十三、密か

 馬越は岸本の自白を認めなかったが、事実、岸本が下手人でなければ、何の目的で岸本は自白をしたのか。敬助によって進められていく取り調べの調書を取りながら、歳三は考えた。

 取り乱していた馬越と対象に、岸本はあくまでも落ち着いており、講義を受けるときのような淡々とした受け答えだった。

「──馬越くんには、悪いことをしました。長山くんからの果たし合いを受けたことも、今回のことも、僕のせいで……隊にもご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません」

 深々と頭を下げた。歳三が尋ねる。

「岸本くん……君は、馬越くんの処分はどうしたら良いかと思うね? 私たちも、迷っているんだよ」

 歳三の鋭い眼光に、それまで平然としていた岸本も喉を動かした。泳ぐ目を隠すように閉眼し、努めて平らかな声で答える。

「馬越くんは僕の処分のほとぼりが冷めたころに、また隊務に戻して差し上げてください。彼は、本当に努力をして、学ぼうとしています。土方副長を尊敬すると言っていました。どうか、今までどおり、過ごさせてあげてくださいませ」

 そう述べる声には、隠しきれない感情が見えた。歳三は、馬越の言うとおり、岸本は嘘をついていると確信した。近藤も岸本の偽証に勘付いたようで、腕を組んで低く尋ねる。

「君も聞いているだろうが、馬越くん……切腹も考えにないわけではないのだよ、我々としては」

 敬助は黙ってやり取りを見守っている。近藤の誘導に、岸本は薄っすらと恍惚の表情を浮かべたように思えた。

「共に死を賜れるのならば、かように幸いなことはございません」

「君に切腹を申し付けはしない」

「ならば、わたくしに後を追わせていただきます」

「いずれにせよ、死ぬつもりかね?」

「……果たし合いを受けたとき、死を決しました。勝って戻ったならば、思いを遂げようと。しかし、勝負は取り上げられ……僕は、彼を得ることはできません。僕が彼に命を捧げたことを示すためには……ええ、もう……」

 遊びにも行かず、隊の中でも目立たない方の岸本が、長山よりの果たし合いを受け、馬越が切腹になるかもと聞いては、自身を身代わりに差し出して、馬越を庇う。

 岸本の誠実さは、忠誠に通じると見えて、どこまでも私の領域を出ない。近藤は、岸本という忠義心を持ち得た隊士が、その行先を隊ではなく密やかな愛へ捧げたことに、大層惜しい思いがした。

「聞こえたと思うけど、馬越くんは君じゃないと言っているようだね」

 近藤が局長部屋の北の襖を指して言った。

 岸本は、襖の上に馬越の姿を描いてみた。あの向こうに、馬越がいる。恐らくは、話の行く先を全霊を以って聞き取ろうとしているはずだ。先程、馬越が自分に会わせろと言った声が耳に残る。それだけで、岸本は直ぐにでも死んで良いと思えたのだ。

「僕です。僕が彼に……延いては、隊全体に迷惑をかけました。どうか、その責任を取らせていただきたく、恐れながらお願い申し上げる次第にございます」

 歳三は調書を取る筆を置いた。岸本が本当のことを述べないのならば、この調書に意味はない。敬助も、これ以上の尋問を続けるつもりはないようだ。近藤が岸本へ井上の部屋での待機を命じた。

 副長部屋の三人は、重たい空気の中、岸本の処遇を話し合った。岸本の願いどおり、切腹を申し付ければ、隊規を定めて初めての処断者が虚偽の自白によって死ぬことになり、しかも、それは衆道の情愛に基づくものであるのだ。本来、隊規に期待された隊士への武士たる心構えを説く役割が、全うされない運用となってしまう。

 かと言って、偽証を申し立てた岸本を無罪放免にはできないし、岸本はどのような処分を受けても、結局は死ぬつもりでいるのだ。それだけに、この議論は体面を繕うために行われているような気がして、歳三はため息が出た。


 正午の鐘が鳴るころ、岸本は再び副長部屋へ呼び出された。処分は除隊。今日のうちに、荷物をまとめて東海道を下るように命じられた。

「隊を抜けろとは……掟にたがうのでは?」

 当然に切腹を申し付けられるものだと思っていた岸本が動揺を見せた。敬助が諭す。

「脱走したら切腹だけど、処罰に除隊がないとは言っていないよ」

 岸本は尚も不服を抱えた様子だったが、静かに頭を下げ、

「謹んで承ります。大した働きも出来ませなんだこと、お詫び申し上げると共に、寛大なる御処置に感謝いたします」

と述べ、して、と続けて、馬越の処分を尋ねた。残留だと近藤が答えると、岸本の身体からわずかに力が抜けた。

「会っては行かれませんか?」

「ダメだ」

「はい」

 岸本はあっさりと引いた。そして、未の刻には前川邸の裏門から出て行った。千歳は八木邸の庭から、去り行く岸本の背中を見ていた。哀愁はなく、凛とした侍の姿だった。

 

 翌朝、まだ空が白み始めたばかりのころ、馬越もまた旅装束に身を包み、三条大橋を渡っていた。


 前日の昼過ぎ、馬越は除隊を言い渡された。隊にかけた迷惑の大きさを考えれば、異議もなかった。

 皆が巡察に出ている間に部屋へ戻り、荷物をまとめていると、歳三が訪ねて来て、金子を包んだ袱紗を手渡した。

『……いただけません、先生』

『取っておきなさい。故郷に帰るつもりはないのだろう』

 馬越は唇を噛んで、黙った。脱藩の上、勘当までされているので、行く当てはない。

『これを元手に商いをしたまえ』

『商い……』

『僕は若いころ、薬の行商をしていたよ』

『えっ』

『石田散薬さ。あれは土方の家伝だ。剣術道具を一緒に持って、甲州街道の道場を売り歩いたのさ』

 商いは武士のすることではないが、浪人となった馬越の生活を支えるものは、やはり、身ひとつで行える商いだろう。

 馬越はいつも着物に気を遣っており、色合わせが良いと、歳三は思っていた。そのため、下駄の鼻緒や簪を売って歩くと良いと提案する。

『単価は高いが軽いもの、そして女子向けが良い』

『なぜですか?』

『得意だろう?』

 歳三がニヤリと笑った。馬越も首を傾げながら、苦笑いをこぼす。

『太閤立志伝を思い出したまえ。秀吉も元は針を売っていたんだ。若いうちの仕事は、必ず次の仕事に役立つ。それに、君は話も上手いから、きっとできないことはないと思うよ』

『あ、ありがとうございます』

『君は秀吉より、よっぽど有利だ。なんせ、京下りの美男に簪を勧められて、似合うとりますなぁ、惚れてまいそやわなんて言われたら、買わずにはいられないだろう? だから、東だ。江戸へ行け』

『……はい!』

 馬越が力強く返事をして、長く頭を下げた。賢く使いなさいと渡された金子は十両。馬越は日のある内に市内へ出掛けて、五両を銀の簪や鼈甲の櫛などに変えた。


 山科を抜けて、大津に至る。歳三からは、大津宿のとある旅籠の主人に文を届けるように託されていた。薄い藍色の暖簾がかけられた旅籠へ入る。

「へぇ、馬越はんですなぁ。お待ちしとりました、どうぞ奥へ。お茶、お持ちします」

 書状を主人に渡すと、馬越は女中に足を洗われて、奥の座敷に通された。女中の後を追い、長い廊下を歩く。

「暑うなってきまして、えぇ、ほんに。へぇ、ご覧やす。藤がきれいですやろ? あの座敷が、一番良う見えますねん。さ、着きました。──お待たせさまですえ、岸本さん」

 女中が座敷の中へ呼びかけたその名を聞いて、馬越は全身で鼓動を感じた。震える足で歩みを進めると、六畳間には紛れもなく岸本が、居住まいを正して座っていたのだ。

 女中は馬越を部屋に入るよう促し、一礼して戻って行った。

「やあ」

 岸本が穏やかに呼びかけ、微笑んだ。

 岸本も馬越と同じく、出立の前に歳三より書状をこの宿に届けるよう命じられていた。昨日の夕方に書状を届け、通された座敷で出されたお茶を死ぬ前の一服と飲んでいるところに、添え状が同封されていたと主人から文を渡され、馬越と会うよう計らいを受けたことを知ったのだ。

 馬越は堪えきれずに、その場に泣き崩れた。別れも詫びも言えずに旅立った岸本に、昨夜からひたすらに謝り続けていた胸中の言葉が、あふれ出る。

「堪忍や、岸本さん……ほんに、ほんに……ごめんなさい……!」

 岸本は何も言わずに馬越の背中へ手を寄せた。


 夕べの鐘が鳴り、千歳は副長部屋へ膳を運んだ。近藤も同席して三人で食事をとる。

「心中なんかしてないだろうなぁ? 歳三、本当に良かったのか? 会わせて」

 近藤の声音には心配がにじむ。行動に対する罰ではなく、隊の風紀のためにふたりを除隊させたことに、心が痛まないことはなかった。しかし、馬越に金を持たせるまでは理解するが、引き合わせることは悪手だったのではと思う。歳三が反論する。

「だけど、あのままじゃ、岸本は絶対、腹を切っていたぞ。馬越くんだって、それは予想していたから、随分憔悴して。大丈夫さ、馬越くんにはちゃんと道を示したから、馬越くんは生きていくさ。馬越くんが生きるのなら、岸本に死を選ばせないよ」

 千歳は、その会話から、ふたりが道中で再会したことを察した。敬助の魚から骨を取り、身をほぐして渡す。敬助が微笑んで受け取った。

「君はちゃんと馬越くんにお別れ言えたかい?」

「ええ。文を書いてくれると言っていました」

「楽しみだね」

「そうですね」

 千歳は少し寂しそうな、同時に不機嫌そうな顔をしていたが、スッと息を吸って立ち上がり、近藤にお茶を差し出したときの顔は、いつもどおり、愛らしい笑顔が戻っていた。

 こうして、千歳の学友候補は隊を出て行ってしまい、千歳は再び、ひとりで本を読むことになった。


 一ヶ月後、副長部屋宛てに馬越から文が届いた。江戸での行商を始めたことと、岸本が名を改めて新徴組に入ったことが書かれていた。

 新徴組は新撰組と元を同じくする浪士組の集団だった。文久三年の上洛の際、浪士組を指揮した清川八郎が、江戸に戻ることを唱えた。それに反発して京都に残った集団が、今日の新撰組であり、清川に従って東下した集団が、今は新徴組と名乗り、江戸の市中警邏を行なっている。

 新撰組を除隊になった隊士が新徴組に入るとは因果なものだと近藤は顔を歪めたが、その理由に、新撰組の解散を老中に尋ねている背景が、多いにあることは否めなかった。

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