三、弱点
嶋原では亀屋という揚屋に上がった。芸妓衆が来るまで、千歳は藤堂から武力攘夷が叶わないのならば、どのように攘夷を行なっていくかとの話を聞いていた。馬越は長山と佐々木に挟まれて座り、にこやかに話している。
酒と料理が届けられた。千歳の前には、酒の代わりに、金平糖や饅頭などが盛られた高杯が置かれた。丸くした目で千歳に見上げられ、永倉はほほ笑み返した。
「酒はダメと言われたからね、せめてものお楽しみさ」
「す、すみません……」
「あれ、お菓子は好きだって山南さんに聞いたんだけど」
「いえ、あの……お気遣い、ありがとうございます……」
千歳はぎこちなくも、礼を述べた。最近は、硯箱を買うお金を貯めるために、お遣い後の甘味屋行きを控えていたので、久しぶりのおやつだった。
手を付けるよう永倉に促され、小さな饅頭を口にすると、柔らかな甘みに思わず歓声が漏れた。永倉の笑い声に、千歳もつられて笑った。
「ところで、酒井くんはお給金もらっているのかい?」
「ありませんよ、そんなの」
ほとんど、居候に近い存在なのだから、お駄賃をもらえるだけでもありがたいと思っている。永倉は少し考えるような顔を見せてから、懐紙に包まれた金子を出した。先程、歳三から渡されたものだ。
「これは取っておきなさい」
「え、でも……」
「一度、俺の財布に入ったら、どう使うかは俺の勝手だよ。ほら、取って」
「すみません、永倉さん。頂戴いたします」
千歳は両手で受け取り、落とさないように帳面の間に挟んだ。
芸妓衆が二、三人ずつ、揚がって来る。皆、それぞれに装い艶やかだったが、馬越の呼んだ振袖の娘は、際立って美人だった。千歳は、永倉が揚げた天神お付の
膳に入る野菜をひとつずつ取り上げながら、これは何と言うかと尋ねる。切りそろえた前髪をした八つ前後の禿たちは、京言葉で答えた。それが、かわいらしかった。豆は「お豆さん」、これは雅もよく言う。大根は「おだいこ」、蕪は「おかぶ」らしい。牛蒡を取る。
「これは?」
「ごんぼさん」
「ふふ、ごんぼさん」
千歳が繰り返して、口に入れた。甘い出汁で煮付けられた「ごんぼさん」は、とてもおいしかった。「良え匂いやなぁ」と禿がこぼす。
「君たちは、食べてはいけないの?」
ふたりはそろってうなずいた。
「こっそりもダメ?」
「怒られるなぁ」
「なぁ」
「僕ばかり食べてて、申し訳ないけど」
「優しいなぁ」
「なぁ、優しい」
双子のような反応を見せる。千歳は、高杯を引き寄せて、饅頭をひとつずつ懐紙に包み、持たせた。
「後で、お上り」
「おおきに」
「おおきに、ありがとさん」
千歳は小さい子が好きだった。しかし、自身はひとりっ子で、道場には他に子どもがおらず、寺子屋も、志都の病が重くなってからは、通っていないので、触れ合う機会は少なかった。その分、八木邸ではよく勇之助と遊んだ。この禿たちも、かわいらしい。
一方の禿の頭を撫でると、もう一方が「ウチも」とねだる。年の離れた妹がいたら、こんな感じなのだろうかと千歳は思った。
「酒井くん、そんな小さな子ばかり相手にしてないでさ、新造ちゃんがお話したいってよ」
「え、そ、そうですか」
原田が、自身の揚げた天神お付きの振袖新造を千歳の隣に座らせた。禿たちは席を空けて、それぞれ、島田と藤堂の元へ行ってしまった。
振袖新造はにっこりとほほ笑んで杯を差し出すが、千歳はそれを断った。
「お好きやあらへんの?」
「え、あ……飲んじゃダメと言われてるんだ」
「あれ、そうやったんどすかぁ。おいくつですねんの?」
「えっと……十四、になった」
「ほな、ウチと同い年どすなぁ。ふふふふ」
鈴のような声、華奢な肩幅と丸い手。豊かな黒髪に、桜の縮緬細工のかんざしが映える。千歳に語りかけるたびに、銀のビラかんざしが揺れた。
「酒井さん……?」
「う、うん」
のぞき込むように顔が近付くと、甘い香の匂いに包まれた気がする。伺うように笑いかけられた千歳は赤面して、厠と言い残し席を立った。
半年前と同じだと情けなくなりながら、千歳は廊下を充てもなく歩いた。
かわいらしい子は苦手だ。禿くらい小さければ良いのだが、同じ年頃となると、今まで接してこなかったため、何を話したら良いかわからない。何より、華やかな娘姿が、自分の格好──木綿の袴に帯刀までした男装姿を咎め立ててくるような気がするのだ。
ため息をつく。中庭には、細い桜の木が石灯籠に照らされて、赤く花を咲かせていた。
「厠はあちらですよ、坊ちゃん」
「佐々木さん……」
振り向く千歳の腰に手を回し、佐々木は廊下の奥へと進む。
「女の子と話すの慣れてないの?」
「ええ」
「女の子は苦手かい?」
「んー……」
あまり親しくない人と話すのが苦手であって、それが佐々木に対しても出ている。申し訳ないとは思っているのだ。困りながらも、微笑み返した。
佐々木が足を止めた。手を握られる。千歳は、マズいと気付いたが遅かった。そのまま、腰に回された手を引き寄せられた。
「俺で練習してみない?」
「あ、いや……その……」
「なあに?」
この状況で馬越から言われたこと。何故、嫌と言わないのか。千歳にも、わからなかった。追い詰められると声が出なくなるのだ。
「離して、ください……」
手を引きながら、小さな声で訴える。
「うん? 聞こえない」
「だ、だから……僕……」
「君、細いね。ちゃんと、食べてる?」
「食べては、いるので……佐々木さん……!」
「ふふふ、かわいい」
涙声になった千歳の頭を佐々木が撫でた。敬助にされるときの安心感は欠片もなく、ただ、嫌悪感が頭の先から広がる。同じ状況を生み出し、また何もできない自分が愚かで、言葉が出なくなる。千歳は悔しさと情けなさに震えて、涙を流した。
「あー、泣いちゃった。怖かった? ごめんね?」
「それ、嫌がりよるよに見えんでしょうか? 離したってくださいな」
声に顔を上げると、馬越が腕を組んで立っていた。
「おや、馬越くん。結局、助け舟かい?」
「僕は厠に用があるんです」
普段は柔和な馬越の目が鋭く光った。佐々木はフッと笑って千歳を離す。
「わかったよ。ごめんな、酒井くん」
頭をポンポンと軽く叩いて、佐々木は部屋に戻って行った。馬越に伏し目で見下ろされ、千歳はあふれ出る涙を手の甲で拭った。馬越がため息をつく。
「君は学習せんね。どこかで見た光景やない」
「き、君……よく、そんなこと、言えるな!」
あまりの他人事ぶりに、千歳が泣きながら怒るも、馬越は不機嫌そうな顔のまま、千歳に詰め寄る。千歳は後退るが、馬越は千歳の両肩に手を置く。
「あんな、教えたるよ。世の中には、人の困った声、泣き顔、そんなんをな、愛しく思う人、けっこういとるんよ?」
「君、みたいな奴だ……」
千歳が涙ながらに睨むと、馬越は唇の端を持ち上げた。
「ほう、わかっとるやないの。君、嫌じゃ言うてみぃ。我慢して、困った顔しよっても、誰も助けてはくれん」
馬越が手に力を入れ、千歳を壁に押し付けた。その顔は笑っていない。
「僕みたいに根性の悪い奴は、こないして問い詰めて泣かせるんが、好きなんやから」
うつむく千歳の頬に手を添えて、顔を上げさせた。千歳の部屋で抱き寄せられたときも、前川邸の裏門で問い詰められたときも、馬越はうっすらと微笑んでいたが、今の馬越は表情もない、冷たい顔で千歳を見下ろす。千歳は、殺気にも似た気迫を馬越から感じ取った。
「ほれ、言うてみいや。嫌じゃ、言うてみい」
指先が頬を下り、顎をなぞって、口元に触れる。親指が千歳の強く引き結ぶ唇を割ろうと押し当てられた。千歳の目から涙が次々にこぼれ落ちる。馬越の指を拒むからだけではない、なぜ口を開けないのか、わからない。
少しだけ、馬越の力が緩んだ。千歳は、好機と馬越の腕から逃れた。しかし、走り出すより前に、右腕を取られた。
「あかんな。泣く、逃げる。君はそのふたつに頼りすぎじゃ」
「君は……意地が悪い!」
うつむいたまま、千歳が小さく叫ぶ。馬越は、「それで?」と返し、動じない。
「その続きじゃ。その続きが言えんかったら、君はいつまでたっても、泣かされる側じゃ」
「……ひ、人に意地悪言うくらいなら、そっちで良いもん!」
「戦え言いよるんじゃ。意地悪言うてきよる奴を喜ばせん方法、そろそろ学ばんと」
「僕……君、嫌い!」
左手で涙を拭い、目一杯の怒気を込めて、千歳は馬越を睨んだ。馬越が平然と、「どうして?」と尋ね返す。千歳が耳まで赤くする。
「ば、馬鹿にして、くるから!」
「うん」
「君……人を馬鹿にしてる。人を好きにさせて遊ぶのも、そうだ。僕をいじめるのも、そうだ。見下してるからだ!」
「それから?」
「うー……」
千歳の精一杯の抗議は、まるで馬越に響いていない。眉ひとつ動かさない馬越に腕を掴まれたまま、千歳は悔しそうに地団駄を踏んだ。
その様子に、馬越が笑った。手を離す。戦えと言われた以上、千歳にも意地はある。逃げ出しはしなかった。馬越が後ろ手に組んで、微笑みかける。いつも通りの柔らかな声だ。
「僕は酒井くんのこと、馬鹿にしとらんよ。心配しとるだけじゃ。君は花じゃ。蜜は甘い。ほなけん、良えように吸われたり、摘み取られたりしよるんやないかて」
その声の妙に同情がかったことに、千歳は胸が騒ついた。言葉が口を突く。
「君はそうされたって言うのか?」
「……どうして?」
馬越の声が低くなる。切れ長の鋭い目が、千歳を射抜いた。千歳は焦って顔を背けた。馬越が自嘲めいた声で笑う。
「あーあ、せっかく良えとこ突けた思うたのに、君は意気地なしやね。早う戻りなよ」
馬越が千歳の背中を押しやった。振り返ると、馬越は廊下の奥の厠へ向かって足速に歩いていた。
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