではなく、また自分自身も、今や武士になれないことを知った。明日が来ることが怖い。明日には、近藤たちが帰って来て、以前と変わらず「山南副長」としての振る舞いを求められるのだ。

 深い海に落ちるような、息苦しさと身体の重さが、敬助を離れなかった。

「先生……? 山南先生……?」

 心配のにじむ柔らかな高い声に意識が引き戻され、敬助は顔を上げた。蚊帳の麻と葦戸から透けて見える姿は、懐かしい愛弟子のものだった。

「せ、仙之介くん!」

 ゆっくりと戸を開けた先に座る千歳は、幾分か日に焼けて、前髪はなぜか長さが不揃いだったが、二ヶ月前と同じ慈しみを浮かべた涙目で、敬助を見つめていた。

「先生……お久しぶりです」

 その夜、千歳は八木邸から副長部屋へ布団を運び、敬助と枕を並べた。布団の中で、壬生に戻ってきた経緯を話したが、三日振りに入った布団の心地良さに誘われ、ほとんど語らずに寝入ってしまった。


 翌朝、千歳は髪結によって前髪を切り揃えられ、後ろ髪は高くひとつに括られた。良い若衆振りとの世辞も、千歳には嬉しかった。久しぶりの「仙之介」姿に懐かしさと居心地の良さを覚える。島田髷と違い、頭は軽いし、裾を気にしなくて良い袴は動きやすい。

 朝食の後、総司と葛山は安藤の葬儀の支度を整えに壬生寺へ行った。遺体は前日の内に寺に運ばれていたので、千歳は雅と共に、安藤が療養していた前川邸離れの四畳半座敷の片付けと浄めを行った。

 それから、敬助も加えた三人で、今後のことを話した。昨夕、宮本屋の佐吉が雅を訪ねて来て、千歳の無事を安堵した後、申し訳なさそうに暇を言い渡したという。

「今はみんな生活に困てはるし、なかなか奉公に上がるいうんも難しい思います。せやから、しばらくは……」

 雅の説得で、敬助も千歳の帰営を歳三に認めさせるよう働きかけると約束した。

 葬儀用の紋付袴をそれぞれ用意して、千歳は落ち着きなく歳三たちの帰営を待った。その間、昨夜に話せなかった焼け出されてからのことを、新堀のことは伏せて話した。

 新堀との別れ際、千歳はただ一言、気を付けてとのみ言った。新堀も強くうなずいて、橋の袂で千歳を見送ったのだ。

 四つ頃。前川邸に、帰営の先触れが来た。敬助は出迎えに立ったが、千歳は部屋に残った。

 しばらくして、隊士たちの声で前川邸内は賑やかになった。皆、緊張を解いた穏やかな声だった。そのなかを、慌ただしい足音と鎖帷子の揺れ合う高い音が廊下伝いにやって来る。

 千歳は身構えて、既に平伏の姿勢を取っていた。

「お前──!」

 歳三が葦戸を弾くように開け放って、部屋に入って来た。

「申し訳ございません! しばらく、しばらく、またお世話になります! よろしくお願いします!」

 千歳は歳三の言葉を待たず、先手必勝とばかりに頭を下げて、口上を述べた。歳三もその気迫に押され、静かに対面に腰を下ろした。

 千歳が強張らせた表情で顔を上げると、歳三は額に手を当ててため息をつき、

「まあ、無事で何よりだ。ひとまずは……」

と首を振った。敬助が入って来る。浮かべられた笑顔から、千歳はここにいて良いと知った。

 千歳が歳三の軍装を解く手伝いをする中、敬助は留守中の報告をする。その表情は穏やかで、顔色も悪くないように見えた。

「──それで、まとめた書類だけど、総司くんがどの箱から出したかわからなくなっちゃったって言うから」

「仕方ない。整理も兼ねて、仕分けし直そう」

「うん。それから、安藤さんの──」

「うわっ!」

 千歳が歳三から受け取った鎖帷子の重さに驚き、取り落とした。

「おい、気を付けろ」

「す、すみません」

 千歳は鎖帷子を蓋裏に置くと、薄荷はっか水に晒した手拭いを絞って歳三に渡した。汗疹が出来やすい綾女の身体を、薄荷水で拭いてやっていたのを思い出し、六兵衛に薄荷の小壺を出してもらったのだ。

「薄荷か。良いな」

「ありがとうございます」

 千歳は絽の襦袢を歳三の肩にかけた。

 

 着替えが済むころ、近藤が局長部屋との襖を開けた。千歳から労いの言葉を受けると、近藤は安藤の葬儀、その後の追悼と帰還の宴について、副長ふたりと打ち合わせを始める。

 薄荷水の桶を片付けようと、千歳が顔を上げると、局長部屋には十六、七歳の少年が座っていた。

 日に焼けた、丸い頬の少年は、近藤と同じ丸に三両引きの家紋を付けている。近藤の実子は江戸に女児がひとりと聞いていたので、養子かと少年を見る。少年も千歳の視線に気付いて、大きな目を半眼にして、つまらなそうに見返してきた。

「ああ、酒井くん。彼はね、新しく私の小姓として働いてもらうんだ」

 ふたりの様子に気付いた近藤が、少年へ挨拶をするように促した。少年は軽く手を着き、千歳に向き合う。

「三浦啓之助です。よろしく」

「酒井仙之介です、こちらこそ……」

「酒井くんは、ちょうど良いところに帰って来てくれたね。君からも、仕事を教えてやってくれ」

「かしこまりました。あの、三浦さんは……局長のご養子、なんですか?」

 千歳の言葉に近藤が笑った。

「違う、違う。ああ、家紋はね、たまたま同じなんだよ。ふふ、養子か。彼のお父さまを思うと、そんな恐れ多いことはできないよ。佐久間象山先生。知ってるだろ?」

 千歳は驚いて啓之助を見る。象山の姿は遠目でしか見たことないが、大きな目許は確かに似ていると思った。

 象山の暗殺を受け、佐久間家は松代藩から断絶を申し渡されていた。象山の弟子である山本覚馬は、その処分に憤慨し、必ず仇を討てと啓之助を新撰組へ仲介したという。

 千歳は啓之助に手を着いた。

「お父上さまのこと、まことにお悔やみ申し上げます。必ずや、ご本懐を成し遂げられますよう、お祈り申し上げます」

「かたじけのうございます」

 啓之助も手を着き礼を返すが、不機嫌そうな面持ちのまま、ジッと千歳を見つめ、

「新撰組のお仕事、こんな『女の子』にもできるんですか?」

と言い放った。千歳も、歳三も敬助も、一瞬で凍り付いたが、近藤だけは笑っていた。

「三浦くん、酒井くんをかわいいと侮ってはいけない。なかなか優秀なんだよ」

「ふうん」

 啓之助の丸い目が鼻先から見るように千歳を捉えた。千歳も負けるものかと、目力を込めて見返した。

「お褒めに預かり、恐縮でございます。未熟ながら、精一杯、ご指導させていただきます」

 その姿勢に、歳三は奉公を経た千歳が少し強かになって戻ってきたと感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る