三、池田屋

 敬助から千歳の「新堀報告書」を手渡された歳三は、その詳細さと、既に監察方から上がっている報告内容との合致に驚いた。

 新堀松輔。在京長州藩士、脱藩浪士の中でも指導者的立場にあり、桂小五郎かつらこごろうかと推定されている人物だった。

 監察方に回った島田からは、桂は警戒心が強く、逃げ足も速いため、なかなか姿を捉えることはできないと聞いている。それを、千歳は偶然にも名乗り合うまでに馴染み、直接話を聞くまでしてみせた。千歳が実際に会話する中で得た印象──観察眼に優れるキレ者、対応は柔和、剣技に通じるとは、桂の特徴と重なる。

 歳三は千歳の機転を利かせた間諜に関心し、

「あいつ……才能あるんじゃないか?」

と声を上げたが、ハッとして敬助の顔に目を遣る。厚いまぶたの下に光る灰がかった目が、歳三を刺していた。

「歳三くん、決してあの子を使おうだなんて思わないでくれたまえよ」

 敬助は畳を指先で叩きながら話した。その顔色が青いのは、昨日から、また少し動悸とめまい、食欲不振が出ているからだけではない。

「自分のしたことが、どれほど危ないことなのかも、わかっていないんだ、あの子は」

「わかっているよ、使ったりなんかしない」

 言葉に若干の惜しまれる思いがにじんでいたのだろう。敬助が険しい顔をして、にじり寄った。

「土方くん、焦りがないか?」

 敬助は、ここ数日の巡察報告を聞くに、浪士改めの手法が荒いと感じている。少しでも怪しければ、取り囲んで剣を抜くのだ。怪しいと目され手荒な改めを受けた無関係の民から不興を買っていることは、想像に容易い。

 蔵からも度々、仲間の所在を明かさせるため拷問を加えられる捕縛浪士たちのうめき声が聞こえている。

「長州情勢が窮していることはわかる。けれども、だからこその慎重さが求められるのではないのか? 土方くん」

「素直に応じる者は、丁重に扱っている。だけど、町人体を装って潜伏している者も多いんだ。全てに慎重さは求められねぇよ」

「副長とは、手柄に逸る隊士の手綱を引く役目を担っているのでは?」

 歳三が眉根を寄せて、言葉を詰まらせた。敬助が語気を和らげて続ける。

「僕たちは、京都の民の上に立つ人間だ。徳を以って治めなくてはならない」

 敬助は無闇に町人を改め、その心情を害することで、世情が長州に同情的になることを恐れた。ただでさえ、花街を中心に、金払いの良い長州への同情的な態度が見られるのだ。

 歳三も、最近の手法が強引になりつつあることに自覚はあった。しかし──

「統治を覆そうと画策する輩には、厳しい態度で臨む。そうでなくては、その徳すらも疑われるさ」

「もう、既に疑われている。ならば、今焦ってことに当たるのは──」

「焦っているんじゃない、逼迫しているんだ」

 八月十八日の政変から、一年近く。それまで朝廷を牛耳っていた長州派の公家と、長州勢が入京禁止処分を受け、京都の治安は守護職の会津藩、所司代の桑名藩、そして、守護職指揮下の新撰組、見廻組によって担われている。

 この体勢を崩そうと企む長州の計画は、得られた情報の断片を接ぎ合わせると、孝明帝の誘拐、会津侯の殺害、新撰組屯所への焼き討ちなど。計画実行のために、相当数の長州勢が入京していると見て良い。

 これに対して、厳然たる姿勢で臨むのは当然だ。焦りではない。歳三はそう言って、千歳に文を返しておくと敬助に背を向けた。

 歳三は焦りを認めなかった。近藤も、勇み足を黙認した。ふたりにとっての最優先事項は、現在の京都における新撰組の価値を高めることにあるのだ。

 結果を求めれば、自然と敬助の言う「徳」とは離れた行いも出てきてしまう。


 京都の夏の風物詩、祇園御霊会は一月に渡る大祭で、今日はその前祭に当たる。山鉾を出す町の商家では、往来に向けて豪華絢爛な屏風を立て、道行く人々の目を楽しませていた。

 千歳は白地に藍染の浴衣を着せられて、宮本屋の三子の屏風見物に連れ出された。右手を綾女に、左手を菊太郎に握られ、山鉾の組み立てが行われる道を行く。里幾と加尾は、新しい浴衣は似合っているか、水羊羹はどこの店がおいしい、山鉾を飾るあの錦織の模様が良いとおしゃべりに忙しい。春は佐吉から、その町の山鉾の特徴を教えられていた。

 蒸し暑い、風の吹かない京都の夏は、どんよりとした雲に覆われている。辻々には、お囃子を練習する音、慌ただしく行き交う下駄の音が響いた。

 振り売りから冷やし飴を求め、皆で飲んでいると、雑踏の向こうから黒服の集団がやって来るのが見えた。先頭を歩く長身の男は、総司だ。急な戦闘に備えて、笠を被らずにいる総司の額には、大粒の汗が浮かんでいた。

 千歳は綾女と目線を合わせるように、ゆっくりとしゃがんで、総司の視界から隠れた。女の姿を見せるわけにはいかない。

 大きく肩揚げが取られた藍染の浴衣を着た綾女を扇子で扇ぎながら、千歳はささやき合う周りの声を拾った。新撰組を噂する声だった。

「四条の枡屋はん」

「喜右衛門はん? 今朝、偉い騒ぎやってんなぁ」

「新撰組に連れてかれはってんて」

「へぇ、あん人!」

「ほんに、暑い中、えらいことやなぁ」

「良う働かはるわ、なぁ」

 その声には、明らかに蔑みの色が見えた。

 お遣いの他は、ほとんど屯所を出なかった千歳が町に出て半月。隊の評判は、必ずしも良いものでないことを知った。関東から上ってきた田舎武士の集まりと看做されていること、浪士を匿っていないかと執拗に店を見張ったり、家宅捜索を行なったりすることなどが要因らしい。

 宮本屋の主人は例外で、以前、押し借りに入られそうになったとき、巡察中の新撰組により助けられた経緯があり、ある隊士の妹・・・・・・である千歳の奉公を喜んで受け入れた。

 それでも、宮本屋の奉公人全てが新撰組に好意的なわけではない。里幾などは、新撰組隊士をあずまモン、田舎モンと呼び、同じく関東言葉を話す千歳のことも、見下していることは感じられた。

「お仙どん、剣術は兄さんから習うたん?」

 人混みをかき分け進む総司たちを見ながら問いかけてくる里幾に、千歳は、ええとだけ返す。加尾は、千歳を背が高くて男の子みたいだと評した。

「お仙どん、なぁ、格好良えわ」

「泳げはるてほんま?」

「女子やなんて、もったいないなぁ」

 イケズが始まったと千歳は遠くを見つめてやり過ごす構えを作った。少し年上のこの同室の二人から気に入られていないことも、褒めるふりをして、その実、女らしくないと馬鹿にされていることもわかっている。

 しかし、イケズに顔色も変えず、最低限の挨拶くらいしか言葉を交わさない千歳のかわい気ない態度が、余計に里幾たちの排除を生じさせているとまでは、気付いていない。相変わらず、仏頂面のまま、

「泳ぎはできませ……できまへん」

と途中で京言葉に言い直して、淡々と返すのみだ。

 千歳は、八つのころに橋から落ちて溺れて以来、水に顔を着けるのも嫌なのだ。

 夜。綾女と菊太郎を寝かしつけてから、千歳たちは宵々山に出かけた。軽やかな囃子が響く。

「コンチキチン、コンチキチン」

 春が高い声で、囃子の音を真似た。「お俊」に結い上げた春のかんざしは、銀細工の団扇を象る。山鉾に掲げられた数々の提灯が、歩くたびに揺れる春のビラかんざしを照らした。

「糸はん、ほんにかいらしおすなぁ。べっぴんさんやぁ」

 はつが春の手を引きながら褒める。里幾と加尾も、銘々のかんざしや櫛で飾り立てていた。里幾は潰し島田に細かな絞りの赤い鹿子をかけて結綿にし、象牙を模した白い平打ちを、前髪には珊瑚の玉が垂れた小振りな撥かんざしを挿した。加尾も結綿に碧い珊瑚の玉かんざし、前には鼈甲の櫛と揃いのかんざしを左右に挿した。

 周りの娘たちも、自分の持つ中で一番の浴衣とかんざしを身に付けてやって来ているのだろう。皆、かわいらしかった。

 千歳はといえば、いつもとおりの手絡もかけない高島田に、赤い前櫛のみだった。女の格好にやっと慣れたばかりなのに、さらに自らを飾り立てる勇気はないし、実際にかわいらしいかんざしのひとつも持っていない。

「お仙どんもなぁ、かいらしゅうしはれば良えんになぁ」

「なぁ、もったいないわ」

 加尾たちが、またクスクスと千歳を笑った。昼間は女にしておくのがもったいないと言ったくせにと、千歳は遠くの山鉾の明かりを見つめた。

 地面から湧き上がる蒸し暑さは、人々の行き交う熱を含んで、街中に留まり続ける。千歳は下ろしたばかりの白い浴衣が、汗に湿っていくのを感じた。

 そのとき、人集りの中で眩しい浅葱色が目に留まった。数間先を行くふたりは斎藤と酒井兵庫だった。彼らは昨秋以来、久しく着られていなかった浅葱の麻羽織を着ている。

 千歳は初めて会ったときの斎藤の姿を思い出し、懐かしさから自然と微笑んだ。しかし、後ろから、

「見とおみ、加尾ちゃん。壬生浪みぶろや」

と里幾の声が聞こえた。この雑踏の中なら聞こえまいと、声はひそめていない。

「ほんに、いつまでいてんねやろ」

「なぁ、早ようんでほしいわ」

 加尾と里幾のやり取りは、お互いをかわいいと褒め合ったときと変わらない口調で語られた。

 千歳は新撰組が彼女たちの中で、悪口──娯楽の対象であることが悔しかった。振り返り、ふたりを見る。

(何も知らないからだ。新撰組が、尊王攘夷のために働いていることをわかっていないから)

 千歳の非難がましい目を受けて、加尾がゆったりと微笑んで見せながら、「何え?」と尋ねる。

「なぁ、お里幾ちゃん。お仙どんが睨まはる」

「……睨んでません」

「嫌やわぁ、けったいな話し方が聞こえるわ」

「なぁ」

 ふたりの結束を前にして、言い返す言葉も見つからない千歳は、じれったくも視線を逸らした。

 そう、何も知らないのなら、仕方がない。新撰組への批判は京都守護職、幕府、延いては、幕府へ大政を委任している朝廷への批判になる。そんな簡単な構造にも気付けないほど、何も知らないのだ。そう考えながら息を吐き、心を落ち着かせる。

 その仕草が、里幾には馬鹿にされたように映った。

「なぁ、壬生浪もなんや帰るんやて? 荷物まとめとき、置いてかれるえ」

 千歳は一瞬で込み上げてきた涙を堪えて、「先に帰ります」とはつに告げ、雑踏の中を割って進んだ。

 歳三は新撰組が残れるように努めると言った。きっと、置いて行かれることはない。新撰組は、この京都に必要とされている。

「──尊王も、国学も知らない者は、黙って統治を受けていろ!」

 治める側と治められる側。治める側たる新撰組の思想を知らずに、思想もなく暮らしている治められる側の里幾たちから批判を繰り返されることは悔しかった。

 千歳の反論は、華やかな囃子と謡いにかき消され、誰に届くこともない。


 夜更け、祭り見物の後に先斗町へ遊びに行っていた佐吉が帰り、ちょうど寝苦しさに水を飲みに起きた千歳へと話しかけるには、三条木屋町の池田屋にて、新撰組が大きな捕り物をしているらしいとのことだった。

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