戦場のcapitale

一、奉公

 「お仙どん」の目下の課題は、関東訛り ・・・・を出さないことだった。

 上白山町の呉服商、宮本屋の奥女中として奉公に上がった初日、十一になる「 いとさん」からは、

「あんた、なんや、けったいな言葉しゃべらはんねな」

と言い放たれた。

 また、女中頭のはつ ・・に対して、八つになる「 ぼんさん」が、

「外遊びに行きたいと言っています ・・・・・・

と伝えたら、

「言うてはります ・・・・やろ! 何様のつもりやねん」

と厳しく叱られた。

 「おおきに」「堪忍」「すんまへん」

 夜、千歳は布団に潜って泣きながら、京言葉の語彙を復習していた。

 しかし、京言葉は気を付ければ良いことだ。仕事の大変さは、五つになる「小嬢 こいさん」の綾女 あやめにあった。綾女は新しく守やに付けられた「お仙どん」を嫌がり、

「嫌や、嫌やー! お梅どんが良えねん、お梅どん返してやー!」

と地団駄を踏んで泣いた。

 着替えるのは嫌、でも、着替えさせられるのはもっと嫌、自分でやる、帯は結べないけど手を出すな。ご飯よりお菓子が欲しい、付いて来るな、梅と代われ──

 一日中、文句ばかり言い、機嫌良く遊んでいると思えば、些細なことで腹を立て、手にした玩具を千歳に投げる。それを避けるとまた怒るのだ。

 初めの三日は、耐えよう、頑張ろうと心を奮い立たせていたが、止むことのない綾女のわがままにやつれ、口を開けば関東訛りを注意されるので、千歳はすっかりしゃべらなくなってしまった。

「帰りたい……」

 五日目の晩。千歳は布団の中でさめざめ泣きながら、赤い前櫛を撫でて、志都を思った。


 奉公に出される日の朝、荷物をまとめた千歳は雅に連れられて髪結いへ行き、島田髷に結われた。

『その櫛は、お母はんの?』

『はい……昔、使っていた物をくれたんです』

『良えねぇ。よう似合うてはるわ』

 鏡の中から、憂かない顔が見返していた。千歳には、自分が女装をしているように思えた。

 雅が千歳の後ろから両肩に手を置いた。

『お仙はん、平気?』

 雅は、千歳が初めて八木邸に来た日、女物の着物を着せられるとなると、怯えて嫌がった姿をよく覚えている。

 いずれは、奉公に出したいと歳三より聞いていたため、打診をしてみたが、こんなに早くも話が進むとは思っていなかったのだ。

『お仙はん、ほんに無理してはらへん?』

 鏡越しに合う目線を逸らして、千歳は首を横に振った。


 半年の内に隊を出なくてはいけないことはわかっていた。仕方がないのだ。

 明練堂の女将よりマシ。女郎屋に売られるよりはマシ。

 そう自分に言い聞かせて、千歳は大きく息を吸い、寝ようと努めた。女中部屋は四畳半に三人が寝る。あまりすすり泣いていては、先輩女中に怒られるのだ。

 壬生に帰りたかった。子どもは好きだが、綾女の激しさは手に負えない。自分の時間がなく、本を読めない。芸事を習えると言われたが、家に馴染むまでは仕事をしなくてはいけない。

 「いとはん」たる、「坊さん」たる菊太郎は日中、塾や稽古に行き、その間、女中は休憩時間になるのだが、まだ五歳にしかならない綾女は何も習っていない。千歳の一日は、卯の刻に綾女を起こしてから、戌の刻過ぎに寝かし付けるまで、綾女に付きっきりなのだ。食事はおろか、厠ですら、ゆっくり息をつけない。

 今朝も、五月晴れの好機に川涼みに行くと言う綾女に従い鴨川へ下りて、浅瀬で遊ばせていたら、綾女が川底の苔に足を滑らせてひっくり返った。すぐさま、裾をまくって裸足になり、助けに入ったら、

「なんで転ぶ前に来いひんねん! 濡れてまったやん!」

と叩かれたのだ。

 顔を叩かれないだけマシ、子どもの弱い力なだけマシ。千歳はそう思い、無表情のままやり過ごそうとした。

 そのとき、綾女が足を引っ張って千歳を転ばせた。ケタケタと笑い声を上げて、さらに水を手ですくい、千歳にかける。お仕着せの白絣の着物は、みるみる全体が濡れてしまった。

「お仙、抱っこ!」

 帰り道、濡れた着物で歩くのを嫌がった綾女を抱き上げて、千歳は七町ほどの道のりを衆目に耐えながら歩いた。屋敷に帰って、待っていたのは、もちろん、はつの説教だった。千歳はこれも古事記伝の冒頭部分を頭に浮かべながら、時が過ぎるのを待った。

 夕方からは、塾から戻った菊太郎と一緒に、綾女が外遊びを望んだ。菊太郎付きの里幾 りきは、千歳に付き添いを任せてきたので、千歳は初老を過ぎた下男の佐吉と共に、ふたりを連れ出した。手を繋いで走って行く菊太郎と綾女を、千歳たちも小走りで追いかける。袴ならもっと楽に走れるだろうに、女の着物は裾が邪魔だった。

 河原では菊太郎が佐吉相手に棒切れを構えて剣術ごっこをして、綾女は土手に生える茅萱の穂をちぎって手いっぱいに蓄えている。千歳は綾女の向こうに見える三条大橋を黒羽織の集団が通りはしないかと眺めていた。

 宮本屋に来て七日。違和感と不便さはあるものの、女の格好にも慣れだした。本も読まず、剣も取らない。口から出る言葉も、語彙だけは京言葉に変えられてしまった。副長部屋で過ごしていた日々が、ずっと昔のことのように思われる。

「──お仙!」

 千歳の余所見に、綾女が茅花 つばなを投げ付けた。白く柔らかな穂の塊は空中で分かれ、川風に乗って千歳の顔周りを流れた。おもしろがった綾女は、茅花をさらに摘んでは、千歳へと投げる。千歳は目に入らないように顔をしかめながら、綾女の興味が過ぎ去るのを待った。

 佐吉が千歳を呼ぶ。振り向くと、棒切れを手にした佐吉は汗を額に浮かべ、肩で息をしている。

「坊さんには敵わん。お仙どん、代わっとくれや」

 そう言って、千歳に二尺ほどの棒を持たせると、頭や肩の茅花を払ってから、背を押した。

 菊太郎は千歳を急かし、構えるように言うと、棒を打ち付けてくる。千歳は総司から見た自分の剣も、こんな風に筋が見えやすかったのかな、などと思いながら、打ち込みを受けていった。打ち込んでも当てることができない菊太郎は地団駄を踏む。

「お仙、受けてばっかやんか!」

「堪忍……すんまへん」

「打って来ぃ。菊なら、絶対受けれるさかい」

 得意気な笑顔だ。千歳の顔が、久し振りに緩んだ。

 右の袂をまくり、後ろ帯に挟み込む。小太刀を構える要領で、半身に構えた。さすがに本気は出さない。小手を中心に打つ振りをするだけだ。

 千歳の攻勢に菊太郎は本気になってくる。千歳も、稽古のときのように、動きながらしゃべり始めた。もう、京言葉のことは忘れている。

「ダメです、坊さん。闇雲に振っては、ほら、動きが大きいから、隙ができる」

 千歳が胴に軽く棒先を当てた。

「場所は右手首──ここと、胴。頭は危ないからやめましょう。あと、脛ですね」

 狙う箇所を絞ると、菊太郎も、ただ棒を振り回すだけから、狙った打ち込みに変わってくる。

「そう、振りかぶってはいけません。ああ──良いですね、その調子です」

 千歳はだんだんと身体が軽くなっていくことを感じた。

 兵馬が病に倒れる前、ちょうど菊太郎と同じ八つの年頃に、千歳は剣術を習い始めた。褒められると嬉しくて、練習して上手くなっていくことが、楽しかった。

「坊さん、今の打ち込み、良いですよ」

「ほんま?」

「ええ、もう一度。──ほら、やっぱり上手」

 千歳の言葉に菊太郎は嬉しそうに笑う。乳歯の抜けた不揃いな前歯が見えた。

 暮れかけた鴨川の河川敷は、川床に涼む客、花街を目指す者たちで賑わっている。彼らは千歳と菊太郎の稽古を微笑ましく、また、少々奇妙に見ていた。

「坊さん、次は──」

 千歳が菊太郎の姿勢について指導しようとしたとき、綾女が千歳の脇腹に飛び付いた。思わず息が止まるほどの衝撃に踏み堪えた千歳を他所に、綾女は菊太郎に食ってかかる。

「お仙はウチのやねん。取らんといてや!」

「そやけど、今はウチがお仙に教えてもろてんねん!」

「兄さんは佐吉と遊んだはれば良えやん」

 綾女は菊太郎から棒を取り上げ、脇に投げ捨てた。千歳は一気に冷や汗を流す。弧を描く棒の行方を追って、勢いよく振り返ると、着流しに二本差しをした男の背中に当たった。

 振り向いた浪士風の男は、三十五、六歳。将軍上洛に付き従った諸士が退京した今、在京する浪人が長州や土佐の脱藩浪士である可能性は高い。前年の政変以来、長州処分に不服を申し立てる長州勢が潜入している話を千歳も聞いていた。彼らの気は短く、荒いということも。

「──申し訳ございません!」

 千歳が駆け寄って頭を下げた。

「私の不注意で、大変なご無礼をいたしました。こいさん、こいさ──綾女さん! おいでなさい、お侍さまに謝ります!」

 手を振り呼び付けても、綾女は普段ほとんどしゃべらない千歳の剣幕に驚いて泣きだし、菊太郎の後ろに隠れる。

 騒ぎに気付いた周囲が足を止めて様子を見ていた。佐吉も駆け寄り、泣きじゃくる綾女を抱き上げて、千歳の側で腰を曲げた。

「ほんに、すんまへん。わてもよう見てへんで。お召しモン、汚れてはりまへんか?」

「まぁ、良えっちゃ。子どもすることじゃ」

 武士が佐吉に綾女を連れて行けと手で示した。一礼して離れる佐吉と共に、千歳も頭を下げるが、「ああ、お主ゃ」と引き止められる。

 武士は足元に落ちた菊太郎の棒を拾って、千歳へと踏み寄った。

「お主ゃ、女の子かいね?」

「え、ええ。女です」

「そいで、東のモンじゃのう」

「はい……生まれは」

「北辰一刀流は誰に習うた?」

「……おわかりに?」

「見りゃわかる」

 淡々とした物言いに、千歳は身を縮こませながら、顔を上げた。武士は総司と同じくらいの長身で、渋い眉目の美男子だった。

「お主、手ぇ見せて見ぃ。──違う、掌じゃ」

 夕涼みに出かけた先で、奉公人風の少女が慣れた様子で小太刀の構えをとっていたのだ。使う言葉は江戸のもの。しかも、今は先程までの溌剌さはなく、どこにでもいる気弱そうな娘の顔をして、手を差し出したままうつむく。

「名ぁは? 元ぁ道場主の娘か何かかね?」

 止まらない武士の追及に、千歳は辺りを盗み見た。武士が町娘に説教しているように見えるのだろう。周りを行く人々は、遠巻きに見物の姿勢をとる。

 早く解放してもらおうと、千歳は手を後ろへと隠して答えた。

「仙と申します」

「名字は」

「ご、ございません」

「ただの町人ではなかろう? どうして、長屋住まいの娘が剣術なぞ習うちょる。道場のモンじゃろうが」

 この男の聡さとしつこさを察した千歳は、息を吸い込むと、勢い付けて顔を上げた。

「い、稲荷はんに教えてもらいましてん。ウチ、友人おらんし、憐れまはった神さんが、き、狐はん遣わしてくれ、はりましてん。そやから、知らん。ほんに、堪忍え。すんまへんでした」

 怪しい京言葉を早口に言いたてると、千歳は素早く頭を下げて、走り出した。心配気に様子を伺っている佐吉の元へ駆け寄り、そのまま河原を上がった。最後に振り返って見たが、人々が行き交う鴨河原に、あの武士を見つけることはできなかった。


 次の日、千歳は朝から菊太郎に剣術の稽古をせがまれ続けた。外でやっては、また誰かに目を付けられると思い、屋敷の庭でやろうとしたら、綾女の告げ口によりはつが飛んで来て、棒を取り上げられた。千歳は宮本屋に来てから最長のお説教を食らった。

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