愛おしきpécheur

一、芽吹き

 馬越は桜の枝を折って部屋へと持ち帰った。枝先の蕾は、まだ固く小さいが、部屋の中で活けてやると、夜の寒さがない分、早く咲くのだ。雅から花瓶を借りて、原田たちの部屋の床の間に飾った。

「君はまた風流なことをするね、馬越くん」

 部屋の住人である岸本に話しかけられ、馬越は微笑み返す。

「これを見て、風流だと言うてくれる岸本さんこそ、風流ですよ。僕は見たいだけですもん。見られんかもしれん、戦争になれば」

「……長州か」

 先日、会津侯松平容保は京都守護職の任を解かれ、陸軍総裁に任じられた。前年の政変に対する長州藩への征討のためだ。出兵は西国諸藩に命じられていたため、新撰組は出兵命令の対象外だが、それは今の話であって、三日先がどうなっているかはわからない。

 岸本が花見の約束を持ちかけた。馬越がうなずく。この二十三歳くらいの背の高い男は、馬越の種蒔き・・・の相手だった。前川邸の裏門で口付けをしてきた男──長山とは違って、真面目で慎重な性格だ。岸本が瞳を揺らすことはよほどないが、だからこそ、揺らしてみたくなる。

「楽しみやなぁ」

 桜の枝を眺めて、馬越はささやいた。岸本の耳をくすぐるためだ。

 たぶん、退屈なのだ。馬越は剣術が好きで、京都まで出してもらった。去年、結成されたばかりの浪士組は、隊士を募って京坂の町道場を訪ね歩いていた。そのとき、歳三の目に留まったのだ。

 父との約束で、京都での遊学は一年と定められていて、帰ったら、遠縁の家に婿養子に出されることになっていた。気は進まなかった。京都を気に入っていたし、結婚もまだ早い。それよりは、京都で自ら働いて自立したいと、入隊を決めた。

 故に、馬越には思想とか、日本の行く末とか、そのようなことへの興味があまりなかった。様々、情勢が動く現状にあっても、それに興味がなければ、日々は巡察と稽古の繰り返しだ。稽古は好きでも、代わり映えのない日常は、やはり退屈なのだ。

 千歳が馬越宛の艶文を持って来た。八木邸に住んでいることまでちゃんと伝えておけと文句を言ってくる。開けて見ると、しばらく訪ねていなかった祇園の芸妓からだった。

「催促が来た。酒井くん、一緒に行かん?」

「行かない」

「ちいとは迷いを見せへんと、かわい気いうもんがないえ」

 目を細めてささやくと、千歳がパッと耳を赤くして、唇を噛んだ。退屈しのぎに千歳をからかってしまうのは、悪いと思いつつ、やめられない。


 夕方、馬越は岸本を誘って祇園に出向いた。座敷では、芸妓の手を取り、しばらくの間遠を詫びた。君のことを忘れていたわけではないけど、大樹公のご上洛もあって忙しくて、と言いながら、寂しがってくれて嬉しい、かわいいねと指を絡ませる。その手は、柔らかでみずみずしくて、馬越は好きだった。岸本は、芸妓に酒を注がれるまま、話を聞いてばかりいた。

 帰り道、松原通をふたりは並んで歩いた。朧な丸い月が、行く道の上に淡い影を落とす。提灯は夜風に揺れた。

「岸本さん、あんまりお座敷には行かんのですか?」

「僕は、そんなにしゃべるのは得意じゃない」

「ほうですか。岸本さんとの話、おもしろいと思いますけんど」

「そ、そうか?」

「ええ、楽しいですよ」

 馬越は岸本を見上げて、微笑む。

「岸本さん、僕が言うたこと、ちゃんと受け取って、考えてくれますもん。そういう人と話すんが、一番話し甲斐があります」

 偽りではない。暗くて見えないが、岸本は確かに今、頬を染めているはずだ。岸本の歩調が、わずかに速まる。溜め込んだ息を放つように、岸本が早口に言う。

「君は不思議な奴だ。そんなことを言う者はいない」

「……そんなこと?」

「君は、よく僕を褒めるようなことを言う。なぜだ」

 岸本の声には、隠しきれない震えが現れていた。馬越の胸が高鳴る。普段は隠されている感情が見えているのだ。思わず、提灯を握る手に力が入った。

「……嫌でした?」

「嫌ではないが……慣れていない」

「僕、褒めようと思うて言うとるんやありません。そう思うけん、言うとるんです」

 馬越が足を止めて言うと、岸本が振り返る。月を隠していた朧な雲が風に流されて、岸本の顔を照らした。その目元には緊張が見えた。

「岸本さん、桜は好きですか?」

「……ああ」

「僕もです。美しいものが好きですけんど、ほれを見る人の目が、もっと好きです。……美しいから」

 馬越は白檀の香りが岸本を包むまで、ゆっくりと歩み寄った。愛らしさを浮かべて笑いかければ、岸本は息を飲んで固まる。

「咲いてほしいですね、早う。お花見、行きましょう?」

「あ、ああ……」

 馬越は視線を残しつつ岸本の傍をすり抜け、足速に通りを西に進んだ。


 翌日、巡察を終えて昼食をとりに前川邸へ向かう途中、長山が声をかけてきた。先日、会津侯容保が陸軍総裁りくぐんそうさい改め軍事総裁ぐんじそうさいに任じられたことで空席となった京都守護職に、越前福井藩主である松平春嶽まつだいらしゅんがくが就くらしいとのことだ。新撰組は、京都守護職の預かりであって、会津藩の預かりではないから、これからは松平春嶽の配下になってしまうと長山は嘆いた。馬越が首を傾げて尋ねる。

「僕、ようわからんけんど、ほれやったら、あかんの?」

「馬越くん、会津侯は帝のご信任も厚く、正に尊王攘夷の先駆けとならはるお方やろ」

 引き換えて、春嶽は開国派であり、先年には政策の混乱が公武間の方針不一致にあるとして、幕府への完全な大政委任か、朝廷への政権の返上を唱えた。

 春嶽としては、朝廷と幕府の二重構造が、安政以来の外交問題と、それによる社会混乱を招いていると考えて、「政令帰一論せいれいきいつろん」を唱えているのだが、支持するものは皆無だった。

「せやから、春嶽侯は朝廷に一切政治へ口を出すな言いたいわけやろ? あり得へんな。政権の返上なん、もっと阿保らしい」

 長山は十九歳になった青年で、馬越と同じく京都の町道場から入隊した。学問もあるらしく、度々、馬越に国事を説いて聞かせる。馬越はいつも静かに聞くのみで、今も半分は蕪の煮物がおいしいということに頭を取られている。長山が汁椀を手にとって尋ねた。

「馬越くん、僕はやっぱな、新撰組をお抱えいただくんは、会津侯さんしかいてはらへんと思うねんな。馬越くんはどない思わはる?」

「うん、僕も長山くんと一緒じゃ」

「ほんま?」

「うん。新撰組は尊王攘夷のために働くんやもん、開国派の殿さんでは困る」

 馬越の返答に、長山が満足気に笑った。

 正直に言えば、どちらでもよい。剣術ができて、京都にいられて、たまには遊びに行けるほどの給金までもらえている。それ以上、望みはない。

 そのため、長山から重ねて、公議政体論こうぎせいたいろんの是非を問われても、

「長山くんはどう思う?」

と聞き返して、逃げる他ない。馬越は皆がこんなにも熱心に政治を語る意味がわからないのだ。

(僕が何を思うたって、世の中は動かん。世を動かすんは、偉い人じゃ)

 現在、その「偉い人」たちが二条城に集まり、話し合いにての政策決定を行い、さらに二日に一度、孝明帝の前でその進捗を報告する政治形態が取られている。

 数年来、唱えられてきた新しい政治の形──公議政体と公武一和が叶ったのだが、参加者でもない馬越には関係ない話だった。


 夕方の稽古は、歳三が出てきた。副長でありながら、この男は、暇を見つけては隊士に稽古を付ける。馬越を見出したのが歳三であったことからも、馬越はよく歳三に指名され打ち込み稽古を行なっていた。

 四寸は違う。上段に構えながら間合いを詰める歳三に、馬越は八相に構え、歳三の動きを見る。自分からはあまり攻め込まない。相手の動きを察知して、打ち込みをかわした一撃を入れることが、馬越の得意だった。とにかく打ち込んで来いと言う総司に対し、歳三は機を待つことを許容する。

 歳三の竹刀が、左の籠手に向かって下される。馬越は右に避け、顔の横に立てた竹刀を振って、歳三の左籠手を狙う。受け止められた。引き際に、歳三の空いた籠手を打つが、軽いため一本にはならない。面を取られた。

「馬越くんは、相手をよく見れているから、逆に誘われやすいんだよなぁ」

 稽古後に歳三が防具を外しながら言う。赤い面紐が、藍染の面に映える。

「さっきの籠手、やっぱりわざとですよね。打ちに行った瞬間、あ、マズいって思うたんですけんど」

「思ったから、隙ができて取られるんだよ。打ちに行ったら、もう迷わないことだ」

「はい」

 馬越が悔しそうに、しかし、それすらも楽しむかのような顔をしてうなずいた。凛々しい、良い表情だと歳三は思った。

「君は剣術をしているときが、一番良い顔をするね」

「ほんまですか? ありがとうございます。一番、好きですから」

「うん。君を引っ張ってきて、もう一年になるのか」

「副長に見つけて頂かなかったら、今頃、僕は阿波の田舎で、十三の嫁をもらうところでした」

 隊士たちが道場を出て行く中、ふたりは残って話した。たまに、こうして話を聞いてくれる歳三が、馬越は好きだった。

「十三かぁ。まだ子どもじゃないか」

「ええ。京都へ来る前に一度会うとりますけんど、この女の子を妻にするなんて思えませんでしたよ。副長は許嫁とか、おいでにならんのですか?」

「いるよ」

「へぇ、美人ですか?」

「もちろん」

「よっ」

 馬越が囃した。歳三は満更でもない。

「しかし、いつまで待たせてしまうか、わからないね。君は、いずれ呼び寄せたりするつもりはないのかい?」

「……この前、父さまから絶縁状を送り付けられまして」

「あぁ……入隊、反対されていたからなぁ。ついにか」

「ええ、合わせて破談です」

「なるほど。そうまでして隊に残ってくれたんだ。きっと相応の娘を見つけてくるよ」

「わぁ! ありがとうございます」

 歳三には、この素直に笑う少年が種蒔き・・・をしているとは、想像できなかった。


 暮れ始めて、長山が馬越を北野へ誘った。彼岸桜がきれいだという。前川邸の裏門での一件以来、長山は馬越とふたりになる機会を伺っていたようだ。道中、長山が手を握った。

「長山くん……この前も、ちゅうしよった」

「嫌なら言うてや」

「……困る」

 眉を寄せて、長山を見上げる。長山の喉元が動いた。手を握る力が強くなる。

「なんでや?」

 握りしめられた手の熱が、身体の奥に伝わる。触られたら、さらに熱を求めたくなるとは言えない。あくまで、 種蒔き・・・とは、相手から求められる状況を作らなくてはいけないのだから。

 あの日、不意に抱き寄せられた心地を悪くないと思ってしまったところから、この「根性の悪い遊び」は歪みを見せ始めたのかもしれない。

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