十五、自立
四月二十六日。江戸において、
期待される役割は新撰組と同じであり、新撰組が約四十名少々の隊士を抱えるのに対し、見廻組はその組織人数を四百名と想定していることから、新撰組の存在意義は揺らいだ。
元を辿れば、新撰組は将軍による攘夷の先駆けとして働くとの目的で結成され、その平素の役として、市中警邏を任されているのに過ぎない。その攘夷も、正月の攝津沖での見立て通り、幕府は武力攘夷など行うつもりはないのだ。
「だからって、近藤さん。隊を畳むなんて、性急じゃないかい?」
衣更えも済んだ皐月の始め。歳三は眉根を寄せながら意見した。
「山南さんは、どう思うよ。あっちは四百。こっちは四十。そりゃ、組織の大きさじゃ叶わねぇが、俺たちにしかできない働き方ってもんがあるんじゃないのか?」
「うーん、例えば……?」
「た、例えば……」
具体案を請われ、歳三は言葉に詰まった。大きければできることはあっても、小さい故に可能なこととは何か。勢いで発言したものの、思い浮かんでいたわけではない。
敬助が近藤に尋ねる。
「近藤さん、併合は考えていないんですか? 見廻組に、まあ、吸収……になるでしょうけど」
近藤は、「身分がなぁ」と言ったきり、腕を組んで黙ってしまった。新撰組の隊士は、藤堂など例外はいるものの、その多くは諸藩の浪人や郷士、農民町人層の出身のため、将軍直属の家臣である旗本御家人の次男以下から成る見廻組隊士とは、身分が合わないのだ。
「あー、去年の幕臣取り立て断らなきゃ良かったかもな」
歳三がボヤくが、近藤は同意しない。
「身分はそのときのものを見られるのではない。生まれた家、元々の家格を見られるんだ」
近藤は以前、幕臣子弟の武芸鍛錬の場である講武所の剣術師範に就任する話が、直前に立ち消えになったことがある。理由は、生まれが農民だから。剣豪として周知され、近藤家に入ってからは学問を欠かさずとも、生まれの身分が低ければ、認められない。
「いかに、身分を得ようとも、周囲を圧倒させるほどの力を持ち得ねば、生粋の高い生まれの者からは認められないんだ」
悔しさをにじませる近藤の口調に、歳三も敬助も反論などできない。加えて、隊士たちの実直な──誇り高いが気も短い性格を考えれば、仮に見廻組に吸収されることになっても、上手くやっていけるとは思わない。
沈黙を破ったのは、歳三だった。
「ひとまず、新撰組の意義を問い直す岐路にあることはわかった。それを、ご老中にお伺い奉ることも賛成だ」
だけど、と言葉を切る。近藤は江戸に戻っても、道場がある。敬助も、そこに寄るつもりだろう。しかし、歳三は戻れば許嫁たる三味線屋の一人娘との婚姻が控えている。婿養子なのだ。今後、再び何かしら動く機会を得たとしても、近藤らと行動を共にすることはできない。
「江戸表からご沙汰が下るまで、まあ、一月半は見積もって良い。その間に、俺たちが手放すには惜しい奴らだということを証明するんだ。近藤さん、こんなところで終わりにしたくねぇよ、俺は」
談判状の内容を敬助と近藤が考える間、歳三は先日書いた組織図を見ながら、明日からの巡察行程を思い描いていた。
将軍家茂は前年と今年、二度の上洛を果たしている。その目的は攘夷。そうと信じて、近藤たちも上洛した。しかし、攘夷がなされる見込みは全くなく、今回も家茂は東帰しようとしている。
近藤の焦り、憤りも歳三には理解できた。少人数とはいえ、四十人の人生が近藤の肩にはかかっているのだ。
新撰組の解散を伺う建白書を出したと聞かされた隊士たちの反応は様々で、永倉や島田などは歳三と同じく意気込んでいたが、より現実的な目を持つ者は新たな就職先をどうしようかと相談し合っていた。
事態は千歳にも大きな問題としてのしかかっていた。とある商家へと奉公に上がることが決まったのだ。
以前、雅の紹介で奉公に出た娘が結婚のため辞めることになったので、代わりを探していると、雅は歳三に告げた。それがちょうど、隊の解散話が出た日の夕方であり、歳三は渡に舟と千歳の説得を試みた。
『麩屋町筋の呉服屋だ。俺も主人を知ってるが、温厚な人で店も安定している。申し分ない奉公先だと思う』
『旦那はんな、お女中さんらに芸事、よう仕込んでくれはる人やねんて。お琴、お
『俺も隊がなくならないように努めるが、どうなるかわからないから、な? お前はお前で自立するんだ』
『そやけど、いつでんウチを頼ってくれはって良えし、な?』
千歳はうつむいて、うなずくしかなかった。部屋に戻ってから、すぐに敬助に泣きついた。敬助は千歳の頭を撫で、涙を拭いて慰めたが、その言葉は「頑張れ」「立派にお勤めしてきなさい」とのものだった。
今まで置いてもらっただけでも、本当にありがたいことだとわかっている。それでも、千歳はどこか、「追い出される」との思いを消すことができずにいた。
話はトントン拍子に進み、翌月の十五日から働き出すことになった。
翌日、千歳は掃除も洗濯もせずに、朝から八木邸の表玄関の框に座り、本を読んでいた。
赤猫が膝の上にやって来て、撫でるように要求する。足先だけ白いこの仔猫は、その配色から総司に
最近、ふと、何もかもが無駄なような気がしてしまう。漢学や国学を学んだところで、活かせる場所はない。京都まで会いに来ても、歳三は自分を実子とは認めない。この半年と少しの間の出来事に全て意味はなく、地縁もない土地で奉公に上がることになった。
何のために? 生きるためには、働かなくてはいけないが、では、なぜ生きるのだろうか。
「……そもそも、なんで生まれてきたのかな」
何の力によって、何を望まれて、自分は今ここにいるのだろう。父母から別れ出でたこの身は、肯定の内に世に生まれてきたのだろうか。
早熟で賢く、しかし、決して常人の域を出ない千歳にとって、自分の価値とは、現在最大の懸念だった。
そんな思春期の只中にいる少女と引き換えに、道場でひとり木刀を振るこの若い剣士には迷いがなかった。
沖田総司。二十一歳。彼は、何のために生まれたのかとか、自分は何をして生きれば良いのかとか、そんなことは考えたことがない。多感な時期を迎える前に、剣の才能を見出され、以来、邁進している。
千歳は、道場の窓に寄って、脚に擦り寄って来る竹輪をいなしながら、総司の姿を見ていた。迷いも邪念もない、真っ直ぐな剣筋だった。自分にとって、真っ直ぐになれるものとは何だろう。
「――ノゾキムシ!」
千歳に気付いた総司が、悪戯っぽい声で千歳を指差した。格子窓に寄って来て、
「悩み事しているようにお見受けしますね、お仙くん」
と妙に神妙な、師範然とした口振りで話しかけた。竹輪を抱き上げて、千歳は格子越しに応える。
「総司さんは本当に剣術が好きなんだなあと思ったんです」
「好きだよ、当たり前じゃない」
「それが、良いなぁって思ったんです」
「君は好きじゃないの?」
「好きです。でも……」
店へは当然、女の姿で上がるため、総司を始め、隊の者へは奉公に上がることをまだ話していない。
「……質問して良いですか?」
「うん」
「総司さんは、なぜ新撰組にいるのですか?」
男であれば、隊士として残れたかもしれないのだ。そうだったら、何と理由を述べて隊に置いてもらおうか。現実逃避の空想のため、千歳はそう尋ねた。総司の答えは単純だった。
「そりゃ、もちもん、勇先生がいらっしゃるから」
「近藤局長がいなかったら、新撰組にはいない?」
「いないね。勇先生に付いて上京してきたんだもの」
「局長がその地位を退いて、帰郷されたら?」
「もちろん、僕も帰るよ」
「それって、自分の意志で去就を決めていないんじゃありませんか?」
千歳の奉公も自分の意志ではない。それが何とも惨めな気がしていたが、同じく去就の判断を自分でしない総司は、
「……キョシュウってなんですか? キョシュウ」
と、まるで千歳の心情とそぐわない、呑気な顔で聞いてくる。
隊にいることに総司の意志は介在せず、近藤の行動次第なのかと問い直すと、「そうなるの?」とさらに問い直される始末だった。
千歳が何と言い直すべきか考え込んでしまうと、総司は格子から手を伸ばして竹輪の頭を撫でながら、不思議そうに千歳を見て言った。
「僕のいた場所が新撰組になっちゃったんだから、仕方ないじゃないの。入隊したくて入った隊士たちとは、そりゃ違うよ」
ある意味最もな回答を受け、千歳はそれ以上の追求を諦めた。
総司が新撰組にいるのは、近藤の側にいた結果、新撰組隊士になってしまっただけなのだ。側にいると自ら定めたのだから、それ以上の去就は判断する必要すらないのだろう。
千歳を隊から出すなら、関係性を確かなものにしてからだと歳三に諭した敬助も、ふたりの関係には行き詰まりを感じていた。
千歳と歳三が同室になって三ヶ月が過ぎたが、朝夕の挨拶と業務上の指示以外で、口をきくことはない。話しかければ答えるが、会話を楽しむつもりはお互いにないように見える。
そして、千歳が敬助に懐きすぎたことは、歳三との関係性を構築する邪魔をしているのではないかと考え始めた。
何かあるごとに泣きだす千歳は、敬助に慰められる泣き言のなかで、
「先生がお父さまだったら良かったのに」
と繰り返すのだ。
千歳のことはかわいい。手放すのは大変惜しいことだが、自分の側に置く限り、千歳は歳三を父親とは見ないだろうし、歳三も父らしく振舞うきっかけを得られない。近付けてダメなら、離してみようと敬助は考えた。
六日の夜、千歳は敬助との別れを惜しんでいた。翌日から、将軍家茂の東下に従い、新撰組も大坂までの道中警護に就くことになった。今回は敬助も共に行くので、奉公前に敬助と過ごす最後の夜となる。
相変わらず、千歳は敬助にばかり別れを惜しんで泣いたが、歳三にも挨拶をするように言うと、
「今までお世話になりました。大層、ご迷惑をおかけいたしましたこと、お詫び申し上げます」
と述べながら、深々と頭を下げた。感慨は見て取れないが、礼はわきまえた娘なのだ。
七日の朝。梅雨空の下、留守居役の尾形と共に、千歳は涙を堪えて新撰組一同を見送った。
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