四、交戦

 元治元年六月五日早暁。新撰組は、討幕派への支援を理由に、四条河原町の枡屋喜右衛門ますやきえもんこと、古高俊太郎ふるたかしゅんたろうを捕らえた。続く家宅捜索にて、大量の火器弾薬と、諸士と交わした決起の血判書が見つかり、長州勢による武力蜂起の噂は、確証を得られた。

 歳三は、遂に来た機会に身震いした。枡屋は討幕派を支援する大店だ。これが捕縛されたとなれば、古高の奪還か、計画の変更か、何某かの相談のために、討幕派浪士たちが必ず会合するだろう。これを一気に検挙する。そうすれば、新撰組の功名は上がるに違いない。

 祇園御霊会の宵々山が行われる今夜。人混みに紛れられる場所、大人数を収容できる場所。山鉾が出る道筋、その近辺の貸し座敷──料亭か旅籠屋に、きっと浪士たちは集まる。

 日は落ちて、祇園界隈は宵々山の見物客であふれていた。祇園社の階段下にある町会所の奥座敷で、歳三と近藤は会津藩からの出動命令を待っていた。

 町会所に集合した隊士たちは、三十四人。屯所の守りに残った敬助以下六人を足して、四十人が現在の新撰組の隊員数だった。

「遅ぇな……」

 歳三が近藤の隣で呟いた。胡座に組んだ足を小刻みに揺らすたびに、着込んだ鎖帷子が音を立てる。

 予定では戌の刻を目処に、会津藩兵と共に一斉に捜索を始めるはずだった。今すぐにでも計画とその共有を行わなくてはいけない刻限だというのに、黒谷からは町会所で待機するように指示があって以降、談義への招集どころか、伝令すら来ないのだ。

「何されてんだ、一体。機を逃すだろうが」

 歳三は舌打ちと小言を繰り返しながらも、座敷に広げられた町絵図を指しては、捜索に入る店の目録に加筆や修正を加える。

 出陣を目前にして、皆、落ち着かなかった。

 藤堂は鉢金を締め直したり、脚絆の紐を結び直したり忙しない。原田もやたらとまばたきをしては、不意に空の手を振り下ろす。井上は赤地に金糸で「誠」と縫い取られた隊旗の端を両手に持ち、何度もシワを延ばしている。

 安藤は柄杓と木桶を持って、隊士たちに水を飲ませていく。折からの暑さと、着込んだ防具のため、皆、滝のような汗を流していた。

 その中で、総司だけは乾いた様子で、静かに右手を柄に沿わせたまま、近藤の脇に控えていた。

 斎藤と兵庫が黒谷から戻って来た。

「どうも、ご出陣に手間取っている様子です」

 斎藤の報告に、歳三はまた舌打ちをする。

「この時間に始めると言われた側が、何を手間取ってるって?」

「摘発による、浪士たちの不満の高まりを恐れておいでのようです」

 にべもない兵庫の一言に、歳三は汗ばんだ首筋に張り付く後ろ髪を払ってため息をついた。

「……局長、待つかい?」

 焦れた歳三の声に、近藤は目を閉じる。

 浪士たちに気付かれないよう、軽装のまま銘々に屯所を出て行く際、敬助は歳三と近藤に、くれぐれも焦るなと言った。

 少数で討ち入れば、脱出に勝機を見た浪士たちが死に物狂いに刀を抜いて立ち向かってくる。多数で取り囲み、制圧しろ。

 敬助が右手を握り込みながら、目を光らせて訴えた言葉には、共に出陣できない悔しさがにじんでいた。

 岩木升屋への押し借り制圧の際、敬助を裏口に回したのは歳三だ。自分と対峙していた相手を取り逃したことで、敬助は怪我を負った。歳三は、敬助の後遺症に少なからぬ責任を感じていた。その敬助が、慎重にと言う以上、これは尊重すべきだろう。しかし──

「奴らだって、集まれば捕まるかもしれねぇとはわかってるだろう。サッと集まって、サッと帰るぜ。逃しちまうよ、このままじゃ」

 この摘発が成功すれば、新撰組は確実に存続を願われる。何より、京都の平安を脅かす危険分子を取り除ける。

 歳三は、正義心からの衝動を抑える術を持ち合わせていなかった。

 結局、新撰組は会津の出動を待たずに捜索を開始した。近藤は鴨川西岸の木屋町筋を、歳三は東岸の縄手通筋を四条から三条へ向けて北上しながら、目録に挙げられた茶屋や旅籠屋を当たる。

 捜索から一刻は過ぎたころ、五軒町の東の茶屋を捜索していた歳三の元に、近藤隊が三条の中嶋町にある池田屋で会合を発見し、戦闘に及んでいるとの報告が入った。

 歳三はすぐに隊士たちを集めて池田屋へ向かった。橋の上で川風に涼む人混みの三条大橋を渡りながら、歳三は作戦を練っていた。

 高瀬川に架かる小橋にて、隊士を集めて指示を出す。

 踏み入れられた浪士たちは、池田屋の数町北にある長州藩邸へ逃げ込むだろう。隊の半数を割き、池田屋の裏手に面した道──恵比寿町の東西を封鎖して、戦闘から逃れた浪士を漏らさずに捕縛する。残りの半数は、表口から池田屋内へ入る。

「討ち入りは、井上分隊に任せる。良いか、捕縛だ。すぐに、守護職と所司代も来られるだろう。それまでに、終えられるように!」

 歳三の威勢に、勇ましい声が返された。

 死ぬ気で打ち込んでくる人間に対して、捕縛を挑むことは、非常に難しい。捕縛は通常、ひとりに対して三人一組で行う。ふたりで掛かり、勢いを削いだところで、残りのひとりが押さえ込んで制圧する。これが、新撰組での定石だった。

 歳三は封鎖組の隊士をさらに半分に分けて、三条通を西に駆け抜け、恵比寿町の西を塞いだ。捕縛用の縄を三組、右の腰に挟み、刀を抜く。

 近藤の安否は気懸りで、歳三も援護組に参加したかったが、歳三は近藤の強さに疑いはないと改めて自分に言い聞かせた。

 会津藩や桑名藩の到着前に捕縛を終えろと指示したことは、新撰組の手柄を確かなものにするためだけではない。

 恐らく、五名ほどで池田屋に突入しただろう近藤隊は、手向かう浪士たちを斬り捨る他ないはずだ。会津の出陣が遅れた理由を考えると、「会津藩を待たなかったため、少人数故に斬り捨てを選ばざるを得なかった。余計に恨みを買うことになった」との批判が守護職内から上がるだろうことが予測できる。

 それを回避するためには、新撰組のみで池田屋討ち入りを完結させなくてはならない。それこそが新撰組の強さの証になるのだ。


 池田屋にて新撰組による大規模な捕り物が行われていると佐吉から聞かされた千歳は、布団の中で眠れないまま、時間を過ごしていた。

 無事だろうか。暗がりの室内戦が、混戦になることは容易に想像できる。千歳は赤い前櫛を握りしめて、無事を祈った。

 千歳本来の居場所でなかったとしても、新撰組とは心の向かう先、帰りたいと思う場所なのだ。

 学問を教えてくれた敬助、剣術を教えてくれた総司、斎藤。何かと気にかけてくれる藤堂や原田。皆、無事だろうか。

(あの人も……)

 志都なら、きっと歳三を心配しただろう。千歳は櫛を額に押し当てた。

 眠れなくても、日々の習慣によって、千歳は早暁に目覚めた。里幾たちを起こさないように、静かに布団を片付け、浴衣に着替えて外に出る。行き先は白山神社ではなく、池田屋だった。

 昨日の曇天とは打って変わって、今朝は雲のない晴れ空だった。もうすぐ昇る朝日によって、東山の端は鮮明な鋭さを描いた。

 新撰組は引き揚げた後のようで、所司代である桑名藩兵が池田屋周辺の警備を行なっていた。周りには騒ぎを聞き付けた見物人たちが、早朝にも関わらず集まっている。恵比寿町にはあちこちに血痕が見られ、池田屋の表口には浪士たちの物であろう折れた刀や、血に染まる破れた着物などが並べられ、検分されていた。

 新撰組隊士の無事を知れるような手掛かりは何もない。周りの噂声に耳を傾けたところ、どうやら、先駆けて池田屋に討ち入った近藤は無傷で生還したらしい。しかし、浅葱羽織を着た若い隊士が、戸板に乗せられて中から運び出されるのを見たとか、隊士の内ふたりは即死らしいとか、不穏な噂も多い。

 正誤を確かめる術が千歳にはある。「仙之介」となり、直接聞きに行けば良い。しかし、今から髪を結い直し着替えて仙之介になり、新撰組の許まで行き、綾女を起こす時間までに「お仙」に戻る早技は不可能だ。

 千歳は重い足取りで来た道を引き返し、白山神社へ行った。境内では、会津藩兵が逃亡した浪士の捜索をしていたので、千歳は参拝を済ませて、すぐに屋敷へ戻った。

 綾女に朝食を食べさせていると、宮本屋の主人が千歳に一日の暇を与えると言った。

「お仙どんも、今日は兄さんが気懸りやろ。顔見せたったり」

 すかさず、綾女が千歳の袖を握り、

「今日は川行く言うてたやん! な、お仙。行くやろ?」

と引き留めた。

「綾女。川はまたいつでん行けるやろ」

ととさん、そやけど、せっかく晴れたんえ! 約束やもん!」

「綾女」

 語気の強い父親からの呼びかけに、綾女は黙った。投げるようにして箸を膳に置き、袖で顔を隠す。千歳はいたたまれず、口を開いた。

「あの……旦那さん。うち、今日はお休みは結構です」

 会いに行こうかとは考えたが、千歳はもう新撰組を出た身なのだ。

「きっと、も……忙しいでしょうし」

 兄だから会いに行って良いのならば、千歳は新撰組の誰にも会いに行けない。

 三条近辺は浪士狩りが続いていたので、佐吉は綾女の川遊びの場所を四条大橋南の河原にした。千歳は足だけを水に入れ、少し離れた場所で佐吉の石投げに手を叩く綾女を見ていた。

 昼前の強い日差しを受けた鴨川の水面は、川舟が行き交うたびに、水が割れて、きらきらと光る。その川端で佐吉の投げた石が跳ねていく。石は八回ほど飛んだ先の葦原に紛れ見えなくなった。

 千歳は四条大橋を見上げた。芸妓の一団が揃いの白浴衣をまとい、華やかな笑い声を上げながら橋を渡って行く。その笑い声が歓声に変わった。人々の頭の上には、赤地に金糸で「誠」とある旗がはためいていた。

「──すみません、佐吉さん! ちょっと……すぐに戻ります!」

 千歳は京言葉も忘れて、堤防の階段を駆け上がった。

 新撰組の凱旋だった。隊旗の後ろを歩く近藤は、沿道の声援には応えず、真っ直ぐ前を向き、一歩ずつ踏み締めるように進んで行った。眉は険しく寄せられていたが、目には感慨があふれている。

 千歳は欄干に足をかけ、人垣の向こうに並ぶ隊士の顔を見た。皆、晴れがましく、誇らしげな表情をしていた。

 井上がいる。原田がいる。永倉は左手を怪我したようだが、元気そうだ。沖田は青い顔をして、島田に支えられていたが、負傷しているようには見えない。藤堂は額に何重にも包帯を巻かれ、戸板に寝かされたまま運ばれていたが、側を歩く斎藤がにこやかに話しかけているところを見ると、命に別状はないようだ。

 千歳は安堵から、涙が出そうになるのを堪えて、敬助の姿を探した。目を凝らすも、懐かしい撫で肩の、色の白い小柄な男は見られない。もしや、負傷をしたのではと、さらに向こうを見遣ると、殿を歩く歳三が見えた。

 目があった。歳三はいぶかしむように、目を細め、こちらを見てくる。千歳は擬宝珠を抱き込むように前のめりになり、歳三に目線を向け続けた。歳三も手負いはないようだ。敬助は──?

 千歳の視線を受けた歳三が、息の詰まったように視線を外した。千歳は万一に思いを巡らしたが、歳三は千歳の前に差し掛かった数歩の間、しっかりと千歳を見つめ、深くうなづいた。

 大丈夫だと言われた気がした。

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