十、勤め

 御所を離れ、ふたりはまた無言で綾小路を西へ行く。室町に差し掛かったとき、歳三は「ちょっと来い」と言って、道を南に進んだ。着いた先は古着屋だった。歳三は奥の店主に向かって尋ねた。

「すまない、袷の振袖置いているか?」

「ふ、振袖って!」

 千歳が声を挙げた。そんな男の格好はやめろとの歳三の言葉を思い出す。

「私、き、着物なら足りてます! あの!」

 歳三は取り合わない。店主が出て来た。

「振袖、袷でんな。へぇ、そちらの坊ちゃん用で」

「ああ」

 坊ちゃん用とは、つまり、男子用の振袖と解釈して良いのだろうかと千歳は歳三の反応を待つ。歳三は、袴も一緒にと言った。

「へぇ、お出しします」

 歳三が店の座敷に腰を下ろした。少し離れて、千歳が小さな声で歳三を呼びかける。

「あの……」

「神保さまに会わせるには恥ずかしい格好だったって気付いたんだよ」

「な……うっ! きれいに、してる、つもりです、けど」

 千歳は顔を赤くして、精一杯に抗議した。たしかに、これは、浄土寺の和尚が数年前に寺を出した少年のお古だと言って渡してくれたもので、お世辞にも見栄えは良いとは言えない木綿の舟底袖だが、人に会うのに恥ずかしいほどみすぼらしいことはないはずだ。第一、袴は敬助よりの借り物だ。

「袴にしても、いつまでも借りておけないだろ? どうせ、お前もその格好やめるつもりねぇみてぇだしな」

 歳三は呆れた口調で草履を脱いだ。


 座敷には壁から下ろされた男子用の振袖が並ぶ。好きな色はあるかと聞かれて、千歳はうなる。ないなら俺が決めると歳三が言うので、千歳が語気を強める。

「私、私が決めます! ──赤の」

「これでんな?」

 店主が赤地の細かな格子柄の着物を引き寄せた。すかさず、歳三が、

「赤は止せ、子どもっぽい」

と口を挟む。

「面紐、赤……」

 道場で見かけた歳三の面紐は、周りが皆、紺色の中、赤色だった。袖に入れている襷も赤いことを知っている。千歳による小声の抗議も、歳三は歯牙にかけない。

「全面に使うから子どもなんだ。大体、目立つ。小さく使うから洒落てるんだよ」

「へぇ、さすがでんなぁ」

 店主は完全に歳三の味方だった。よく見れば、歳三は刀の下げ緒も暗い臙脂色をしている。赤が好きらしい。

 千歳は少し迷ってから、藍色の無地の着物を希望した。歳三がまた口を出す。

「縮緬じゃないか。木綿か混ぜ織りにしておけ」

「……副長にお任せします」

「はいよ」

 千歳は歳三の注文をくぐり抜けて自分の好みの着物を見つける手間を選ばなかった。歳三は着物を選ぶことは好きなのだろう。店主と和やかに話しながら見ていき、辛子色の綾織の着物を手に取った。

「……これは、良い布だな」

「良え目ぇしてはりますなぁ! 河内でんねん、おすすめです」

「なるほど。……これも良い」

「それは、桐生でんな。最近はエゲレスだの、メリケンだの、洋物の布が安う入って来よりますけど、あれなんは弱うてダメでんなぁ、糸が細いでっさかい。ほんに、なんでん大和んモンに限ります」


 歳三によって選ばれた着物二枚と、袴二着を抱えて、千歳は堀川を渡った。

「……ほんに、なんでん大和んモンに限ります」

「なんだ? 店主の真似か?」

 店主が口にした先程の言葉が千歳の耳に残っていた。

「大和の物こそ、良いのですか?」

「大和で生まれた物には、大和の魂がある。石ころにだってな。メリケンなんかの物にはそれがない。空の容れ物だ。大和人の魂を持って生まれた者は、大和の魂のあるものを身に付ける。それが調和であり、大和魂を汚さない生き方だ。攘夷とはそういうもんだ」

 つまり、日本人に生まれたならば、日本の魂を持たない舶来の品を好んではいけないということだ。ならば、と千歳は疑問を持つ。

「山本さま……洋学や洋式調練、されています」

「そりゃあ、山本さまは、立派な大和魂をお持ちだからさ。洋学の良さのみを取り扱って、洋学に流されない強さがある。それがなければ、ただの異国崇拝者になってしまうさ」

「そうですか……」

 千歳はあまり得心がいかない気がしたが、それが何故であるかは言葉にできなかった。

「山本さまのお師匠の佐久間象山さくましょうざん先生が、『西洋の芸術と東洋の道徳』を併せ持てと言っている」

「佐久間象山。開国しん……開国進取論、唱えている方ですよね」

「ああ」

 象山による洋学所は、北辰一刀流の総本山とも言うべき玄武館のすぐ隣にあった。後に、日本橋の近くに移転したときも、同じく北辰一刀流第二の道場である桶屋千葉道場の側だった。そのため、兵馬の口からも、何度かその名を聞いている。

 当代一の大学者と言われる象山は、洋学所を開いていたとおり、攘夷とは真逆にいる人物だろう。それなのに、歳三は象山に敬称を添えて呼んだ。

「新撰組とは対立する方ではないんですか?」

「新撰組は攘夷を隊是としてるからって、開国論者は誰彼なく敵ってわけではないさ」

 前川邸に着いた。


 歳三はそのまま局長部屋へ入った。千歳は土間の座敷を抜けて、副長部屋に戻る。敬助が出迎えた。

「おかえり。おや、それは?」

「着物を買っていただきました」

「そう、良かったね。お話はできたかい?」

「……史上最多に。あの人、しゃべるとなれば、よくしゃべりますね」

 千歳の今日一番の感想は、歳三は存外よくしゃべるということだ。敬助が笑う。

「ははは、逆に飲むと静まるんだよね。何を話したんだい?」

「洋学を学びたいなら、強い大和魂を持っていないと、ただの異国崇拝者になってしまうと。大和魂を汚さないことが攘夷だと言われました」

「そうか。洋学、学びたいのかい?」

「黒谷で洋式調練を見ていたら、神保さまにお会いして──」

「え! ああ、そう」

「はい、洋式銃の仕組みを教えてもらったんですが──」

 千歳が帳面を開いて敬助に見せる。敬助は神保による早合の図に関心の声を上げた。

「ほう、よく描いてくださったね」

「でも、あまり理解できなかったので、わかるようになりたいなぁと」

「なるほどね。君は『知りたい虫』だから」

「なんですか、それ」

「君はよく言うもの、『あれはなんですか?』『これはなんて名前ですか?』」

「……すみません」

 千歳が耳を赤くして、帳面を閉じる。敬助が千歳の頭に手を乗せる。

「良いことなんだよ。どんどん、質問しなさい」

 その言葉に、千歳が顔を明るくする。

「では、なぜ、洋式銃は火縄なしで筒内の火薬に着火できるのでしょう? 管に薬があると言われましたが、なんの薬で、どんな仕組みで──」

「すまないが、僕への質問は、漢学か国学かに限定させてくれたまえ」

「失礼しました……」

 千歳は今度は頬まで赤くした。


 昼食後。千歳は雅に裁縫道具を借りて、八木邸の縁側で歳三に買ってもらった着物を肩揚げしていた。裁縫は得意な方だった。辛子色の着物に待ち針を打っていると、稽古着を着た総司がやってきて、隣に座る。

「まだ、肩揚げいるんだね」

「うーん、普通に着るならちょっと長めかなって丈なんですけど、働くなら、やっぱり短めの方が楽なんです」

 例えば、洗濯や火を扱うときなど。襷はいつも懐に入れてあるが、わざわざ出すほどでもないときは、短い方が勝手が良い。

 総司は千歳の運針をじっと見る。居心地の悪さを感じた千歳が、

「……沖田先生、ご質問!」

と言った。

「大和魂とはなんですか?」

「気組の根元」

 総司が簡潔に答え、

「って、勇先生が言ってた。お仙くん、大和魂とはなんですか?」

と続けた。千歳も答える。

「えー、当世において、対比の対象は西洋諸国全般になりましたが、大和魂とは古来、漢才と対比されてきた、日本人独自の知識や思慮分別です。宣長先生は、それを『朝日に匂ふ山桜花』と詠み、良いものを良いと受け取る素直な心根を尊びました」

「わぁ、すごい。山南先生の講義みたい!」

「山南先生の講義の要約ですから」

「そんだけわかっているなら、僕に聞かなくたって良いじゃない」

「……むぅ」

 千歳が口を尖らせて、思案顔をする。

「うん?」

「僕、大和魂、あるのかなって」

「あるよ。ちゃんと気組に乗ってた」

「……先生、この場合の魂って、魂魄と同義ですか?」

「そういう質問は山南先生に持ってってよ」

 質問の内容は、相手に応じて選ばなければならないことを、熱中したときの千歳は忘れがちだ。

 辛子色の振袖の肩揚げを終えて、千歳はもう一枚、深い臙脂色の着物に取り組む。赤はダメと言ったくせに、歳三の規準がわからない。

 総司に代わって、雅が隣に座った。雅は為三郎の着物の共襟を交換して、縫い直している。

「副長はんの部屋に三人やろ? 狭ないん?」

「床の間に布団を延べてます。まさに、床の間」

「あんさん、床の間なんかに寝てはるん? ウチに戻って来はり、ほんま。かわいそうやわ」

「うーん、でも、山南先生とおんなじ部屋だと嬉しいですもん」

 昼間は歳三が執務室に使うので、副長部屋にはいられない。敬助とゆっくり話せるのは夜しかないのだから、やはり、千歳は副長部屋に留まりたいのだ。

「先生のこと、ほんに好きなんね」

「ふふふ」

 千歳が肩をすくませて笑う。その仕草は、いかにも女の子らしく、雅は思わず聞いてしまった。

「お仙さん、好きな人いてはらへんの?」

「……あぁー、そうですねぇ。恋ってことですよね? はぁ、特には」

「いずれはやけど、結婚して子どもほしいなぁなん思うたりしぃひん?」

「うーん。あんまり、思わないんですよね。父母そろった家庭ってものが、どんなのかもよくわかっていませんし……」

 敬助にもらってくれとは言ったものの、まるで本気ではない。自分が結婚して家を支えるだなど、想像できないのだ。

「土方はんとは?」

「……何がですか?」

 千歳の声がわずかに低くなる。雅が手を止めるので、千歳も雅を見る。

「土方はん、この前、ちょっと話してくれはったけど、別宅持って、それをお仙さんに任せたい思うてはるて」

「……地獄じゃないですか」

「そないに嫌なん?」

「日々最も親しむ人が副長ですよ? 勘弁してください、そんなの」

 千歳がやたら勢いよく待ち針を針山に刺した。

「親子やったら、一緒に住むのは当たり前やん」

「親子だったら、そうでしょうね」

「……もう。強情なところは、そっくりやな」

 だから、千歳は上手くいかないような気がしている。

 夕刻、副長部屋に戻ると、歳三は会合に出かけた後で、敬助は報告書を見ながら、左手で算盤を弾いていた。千歳は数字の記録を頼まれる。

 町方より借り受けた借用金の利息と返済の目処を計算しながら、敬助はため息を繰り返していた。

「……厳しいんですね、隊のやりくりも」

「これでも、だいぶ返せた方なんだけどね。洋式調練は夢のまた夢だ」

 敬助は素早く珠を弾いては、数値を書き取らせた。一通り計算を終わらせると、敬助は引き続き千歳に代筆を依頼した。

「僕、字は……うーん、それほどですよ?」

「頼むよ、年賀状を出せずにいたからさ」

 敬助が隣で文面を述べ、千歳がそれを書き写す。敬助の親しい人物に自分の字が渡ると思うと、千歳は緊張してきた。

「なんの、良い字じゃない」

「頑張ってはいますけど……」

「上手だよ」

 敬助は何事にも優しく褒めてくれるから好きだった。書き終える。

「うん、ありがとう」

 敬助が微笑んだ。千歳が硯箱を片付け、布団を敷き出す。

「あ、土方くんは今日、お泊りだから」

「わーい」

「こらこら」

「隣に敷いて良いですか?」

「どうぞ」


 布団に入って、千歳は敬助に講義をねだった。敬助は荀子の『礼記』について話してくれた。


 人間の欲望は果てしなく、しかし、その対象物は、人々の欲望を全て満たせるほど存在しない。従って、欲望を放任させれば争いが起き、社会は混乱する。これを収めるために、礼儀、すなわち社会規範が定められ、欲望とその対象物が平均して行き渡るようにしたのだ。

 その社会規範とは、貴賎であり、長幼であり、能力の有無である。これらに応じた職──農なら田に、商なら財に、士なら官職に尽くす。これが「至平」なのだ。そのため、人々が与えられた職に過分や不足を思わず働くこと──分別をわきまえることが社会の安定につながる。


 千歳は兵馬から『礼記』を教わっていたころには持っていなかった疑問を抱いて講義を聞いていた。

「……生まれ持った役割を全うすることが、『礼』であり、泰平になるんですよね」

「ああ」

「この格好は、『礼』に反しますよね……」

 千歳が、うつ伏せて布団に投げ出した腕に顔をうずめながら言った。娘であることを拒否している千歳は、天から与えられた性別にも、世に求められる働きにも応じていない。

 敬助が布団の下から左手を伸ばし、千歳の頭に乗せる。

「常に、求められる働きをし続ける必要はない。人生、長い目で見て、役割に応じられたらそれで良いんだよ」

「……私の役割」

「君は……君のお母さまみたいに、優しいお母さまになれるんじゃないかい?」

 敬助がささやくような小さな声で言った。千歳は敬助の手の温もりを感じながら、大きく息を吸い込む。否定も肯定も示せないまま、その日は眠った。

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