十三、不在
前年八月の政変時の功績に対する恩賞金を会津侯より受け取るため、歳三と近藤は藩邸へ出向いていた。敬助も同道するはずだったが、熱が引かなかったため、屯所に残った。
敬助の熱は、これまで二日と続かずに治まっていたが、今月頭に高熱を出してから、今日で四日目になる。微熱にまで下がったが、体力は少しずつ削られているのがわかる。眠っている時間が増えていった。
千歳は敬助の枕元で、歳三と敬助、そして近藤の着物から綿を抜き、袷に縫い直していた。歳三が局長部屋の用事も言い付けるたびに、近藤は申し訳なさそうに千歳を労った。近藤も、また顔色は良くなかった。
「湯治ですか」
藩邸から帰った近藤が副長部屋との間の襖を開けて、千歳に話す。
「ああ、会津さまより勧められてね。ちょうど、お医者さまからも静かに療養するように言われていたから、行かせていただこうかと思って」
「よろしゅうございます。では、荷造りを」
「ああ、頼むよ。山南くんの分も」
千歳が驚いて声を上げる。敬助も、「僕も行って良いんですか?」と布団の中から尋ねた。
「君だって、ここでは気が休まらないだろう」
「ええ……そうですね、やはり」
「うん、せっかくだから」
千歳は甘えた声で敬助の布団を握って引っ張った。
「先生ぇ……」
「おいおい。すぐ帰るから」
「すぐ帰って来てはダメです! ちゃんと、治してからでないと」
敬助は千歳の膝に手を乗せて、軽く叩く。千歳が、
「いつ帰って来てくれるんですか?」
とその手を取って尋ねる。近藤が思い付いたように言う。
「酒井くんも一緒に来たら良いんじゃないか?」
「えっと……それは、副長──ええ、土方副長の方ですけど──」
千歳が急に冷静な声に戻って、歳三の方を見た。歳三は視線もくれず、着々と着替えている。
「ああ、残して行ってくれ。近藤さん」
「ですので、残念ですけど……」
「まあ、たしかに、私と山南くんがいない分、仕事も増えてしまうからね。申し訳ないが、頼むよ」
「すまないね、土方くん」
「なぁに、平気さ。ふたりが早く治るためだってんなら、十日くらい」
歳三の言葉に、「十日ですかぁ」と千歳がうなだれた。敬助が頭を撫でる。
「お土産買ってくるから」
「……干し柿」
「はいはい」
「だいぶ、酒井くんは山南くんに甘えただね」
「『古事記伝』諳んじても、まだガキってことだよ」
昼過ぎ、駕籠を手配しに行った千歳を見送って、近藤が歳三に言った。
「あの噂、本当かい?」
「念約? 馬鹿らしい」
歳三が鼻で笑う。近頃、立ち始めた噂。敬助による千歳の寵愛についてだ。
「良いのか、お前としては」
「……関係ねぇよ」
「親子の疑いは、疑いのままかい?」
歳三はため息をついた。近藤には詳しく話していないが、おおよその想定はできているのだろう。歳三が答えに窮するのを見て、近藤はその肩を叩いた。
「じゃあ、諸々よろしく頼む」
「気を付けて。しばらくは、物を考えるな。春が来た喜びだけを感じていろ」
「ああ、そうさせてもらう」
夕刻前、ふたりは療養のために嵐山へ行った。千歳は今生の別れかのように、敬助の手を取って繰り返し身を案じた。
その夜。千歳は床の間から、歳三の布団だけを降ろし、延べた。そして、枕と掛け布団を抱えて、部屋を出ようとする。
「おい、どこ行くんだ」
「えっと……ちょっと」
「なんだ」
「や、八木さんのところへ」
「ここで寝なさい」
「……で、でも」
「だから、なんだ」
歳三の声に苛立ちが見えると、千歳は、「明日はします!」と言って、部屋を駆け出した。
「こら! 待ちなさい!」
「――土方さん?」
追って廊下に出た歳三の声に、総司が障子を開く。
「お仙くん、お説教ですか?」
「……まぁ、追ってまで叱るほどのことでもないか」
歳三の部屋へ引き返す背中に向かって、総司が棘を含んで言う。
「ふうん、だったら、初めっから叱らないであげたら良いのに。ねぇ、井上さん」
「まあまあ。あの年頃への躾はね、難しいんだから」
井上が総司をなだめた。道場にいたころから、何かにつけてなされる歳三の説教に、総司は辟易していた。
千歳はその夜、八木邸の二階、元の部屋に寝かせてもらった。久しぶりの独り寝は、少し寒かった。
翌朝。小雨の降る中、千歳は前川邸へ戻った。雨戸を開け、副長部屋に入る。
ところが、歳三はいない。布団も使われた痕跡がなかった。首をかしげる千歳に、総司が部屋の東の襖を開けて、
「土方さんなら、昨日、嶋原行ったよ」
と言った。
「あぁ、そうでしたか」
「寂しかったんじゃないの? あの人、けっこう寂しがり屋だから」
「ふん」
「鼻で笑った」
「すみません、ちょっと鼻水が垂れてきたみたいで」
千歳は意にもかけず、布団を畳み始めた。
「君こそ、昨日はどこ行ってたの? 土方さんに叱られてたけど」
「……八木さんのところです」
「へぇ。あ、噂をすれば」
「影」
歳三が戻って来て、総司は襖を閉めた。傘をささずに来たのか、歳三の着物は濡れていた。
「おい、濡れたから着替える」
「はい」
歳三が羽織を脱ぎながら言った。沈香のような甘い匂いが立ち込め、千歳は気分を悪くした。
着物一式を行李から出し、濡れた着物を受け取る。裏返った襦袢の袖を戻すと、赤く縁取られた芸妓の名刺が出て来た。手に取り眺める。
「……小梅」
「な──!」
「あ、取っておきますか?」
「す、捨ててかまわない」
「はい」
千歳は袖に入れた。淡々とした対応だ。歳三は妙にうろたえた自分を落ち着かせながら、羽織の紐を結ぶ。浮気を咎められるような心持ちになる必要はない。
息を吸い込んでから、再び千歳を見ると、千歳は歳三の羽織に顔を近付けて、匂いを嗅ぎ取っていた。千歳としては、様々なお香が交じり、甘ったるくなった移り香が気に入らず、消す方法を考えていただけだが、その行動さえも、歳三には咎め立てられているような気がした。
千歳がこの部屋へ越して来てから、十日余り。敬助からの「すてきな夜遊び」との揶揄を受けたこともあり、歳三は一応、遊びを控えていた。富澤に誘われたときも、総司は面倒がって帰らなかったが、歳三は屯所に戻って寝た。ひとりで遊里に行ったときも、必ず帰って来ていた。配慮しているつもりだ。
しかし、昨晩のように、床を並べるのも嫌だと言わんばかりに逃げられては、さすがの歳三も、何事もなかったように八畳間に独り寝する強さを持ち合わせていない。
女の不機嫌はかわいく思えるものだ。言葉を尽くして機嫌をとると、だんだんとむくれた顔も和らいで、甘えた声を出すようになる。しかし、それも、相手に自分への好意があってこそ成り立つものなのだ。千歳の場合、不機嫌を通り越して、一気に泣くところまでいくか、逃げるかのどちらかだ。歳三の言葉を受け入れるつもりがないことは態度に現れている。
歳三はため息をついて、会津藩へ提出する当月分の隊費予算書を書き出した。
昼間、総司が千歳を稽古に誘った。最近、脱退する隊士が増え、稽古に参加する人数が少なくなった。総司としては、もっと稽古をしたいのだ。
こうして度々行われる半刻の「打ち込まれ稽古」によって、これまで型稽古しか行っていなかった千歳も、そこそこ強くなってきていると実感する。少なくとも、鍔迫り合いで背中から吹っ飛ばされることは減った。
夜、歳三は布団はいらないと千歳に告げて出て行った。総司が襖を開けて顔を出す。
「土方さん、また出てった」
「聞こえてますよ、副長のモテっぷり」
「でも、二日連続は珍しいな」
「そうなんですか?」
「勇先生がいなくて、寂しいんだ」
総司が妙に自信のある顔で言い切った。千歳は、歳三の口から「寂しい」だなどと出てくるわけがないと思って、肯定を見せないが、総司は続ける。年の割に幼い話し方だった。
「きっと、そうだよ。だって、あの人さ、すっごく嫉妬深いんだよ? 試衛館の元からの門弟ってさ、あの人と僕と井上さんだけでしょう? 山南先生は後から来た人だしさ。勇先生、度量広いから、すぐ受け入れちゃうでしょう? その度に土方さん、また野良猫を拾ってきたって怒るの」
「えぇ……野良猫って」
「泥棒猫って言わないだけマシだと僕は思うけど」
「こら、総司。いない人の話をするときは、褒める話にしておきなさい」
井上が総司を諌めた。総司が口を尖らせて、「褒める話ですかぁ?」と抗議する。八木邸の前庭で、近藤も敬助も大好きと曇りない笑顔で言ったこの男が、歳三に対して妙に厳しいと千歳は思った。
井上は総司の肩を抱いて、
「あるだろ、たくさん」
と問いただす。総司が思い付いたと顔を上げた。
「一度に三人と付き合ってたとか!」
「うわぁ、最低……」
千歳が小声で、最大限の嫌悪を示した。
「え、あれ? あ、奉公に上がっていたとき、店一番の年上美人から──」
「それって良い話なんですか?」
千歳の低い声に、井上が、
「酒井くんには興味がないみたいだね」
と擁護する。味方を得たと千歳は不満を垂れる。
「正直、女関係の話とか、聞きたくないです」
「お仙くんは土方さんの女に嫉妬してるの?」
「……えーと、はい?」
思わず問い返す。嫉妬と確かに総司は言った。予想だにしていなかった言葉に、千歳の頭の中は混乱した。嫉妬。自分は歳三に対して嫉妬を抱いている──?
総司が問い直す。
「土方さんの女絡みの話は、嫌なんでしょう? じゃあ、嫉妬じゃないの」
「嫉妬って……僕は──」
「土方さんは、勇先生に寄る人、男女なく嫉妬してるけど」
「総司! 怒られるぞ」
井上の手が総司の頭に押し付けられた。総司は、抗議の声を上げるも井上に身を任せていた。
千歳が居住まいを正して、総司に尋ねる。
「総司さん。嫉妬っていうのは、ヤキモチでしょう? それは相手に対する好意が前提になければ、成立しませんよね?」
「うん」
「じゃあ、僕にあの人への好意があるかどうかをまず見極めなくては、総司さんの質問は藪から棒が過ぎませんか?」
「……山南先生だぁ」
整然たるその語り口が敬助に似ているとの総司の指摘に、井上も同意した。
「僕が好きなのは、山南先生ですから」
井上が困ったように腕を組んで、千歳に言う。
「土方くんもねぇ、良い人なんだよ」
「隊にとって欠かせない人なのはわかります」
「人も良いんだよ」
「優しいのは知ってますよ、勇之助も言ってました」
「うん、なら良かった」
近藤が泰然たる厳父という印象なのに対し、井上は優しい「父ちゃん」といった印象だ。
千歳はひとり、八畳間に寝た。真ん中で寝るのは居心地が悪かったので、布団はいつも通り床の間に敷いた。
寝入り端、馬越の言葉を思い出す。
『好きやったら、嫌いになる』
千歳は、お世辞にも歳三のことを好きとは言えない。自ら進んで話しかけたいとは思わない。しかし、初めからそうだったかと記憶を辿れば、それは、初めてこの部屋で独り寝をした日からであったことに思い至る。
後々、話を聞いてみると、芹沢は随分と横暴な振る舞いをしていたらしい。商家に無理に借用金を出させ、それを踏み倒すだとか、掛け取りに来た呉服商の妾を奪っただとか、近藤派が会津藩より粛清の命を受け行ったとの噂も事実に思えるような所業が連なっていた。
藩命であれば仕方がない、と千歳は思うようにしていた。総司とも普通に話している。近藤や敬助も当然、計画に関わっていただろうが、今となってはわだかまりを挟む方がおかしい。心の中でのみ、密かに弔意を示していた。
では、なぜ歳三に対しては他の人とのように上手く話せないのか。ふたりきりで部屋にいることができないのか。
それは、やはり馬越の言うとおり、「好きだったから」なのか。そんなことはない。それまで他人同士だったのだから。
(……好きになりたかった?)
千歳は振り払うように寝返りを打った。
「たぶん、好きにならなくて正解だと思うけど」
思わず口を突いて出た台詞に、ため息をつき、布団を頭まで引き上げる。
(わがままなんだよ、お前は。いつも。和尚さまの言うこと、聞かないで、京都まで来てさ。あの人が認めてくれないことに怒って、でも、あの人と暮らすことは嫌で。それなのに、ここに置いてもらいたがっているんだから)
こういうときに、敬助がいれば、何か話を聞かせてくれて、寝入ることができる。今日は、寝付くのに随分と時間がかかった。
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